【第二話】謎の美少女から授かった白き剣と『代勇者』
少女が動いた。
一切の予備動作もなく、彼女は突然前方へ踏み込んだ。
極彩色のスライムはそのまま彼女の力に押し込まれる形で後退を続け、最後には背後の巨大な岩に激突した。
……なんという恐るべき怪力だ。
俺が感嘆する間もなく、耳に幻聴かと思うほどの微かな音が届いた。
音のした方へ視線を向けると、紫スライムが後退し、少女の背後から突進しようとしているではないか!
「危ないっ!」
自分の重傷も顧みず、俺は少女に向かって駆け出した。
だが、どう見ても到底間に合わない。
しかし、少女は俺の声に反応したようだった。
彼女はチラリと紫スライムを一瞥すると、軽く後ろへステップを踏み、その攻撃を難なく回避した。
ところが、彼女のバックステップの距離は俺の想像を遥かに超えていた。
俺のステップ三回分に相当するほどの驚異的な跳躍力。
その結果、彼女の着地点に飛び込んでしまった俺は、そのまま少女と激突することになった。
……これが幸運なのか不運なのか、俺には到底判断がつかない。
とにかく、この衝突のせいで俺は無駄にダメージを負い、危うく気絶しかけた。
目が回る中、ほのかな良い香りと柔らかな体温が、ゆっくりと俺から離れていくのを感じた。俺も慌てて立ち上がる。
「ごめんなさい、大丈夫?」
「あ、ああ、平気だ」
少女は俺を流し見した。
その顔には、怪我をさせたことへの罪悪感も、男女が密着したことへの照れも一切なく、ただほんの僅かな驚きだけが浮かんでいる。
もしかして、こいつはポーカーフェイスというやつか?
「それにしてもあなた、もう死にかけなのに、どうしてそんなに平然としていられるの?」
……ぐっ、なんてド直球な物言いだ。
「ははっ、もう慣れっこでね」
強がりではなく、紫スライムを相手にしていると、こういう死にかける状況には何度も陥るのだ。ここまで生き延びてこられただけでも奇跡に近い……。
――待てよ。
どうしてこの子は、俺の身体の状態が正確にわかるんだ?
外見から多少ボロボロなのは分かるだろうが、俺が負っているのは主に内臓へのダメージだ。見た目では判断できないはず。
この世界でごく稀にしか存在しない『僧侶』が、詳細な診察を行って初めてわかるレベルだぞ。
疑問に思いながら見つめ返すと、俺を見据える彼女の瞳が、深い漆黒へと変化していることに気づいた。
俺が何かを尋ねようとした瞬間、少女は視線を再び二匹のスライムへと戻した。
「あの極彩色はまだ元気みたいだけど、紫の方はあなたと同じで死にかけね」
モンスターの体調までわかるのか!?
俺がさっき紫スライムの限界を察知したのは、日々の経験と攻撃回数に基づく推測に過ぎない。
だとしたら、彼女はどうやって一瞬で見抜いたというんだ?
当然ながら、少女は俺の心の声など気にも留めず、言葉を続けた。
「それなら――」
彼女はそう言いながら、背中に縛り付けてあったもう一本の剣を左手で引き抜いた。
まさか……。
(二……刀……流!?)
俺が非現実的な厨二妄想に浸りかけたその時、少女はあっさりと左手の剣を俺の方へと放り投げた。
「え?」
剣が腰のあたりをすり抜けて地面に落ちそうになる寸前で、俺はハッと我に返り、慌てて両手を伸ばした。
お手玉のように何度か宙で跳ねさせた後、ようやく剣をしっかりとキャッチする。
「これは……」
困惑しながら少女を見る。
「その剣は、今日からあなたの愛剣よ。さあ、あの鬱陶しい紫色の小球を片付けてきなさい!」
え? 剣をくれるの? そりゃあありがたいけど……後半のセリフはどういう意味だ?
俺は改めて手の中にある剣を見つめた。
それは、息を呑むほど装飾が施された華麗な剣だった。
柄から刃に至るまで、目が覚めるような純白。
柄の部分には細かな突起がいくつもあり、それぞれが翼などの様々な意匠に彫刻されている。その隙間に指を滑り込ませると、驚くほど手に馴染み、しっかりと握り込むことができた。
刃の表面を指でなぞると、全体に細かな凹凸がある。おそらく刃そのものにも、信じられないほど精緻なレリーフが刻まれているのだろう。
試しに右手で握り、軽く前へ振ってみる。
俺は剣について詳しいわけではないが、重さといいバランスといい、まるで俺の体格に合わせて特注されたかのようにしっくりとくる。
性能に関してはまだ何とも言えないが、直感でわかる。俺のあの安物の杖とは、比べることすらおこがましい代物だ。
「本当に素晴らしい剣だ。でも、俺なんかがもらっていいのか?」
すでにこの剣を手放したくない気持ちでいっぱいだったが、一応確認しておくべきだろう。
「当然よ」
少女は即答した。
「それは本来、あなたの剣なのだから」
「え?」
言葉の真意を問いただそうとした俺を遮り、少女は容赦なく言葉を続けた。
「それじゃあ、作戦開始よ!」
「なっ、何だって!?」
こいつ、マジで言ってんのか? 本当にこの満身創痍の状態で、あの紫の小球……いや、スライムと戦えってのか!?
