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欠損世界の記録士 ― 追放された俺だけが、消された真実を覚えている  作者: 橘秀斗


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第3話 九十一%という数字

 ギルドの閲覧机には、《蒼天の剣》の古い攻略記録が何冊も積み重なっていた。


 レインは手帳の端に挟んだ紙片を抜き、昨日書き留めた調査項目を確かめた。過去に通った区画、引き返した場所、魔物との遭遇数。昨日見つけた一体分の記録の差については、受付からの確認を待つしかない。ならば今日は、もっと広い範囲を見直しておこうと思った。


 記録は時期ごとに綴じられていた。レインは古い頁から順に目を通し、途中撤退の理由を別の紙へ写していく。その手が、攻略の集計欄で止まった。


『《蒼天の剣》 レイン加入前――攻略成功率六十二%』


 そのすぐ下には、別の数字が並んでいる。


『レイン加入後――攻略成功率九十一%』


「……九十一?」


 レインは思わず声を漏らし、二つの欄を見比べた。六十二と九十一。差は二十九ポイント。少しずつ増えたというには、大きな開きだった。


 窓の向こうから通りを行く荷車の音が聞こえた。机の周りでは、ほかの冒険者も変わらず記録を読んでいる。何も起きていない朝の中で、レインだけがその数字の前にしばらく座っていた。


 もう一度、集計の見出しを確認する。どちらも《蒼天の剣》の攻略について書かれている。区切りになっているのは、レインが仲間に加わった時期だった。


 自分の手帳を開けば、いつから四人で探索に入るようになったのかは分かる。書き留めた日付を辿ってみても、数字の変化はその頃と重なっていた。


 だからといって、自分が二十九ポイント分を勝たせたと結論づけることはできない。攻略に成功するまでには、戦った相手も、通った道も、判断した人間も違う。ひとつの数字から、誰の働きがどれほど大きかったかを切り分けるのは難しかった。


 レオンハルトの剣は、以前より無駄なく振られるようになった。バルクも、力任せに前へ出るばかりではなく、受け止めるべき攻撃を見極めている。エリナの治癒も、必要な瞬間に届くようになっていた。三人が積み重ねた経験を、数字の外へ追いやることはできない。


 一方で、レインが参加してから変わったこともあった。


 以前の探索では、帰路に就く前にバルクの大剣の根元へ亀裂を見つけ、予備剣に替えてもらった。一昨日の探索では、天井の亀裂と新しい落石に気づき、狭い通路から退いて広場で戦う案を出した。どちらの場面でも、魔物に向かって剣を振るったのはレオンハルトたちだった。


 ただ、戦える場所と、戦えない場所を分けることには意味があったはずだ。そうでなければ、彼らが力を発揮する前に危険が訪れることだってある。


 レインは紙の余白へ『加入時期と変化が重なる。要因は未確認』と書いた。


 そこに自分の名だけを付け加えることはしなかった。記録したいのは、誰かを褒めるための結論ではなく、次の攻略で使える事実だった。


 ならば、九十一%になっても引き返した探索には何があったのだろう。


 レインは成功率の欄を離れ、撤退した区画の記載へ目を移した。魔物が重なって進めなくなった記録もあれば、途中で先の道を選び直した記録もある。理由がはっきりしないものには印を付け、前後の頁を調べ直す。


 その全てを、力不足のひとことで片づけるのは乱暴だと思った。強い敵を倒せなければ先へは進めない。しかし、倒せる敵でも、退く場所がなければ戦い方は変わる。一昨日崩れた狭路は、そのことをよく示していた。


 過去の記録には、今なら避けられる危険がまだ残っているかもしれない。新しい前衛を迎えるとしても、同じ失敗を繰り返さない準備は必要だ。


 レインは必要な箇所を自分の紙へ写し終えると、ギルドの資料を元の順番に戻した。集計の数字も、撤退区画の名前も、原本を持ち出さなくても確かめられるように控えへ記してある。


