第38話
エレベーターで地下37階まで降り、オープンしたばかりのスターバックスに行ってみたが、もの凄い混雑で、荘子と萌に説得され、千聖はスターバックスを諦め、近くにあったコンパルに入った。
コンパルも店内は混雑しており、奥の窓際の、4人がけの対面型のテーブル席に案内された。美味しそうに珈琲を飲む客の間を通り、奥の席に向かう。ちょうど、荘子たちが案内された席の手前のテーブルに、1人の制服を着た女子高生が背中を向けて座っていた。真っ黒なおかっぱ頭で、セーラー服にカーディガンを羽織っている。
コンパルに1人で来るなんて珈琲好きな子なのかな、なんて思いながら、荘子は1番奥の椅子に座った。
「あーお腹すいた! 何食べよっかなー」
「あんた、さっき食べたばっかじゃない」
「だってぇ」
それに気づいた瞬間、荘子はそのままの姿勢で硬直した。荘子の向かい側の席に座る萌と千聖、ふたりの間から見える、隣のテーブル席に座って頬杖をつきながら窓ガラスの外にある地下街の様子をぼんやりと眺めているのは、郡上燻だった。
黒いおかっぱのカツラを被り、コンタクトで瞳の色を変えているが、あれは間違いない。心愛命記念病院特別閉鎖病棟の最上階で見た、月明かりに照らされた彼女の顔が頭の中に蘇った。
荘子はすぐに視線を手元に落とした。
恐怖で、再び視線を上げる事が出来なかった。
もし、次に前を向いた時、郡上燻がこちらを見ていたらどうしよう。
「どうしたの?」
萌が訪ねた。
「ううん、なんでもない」
荘子は平静を装い、メニューに手を伸ばした。
冷静になれ。郡上燻に、わたしの顔は見られていない。大丈夫。
しかし、あの時、郡上燻はわたし達の顔を見ていないのに、わたし達が女性であることを見抜いた。どういうカラクリがあるのか分からないが、油断は出来ない。
荘子たちがメニューを選んでいると、郡上燻はメロンソーダをストローで飲み干し、席を立った。
「ごちそうさまでしたぁ〜」
代金を支払い、そのまま店を出て行った。荘子は心の中で安堵した。それと同時に、跡を追わなくては、と思った。
「じゃあわたしはホットコーヒーにする」
「私もそれにするわ」
「じゃあ、私はパンケーキとココア!」
「よく食べれるわね」
「甘いモノはべ・つ・ば・ら!」
マキナ達に連絡しようか。でも、通信で重要な事をやりとりするのは危険だ。監視されている可能性もある。とりあえず、跡をつけよう。萌と千聖には悪いが、今日はここでお別れだ。
千聖が手を上げ、ウェイターを呼ぶ。
ごめん、急用が出来た、と言おうとしたところで、突然、外から悲鳴が聞こえた。
しまった——
悲鳴を聞いてすぐに、郡上燻の姿が頭をよぎった。
荘子はすぐに立ち上がり、駆け出した。
「荘子、どうした……」
萌がその言葉を言い終わる前に、荘子は店の外へ出ていた。
「これは……」
そこには、異様な光景が現れた。地下街の通路に、黒のスーツ姿の男たちが、5人、皆同じように口から血を吐き、倒れ込んでいた。周りには、立ち止まってその理解しがたい現状を眺める人々が複数いるが、郡上燻の姿はない。
「きゃあ」
荘子の跡を追って店を出た千聖が悲鳴を上げた。
「萌と千聖は安全が確保されるまでお店の中にいて」
「荘子は?」
萌は、心配そうな表情で訪ねた。
「わたしは、国家公務員よ。特別措置で雇ってもらったからには、それなりの仕事をしないと」
そう言うと、スマホを取り出し、どこかに通話をかけながら、人混みの中に消えていった。
「大丈夫かな、荘子……」
「うん……」
萌は、胸の前で右手の拳を握った。
地下街には、老朽化が進み、使われなくなった区間も存在する。
その区間の中には、取り壊される、もしくは改築される事もなく、そのまま朽ちて廃墟と化している場所も存在する。
