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灰から産まれるもの

「――――」


 声なき叫びで、カドモスだったモノは武器など不要になったとばかりに己の大剣を投げ捨てる。とうに防具は砕き壊れているので、これで兵士の面影は消えた。

 ……両手足が五本指の、二足歩行する牛頭という化生の類だ。

 いずれにせよ、もはや人として救うことは叶わない。この戦いは人との殺し合いではなく、ただの魔物退治と成り果てた。


「幸か不幸か、貴方はクロー様のような理性的な瞳を宿していない。殺意の塊、純然たる魔物ですか。おかげで遠慮なく倒せますけど」


 そのエレナさんの言葉に共感を覚える。

 倒すべき敵が人で無くなったことは、間違いなく精神的な負担が軽いのだ。

 だが。


【気を抜くな。コチラが攻撃しやすいと言うだけで、相手が弱体化した訳ではない】


 神様の忠告がズブリと俺の心に突き刺さる。

 攻撃に抵抗感がなくなった事を浮かれていたが、そのまま勝てるとは限らないのは道理であった。

 そんな心の緩みを好機とみたのか、カドモスは地響きの如き重低音の咆哮を放つ。


「――ゴォォウォォォォン」


 それは紛れもなく戦闘再開の合図だった。

 人間性を捨て、魔物以外の何物でも無いその異形と威圧を以て、カドモスはエレナさんに突進する。


「せめて、ここにマリーが居れば良かったのですが。仕方ありませんね」


 立ち上がり、荒い息と脂汗を流しながら、エレナさんが剣を横に薙ぎ払う。

しかしそれは、丸太のように太くなったカドモスの左腕に防がれた。


「もはや、傷さえ出来ませんか」


 実力の格差に、エレナさんは苦渋に満ちた顔で小さく呟く。

 その悲痛な声を聞いてカドモスは唸りながら笑うと、エレナさんを殴りつけた。


「か、ハッ」


 ボコン、と。

 鋼で出来ているエレナさんの防具が、布のように柔らかく陥没した。

 カドモスの拳が腹部に喰い込み、身体が風に舞う綿のように軽々と宙に浮く。

 それと同時にカドモスは沈むように膝を曲げ、手刀を作る。

 格闘に疎い俺でも、それが致命的な攻撃をする為の動作だと瞬時に理解できた。

 ――潮時だ。勝敗は決した。ゆえに。


【クロー。介入して良いぞ、これだけ時間を稼げば準備は整っている】


 ずっと待っていた許可を貰って、黙認する理由は無いと身体が反応する。

 杖をしっかり握り、修羅場へと駆け出す。

 ここまで我慢してきたのだ。耐えてきたのだ。

 人を傷付けるかも知れないという僅かな躊躇いさえも、仲間を助けられない恐怖に比べたら耐えられる。……ゆえに。


「我が意を汲みし、傀儡の鞭なり」


 たった一言で魔法が発動する。

 頭が三つある黒色の俺と同じ体格の蛇たちは俺の周囲から突如出現して、エレナさんにトドメを刺そうとする魔物へと殺到した。


「――――」


 突発の攻撃魔法に対し、カドモスは驚愕したように両目を見開く。

 当然と言えば当然。

 有り得ない速攻の不意打ちを予測できる訳がない。

 だが、それでも敵は無防備なままやられる相手ではなかった。

 カドモスは鋭利な手刀の向きを変えて迎撃態勢に入ってくる。

 ザシュリ、と。エレナさんに突き刺さる筈だった敵の爪は、自分を喰らおうとする蛇の首を刎ねる為の凶器に変わる。

 とはいえ。


【ふん、間抜けめ。一体目を潰したところで、残りは手遅れだ】


 ――そう。神様の言う通り、カドモスは残り二つの口からは逃れられなかった。

 双頭の蛇はそれぞれ、半牛半人の上半身と下半身を同時に狙う。

 がぶり、と。敵に噛み付きながら、その肉を食い千切ろうと蠢く。


「グ、ルぅ」


 身動きを封じられ、カドモスは悔しそうな声を上げる。だが、その身体に傷はない。

 いかに強靱な牙であろうとも鋼鉄は砕けないように、蛇では堅牢な檻のような体毛の守りを崩せなかった。

 ……まぁ良い。結果は上々だ。もとより倒せるなんて思っていない。

 最大の目的はエレナさんの命を救うこと。

 その安否を確認する。床に倒れてしまって息も荒いが、致命傷ではない。


【やれやれ、危機一髪という奴だな。せっかく奇襲をかけたのだ、もう少し打撃を与えられたら良かったのだが。所詮は遅延魔法、気休めの劣化品よな】


 さすが神様、欲深い結果をご所望だ。

 対して神様の言葉を聞いたセレネ将軍は、少し感心した様子で頷いた。


「……なるほど、遅延魔法ですか。してやられましたね。この部屋に来てから、クローくんがずっと喋らなかった理由はコレですか。最後の詠唱を唱えないまま効果を維持し、任意に発動させる高度な魔術だ。前提として、入室する直前に呪文を口にしていなければ出来ない芸当でもある。察するに、貴方達は最初から警戒していたという訳だ」