 最後に手帳を閉じる直前、昨日の『ギルド二体/手帳三体』という行が見えた。原因未確認の文字は、そのまま残っている。


 レインは頁をめくった。今日見つけた成功率は、昨日の食い違いに答えをくれるものではない。けれど、これまで何を積み重ねてきたのかを考える材料にはなりそうだった。


 ◇


 午後の共同倉庫では、レオンハルトが机に広げた地図を見ていた。バルクは壁際の椅子で剣帯を直し、エリナは棚の前で次の探索に使う道具を数えている。


「戻ったか。過去の攻略記録は確認できたか?」


「ああ。撤退した区画の情報も拾えた。それとは別に、一つ気になる数字があったんだ」


 レインは自分で書き写した紙を机へ置く。昨日の、一日分の遭遇数を確かめる話とは違う。過去の攻略全体を比べた結果だと告げてから、二つの数字を指した。


「俺が加入する前の攻略成功率は六十二%。加入後は九十一%になっている」


「九十一だと?」


 バルクは椅子の背から身体を起こし、紙を覗き込んだ。しばらく数字を見つめたあと、いかにも彼らしく笑う。


「ほとんど成功してるってことじゃねえか。そりゃあ最近、戦ってても前より余裕があるわけだ。俺たち、ずいぶん強くなったな!」


「そうだな。前に比べれば、三人とも動きが安定していると思う」


「三人だけかよ。お前もあれこれ書いてたろ。まあ、前で剣を振るったのは俺たちだけどな」


 バルクは悪びれず、レオンハルトの肩を軽く叩いた。自分たちの力に自信を持てるのは悪いことではない。先日の探索でも、彼が大型魔物を受け止めてくれなければ、あの広場で戦うのは難しかっただろう。


 エリナも紙へ顔を近づける。


「そんなに違っていたんだね。最近、大きな怪我を治す場面は少なくなった気がする。危なそうなところで無理をしなくなったのも、きっとあると思うけど」


「撤退した区画はまだあるよ。そこも調べてきた。怪我を減らせた理由が分かれば、次にも使えるかもしれない」


「うん。それなら、私もあとで見せてほしいな」


 エリナは穏やかに頷いた。バルクには剣を振るう手応えがあり、エリナには怪我が減った実感がある。レインには、どちらも数字の裏側にある大切な変化に思えた。


 レオンハルトは紙を読み終えると、指を数字の横へ置いて考え込んだ。


「今の区画では、確かに以前より安定している。この先へ進む手応えはあるな」


 それから彼は、机の反対側にある前衛候補の資料へ視線を移した。


「だが、深い場所では相手の強さも変わる。バルクと俺が休みなく前に立ち続ければ、疲労が溜まって動きが鈍る場面も出るだろう。交代できる戦力を増やしておきたい」


 レインはその考えを否定するつもりはなかった。強敵と連戦になったとき、前衛二人へ負担が集中することは、一昨日の探索を振り返っても想像できる。


「前衛を増やすなら、経路と退路も合わせて考えたい。成功率が変わった時期には、装備の確認や進む道の選び方も変えているから。今のやり方で助かっているところは残したい」


「もちろんだ。お前の地図に助けられたことはある。ただ、どれだけ道を選んでも、最後に敵を押し返す力が足りなければ進めない。そこは強くしておきたい」


 レオンハルトの声には、議論を打ち切ろうとする響きはなかった。レインも彼の言葉を聞き、自分が用意した経路に新しい前衛をどう組み込むかを考え始めていた。


 バルクは候補の紙を顎で示す。


「要するに、次はもっと殴れるやつが欲しいってことだろ。俺としては大歓迎だ。レインが細けえ道を調べて、俺たちが前でやりゃいい」


「細かい道じゃなくて、帰れる道を調べてるんだけどな」


 レインが言うと、バルクは声を上げて笑った。


「分かってるって。こないだみたいな落盤は、二度とごめんだしな」


 そこで皆の表情が少し和らいだ。レインにとっても、前衛を増やすことと、記録を役立てることは反対の話ではなかった。二つが噛み合えば、さらに危険を減らせるはずだった。


 レオンハルトは手元の候補資料を揃えた。昨日は何枚も見比べていた紙が、今日は少ない束になっている。


「候補は、ある程度絞れた。まだ正式に決めたわけじゃないが、一度、今の四人で編成を確認したい」


「いつにする?」


「明日の夕方だ。ギルドの酒場に集まってくれ」


「候補本人も来るのか?」


 レインが尋ねると、レオンハルトは首を振った。


「いや、まずは俺たちだけで話そう。今の役割をどう組み合わせるか、確認しておきたい」


「分かった。新しい人が来たときの動き方は、こっちでも整理しておく」


 レインが答えると、レオンハルトは頷いて候補の紙を閉じた。バルクはさっそく強い相手と肩を並べて戦う話を始め、エリナは笑いながら相槌を打っている。


 明日の相談に持っていくなら、記録は誰が見ても使いやすい方がいい。レインは机の端の地図を手元へ寄せ、午後の残りでやっておく作業を考えた。


 ◇


 皆が一度倉庫を離れると、窓に傾いた光が差し込むようになった。レインは積み重ねた記録を区画ごとに分け、どこを見れば危険な場所が分かるのか、頁の端に小さな目印を付けていった。


