魔石の魔獣
カドモスの腕をセレネ将軍が斬った。
その光景に、俺を含めた王国側の人間は呆然と見ていることしか出来なかった。
平然としているのは、攻撃した人とそれを受けた者だけである。
「いやはや、こりゃ随分と手痛い叱責ですぜ、セレネ様。おかげで相手の戦意が消失しかけちまってる」
「……首を跳ねなかっただけマシと知りなさい。自分は素直に撤退する予定でした。お前に計画を狂わされて、少し苛立っています」
「はん、俺様はあんたほど我慢強くねぇ。家紋が戻った今、王国側に何の遠慮もねぇ筈でしょうが。正直、俺様は南方を黙って明け渡すことには反対だ。少しはこいつらに痛い目をみせても、罰はあたらねぇ」
「な、本音はやはりそれですか。私達が留守の間、アッカド基地を守っていたことに多少の感謝はありましたが。それも今となっては油断を誘う罠としか思えません」
「あぁ。そりゃ命令だったからな、敵でも守るさ。だが今は違う。このまま帝国に帰るより、溜まった不満と鬱憤の一つも吐き出したくなるだろうが」
「勝手にやって来て不満と鬱憤? いったい、何のことですか。まさか報酬が欲しいというのですか?」
「おいおい自覚ねぇのかよ? 遺跡を発見したのは帝国だ。増えた魔物から民衆を守っていたのは帝国だ。こんなボロ小屋からアッカドの連中が立派な基地に住めるようになるのも帝国のおかげだ。そんな俺様達を平然とした態度で追い出そうとする奴に、あまり嘗めるなと言いたかったのさ」
「……この件はお互いの合意に基づいた履行です。不満があるとしても剣を振るうのは逆恨みというものです」
「逆恨みだろうが構うかよ。口で言っても黙殺だろうが。剣を振るったからこそ、俺様の言葉に耳を傾けたんだろうがよ。要求や交渉ごとに暴力は有効だ。特に今のような状況だと尚更な」
あまりにも物騒で自分勝手な発言に、エレナさんの顔が強ばる。
一方、カドモスは右手に持った剣を床に突き刺すと、落ち着いた様子で自分の左腕を拾い上げて切り裂かれた傷口へと押し当てる。
「万物の喪失は宿命なれば、再生もまた摂理なり、慈悲を求めるのならば捧げよ、対価と共に与えよう。……『代償の癒やし』ってな」
カドモスが放った詠唱の効果によって、切り離された腕は完全に結合した。
敵対者に大きな猶予を与えた事になるが、悔しさよりも未だ困惑の方が大きい。
そんな俺の気持ちを汲み取ったのか、神様が代弁する。
【……それで結局、貴様は何を求めている】
「勝負だよ。どちらが、あの基地の所有者に相応しいか決めたいのさ。弱い奴には任せられねぇ、戦って勝ち取った奴が管理をすれば良いんだよ。望みはソレだけだ」
【そこまで、あの新しい基地に思い入れがあると?】
「思い入れじゃねぇ、あそこには部下の墓がある。敵地で眠る哀れな連中だ。弱いからそうなった事に同情はねぇ。だがよぉ、苦労は認めてやりてぇのさ。あの場所を開墾したのは死んだ帝国兵の成果なんだ。それを王国の人間は素直に認めるか? 今のまま明け渡したところで、王国の連中が感謝しながら墓参りするとは思えねぇしよ」
「……もし吾輩が、きちんと管理すると言っても無駄か。カドモス殿」
「あぁ無駄だね。もとより俺様が勝ったところで今の要求が通る訳がねぇ。帝国兵が常駐できる環境はなくなったし、王族に狼藉を働けば王国も討伐しようと来るだろう。まぁそういう意味じゃあ、俺様の行動は単なる嫌がらせでしかねぇ」
【そこまで客観視できる癖に、ずいぶんと我が侭な奴だな。境遇を恨むなら己の上司にすべきだろう】
