第七章 1 美味しいお茶
「わー、凄い、本当にこの家買うの⁉」
優が新築の家の中をドタバタ走り回っている。
「二人で決めたのよ。それで、子どもたちはどう思うかって」
母さんは、はしゃいでいる優を見て嬉しそうに言う。
白石さんと母さんが買うと言っているこの家は、俺たちの住むボロマンションとは比べ物にならないほど広くて、新しい木の香りがし、五人で住むのにも勿体ないと思うぐらいだった。
もちろん自分たちの部屋もそれぞれあるし、風呂は広くて足を伸ばして入れる。
「一緒に入る? お兄ちゃん」
風呂場でシャワーを浴びる真似をしながら、茜ちゃんが俺に言ってくる。
「バ、バカなこと言うもんじゃないよ!」
「あ~、照れてるんだ、お兄ちゃんかわいい~」
茜ちゃんはもう俺に敬語を使わなくなった。
馴れ馴れしくなったというわけではない。仲良くなったのだ。
優とは既に姉妹みたいになってるし、母さんとも上手くやっている。
茜ちゃんのコミュ力は、俺が思っていたよりずっと高かった。
「じゃあ今日はみんなで焼き肉を食べに行こうか」
白石さん……俺の新しいお父さんがそう言うと、優が両手を上げて喜ぶ。
いいのかなあ、俺だけこんなに幸せになって。
峠剛士はまだ捕まってないのに。鈴原さんはまだ苦しんでいるのに。
〇
「遂に見つけたな」
「はい、青果市場の傍の、赤い屋根の建物。間違いないですね」
俺とふたばは遠鬼に聞いた、峠剛士が潜伏しているという場所にやって来た。
不動市に三か所ある青果市場を一つずつ回り、最後に辿り着いた不動中央卸売市場。その傍らにひっそりとある赤い屋根の建物。コンクリート壁にはひび割れや剥がれが目立ち、取り壊し寸前といった感じだ。
一階は駐車場で、二階は居住スペースになっている。おそらく事務所として使われていたのだろう。人通りはあるが、まばら。広く大きな市場の屋根が影を作って、事務所を隠している。人目に付かないようにするには絶好の場所だ。
車は置かれてなかったから、峠は居ないかもしれない。ならば不動丸だけでも取り返して……そう考えて乗り込むことにした。ここまで来て、手ぶらでは帰れない。
建物の外階段をそろりそろりと上がり二階のドアの前に立つと、ふたばに中の様子を窺うよう無言で指図した。
ふたばは頭をドアに突っ込ませると、しばらく動かないでいた。
「おい、どうしたふたば?」
小さな声で尋ねてみるが、反応が無い。
「何が見える?」
もう一度声を掛けてみると、頭をドアから引っ込ませ、首を傾げている。
「……女の人が居ます」
分からない、という感じでそう言った。
「はあ? 女? どんな?」
「そうですねえ、大人っぽい感じで、眼鏡を掛けている女性です」
「その女が何をしてるんだ?」
「椅子に座って何かを飲んでいます」
何かを飲んでいる? 紅茶でも飲んでくつろいでいるってことだろうか。
「ドアの鍵は開いていたか?」
ふたばはコクンと頷いて、「あ、はい、縦になっていました」と答えた。
ふたばが言う「縦になっていた」というのは、ロックの部分が上を向いていて鍵が開いているということだろう。
さあ、どうする。
ここは一気に突入して、女に峠の居場所を吐かせるか。
でも、滅茶苦茶強い女だったらどうしよう。峠のアジトに居るんだから、その可能性は十分ある。
しかし……。
「よし、突入するぞ、準備はいいかふたば」
「えっ? でも危険じゃないですか、いくら女性一人と言っても何か罠が……」
「罠、危険、大いに結構だよ。せっかく見つけた峠剛士のアジトなんだ、ここで踏ん張らなきゃ次は無いかもしれない」
「静也さん……」
「何だ?」
「素敵です!」
「なっ、おまっ、そういうのはいいんだよ! とにかく突入だ!」
「はい!」
俺がドアのノブを掴み、一息に開けてしまおうとした時……。
「いいよ、そこに居るんでしょ? 入っておいで」
という声が部屋の中からした。それで俺の手はグッと止まってしまい、踏み出そうとした足は踊った。
……誘ってやがる。
「ど、どうしますか静也さん。向こうから呼んでますよ」
「う、うん……そうだな、ここは……」
どういうことだ? 気配を読まれたのか? それともふたばの姿が見える? だとしたら中にいるのは何者なんだ?
