第二章 2
その日の夜。
「いてて……」
と手のひらに出来たマメを触りながら、俺は早くも素振りを止めようかと考えていた。
大体なんだ、木の棒をブンブン振ったからっていきなり強くなれるのか? まあやらないよりはマシだろうが、俺はなるべく早く強くなりたいんだ。鈴原さんに追いつかなけりゃならないんだ。千里の道も一歩からとは言ったものの、こんな体たらくではいつまでかかるか……ああ、腕がだるい。腰が重い。
「静也―、早くお風呂に入りなさい」
母さんが俺を呼ぶ。
「うー、手が沁みるんだよな……」
憂鬱な気分で風呂場に向かう。
「静也、お風呂から上がったらダイニングに来なさい」
そう言われ、何だ何だと思いながらも俺は脱衣所で服を脱いで洗濯機にポイと投げ込んで、風呂に入った。
──母さん何の用事だろう。俺別に学校でヤンチャしてないし、っていうかむしろ影が薄い方だし、呼び出されるなんてこと無いだろうし。
学校のことじゃなけりゃなんだ? まさか魔塊狩りのことがバレた?
いや、昨日の今日でそんなことは無い筈だ。危険なことは止めろと言われても、もう片足を突っ込んでしまっている。
そりゃ俺だって逃げられるものなら逃げたいけど……鈴原さんに釘を刺されてふたばにもしつこく言われて、後に引けなくなっている。
そういえば今日もしっかり学校に来ていたな鈴原さん。左手に包帯を巻いて、何ごともなかったように授業を受けていた。逞しいな、ああいう精神力を持った人が魔塊狩りに向いてるんだろう。
それに引き換え俺は、ちょっと木刀を振ったぐらいであっちが痛いだのこっちが痛いだの……情けない。
ハア、明日も朝早く起きて素振りだ。ふたばが見張ってる。
俺は風呂から上がると、バスタオルを肩に掛けてダイニングにやって来た。
「まだ髪が濡れてるわよ」
椅子に座っている母さんにそう言われて、バスタオルで頭を適当に掻き回した。
「そうじゃなくて、もう一回ドライヤー使いなさいって言ってるのよ」
「構わないよこれぐらい」
「そういうものぐさなところ、お父さんにそっくり」
「え? そうかなあ。でもスキンケアには気を付けてるけど」
「今時の子ねえ。まあいいわ。座りなさい」
「ちょっと待って、お茶飲むから」
俺は冷蔵庫を開けると、麦茶の入った緑色のボトルを取り出した。
そしてガラスのコップを取り、それにたっぷり麦茶を注ぐ。
「ハア、湯上りの一杯は最高!」
「何それおじさん臭い」
母さんはウフフと笑う。
そこに優がダイニングに入って来て、「用事って何?」と母さんの方を見る。こいつも呼ばれたのか。
俺たちがテーブルにつくと、母さんはスッと背筋を伸ばし、口を真一文字にしてやや緊張した面持ちで話し始めた。
おっ、何だこのマジな感じ。凄く久しぶりだ。
俺はぐいっと麦茶を飲み干す。
「二人に聞いて欲しいの」
ふんふん、何だ?
