第2話 一体だけ、数が合わない
三体。
レイン・アークスの手帳の遭遇欄には、そう記されていた。
だが、隣に置いたギルドの攻略記録には、はっきりと「遭遇二体」と書かれている。
レインは二つの数字を見比べ、動かしていた指を止めた。読み間違いではない。手帳には三体、ギルドの記録には二体。昨日の同じ攻略が、二つの記録で異なる数になっている。
翌日の昼前。冒険者ギルドの記録閲覧用の机には、窓から差し込む光が落ちていた。周囲では依頼を探す冒険者たちが行き交い、書類をめくる音と話し声が絶えない。
レインがここへ来たのは、昨日の崩落で通れなくなった道の代わりを探すためだった。自分の地図からその道を消すだけでは、次に使う分岐の安全までは分からない。近くでどんな魔物が出ているのか、ほかの探索記録とも照らし合わせておく必要がある。
昨夜、レオンハルトに約束したとおり、昨日の探索内容は清書していた。帰還に使った道も、崩れた区間も、遭遇した魔物も。時間が経って記憶が曖昧になる前に、順序をそろえて書き残してある。
だからこそ、目の前の数字に引っかかった。
レインは手帳を開き直した。
最初の遭遇は石柱の並ぶ通路。小型の魔物が飛びかかり、レオンハルトが《英雄剣》で仕留めた。
二度目は、その先の曲がり角だった。壁の陰から現れた別の小型魔物を、予備剣を持ったバルクが受け止めて倒した。
そして三度目。亀裂のある狭い通路、その脇道から大型の魔物が現れた。四人で広場へ退いて討伐したあと、通路が崩れた。
三つの出来事は、それぞれ違う場所で起きている。順番も、戦った相手も、手帳には別々に残っていた。
「……どこで違ったんだろう」
小さく呟き、レインはもう一度頁をめくる。
同じ魔物を二度数えた可能性はないだろうか。床に残った痕跡を、遭遇と間違えて書いたのだろうか。それとも、急いで残した走り書きを清書した際に、数字だけを写し間違えたのか。
順に確かめたが、手帳には三度とも戦闘の場所と前後の行動が記されていた。痕跡だけを一体として数えた形跡もない。
もっとも、自分の字で書かれているからといって、必ず正しいとは限らない。
確かめるために残した数字を、書いた本人だけが疑わなくていいはずはない。レインはそう考え、ギルドの紙面へ視線を戻した。
それでも、三回分の経過がここまで違うなら、単に数字を書き間違えたという説明だけでは少し足りない気がした。
手帳から目を上げると、受付の職員が近くの棚で書類を整理していた。レインは頁を閉じず、そのまま声をかけた。
「すみません。一つ確認したいんですが」
「はい。どうされました?」
「昨日の《蒼天の剣》の攻略記録です。ここにある遭遇数は、二体で合っていますか?」
職員はレインが示した行を覗き込み、すぐに答える代わりに、手元の書類をもう一冊開いた。頁を行き来して日付とパーティ名を確かめる。
「少しお待ちくださいね。昨日提出された分と照らしてみます」
その間、レインは手帳の三という数字を指で押さえていた。
職員が確かめられるのは、今ギルドで閲覧できる内容までだ。それでも同じ「二」を確認してもらえれば、自分の読み間違いではないと分かる。
「……はい。こちらで確認できる遭遇数は、二体になっています」
職員は少し眉を寄せた。
「そちらでは三体だったんですか?」
「俺の記録には三体とあります。戦った場所も、それぞれ書いてあります」
「でしたら、書き写した際に一行抜けたのかもしれませんし、報告の段階で数え方が違った可能性もあります。今ここで原因までは分かりませんが、確認しておきますね」
「お願いします。俺の方も、もう一度見直します」
職員は頷き、書類を預かった場所へ戻していった。声の調子はいつもどおりで、何か特別な出来事が起きたようには見えない。
レインも、それを不自然だとは思わなかった。
