58.決戦前夜 II
年季が入っているせいか、辺りが少し薄暗く感じるほどのアパートの電球が照らす廊下で、俺たち二人はばったり出会った。
眼鏡片手でつまみ、少しずつ上下させながら目を細めてこちらを確認する瀬川さんはようやく少し離れた位置に立つ人影が俺だと気付いた様子だった。
「ひ、響八君!?どうしてこんな時間にこんなところに…。って、それは私もだよね、あははは…。」
いつものしっかりとした格好と違って隙があるように感じるラフな格好の瀬川さんを見て、あまりに貴重な一面だと俺は目を奪われていた。
「俺は少し夜風にあたりに。最近はよくここでぼーっとしてるんだ。瀬川さんは?」
瀬川さんは俺に質問された後、少し質問に対して答えを返すのに少しだけ時間がかかった。長い髪を耳の後ろにかけ、少し遠くを見て寂しそうな表情をする。
「私も響八君と同じかな…。ごめん、やっぱり嘘。本当は少しだけ考え事してたの…。」
「考え事?」
「うん、そう。考え事…。」
咄嗟に聞き返した俺に、瀬川さんは自分が今考えてるとこと打ち明けてくれた。
明日の対抗戦のこと。そこで自分が足を引っ張らないか。怪我をするかもしれない恐怖。自分が培って来た実力が相手に通用するかなど。
聞いている限りだと、誰もが思うような悩みの数々だが、俺はそれを聞いて少し考え込んでしまう。
元はと言えば、俺たちが仲がいいからと言って瀬川さんを部員に誘ったり、任務に誘ったりしたから、今の状態になってしまったわけで。瀬川さんが感じている悩みや恐怖、不安といった負の感情の原因は俺にあるのだ。
「なんかごめんね。」
なんの脈略もなく、ただ一言その言葉だけが口から溢れた。
「どうして謝るの?」
「だって…。」
俺はさっき考えていた胸の内を瀬川さんに伝えた。すると、俺の気持ちを聞いた瀬川さんは咄嗟に俺の手を両手で包むように握ると、そのまま顔を近づけて…
「そんな…、それは違うよ。ここにいるのは私の意思で、私がやりたいことへの決意でもあるの。だから、響八君は何も悪くないよ。ううん、むしろ感謝してる。もし、あのクラスで私一人だったら絶対にここまで来れなかった。だから…、ありがとう。」
完全に予想外の瀬川さんの行動と考えに、俺はもうどう対処していいのか分からなくなっていた。
手を握られたことでありえないくらい動揺する俺を見て、自分が結構大胆なことをしたのだと自覚し、顔を赤くしながら急いで手を離す瀬川さん。
二人の間にしばし、気まずい時間が流れた。
この時間に耐えかねた俺は急いでこの状態を脱すべく、急いで頭に思いついた話題を振る。
「せっ、瀬川さんがそこまで上のクラスに行きたい理由って何?」
「・・・・・・。」
あれっ?
咄嗟に出した話題に話を持っていく筈が、何か不味いことを聞いてしまったのか、さっきまで気軽に話していた瀬川さんが急に黙ってしまった。
「ごっごめん、俺なんか聞いたらいけないこと聞いちゃった?」
少し俯いてここであった時の状態に戻ってしまったかのように見えた瀬川さんは、少しの沈黙を貫いたかと思うと、急に口を開いた。
「響八君、私たちが入学した日。その日私がいつもより遅れて教室に来たこと覚えてる?」
「えっ? う、うん。」
もう二ヶ月以上前のことだ。瀬川さんがいう入学式のあった日。いつも予鈴が鳴る十分以上前には教室にいるのか当たり前の真面目な瀬川さんが、その日はギリギリに教室に現れたのが珍しかったのでよく覚えている。
「あの日実は私、人に会いに行ってたの。でもその会いに行ってた人はいつまで経っても私の前に現れなかった。それだけじゃないの。私、実はその人に会って直接話がしたかったからこの学校に入ったんだ。変だよね…。会いたい人がいるからって理由で高校を決めるなんて…。」
なぜか自分を卑下する瀬川さんは俺から目を逸らした。あの人、とだけ言う瀬川さんははっきりとだけかと明言しないことから、誰のことかと深く聞くのは彼女が嫌がると思ってやめた。
