第4話 追放宣告
レオンハルトの言葉を受け、レインは鞄の口に手をかけた。
これからの《蒼天の剣》について話すのなら、昨日まとめた経路の控えを出しておいた方がいい。前衛が一人増えれば、広い場所で取れる隊列も、狭い通路で先頭を交代する順番も変わる。候補者の戦い方さえ分かれば、地図に書き込めることは多かった。
少し離れた卓では、探索を終えた冒険者たちが笑い声を上げている。普段なら聞き慣れた酒場の賑わいだったが、レオンハルトはまだ何も注文しようとせず、四人の顔を確かめていた。
「昨日話した前衛候補の件だ。ある程度絞ったと言ったが、今日までにもう少し確認した。ほぼ一人に決めている」
「そうか。得意な武器が分かるなら、先に聞かせてほしい。狭い道では前に立つ位置を変えた方がいいかもしれない」
鞄から手帳を取り出して卓の端へ置くと、レオンハルトは小さく頷いた。ただ、レインが頁を開くより先に、続きを口にした。
「その前に、今の編成そのものを話しておきたい」
「編成?」
「奥へ進めば、俺とバルクが続けて相手を受け止める場面が増える。二人では交代の余裕が少ない。前で戦える者が必要なのは、昨日も話した通りだ」
レインは頷いた。それなら、新しい前衛の動きに合わせて自分が退路を確保する。エリナの位置も、今までより少し後ろへ移した方がいいかもしれない。
レインがその案を口にしようとすると、レオンハルトが先に言葉を継いだ。
「単純に五人にするつもりはない。狭い区画では人数が増えた分だけ身動きが難しくなるし、指示も複雑になる。俺は、今の役割を入れ替える方がいいと考えている」
レインは手帳の角に指を残したまま、顔を上げた。
人数を増やさないという判断なら、話すべきことは変わってくる。誰かが別の役割へ回るのか。それとも、候補の加入そのものを見送るのか。
レオンハルトは、答えを探すレインから視線を逸らさなかった。
「レイン。今日で《蒼天の剣》を抜けてもらう」
頁をめくりかけていた指が、そこで止まった。
近くの卓で誰かが話の途中に口を閉じた。別の冒険者がこちらを振り向き、その視線を追うように何人かが顔を上げる。離れた場所では相変わらず談笑が続いていたが、この卓だけの相談では済まなくなったことは分かった。
レインはレオンハルトを見た。
言葉の意味を聞き違えたわけではない。新しい前衛を迎える代わりに、今の四人から一人が抜ける。そして、抜けるのは自分だ。
昨日、新しい仲間へ渡す控えを作ったとき、名前の欄だけは空けておいた。誰が加わるのか分かったら、そこを埋めるつもりだった。今日この席に座ったのも、その続きのためだった。
「……俺が、か」
「ああ」
レオンハルトの返事は短かった。言い間違いを訂正する間も、冗談だったと笑う気配もない。
レインは手帳を鞄へ戻さなかった。開くこともできず、ただ角を押さえたまま、次の言葉を待った。
「急に告げることになったのは分かっている。だが、今までの働きを否定するために言っているんじゃない」
レオンハルトは、いつも攻略方針を説明するときと同じ落ち着いた声で続けた。
「お前の地図には助けられた。通路の状態を調べてくれたことも、装備の傷を見つけてくれたことも、必要な仕事だったと思っている。そこを軽く扱うつもりはない」
それならなぜ、と声にしかけて、レインは口をつぐんだ。相手がまだ話している途中だったからだ。
「ただ、これから挑む場所では、敵を仕留める力を増やさないと先へ進めない。俺たちは今の区画で以前より安定して戦えるようになった。その次を考えるなら、前衛に余裕を持たせるべきだ」
剣を振るうレオンハルトと、盾になるように前へ立つバルク。その二人だけで強敵を受け止め続ける負担は、レインにも分かる。戦える人間が一人増えれば、前衛が疲れたときに交代できるだろう。
だからこそ、その三人を安全に動かすための準備を、自分が続けられると思っていた。
「これまでの記録は残っている。経路も、危険な場所も、共有できる形になっているだろう。俺たちも経験を積んだ。準備は今まで以上に慎重にするつもりだ」
レオンハルトはそう言って、一度だけ卓の中央へ視線を落とした。
記録は残る。それは事実だ。昨日の夕方、レイン自身が、誰でも使えるようにと見出しを揃えたばかりだった。
しかし、狭い通路で新しい落石を見つけたとき、その変化をまだ書いていない地図が教えてくれるわけではない。あの場で自分が何を見て、どこまで危険だと判断したのか。レインには説明できることがあった。
その一方で、あのとき広場へ退く判断を採ったのはレオンハルトで、魔物を食い止めたのは彼とバルクだった。自分の観察だけで全員を救ったと考えることもできない。
どこまでを伝えれば、いまの決定を考え直してもらえるのだろう。
「お前の役目がいらなくなったとは言わない」
レオンハルトはそこを強調するように言った。
「だが、四人で深部へ進むなら、俺は直接戦える者を選ぶ。隊長として、今はその方が先へ行けると判断した」
レインは、すぐに反論できなかった。
仕事が役に立たなかったと言われたのなら、見せられる記録がある。危険を見落としたと責められたのなら、どの判断が間違っていたか確かめられる。けれどレオンハルトは、仕事が役立ったことを認めたうえで、次の編成には別の力を選ぶと言っている。
そこへ、バルクが腕を組み直す音が重なった。
「俺も、レオンハルトの考えは分かるぜ。奥へ行くほど、敵がこっちの都合なんか待ってくれねえからな」
いつもの大きな声より少し低い。バルクはレインを見ると、鼻の下を指でこすった。