「おっと、そりゃ無理な相談だ。なにしろ味方殺しは軍人にとって最大の不名誉だ。だからウチの大将も俺様の腕を切るだけだったのさ。何よりセレネ様に恨みはねぇよ。俺様はよぉ、お前らが基地を運用するに相応しいかどうか見極めたいのさ」
正直、カドモスの言い分は理解不能というほどでもない。
見た目と言動は野蛮だが、死んだ仲間の扱いや横取りされた財産に文句を付けるのは人としては当然の欲求ではないだろうか。
けれどコレは単なる話し合いや意見交換する所ではなく、政治の場だ。
つまり優先されるのは感情論ではなく、契約内容なのである。
「……そう。でも貴方の個人的な審査に付き合う気は無いの。ねぇ、セレネ将軍。いつまで部下の暴挙を許すつもりなのかしら?」
厳しい視線を当事者に向けながら、最も有効な手段を用いるソフィア姫。
カドモスは気の毒だが、セレネ将軍に止めて貰うのは一番平和的な解決方法だ。
だがソフィア姫の要望に対し、セレネ将軍は不愉快そうに首を横に振った。
「いいえ。勝手な行動を起こす者など、もはや部下ではありません。そちらで処分しても構いません。どうぞ、好きになさってください」
「は?」
「たった今、カドモスという男は自分の指揮から外れ、除隊しました。ここに居るのは剣を振り回すただの危険人物です。早々に排除した方が良いと提案します」
アッサリとした発言に室内の空気は凍る。
仮にも副将軍なら帝国でも重要な人材である筈だ。なのに、セレネ将軍はゴミを捨てるみたいに未練無く切り捨てようとしている。
「……待ちなさい。貴方、自分の配下を庇う気が無いの?」
「えぇ、当然です。もはや帝国の利益にならない兵は必要ない。しかしむしろ、そんな境遇こそを望んでいたのでしょう。違いますか、カドモス」
「仰る通り、ありがてぇ。つまり俺様は自由の身って訳ですかい」
「はい。お前に庇護も責任も持ちません。お前の安否に帝国は関知しない」
「そして、俺様を制止したり拘束もする義務もないと」
「当然ですね。まぁ看取るくらいはしてあげますので、さっさと死んでください」
「はは。生き残るとは思われてねぇ訳ですかい。まぁ実際、俺様自身も死に場所を探していたからこそ出来た暴挙ではありますがね」
「ふふ、それは幸せなことだ」
あまりにも異常な人間関係だった。
これから訪れる人間の破滅を、当事者同士が笑い合って語っている。
以前、ソフィア姫が帝国の人達を戦闘民族と厳しい表情で言っていた事を思い出す。
なるほど、あまりにも命への尊重が無い。同じ軍人でもイーシュさんとは大違いだ。これならば嫌悪するの仕方ない気がする。
――だが、だからこそ今の状況には強烈な違和感が伴う。
「その男を見捨てるというのなら、腕ではなく首を刎ねて欲しかったわね。其方の方がお互いに面倒が無かったわ。それとも死にたがりの部下を思っての行為なのかしら?」
俺が抱いた事と同じ疑問をソフィア姫が口にする。
それに対し、セレネ将軍はまったく予想外と言わんばかりに首を傾げる。
「おや。自分なりの親切心だったのですが余計でしたか? これは名実共に南方を守護する資格を得る機会。それを奪うのは無粋だと考慮したのですが」
「なによそれ。つまり貴方は、私達にカドモスの生殺与奪の権利を譲ったと言いたいわけ?」
「えぇ、もちろん。自分としても、腹心だった男を殺すのは忍びない。ですが何より降りかかった火の粉を自分たちの手で処理できないのであれば、国内外から南方の支配権は盤石ではないと認識されるでしょう」
「……気前の良く砦を明け渡す筈もないと踏んでいたけれど、まさか副官を犠牲にしてまで遺恨を残そうとするとは思わなかったわ」