「そんなことないよ。俺なんてこの学校を選んだ理由なんて特にないようなものだし。
それに比べたら、瀬川さんの誰かに会って話がした理由があるだけちゃんとしてると思うよ。
だけど、誰かに会いたいって言う瀬川さんの上を目指す理由と、俺がこの学校に来てからできた上を目指す理由って少し似てるかも。」
不躾に瀬川さんの上を目指す理由を聞いてしまったせめてもの償いに、俺は姉のことを、遠野光のことを話した。
「そんなことが…あったんだね。でも、話を聞いたらなんだか納得しちゃったかも。この学校に来てからの響八君すごく頑張ってるから。
昔みたいに優しくて、よく遊びに誘ってくれてたあの頃とは違う。今はなんかこう、うまくは言えないけど。実力者って感じがする。」
「ありがとう。自分ではよくわからないけど、なんか瀬川さんにそう言ってもらえると自信が出てきたかも。」
「名前…。」
「へっ?」
「昔は名前で呼んでくれてたよね?侑ちゃんって…。響八君。他のみんなのことは今でも名前で呼ぶのに、私のことはだけは苗字で呼ぶよね。
みんなで一緒に上を目指して頑張っているけど、私だけ苗字で呼ばれるのなんだか違和感を感じちゃって…。もし…、響八君が良ければなんだけど。私のことも名前で呼んでくれないかな?」
突然の申し出に俺は少し戸惑った。確かに、昔は名前で呼んでいたのに歳を重ねるごとに少し恥ずかしく感じてきて自然と苗字で呼ぶようになった。それに瀬川さんの言い分ももっともだ。
瀬川さんは以外のみんなのことは名前で呼んでいるのに、彼女だけ名前で呼ばないのはおかしい。
だが、それでも、いきなり名前で呼ぶのはおかしいと言うか、恥ずかしいような…。
「ダメ…かな?」
うっ"…。
少し潤んだ瞳で上目遣い気味に訴えてくる瀬川さん顔を見て、俺の無駄に色々考えていた頭の中はその瞬間、全てが吹っ飛んだ。
「ダメじゃないです…、せ、侑…さん。」
あまりに名前呼びになれなくて、咄嗟にさん付けで読んでしまった。それを受けて、侑は口元に手を当てながらくすくすと笑っていた。
俺自身は気恥ずかしさが全面に出た顔を見られないように、明後日の方向を向いて顔を逸らした。
「ごめんねw 急だとそうなるよね。でも、これで少しはみんなと同じで、堂々と稜君の隣で頑張れる気がする。」
いきなり名前で呼ばれて驚く暇もなく、瀬川さんは俺に向かって手を差し出す。さっきまでの笑っていた朗らかな表情でではなく、真剣な表情で、明日の対抗戦への覚悟を感じさせる面持ちでだ。
俺はその手を何も言わずに握った。共に上を目指す者として、これからも共に努力していくことをここで誓うように。
「明日の対抗戦、精一杯頑張ろうね稜君。」
「うん、こちらこそよろしく。侑。」
ガチャ!×3
覚悟を確かめ合う俺たち二人の元に、アパートの他の部屋のドアノブが回る音が聞こえた。
「「「あっ!」」」
我がG組の他の代表メンバーが同じタイミングで顔を出した。そのドアが開く音に驚いて、俺と侑はすぐに繋いでいた手を離す。
「皆、こんな時間に何をしているのだ?」
「俺は少し外の空気に当たろうと…。」
「奇遇っすね。自分もなんだか少し風に当たりたくて…。」
「「ぷっ。」」
俺と侑は笑った。皆明日の対抗戦に緊張していること。その際に取る行動が皆同じであったことに。
「二人とも何がおかしいのだ?」
「いや、なんでも。それより、これからみんなで明日対抗戦の作戦会議しない?」
俺の提案に、みんなは各々賛成した。
アパートの廊下で時間経つのも忘れて、俺たちは作戦会議のことだけでなく、様々なことを話し合った。それから、話し合いがひと段落して各自自分の部屋に戻ると明日に備えてぐっすり眠った。
明日は初めての対抗戦。
そう、俺たちの上に上がるための戦いがいよいよ明日、始まるのだ。
最近ダラダラ修行パート書いててすみません。(反省)




