第六話 型紙
婚礼から四月経っても、わたしは台所の場所を知らない。
私が入れる場所は決まっている。東棟の居間、食堂、庭の東側、それから礼拝室。西の廊下から先へ行こうとすると、侍女が先回りして扉を押さえる。
「そちらは埃が立ちますので」
そう言われると、返す言葉がなかった。
春になって、腹が目立ってきた。帯の位置が上がり、階段を下りるとき手すりを掴むようになった。
その日、仕立て屋が来た。
産着の寸法を採ると聞いていたので、私は袖をまくって座っていた。ところが仕立て屋は寸法を採らなかった。
丸めた紙を広げて、板の上に置いただけだった。
「型紙でございます」
麻紙の型紙だった。折り目が深い。何度も使って、何度も畳んだ紙だ。
「ずいぶん古いようですけれど」
「寸法は変わりませんので」
仕立て屋は型紙の端を布に合わせて、印をつけていく。裾の丸み、袖口の広さ、襟の抜き。迷いがなかった。
「これは、どなたの」
侍女のシモーヌが茶器を下げようとしていた手を止めた。
止めただけで、何も言わなかった。
仕立て屋も答えなかった。鋏を入れる音だけが続いた。
私は型紙の隅を見た。寸法らしい数が小さく書いてある。一度消して、上から書き直した跡があった。
書き直した人の字は、細くて右に傾いている。この家で、そういう字を見た覚えはなかった。
昼過ぎ、大奥様の部屋に呼ばれた。
マティルド様は窓際で刺繍をしていた。糸を切ってから、こちらを見る。
「産室の支度の話をしましょう」
「はい」
「支度は要りません」
針が布に入った。
「癒術師を呼びます。産まれたら閉じてもらう。それだけよ」
「湯や、布は」
「侍女がやります。あなたは寝ていればいい」
私は膝の上で指を組んだ。
「あの、宿場に産婆というものがいると聞きました。呼んだほうが」
「呼びません」
糸が引かれる音がした。
「オデット。この家は癒術の家です。よその手を入れる必要がない」
「でも、前の——」
そこで止めた。何と言えばいいのか分からなかった。前の奥様、と呼ぶのも違う気がした。
マティルド様は顔を上げなかった。
「あの人は、努力が足りませんでした」
針が三度動いた。
「三年で娘一人。産室に籠って、洗い場に籠って、それで結果が出なかった。分かりますね」
「はい」
「私は三人産んで、こうして生きています」
刺繍の糸を切る音が、部屋の中で妙に大きく聞こえた。
四月の終わりに、隣の領の伯爵夫人が茶会を開いた。
嫁いでから初めての大きな席だった。馬車を降りると、庭に十人ほどの夫人が集まっている。
腹を見て、皆が寄ってきた。
「まあ、いつごろ」
「夏の終わりでございます」
「初めてでしょう。恐ろしいこともありましょうけれど」
私は嬉しくなった。この四月、腹の話をまともにしたのは仕立て屋と大奥様だけだ。
「産室のことで、伺いたいことがございまして」
そう言った。
庭が静かになった。
正確には、静かになったのではない。誰かが茶器を置く音がして、別の誰かが給仕を呼んだ。会話は続いている。ただ、私の言葉に返事をする人がいなかった。
「あの、皆さまはどのように」
年の近い夫人が、私の隣で茶を飲んでいた。
「わたくしのところは、十一——」
袖が引かれた。
隣に座っていた夫人が、その人の袖口を掴んでいた。掴んだまま、庭のほうを見て、天気の話を始めた。
袖を引かれた夫人は、茶器を持ち直して、それきり黙った。
私は自分の膝を見ていた。
しばらくして、主催の伯爵夫人が私の椅子のところへ来た。年は五十を過ぎている。優しい声だった。
「オデット様」
「はい」
「ドラフィーユ家の産室のお話は、わたくしどもからは何も申し上げられませんの」
「なぜでございましょう」
「申し上げられませんのよ」
それだけだった。
夫人は私の手を軽く叩いて、別の席へ移っていった。悪意のある顔ではなかった。困った顔ですらなかった。決まりごとを読み上げたような、静かな顔だった。
その日、産室の話は最後まで出なかった。刺繍と、庭と、この春の雨の多さの話だけをして、私は馬車に乗った。
帰り道、宿場を通った。
窓の外を見ていたら、荷車が一台、道の端に止まっていた。幌のない荷車で、麻布の下に鉄が積んである。
その脇に、女が立っていた。
藍の前掛けをつけている。裾に白い縁取りが入っていた。肩まで袖を上げるための紐が、腕に巻きついている。
女が荷車に何か包みを置いた。
御者台の男が降りてきて、その包みを一度持ち上げ、鉄の束の上に置き直した。
それだけの動きだった。二人は何も話さなかったように見えた。少なくとも、口は動いていなかった。
馬車が通り過ぎた。
宿場では産婆というのはああいう格好をするのだろうか。前掛けの胸のところに、金物が光っていた気がした。
屋敷に戻ると、寝室に新しい敷布が入っていた。
「産のときのものでございます」
シモーヌが四隅を伸ばしている。
「私、まだ何も申しつけておりませんけれど」
「この家では、産のときはこの敷布と決まっておりますので」
「決めたのは、どなたですか」
シモーヌが四隅を伸ばし終えた。
「存じません。私が参りましたときには、もうこうでございました」
湯浴みの手順も同じだった。朝は東の浴室、夕は使わない。乳母はマルグリットという女がすでに決まっていて、私はまだ会っていない。
産着の型紙は、折り目が深かった。
私は寝台の端に腰を下ろした。
嫁いでから四月、この部屋で私が選んだものを数えようとした。
窓辺の花瓶。あれは実家から持ってきたものだ。
それから。
それから、と考えて、指が止まった。
この家に、私の型紙は一枚もなかった。