【あぁ、そうとも。魔法の威力が半減する上に、維持している間も魔力を消費することになる危険を犯してでも、貴様達の言動を注視してたのさ】

「ほう。大口を叩く割りには集中力が散漫だ。小細工までした貴方達の足止めが、そろそろ消えかかっている事もお気付きですか?」

「――なっ、馬鹿な。早過ぎるッ」


 セレネ将軍の指摘から直後、カドモスを拘束していた蛇が引き千切られてしまう。

 予想よりも早い事態に動転して、思考と対策が追いつかない。

 巨大な爪が、俺を引き裂こうと迫り来る。

 その瞬間。


「クロー、ここは吾輩に任せろ」


 イーシュさんが、電光石火の速さでカドモスと俺の合間へと躍り出る。

 バキリ、と。

 そのまま素手でカドモスの顔面を殴りつけ、剣さえ無効化したカドモスの体躯をグラリと大きく揺らす。


「横やりは趣味ではないがな。全ての勝負が決まった以上、これ以上は先延ばしする訳にも行かない。何より、魔物退治はアッカド基地の最優先任務の一つなのだ」


 そう言って、イーシュさんは間髪入れずに蹴り上げた。

 イーシュさんの爪先が向かった先は、カドモスの手首である。

 果たして、その威力はどれほどの物だったのか。

 鋼の剣を通さず、魔法の拘束さえ打ち破ったカドモスの左手は、まるで石榴が飛び散るようにグシャリと粉砕されたのである。


「グオオ」


 呻くカドモスに、休む暇無くイーシュさんは歯を食いしばり、敵の胸元目掛けて握り拳を殴りつける。


「吹き飛べ」


 言葉は事実となった。

 ドカン、という轟音と共に魔物の巨体が小屋の壁を壊しながら倒れた。

 ……埃や瓦礫による白煙が発生する中、緊張感の伴った静寂が周囲を包む。

 一秒、三秒、五秒。そんな僅かな時間さえ長く感じられた。

 その間、カドモスが起き上がる気配はない。ただ、敵側の動きはあった。

 パチパチパチ、と。乾いた拍手が室内に響く。


「あの状態のカドモスに生身で打ち勝つとは驚嘆です。いったい、どのような仕掛けがあるのか知りたいですね。教えて頂けますか、カドモス殿」

「別に、ゴーレム戦で学んだことを応用したに過ぎんさ。全身を巡る魔力、それを一極集中させての一時的強化だ。無論、詠唱は会合前に済ませておいた」

「……困った物だ。王国の方々は、自分たちと会合をするのに戦う準備が必要だったのですね。まぁ、別に悪い気はしませんよ。想定外でしたが、良いモノが見れたので」


 他人事のように、セレネ将軍が感心した様子でイーシュさんを評価する。

 だが褒められた本人は眉毛を歪めて吐き捨てるように語った。


「信用できない相手に、武器も持たずに会うものか。まぁ、先の攻撃でカドモス殿が倒せているとは思わんさ。だが二回戦を始めるよりも、大事なものがある」


 そう言い放ち、イーシュさんは床に倒れ込んだエレナさんを抱きかかえる。