「この間の落盤のとき、お前が早く気づいてくれたのは助かった。あれを忘れたわけじゃねえ。でもよ、前で受ける側からすると、もう一人戦える奴がいるってのはでかいんだ」
「……そうだな。あのときは、二人とも続けて戦っていた」
「だろ? 俺が疲れて動けなくなったら、レオンハルト一人じゃ厳しい相手もいる。お前の注意が細けえってのは昔から思ってるが、だから全部無駄だったなんて言わねえよ」
言い終えたバルクは、何か付け足そうとしてやめた。レインの仕事を認めようとする言葉と、前衛を増やしたいという願いは、彼の中ではきっと矛盾していない。
実際、レインにとっても二つは矛盾していなかった。だから昨日までは、五人で動くための準備をしていたのだ。
今は同じ理由が、自分を外す判断につながっている。
レインが視線を移すと、エリナは膝の上で重ねた手を握り直した。昨日、共同倉庫で記録の見出しを覗き込み、「これなら私でも探せそう」と言っていたときと、同じ人がそこにいる。
「エリナは……どう思う?」
問いかけると、彼女は一度だけ顔を上げた。
「私も、レインがしてくれたことは分かってる。危ない場所を先に教えてもらえたから、治癒が必要になる前に引き返せたこともあったし。昨日見せてくれた資料だって、助かると思った」
エリナはそこで言葉を切った。
レインは続きを待った。資料が役に立つと知っているなら、別の方法があると言ってくれるかもしれない。そう考えたことに、特別な根拠があったわけではない。
「でも……レオンハルトは、これからの戦いを考えて決めたんだよね。私には、前で戦う二人の負担を全部は分からないから」
最後の声は小さかった。
レインは頷くこともできずにいた。エリナの言葉が嘘だとは思わない。彼女が負傷者を治し、前衛二人の無茶をどれほど心配してきたかも知っている。
ただ、その言葉の中に、自分に残ってほしいという願いはなかった。
レオンハルトが決め、バルクが賛成し、エリナは止めない。
三人の態度が少しずつ違うことは分かった。それでも、同じ卓に座るレインに届く結論は一つだった。
レインは卓の端に置いた手帳へ目を落とした。中には、今まで通った道が書かれている。前衛が増えても退けるようにと考えた経路も、書き足してある。
その案が、まだ使えるかもしれない。
「一つ確認したい。これはもう決定なのか?」
レオンハルトはすぐに答えなかった。だが、迷っているというより、答え方を選んでいるように見えた。
「ああ。俺は、この編成で先へ進むと決めた。候補にも話を進めている」
「俺が抜けることも含めて?」
「そうだ。お前だけに責任があるという話じゃない。俺が隊長として選んだことだ」
その言葉を聞いて、レインはようやく、今日の場が意見を出し合って決めるための話し合いではないと分かった。
今ここで聞かされているのは、決定の結果だ。
それなら、もう一つだけ確かめる必要がある。昨日から考えていた案が、最初から検討の外に置かれていたのかどうか。
「俺が残ったまま五人で試すつもりはない?」
レオンハルトは卓の端に置かれた手帳へ目を向けた。レインが何か準備してきたことは、その様子だけでも伝わったのかもしれない。
「五人にする方法も考えた。お前がいれば、今までの準備を続けられることも分かっている」
「なら、最初の探索だけでも試すことはできると思う。狭い道では前衛の位置を変えればいいし、無理だと分かった時点で引き返せる経路も選べる」
口にしてから、レインは自分が昨日、机の上で同じことを考えていたのを思い出した。新しい仲間を迎えるために作った線を、初めて自分が残るために説明している。
レオンハルトはその提案を遮らなかった。
「お前がそこまで考えてくれていたのは分かる。だが、俺たちは深部へ進むつもりだ。人数が増えれば、前衛を交代させる判断も、狭い場所で動かす順番も複雑になる。余分な荷物も必要になる」
言われた懸念はどれも、レインが地図に印を付けるとき考えたものだった。工夫できることも、実際に行ってみなければ分からないこともある。だから、試してみるという選択肢を残してほしかった。
「それでも、四人を選ぶのか」
「ああ。今の四人に一人を加えるより、必要な役割を入れ替えた方がいい。俺はそう判断した」
レインはレオンハルトの顔を見た。
これまで、道が危険だと告げれば彼は足を止めてくれた。退く場所を示せば、その案を採るかどうか考えてくれた。今もレインの話を聞いていないわけではない。聞いたうえで、選ばないのだ。
何か別の資料を示せば変わるのか。昨日見た成功率の数字を持ち出せば、もう一度検討してもらえるのか。
けれど、数字の変化を自分一人の手柄だと言い切ることはできない。それに、レオンハルトはすでに記録や準備が役立ったと認めている。そこへ同じ実績を重ねたところで、直接戦える人間を選ぶという基準は変わらないのだろう。
レインは手帳の角から指を離した。
レオンハルトが頼りにならなかったわけではない。バルクが剣を振るわなかったわけでも、エリナが仲間の傷を見捨てたわけでもない。だからこそ、彼らと一緒に進む道を考えてきた。
その三人が、次の道を自分抜きで進むと決めた。
胸の奥に生まれた感覚に、すぐ名前を付けることはできなかった。納得したと言えば違う。かといって、今ここで言葉を重ねても、返ってくる結論が変わるとは思えない。
レインは手帳を開かないまま、卓の端へ指だけを戻した。まだ席を立つつもりはなかった。ただ、次に何を尋ねるべきかと考えても、もう質問は見つからなかった。
少しだけ間を置き、レインは答えた。
「分かった」