俺は深呼吸し、一旦落ち着いてからノブを回した。
「来いって言ってるんだから、行ってやろうじゃないか」
とドアを開けた。
──部屋の中は、事務所兼応接室という感じで、テーブルが中央に置いてあり、その両側にソファがあった。そして、そのソファに黒縁眼鏡を掛けたスーツ姿の女が座っていた。眼鏡と同じ色の黒いスーツ。
「いらっしゃい」
女はそう言うと、飲んでいた缶コーヒーをテーブルに置いて、「君も座ったら?」と言ってきた。
「あ、あの……俺は……」
「分かってる。峠剛士を探しに来たんでしょ。でも一足……いえ二足遅かったね。峠は昨日ここを引き払って他所へ行ったそうだよ」
「昨日……!」
「そう。ここの家主の人に直接訊いたの。ナカノコウジ、っていう偽名で借りていたみたい」
「そ、そうですか。あの……あなたは誰ですか?」
俺が尋ねると、女は顎に手を当てて黙り込んだ。
「……ふむ、なかなか哲学的な質問だね。私は何者か、ときたか」
難しい顔をしてむーんと考えている女に、俺は「そういう意味じゃないです」と呆れて言った。
「私は何者なのか……」
「あの、ただどこのどなたか訊いてるだけですけど」
と俺が言うと、女はいきなり手を叩いてケラケラ笑った。
「やだなあ、そんなの分かってるよ。真面目に受け取らないで」
女は笑っているが、俺はちっとも面白くない。
ああ、何か疲れるタイプの人だな、ここは引き締めていかないと、と思った俺は。
「あなたは峠剛士の関係者ですか?」
直球で質問をぶつけてみた。
「関係者? 関係者といえば関係者だけど。あっそうだ名乗るのを忘れてたね。小川勇美。さらさら小川に勇ましく美しくって書くの。君は? 見た感じ学校をサボった高校生ってところぉ?」
小川さんが立ち上がって俺に寄って来る。その時、スーツの下に着ているシャツから谷間が見えてどきんとする。
「ち、ちょっと離れてください!」
「何~? お近づきになろうとしたのに。君だって私のこともっと知りたいでしょ?」
「こういうお近づきじゃありません!」
このおっぱい眼鏡お姉さんは何なんだ? 峠のことは知っているみたいだけど……一足二足遅かったっていうことは、この人も峠を探してここへ?
「……小川さん、峠の恋人か何かですか?」
「ええっ? プッハッハッハッハ!」
俺の言ったことに、小川さんは驚いた後、大笑いを始めた。可笑しくてたまらない、そんな感じだ。
「ち、違うんですか⁉ てっきり峠を追いかけてきた恋人か愛人かと……」
「違うよ~。私のことをどういう目で見てるの?」
「じ、じゃあ……」
「私は魔塊狩り。刀は使わないけど。ジョブは法術師よ。そうだね~例えば……」
小川さんはポケットからお札のような物を取り出すと、コーヒー缶に蓋をした。そして──。
「バンッ!」
と言うと、コーヒー缶の上部に綺麗に穴が開いた。
「こういうことが出来る。私は、峠を捕まえるため魔塊狩り本部から指令を受けて、今ここに居るってわけ」
「そ、そうだったんですか……失礼なこと言ってすみませんでした」
「アハハハ、でも愛人は無いなあ~」
小川さんはポリポリと人差し指で頭を掻いた。
「法術師なんて凄いですよ! 私なんか呪術師見習いですから!」
ふたばが驚いて声を上げる。
「おチビちゃんが部屋の中を覗いてたから、何かなーって。あっ、もしかして仲間の魔塊狩りが合流してきたのかな? って思って声を掛けてみたんだけど、違ってた?」
「私はおチビちゃんじゃありません! この魔塊狩りである音無静也さんの右腕として働く幽体のふたばです!」
まあ魔塊狩りの人ならふたばのことが見えるよな。
「ごめんごめんふたばちゃん。じゃあお仲間ってことで合ってたんだね。えーっと、音無静也君か。君、学生だよね?」
「え、ああ、はい。高二になったばっかりです」
「学校は?」
「今日はサボりました。俺も一応魔塊狩りの端くれなので、峠剛士を倒して不動丸を取り返すためにここを見つけてやって来ました」