 ……しかしイーシュさんの顔に仲間を救った、という安堵は無い。

 無理もない。

 致命傷こそ受けなかったものの、ここからでもエレナさんは重症だと理解できた。

口から血を流し、ぐったりとして動かない人形のような姿を見て、チリッと胸の奥が焦げるような感情が俺の中を支配する。

 だがそれ以上に辛い思いをしているのはソフィア姫だ。


「男爵、エレナの容態は?」


 危険なのは承知の上で、ソフィア姫がイーシュさん達に駆け寄った。

 未だ目を開かないエレナさんの頬に手を当てて、今にも泣きそうな顔を耐えながらイーシュさんの言葉を待つ。


「危篤ではありませんが、安堵できる状態でもありません。回復魔法が必要ですが、こんな状況では丁寧な治療など出来るはずも無い」

「分かった。なら速攻で安全確保するわ。……あぁそうだ。一応、聞いておくわね、セレネ将軍」

「さて、なんでしょう?」

「貴方個人は、私達と敵対する気はないのよね?」

「もちろん。現状、自分は傍観者だ」

「そう。なら、これから私がやることを邪魔しないで貰うわ」

「……ほう。ここから、さらなる仕掛けがある訳だ。良いでしょう、大人しくしていますとも」

「クロー、将軍の手を握ってあげなさい。それで効果は出るわ」

「……ソフィア姫は、ソレで良いんですか?」

「本意ではいないけど、政治的な判断ならコレが正しい筈よ」

「そういう事なら、仕方ありませんね」


 トコトコ歩いてセレネ将軍に近付くと、俺は左手でギュッと彼女の手を掴んだ。

 こちらの意図が分からず首を傾げられるが、抵抗は特になかった。

 そんな様子を見届けたソフィア姫は、一言だけゆっくりと呟く。


「うん、これで心置きなく壊せるわね」


 冷たい殺意を浮かべたソフィア姫が崩れた壁、つまりカドモスに向き直る。

 砲台に見立てた右手をかざし、精神を集中する為に両目を閉じて詠唱を開始した。


「――我が怒りは熱砂、万物を溶かす停滞、芽吹くこと無く滅し、逃れること叶わぬ絶対の終焉」


 ソフィア姫の右手から白色に輝く球体が出現する。

 と同時、室内に太陽が産まれたと錯覚するほどの熱気が充満した。

 まだ発動前の状態なのに、思わず目を瞑りたくなるほどの魔力の塊だ。近くに居るだけでも肌が焦げるような痛みさえある。

 破壊力だけなら、死神の嵐を軽く凌駕すると確信できた。

 つまり、これから起きることは周囲を巻き込んだ未曾有の大惨事だ。

 ……失敗すれば、この場の全員が死ぬ。そんな想像に震える俺の横で、動揺することなく冷静に分析するセレネ将軍が口を開く。


「ティマイオス王家の攻撃魔法ですか。先日のゴーレム戦で理解してますよ。その魔力では被害が広範囲に及ぶでしょう。良いのですか、自分の見立てだと味方を巻き込むどころか基地ごと吹っ飛びますが?」