 これまでは、自分が頁をめくれば必要な情報を見つけられた。だが、初めて読む人間には、同じようにはいかないだろう。魔物を見かけた順番を書いた紙と、その場所の地図が離れているだけで、ひとつの注意点へ辿り着くのに時間がかかる。


 レインは一度、二つの資料を机に並べた。そして地図の分岐に付けた記号を、対応する記録の見出しにも書き込む。これなら、その道で何があったのかを、頁を探し回らなくても確かめられる。


 先に進めたときだけでなく、引き返したときの記録にも同じ印を付けた。どこまで行けたかを知るのと同じくらい、なぜそこで止まったかを分かるようにしておきたかった。


 作業に夢中になっているうち、外の光はゆっくり橙色へ変わっていった。レインが筆を置いたところで、倉庫の扉が開く。


「あれ、まだいたんだ」


 エリナだった。棚に置いていた私物を取りに戻ったらしく、片手に小さな袋を持っている。机の上を見ると、少し驚いた顔をした。


「明日の話し合いが終わってからでもいいんじゃない? また随分、きれいに並べ直したね」


「今のうちに見出しをそろえておきたかったんだ。新しい人が入ることになったら、説明するときにも使えるし」


「でも、レインが一緒に行くなら、その場で教えてあげればいいでしょう?」


 レインは地図の端へ書いた小さな印を見た。あの分岐で足を止めた理由は、自分なら思い出せる。けれど、隣にいないと伝わらない情報は、記録としてまだ途中なのだと思う。


「俺がいなくても分かる形にしておく方が、記録としてはいいと思う。別の道を調べているときでも、誰かが先に必要な頁を見つけられるから」


 エリナは少し考え、それから顔をほころばせた。


「そっか。そういうことまで考えてるんだね」


「誰が見ても分かる方が、間違えにくいから」


「それなら、私にも見せて。治癒が必要になりそうな場所、先に知っておけたら助かるもの」


 レインが新しく付けた見出しを示すと、エリナは覗き込んだ。地図と記録が同じ印で結ばれているのを確かめ、小さく頷く。


「これなら、私でも探せそう。前はレインに聞かないと分からなかったから」


「まだ直した方がいいところはあると思う。気になったら言ってほしい」


「うん。気になるところがあったら、ちゃんと伝えるね」


 エリナは袋を抱え直し、軽く手を振って出ていった。レインは扉の向こうへ声を返してから、机に残った頁をもう一度めくる。


 仲間が使いやすいと言ってくれたのなら、この整理には意味がある。レオンハルトが次の経路を選ぶときも、バルクが通路の幅を確かめるときも、エリナが退ける場所を知りたいときも、同じ印を見れば話を始められる。


 明日決まるのは、前衛を増やしたときの役割分担だろう。誰かが加われば、自分が説明する機会も増えるはずだ。レインは候補者に渡すための控えを一枚作り、まだ名前を書けない欄は空けておいた。


 整理し終えた紙を引き出しにしまうと、机の上には翌日の相談用の地図だけが残った。今朝写した成功率の控えは手帳へ挟んである。大きく変わった数字を見て、皆が嬉しそうに話していたことを思い出した。


 レインも、嬉しくなかったわけではない。今の四人で積み重ねてきた攻略が、以前より多く実を結んでいる。それは自分にとっても大切なことだった。


 ただ、次に向かう場所は、これまでより厳しい。数字を眺めて安心するより、何を準備すれば無事に戻れるかを考えたい。


 レインは手帳を鞄へ入れ、戸締まりを確かめて倉庫を出た。明日の夕方には、今までの四人でこれからの進み方を話し合う。そのための紙は、もうそろっている。


 ◇


 翌日の夕方、レインがギルドの酒場へ着くと、レオンハルトたちは既に同じ卓を囲んでいた。料理も杯もまだ置かれていない。三人とも、彼が近づくと顔を上げた。


 レインは挨拶を交わし、空いた椅子へ腰を下ろした。鞄の中には、五人になった場合の隊列と経路を考えた手帳がある。話が決まれば、候補者の戦い方に合わせて直せるようにしてきた。


 レオンハルトが四人の顔を順番に見て、組んでいた腕を解いた。


「全員そろったな。これからの《蒼天の剣》について、話しておきたいことがある」


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