「へえ。見ない顔だけど、魔塊狩りとしてのキャリアは?」
これを訊かれると痛い。
「……刀を使いますけど、とても剣術家と呼べるようなレベルじゃありません……今まで倒したのも死骨魔塊とか花魔塊とか、その程度の相手です……」
しかも人の手を借りて。
死骨魔塊は常久さんの力が甦ってのことだし、花魔塊は鈴原さんと協力して退治した。
「まだまだルーキーです。先輩の魔塊狩りの皆さんには付いていくので精一杯で……」
「ふうん、そうなんだ」
小川さんは眼鏡を外してハンカチでキュキュと拭き始めた。人の話を聞いているのかこの人は。
「小川さんは、自分の力でこの事務所まで辿り着いたんですか?」
「そうだよー。法術師ってのはそういうこともやるんだよ。今回はちょっと遅れたけど、まあ外れじゃなかったし、そのうち峠に追いつけるんじゃないかなって思ってる」
「ポジティブですね。俺なんてガックリですよ」
「でも、ここを突き止められたなら、もう素人じゃないよね? そっちのおチビちゃん……ふたばちゃんも」
「えへん。です」
「幽霊を連れた魔塊狩りか。格好良いじゃない」
小川さんは部屋の片隅にあった小型冷蔵庫の方に向かって歩いて行くと、ガチャッと開けて中から缶コーヒーを取り出し、「ブラック飲めるー?」と尋ねてきた。
「ええ、まあ飲めますけど」
「そう。なら、ほい」
と俺に向かって缶コーヒーを放ってきた。
「勝手に飲んでいいんですか?」
「どうせ峠が残していった物でしょ。構わないよ」
「そ、そうですか……じゃあ、頂きます」
「まだいっぱい残ってるよ。ふたばちゃんも飲む?」
小川さんがふたばに尋ねる。
「私は頂かなくて結構です。特にコーヒーなんてものは苦くて飲めません……」
ふたばは顔をしかめて横を向いた。
「フフ、やっぱりお子様だねえ」
「私はお子様だけど……ただのお子様じゃありません! こう見えてもあなたよりずっと長生きしてます!」
「幽霊が長生きって、何言ってるの。アハハ」
バタン、と小川さんは冷蔵庫を閉めると、話を始めた。
「私、君たちが来る前に家主のおじさんに事情を聞いてきたの。ナカノコウジはどういう人物だったかって」
俺はコーヒーを飲むのを止めて、小川さんの話に聞き入る。
「『ナカノコウジはどんな姿をしていましたか?』『そうだねえ、高そうな仕立ての良い服を着ていて、髪はパーマをかけたようなくせ毛のような……スラッとしていてなかなか良い男だったよ』だって」
「間違いない、それは峠剛士ですよ!」
俺は缶コーヒーを一気に飲み干して、げふっとなりながらも断言した。
「君は峠と接触したことは?」
「あります! だから確信が持てます!」
「そう……君は私より前から峠を追ってるんだね」
俺は服の袖で口を拭くと。
「その後、家主さんと何を話しましたか⁉」
と前のめりになって小川さんに尋ねた。
「こんな感じかな。『ナカノコウジはここで何をしていたんです?』『さあ。一度見たのは、五、六十代ぐらいの男の人が来ているのを見たことがあるね』って」
仲間がいる!
いや、何かの取引相手か……⁉
「『どこかで見た顔だったんだけどねえ……ああ、そうだ、四神獣祭りの時に見た、不動青龍神社の宮司さんだ』」
「宮司さん……宮司さんが何で峠剛士と?」
また謎が増えた。
「さあ、そこまでは分からないよ。それ以外のことはプライベートなことになるからって話してくれなかったね」
「そうですか。でも大きなヒントを貰いました。不動青龍神社……行ってみる価値はありそうですね」
「でも君」
「はい?」
「学校へはちゃんと行くんだよ」
めっ、という感じで小川さんは言った後、フフフと笑った。
「はい、ありがとうございました」
最後に小川さんの親切な忠告を受けて、俺は頭を下げて事務所の階段を下りていった。
──確かに野菜市場の傍の、赤い屋根の建物に峠は居たんだ。
俺がもっと早く来ていれば……悔しい。
でも遠鬼の言ったことは正しかった。今度また饅頭を供えに行ってやろう。