数字を一つ書き損ねることはある。報告する側と記録する側で、同じ言葉を違う意味に取ることもあるだろう。ギルドの誰かが間違えたとも、自分の記録だけが正しいとも、今は決められない。
ただ、分からないままでよいことと、分からないまま準備を進めてよいことは違う。
レインは崩れた通路に引いた印を確かめ、その手前で分かれている別の道を指で追った。あの瓦礫の向こうへ進む経路は、もう選択肢に入らない。別の道から同じ周辺区画を目指すとしても、そこで出会う魔物の数を少なく見積もる理由にはならない。
昨日、狭い場所から退くと決めたのは、危険が増したと分かったからだ。
次の攻略でも、判断の材料が足りないなら余裕を持たせればいい。仮に一体多く出たとしても、退路と交代の位置を先に考えておけば、慌てずに済む可能性は高くなる。
レインは手帳の余白へ、短く書き足した。
『ギルド遭遇数二体/手帳三体。原因未確認』
その行を消さずに残し、迂回候補のうち退路を確保しやすい方へ印をつける。
原因は、あとから確かめられる。
次に通る道は、今選んでおかなければならない。
◇
「遅かったな。ギルドで昼飯でも食ってたのか?」
共同倉庫へ戻ると、バルクが椅子の背もたれに腕を乗せたまま顔を上げた。エリナは棚の前で灯りの道具を整理しており、レオンハルトは机に何枚かの紙を広げている。
「記録を確かめていた。昨日の遭遇数が、ギルドと俺の手帳で一体違っていたんだ」
「一体?」
「俺の方は三体。ギルドの記録は二体だった。受付にも確認を頼んだけど、原因はまだ分からない」
バルクはしばらく考え、肩をすくめた。
「どっかで数え間違えたんじゃねえのか。昨日のやつは全部倒したんだし、それほど変わらねえだろ」
「そうかもしれない。ただ、次の経路を選ぶときには、少ない方を前提にしない方がいい」
「出てきたら倒せば済む話じゃねえか?」
レインは反論を急がなかった。バルクにはそれだけの力がある。昨日も、大型魔物の突進を受け止めたのは彼だった。
だが、あの狭い通路でさらに一体出ていたら、四人はどう動けただろう。
「倒せるかどうかと、安全に戦えるかどうかは別だと思う。昨日みたいに、戦う場所を選ばなきゃいけないこともあるから」
バルクの手が、椅子の背から離れた。
あのとき亀裂の下へ踏み込みかけたことを、レインは今さら持ち出すつもりはなかった。それでも、バルクは目を伏せ、予備剣を置いた場所へ一度だけ視線をやった。
「……まあな。多めに見て準備するなら、俺も文句はねえよ。足りなくなってからじゃ遅いしな」
「ありがとう」
「礼を言うほどのことじゃねえって」
バルクは照れ隠しのように笑い、椅子を前へ向け直した。
棚から小さな道具を取り出していたエリナが、二人を振り返る。
「次は、崩れた道とは別のところを通るんだよね?」
「ああ。あそこはもう通れない。周辺の記録を見て、戻りやすい道を二つまで絞ってきた」
「よかった。昨日みたいに通路が崩れることもあるんだもの。退ける場所は、ちゃんと分かっていたいわ」
エリナは胸元に抱えた灯りを一度確かめてから、棚へ戻した。彼女が気にしているのは、記録の数字そのものより、そこを通る仲間が無事に帰れるかどうかなのだろう。レインにとって、その心配はよく分かるものだった。
「記録の違いは、引き続き確認しておいてくれ」
机の向こうからレオンハルトが言った。
「ギルドには伝えてあるんだな。それなら、続きは頼む。ただ、次の攻略の準備も進めたい。昨日話していたことがあるだろう」
レインが視線を向けると、レオンハルトの前には、これまで見なかった紙が数枚並んでいた。人の名前や戦闘の得意分野について書かれた、前衛候補の資料らしい。
昨日の話は、まだ可能性の一つだった。
机上の紙が、その可能性を現実の準備へ変え始めている。
「もう、見つかりそうなのか?」
「まだ決めていない。強いというだけで選んでも、バルクや俺と噛み合わなければ意味がないからな」