 セレネ将軍の言い分は正しい。何の対策も無ければ、これは自爆に過ぎない。

 そんな真っ当な勧告に、神様が意地の悪い声で答えた。


【安心するが良い、それは承知済みでの攻撃だぞ】

「……バカなことを。気でも狂いましたか、邪神」

【愚かなのは貴様だよ。イーシュが親切に言ったはずだぞ、なぁクロー?】

「はい。確かに勝負が決するまで待った、と。まぁ、あの言葉をエレナさんの敗北を指していると勘違いしていたのなら、混乱するのは仕方ありませんけれど」

「なんですって?」


 セレネ将軍の目が、不機嫌そうに細くなる。

 だが余裕が崩れたのは一瞬で、すぐに理解できた様子で頷いた。


「……なるほど。ソフィア姫が魔法を放つこと自体が計画通りという訳ですか。では、この騒ぎで兵士が来ないのも既定路線だと?」


 その疑問は誰も返すこと無く沈黙の中に消えた。

 ただ静かに魔法の完成が宣言される。


「開門、灼熱の極点」


 ソフィア姫の右手にあった球体は拡大し、室内を白色の発光で満たす。

 輝きは洪水のように幾重にも押し寄せ、そして爆発した。

 ―――ドゴォォン、と。

 世界さえ破裂しそうな轟音が、洪水のように耳の中を蹂躙した。

 生み出された破壊力は天空の雲を蒸発させ、地上に巨大な窪地を生み出す。

 天地を繋ぐ極光は、ありとあらゆる物質を消費してあっという間に燃え尽きた。

 燃料を失った魔法は僅か一秒で解ける。

 だが刹那の間に起きた現象は、周囲の世界を漂白させていた。

 基地は木っ端微塵と化し、花樹や岩石までもが抹消されて何も無い荒野が広がる。

 深緑の大地が死に、灰の山に取り残されたような不安を抱いて思わず呟く。


「これが最上級魔法の威力ですか。話には聞いていましたが、凄まじいですね」

【うむ。事前に対策をしていなければ大惨事であったな】


 ……そう。神様の言う通り、万全に備えていた俺達は無事だった。

 この三日間、ずっと編み続けていた耐熱や防音など幾つも重ねた防御魔法を、今日の交渉に合わせて複数展開しておいたのである。

 ……とはいえ、これはあくまでも王国側の事情でしか無い。帝国側の安全は二の次といっても過言では無かった。だからこそ、セレネ将軍の現状は複雑な思いが交錯する。


「これは驚嘆だ。えぇ素直に認めましょう。今のは良い攻撃でした。もし不意打ちで撃たれていたら、さすがの自分も無事では済まなかったでしょうね、クローくんの握手に感謝するべきでしょうか」


 そう言うと俺の手を振り解き、セレネ将軍は感心した様子で拍手を送る。

 予想以上の旺盛ぶりだ。それは俺達が丹念に準備してきた同等の防御力を、大した対策も無しに有していると言う事に他ならない。


「こちらこそ褒めてあげるわ。確かに、結界を張ったクローと接触していた貴方にも防御機能は展開されていた。それでも私達ほどの効果は無い以上、気を失うくらいの可愛気は見られると思っていたのに」


 敵意ありと言われても仕方ない皮肉を強気で押すソフィア姫。

 対照的に、セレネ将軍は悠々とした態度で口を開いた。


「随分と嫌われた物ですね。まさか基地を吹っ飛ばす用意をしてから交渉の場を設けられるとは思いませんでした。もしや最初から基地の譲渡書を手に入れた後、邪魔者ごと消し炭にする算段だったのですか?」

「失礼ね。貴方達が仕掛けてこなければ他の兵士達は退避せずに済んだし、お互い平和に過ごせたわよ。貴方達の裏切りを想定した奥の手でしかないわ」

「それは酷い誤解だ。今でも自分は敵対する気などありません。……まぁ、カドモスの方は未だに戦うようですが」

「え?」

「おやおや。まさか、今の攻撃で勝負が終わったと思いましたか?」

「――――」


 その言葉に、誰もがカドモスが居た空間に目を向ける。

 何も無い。肉片さえ残らず完全に消失している。

 なのに、セレネ将軍は不敵に笑う。


「お忘れですか。魔物に肉体は必要ない、彼らは魔力によって出来上がるのだと。先程までのカドモスは不完全な魔物化に過ぎません。肉体という檻が壊れた今という状態こそが本番なのですよ」


 それはまさしく起動の合図だった。

 彼女の言葉の直後、ドクンという心臓の鼓動が太鼓の如く大気中に響き渡る。

 途端、白い砂漠に黒い塵がドンドンと集まって形を成し始めたのだった。

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