「ま、待てよ! 俺が重傷だって、お前もさっき言ってたじゃないか!」
「それがどうしたの? この程度のこともできないなら、『代勇者』なんて名乗る資格はないわ」
少女は再び、冷ややかな視線を俺に投げかけた。
「だ、代勇者?」
なんだよそれ。初耳なんだけど。
俺は深いため息をついた。
……まあいい。元々はボロい杖一本で、あの二匹を一人で相手にするハメになっていたのだ。
彼女の言う通り、俺が紫スライムの相手をしている間に、彼女が極彩色を片付けてくれるなら、状況は格段に良くなっている。
それに、こんな美少女の前で尻尾を巻いて逃げ出せるわけがないじゃないか!
ええい、こうなったら女にイイ所を見せるためにやってやろうじゃねえか。一世一代の大勝負だ!
「……わかったよ。やってやる」
俺は覚悟を決め、紫スライムへと向き直った。
「そう? それなら……」
少女は満足そうに頷き、極彩色スライムの方へ向き直った。
「うおおおおっ!」
少女の指示を待たず、俺は自らを鼓舞するために大声で咆哮し、スライムに向かって猛ダッシュした!
そして――。
地面に深く埋まっていた石に、思いっきり足をとられた。
「うわあっ!?」
俺はバランスを立て直そうと必死で両手を振り回したが、時すでに遅し。
今のダメージ状態でこんな派手に転んだら、もう二度と立ち上がれないと確信した。
まさか、俺の物語が始まった直後に終わるなんて。いくらなんでもひどすぎるだろ!
俺が運命をあっさりと受け入れようとしたその瞬間――。
背後から何者かが、ローブのフードを掴んで力強く引っ張り上げてくれた。
なんとか両足で立ち直り、俺は安堵の息を漏らす。
振り返ると、そこにいたのは当然ながら少女だった。
ただ違うのは、彼女が激怒していることだ。いや、無表情なポーカーフェイスのままなのだが、そこから放たれるオーラが明らかに「ガチギレ」のそれだったのだ。
「あのねぇ、あなた……」
「はいっ!」
凄まじいプレッシャーに怯え、俺は思わず直立不動の姿勢をとった。
「これ以上ふざけた真似をするなら、あなたを殺すのはその紫の愚鈍な小球じゃなくなるわよ?」
「はいっ! 申し訳ありません! 次こそは本気を出します!」
(……いや、ふざけてないし! 全力で走った結果なんだけど!?)
とは言え、そんな言い訳を口にすれば、間違いなくこの場に置き去りにされるか、一刀両断されるだろう。
なんとか少女の怒りを鎮め、俺は再び紫スライムと対峙する。
もう一度突進しようと構えた俺を、少女の声が呼び止めた。
「あなたの力じゃ、その紫の小球を真正面から受け止めるのは無理よ。だから、なんとか攻撃を回避して、隙を見てダメージを与えなさい!」
せっかく美少女に声をかけられてちょっと有頂天になっていた俺は、その冷酷な事実を突きつけられて地味にダメージを受けた。
ていうか、回避してダメージを与えろって、具体的にどうすりゃいいんだよ!
その時、俺の視界の端に、背後にある岩が積み重なった険しい崖が入った。
……あれをやるのか? 一歩間違えれば悲惨な死を遂げるぞ。
だが、俺はすぐに覚悟を決め、少女に向けて応えた。
「問題ない。任せておけ」
少女が頷いて極彩色の方へ向かうのを確認し、俺は一歩、また一歩と後退する。
俺を標的と定めた紫スライムが、後ろへ数回ドスンドスンと転がった後、猛烈な勢いで突進してきた。
ちょうどそのタイミングで、俺の背中が冷たい岩肌に触れた。
――よし、ここからが正念場だ。
俺が何をしようとしているか、誰でも予想がつくはずだ。
紫スライムをギリギリまで引きつけ、自分が横に回避することで、奴をそのまま岩に激突させるのだ。
スライムという生物は、攻撃を外してもそのままの勢いで進み続けるため、動いている最中に剣でダメージを与えるのは至難の業だ。遠距離から魔法の杖で攻撃していた今までとは勝手が違う。
だが、岩に激突させれば、奴はしばらく身動きが取れなくなる。そこが唯一の勝機だ。
戦闘スキルの高い戦士なら、これは極めて有効な定石だろう。
だが、運動神経が鈍い俺にとって、これは文字通り命を賭けた反射神経のテストに他ならない。
俺は全神経を目の前のスライムに集中させた。
回避のタイミングは、早すぎても遅すぎてもダメだ。ミンチにされずに奴を仕留めるには、完璧なタイミングが要求される。
――今だっ!!
スライムが目の前まで迫ったその瞬間、俺は背中の岩から離れ、右側へ全力でダイブした!
もしスライムに判断能力があれば、少し軌道を修正して俺を轢き殺していただろう。
だが、直後に背後から響いた「ドゴォォォォンッ!」という凄まじい轟音が、俺の作戦の成功を告げていた。
岩場へ視線を戻すと、紫スライムの巨体が岩の間に深くめり込んでいた。
奴は前へ進もうと足掻き、それが無理だと悟ると、今度は後ろへ転がり出ようとしている。
だが、俺はもう逃げる隙など与えはしない。
「……俺って、結構運がいいみたいだな」
そう呟きながら、俺は白き剣を高く振りかざし、紫スライムに向けて力強く振り下ろした。
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