納屋橋は、そんな廃墟と化した地下街の一角で、薄暗い通路の真ん中に瓶ビール用の緑色のケースを逆さに起き、その上に腰掛けていた。
口に咥えていたタバコを投げ捨てようとし、思い止まり、胸ポケットに入れてあった携帯灰皿を取り出し、吸い殻を入れた。視線は落としたままだが、目の前に気配を感じる。
「納屋橋かい。久しぶりだな、こんな所でなにしてる?」
まるで、子供が遊びでぶかふがの大人用のコートを着ているかのような、そんなシルエットがぼんやりと闇に浮かんでいる。
「お前を待っていたんだよ、人斬り抜刀菜」
納屋橋は、その鋭い眼差しでギラリと通路の先に浮かぶ影を睨んだ。小柄で、背中を丸めて、サイズの合わない茶色のコートに身を包んだ初老の男だ。
「納屋橋、お前随分偉くなったようじゃないか。聞いたよ、風の噂でね。今更、こんなチンケな犯罪者を相手する事もないさね」
納屋橋は立ち上がる。
「私には、ある」
納屋橋は十手のエボルヴァーを起動させた。真っ白な刃が出現する。警察の為に開発されたエボルヴァーだ。殺傷能力を極限まで抑えられている。
「そんな融通の効かないこと言ってると、出世に響くぞ」
「所詮ノンキャリアさ、多くは望んでない」
「通してくれ」
「ダメだ」
「わしには、やらなきゃならん事がある」
「もしそれが正しい事なら、私が引き継いでやる。お前は大人しく罪を認めて、服役しろ」
瞬間、納屋橋は飛び出し、抜刀菜に斬りかかった。抜刀菜は、瞬時にカタナのエボルヴァーを起動させ、受け止める。
「納屋橋、こんな老人をいじめて何が楽しい?」
「何を言うか。あの切り口の鮮やかさ、未だ衰えていない」
抜刀菜のカタナが、納屋橋の十手を弾いた。抜刀菜はそのまま風のようにしなやかに斬り込んだ。しかし、納屋橋もそれを十手で受ける。ふたりの間に、鮮やかな光の粒が散る。睨み合う。次の瞬間、互いに後ろに跳躍する。 そして、またぶつかり合う。一瞬、納屋橋の方が速かった。納屋橋の十手が、抜刀菜の腹を打った。
「ぐっ……!」
抜刀菜は衝撃と共に大きく後ろに後退した。
「はっ、強くなったな。小僧っ子が」
そう言うと、抜刀菜はカタナを背後に向けて大きく構えた。その構えを見て、納屋橋は警戒する。
あれは、抜刀菜の必殺剣の構えだ。次の一太刀で、勝負が決まる。
納屋橋は、十手を上段に構えた。抜刀菜が、突風のように舞った。
来い——
その時だった。
「うわぁ、すげぇ! お化け屋敷みてぇ!」
納屋橋の目の前に、横の通路から、1人の少年が飛び出してきた。
「馬鹿な——」
納屋橋は、瞬時に少年を突き飛ばした。少年は横の通路に吹っ飛んで逃れたが、納屋橋の目の前に、抜刀菜の太刀があった。納屋橋は太刀をもろに受け、大きく吹き飛んだ。
抜刀菜は、そのまま倒れる納屋橋の上を飛び抜けて走り去った。
納屋橋は床にうつ伏せで倒れ、そのすぐそばには、少年が腰が抜けたように床に尻餅をついている。その後ろには、あっけにとられる2人の少年が棒立ちになっている。
「おい、ガキども……早くここから離れろ。不法侵入で逮捕するぞ」
「は……は、はい!」
少年達は、お化けから逃げるように急いで走って行った。納屋橋は、寝返りを打って仰向けになった。
「抜刀菜め、直前で手加減したな。器用な奴だ」
納屋橋はそのまま目を閉じた。
その光景を、影から縷々が伺っていた。縷々は2人の闘いを見届けると、その場を去った。
「いいもん見れた」
完全に見失った——
荘子は素早く追いかけたが、もう郡上燻の姿はどこにもなかった。その時、マキナ達のことが頭に浮かんだ。
もしかして、マキナ達が地下にいるのは、郡上燻が関係しているのだろうか? 連絡を取りたい。