「あのねえ、母さん結婚しようかと思ってるんだけど」
ブッ‼
思わず麦茶を噴き出してしまった。
「け、け結婚⁉」
ゲホッ、ゲホッ、ゲホッとむせる俺を指差して優がケラケラと笑う。
「笑ってんじゃねえよ! ゲホッ!」
「ごめんねえ、驚かしちゃって」
「あ、相手は⁉」
俺は前のめりになって尋ねる。
「会社の取引先の人で、とっても良い人よ」
母さんは目を閉じて首を傾ける。息子の前でそういう女の仕草は止めてくれ。
それにしても──突然の母の結婚宣言。
あ、いや別にしたけりゃすればいいけどさあ……。
「向こうに家族はいるの?」
興味深そうに優が訊く。
「女の子が一人。静也より一つ年下の高校一年生よ」
うわ、それってマズいんじゃないのいろいろと。
「うん、私は良いと思うよ、お母さんの好きなようにすれば」
優はあっけらかんとしてそう言う。
「おい優、結婚って言っても母さんの場合は再婚だ。いろいろと障害が……」
「じゃあお兄ちゃんは反対なの?」
「いや、反対っていうか……母さんの気持ちを優先すれば、別に反対なんてことはないけど……」
「じゃあいいじゃん。超おめでたいことじゃない?」
めでたい、めでたいけど何かさあ……。
「ああ良かった、二人に反対されたらどうしようかと母さんドキドキしてたんだから」
母さんは胸に手を当ててふう、と息を吐く。
「お母さんの幸せが一番だよ。今年でいくつだっけ? お母さん」
優が尋ねる。
「四十よ」
「まだまだ女盛りじゃん。人生であと二回ぐらい結婚出来るよ!」
「おい、優。調子に乗って適当なこと言うなよ」
中一のくせに何が女盛りだ人生だ。
「あーっ、お兄ちゃん何かお母さんの結婚に賛成じゃなくない?」
「な、何を別にそんなことは……こういうのはまず相手の男の人に会ってみてからな、人柄をよく見て……」
「えー、何それ、意地悪な姑みたい。なんか嫉妬してるみたいな感じー」
「何でそうなるんだよ!」
「これだから男ってのは……いつまで経ってもお母さんに甘えっぱなしだもんね」
「だから何でそうなるんだよ! 俺はもう高二だぞ! お前は妙なテレビドラマの影響受けすぎなんだよ!」
「ほらムキになってる。図星なんでしょ?」
「お前は本当に一回シメてやらないといけないな!」
「えっ、何? 暴力で来るわけ? だったら私も遠慮しないけど」
「はいはい分かりました!」
俺と優の言い争いに、母さんがパンパンと手を叩いて入って来る。
「二人の考えはよく分かったわ。取り敢えず相手の男の人に会わせないとね。あんたたちの新しいお父さんになるんだから」
「新しい父親……」
そう言われると、生々しくて何か背中がムズムズする。
優もそうなのか、椅子に座ったまま体を左右に揺らしている。じっとしてられないんだろう。
「まあ、向こうの都合もあるし、家族対面はもう少し先にしようと思うの。取り敢えず今日は報告だけしておこうと思って。いい?」
「あ、ああ」
「うん、いいよ。吃驚したけど」
母さんはすくっと立ち上がり、柔らかな表情になる。
「じゃあ、歯を磨いて寝ましょう。ありがとうね、二人共」
俺が自分の部屋に戻ると、ふたばが正座して頭を下げていた。
「お母様のご結婚、おめでとうございます」
「なんだ聞いてたのか。別にめでたくないよ、これから向こうの連れ子と顔を合わせたり新しい家に引っ越したりしなけりゃいけないんだから」
「ワクワクしますね!」
「何でお前がワクワクするんだ。ハア、今日は体力的にも精神的にも疲れたよ」
「だからといって明日の朝の素振りはやってもらいますよ」
「はいはい。宿題やってさっさと寝る」
「勤勉で良いですね。常久様も夜遅くまで勉強されていました」
「ふうん、そうか……。俺も常久さんほどじゃないけど頑張らないとな」
そう言って授業で習ったことをプリントからノートに書き写していると、ふたばが周りをブンブン飛び回って俺の様子を見てくる。
「何なんだお前は!」
「あ、いえ、静也さんが居眠りしないように見張っているんです」
「しないよ! いいから大人しくしていてくれ!」
「……はい、分かりました」
ふたばは部屋の隅に行ってちょこんと正座した。そして視線を俺に向けてくる。
「……なあふたば」
「はい、何でしょうか」
「ちょっときつく言い過ぎたかもしれない。悪かった。お前は先に寝ていいぞ。俺もすぐに宿題を終わらせて寝る」
俺が優しい言葉を掛けると、ふたばの顔がパアと明るくなる。分かりやすいな。
「はい、先にお休みさせていただきます!」
と言って押入れの中にスッと入って行った。
……本当は、あんまり見られてると集中出来ないからなんだけどな。
ふたばの気の遣いようは、時々行き過ぎていて困る。
幽霊と同居するってことは、気を付けなきゃならないことが増える。優と母さんがいる前でついふたばに話し掛けて「何独り言を言ってるの?」って言われたり。それを気にしてあまり喋らなかったら「静かだね。学校で何かあったの?」と心配されたり。おまけにこれから家族が増えるときた。……年下の女の子と同居か。凄くドキドキする。鈴原さんみたいに余計なことはあまり喋らないような子だと困るな。明るい子だと良いんだけど。
でも陽キャギャルみたいな子だとそれはそれでどうしようか……あー、回してみるまで分からないガチャみたいだ。
既にうちには優がいるんだ。妹が増えるのは……別に構わないけど。
魔塊狩りとか言ってる場合じゃなくなってきたぞこりゃ。