レオンハルトは一枚を脇へ寄せ、別の紙へ目を落とした。
「深い区画では連戦も増える。前衛二人だけに負担が集中しない形を考えたい。相性がよさそうな者がいたら、一度同行してもらうことも検討している」
「なるほど」
レインは机の端から地図を覗いた。三人目の前衛が加われば、広い場所での迎撃には余裕が出るかもしれない。その一方で、昨日のような狭い通路では、前を詰めすぎると退く場所がなくなる。
「同行するときは、戦い方が分かる範囲で教えてほしい。前衛同士の間隔に合わせて、通る道を選びたい」
「そうしてくれ。もちろん、まだ誰が来るかは決まっていないが」
「決まってからでも間に合うよう、候補の経路だけ作っておく」
レオンハルトは当然のように頷いた。そのまま候補の紙へ視線を戻す。
レインも手元の地図に目を落とした。人数が一人増えるなら、前衛の位置だけでなく、後衛が逃げるために空けておく幅も変わる。エリナが治癒を使う場面を考えれば、立ち止まれる場所も確かめておきたい。
「新しい人が来たら、少し賑やかになるね」
エリナが言うと、バルクが笑った。
「俺の剣の邪魔にならねえやつなら歓迎だ。せっかくの獲物を横から取られるのはごめんだけどな」
「取られるほど隙を見せるなよ、バルク」
「言うじゃねえか、レオン!」
二人の声が重なり、エリナも小さく笑う。
レインは、そのやり取りを聞きながら、地図の細い分岐に印をつけた。まだ見ぬ仲間が加わったとしても、四人が今まで築いてきた動き方を全部捨てる必要はないだろう。足りないところを考え、危ないところを避ければいい。
自分にできるのは、そうした準備を整えることだ。
レオンハルトは、記録の確認を続けるよう自分に頼んだ。候補の紙を読みながらも、その仕事はいつもどおりレインに任せている。それが彼には、今までと変わらない信頼のように思えた。
レインは、自分の手帳の端を指で押さえた。そこには午前中、ギルドで見た数字を書き写した一行がある。
◇
午後になり、共同倉庫には机へ落ちる筆先の音だけが残った。
レインは、午前中に選んだ二つの分岐を、候補の前衛が同行した場合にも使えるか確かめていた。地図には崩落した区間の印を残し、入口側から分かれる別の道筋を細く描く。狭い場所で前衛が三人になれば、後衛の逃げる幅を先に確保しておく必要がある。
しばらくして手を休めたとき、午前中に見つけた一行が視界に入った。
『ギルド遭遇数二体/手帳三体。原因未確認』
紙の上では、相変わらず一体しか違わない。
だが、その一体をどう扱うかによって、次の準備は変わる。レインは記録の横へ「周辺経路は多い方を考慮」と付け加え、余白を空けた。職員から確認が戻れば、そこへ結果を書き込める。
自分の手帳に誤りが見つかれば、訂正すればいい。ギルド側の集計に理由があるなら、それを確かめてから書き直せばいい。今はどちらも分からないから、未確認のまま残しておく。
それで十分だと、レインは思っていた。
ただ、同じような食い違いが以前にもあったのかは、少し気になった。昨日一日の記録だけでは、偶然の書き損じかどうかも判断できない。これまでの《蒼天の剣》の記録と照らし合わせれば、数字以外にも、見落としていた傾向があるかもしれなかった。
ちょうど前衛を増やす話も出ている。過去にどんな区画で足を止め、どの道から無事に帰ってきたのかを整理し直すのは、次の攻略にも役立つはずだ。
レインは翌日ギルドで調べる項目を、手帳の新しい頁に並べた。
『過去の攻略記録。撤退した区画。遭遇数の照合』
書き終えても、午前中の一体差には訂正の線を引かなかった。
机の上を片づけても、その一行だけはまだ手帳に残っていた。レインは頁の端に細い紙片を挟み、翌朝すぐ開けるよう、鞄の手前へしまった。
ただの書き違いなら、それでいい。
そう結論づけられるまでは、二と三を並べたままにしておこう。