しかし、このタイミングでマキナ達に連絡を取るのも状況的に考えておかしなものだ。荘子は、自分のスマホが監視されている可能性を考え、むやみにマキナ達と連絡を取らないようにしていた。
この蟻の巣のように無数に広がり入り組んだ地下街で、1人の人間を何の手がかりもなしに探すのは至難の技だ。太平洋の真ん中で、存在するかどうかも分からない海の底の財宝を探すようなものだ。しかし、ここは海の底ではない。文明の利器が詰まりに詰まった技術の塊の中にいる。
荘子は思った。
監視カメラの顔認証機能を使った人物検索システムを使おう。それを使えば、まだ間に合うかもしれない。
しかし不思議なのは、郡上燻のような指名手配犯は、人物検索システムに登録してあり、検索に引っかかるとすぐに警察に連絡が入る仕組みになっている。あんなウィッグを被っただけの変装では顔認証機能は騙せない。やはり、わたしの見間違えなのだろうか。
いや、そんな事はありえない。
わたしは一度見た人間の顔は忘れない。あんなに印象に残ってる顔を見間違える訳はない。荘子は父に電話をかけた。
「お父さん、さっき電話した事件の被疑者を探す為に、地下街の管理システムにアクセスしたいんだけど」
『地下街の……分かった。数分待ってくれ』
荘子は側にあったベンチに座り、鞄からタブレットPCを取り出した。3分後、父からメールで暗号化されたアクセスコードが送られてきた。
剛にはとても強い人脈と人望があり、こういった仕事も速かった。
ありがとう、お父さん。
荘子は素早くコードを解析し、地下街の管理システムにアクセスした。そして錦U37階の監視カメラに記録された映像を再生した。
5人の黒服の男達が、固まって喫茶コンパルの前を通過する。すると、暫くしてカーディガンを羽織った郡上燻が5人の跡を追うようにコンパルから出てくる。
別のカメラの映像に切り替える。
郡上燻が、黒服のすぐ後ろに立った。すると、5人は次々と倒れていった。郡上燻は何事もなかったように通路を通り抜け、映像から姿を消す。
一見、郡上燻は何もしていないように見えるが、荘子には見えていた。郡上燻はあの瞬間に、恐ろしく速いエボルヴァーの攻撃を繰り出している。やはり、只者ではない。しかも、彼女もエボルヴァーの使い手だ。このまま野放しにする訳にはいかない。
荘子は監視カメラに映る郡上燻の顔を人物検索システムにかけた。検索中を示す緑色のリングが点滅する。
早く、早く、早く……そして、検索システムは郡上燻がいるフロアを示した。
「くーちゃんならここにいるけど?」
生命の危機に陥った時、自身の生命を守る為に反射的に身体が動くことがあるが、この瞬間はまさにそうだった。荘子はタブレットを投げつけ、反対側の壁に飛んだ。
目の前に、タブレットを片手で掴む郡上燻が立っていた。黒いおかっぱの髪に包まれた透き通るような白い顔に、大きな瞳が不思議な輝きをもって荘子を見つめている。
胸元に紺色のリボンがついたセーラー服に、紺色のカーディガンを羽織っている。少しサイズが大きいのか、袖に手が隠れている。膝上丈の短くしたスカートから、黒いタイツに包まれた華奢な脚が伸びている。
「キミ、JK刑事の白川荘子ちゃんでしょ? さすがだよねぇ」
そう言って、タブレットを荘子の方に投げた。荘子は片手で受け取った。
「あなたは、郡上燻」
「そうそう、初めましてぇ……ってわけでもないよね?」
荘子は凍りついた。まるで廃墟となった旅館の奥でリアル幽霊を目撃してしまった時のように、身体の芯が凍りつき、寒気がこみ上げてきて、身体は動きを失った。それとは反対に、心臓は激しく鼓動する。
高校の合否を確認する時にさえ揺るがなかった心拍数が、激しく乱れている。
ダメだ、こいつは、ここで殺る——