「何か誤解されているようですが、それは重要ではない。今起きてる問題を解決するのは簡単です。自治権の委譲に抗議する元帝国兵を、貴方達が独力で排除すれば良い」
「ふん、戦うことは前提という訳ね。交渉の余地はないわけ?」
「おいおい。いい加減に気付いてくれよ。今の俺様に正論や交渉は通用しない。言葉で剣は止まらねぇのよ」
「えぇ、なるほどね。確かにどんな理屈や取り引きも暴力の前では無意味だわ。ねじ伏せる事でしか認められないというなら、ご希望通りに潰してあげる」
「応とも、ソレで良い。このまま逃げるなんて選択肢を取っていたら、直ぐさま斬り付けていたところだぜ」
「……最低な冗談ね。たった一人だけの敵に恐れを成して、自分の領土から逃走なんて真似をする支配者が居る訳ないでしょう」
「いいねぇ。その言葉が正しいかどうか、実力で示してみな」
挑発と対抗、殺気と闘志が混ざり合って一触即発の空気が室内に充満する。
些細な切っ掛けさえあれば、そのまま乱闘になりそうな危険な状況に俺は緊張しながら固唾を飲む。その時、場違いな雰囲気を伴った声が投げかけられた。
「自分としては本国に帰りたいので、手早く済ませて貰いたいですね」
もはや完全無欠の他人事、野次馬と成り下がるという宣言である。
想像の斜め上を行く解答に、ソフィア姫も困惑の顔を隠せない。
ソレは俺達も同様だ。セレネ将軍を除けば、その言葉を動揺せずに受け止めているのはカドモスだけだった。
「……という訳だ、さぁ続きをしようか。誰が相手をしてくれる?」
【ふん、あほらしい。倒すだけで良いなら、律儀に一対一の勝負をせずとも全員で囲めば倒せるだろうが】
「おいおい、無粋な水を差すなよ。まぁ、全員相手するのも嫌いじゃねぇけどよ」
などと言いつつギロリと物色するような視線を向けられるが、すぐに逸れた。狙いがある訳ではなく、戦えれば誰でも良いという事らしい。
その節操の無さに少し呆れていると、エレナさんがカドモスの視界を遮るようにスッと前に立ち塞がる。
「不意打ちで首筋を狙われて黙っていられるほど私は穏健ではありません。汚名返上というならば、私こそが相応しい。受けた恥辱は自らの手で雪がせて頂きます」
「おう、まぁ妥当だな。一番最初は最も弱い奴からっていうのはよ」
再び剣を握り締め、カドモスはエレナさんに向かって大振りに剣を振ってくる。
しかし今度は油断など無い。エレナさんは最低限の回避動作で攻撃を躱し、仕返しとばかりに勢い良くレイピアを振りかざす。
「部下の死後を気に留める思いやりは尊重しましょう。ですが二度も命を狙われた以上は容赦はしません。なにより私を甘く見積もった愚かさは、早急に糾さなければ」
「はん、初めから遠慮はいらねぇと言っただろうがッ」
「では気兼ねなく、そうさせて頂きます」
宣言通り、エレナさんは迷わずカドモスの心臓へ向けてレイピアを突き刺した。
人の急所である以上、当たれば一撃必殺だ。しかし相手は鎧で身体を覆っている。
それでもあえて狙う以上、エレナさんには何か秘策があるのか。
――だが、それが解明されることは無かった。
何故なら突進するレイピアに、カドモスは左腕を犠牲にして防いだからである。
「今の一撃、どうにも嫌な予感がして咄嗟に邪魔してみたが、この様子じゃ我ながら良い勘してたようだな」
得意気な顔をするカドモスだが、その左腕は鋼鉄の鎧が覆っているにも関わらずボタボタと血が滴り落ちている。
原因など言うまでもない。ズブリと突き刺した剣先は、なんと分厚い肉の盾を貫通して胸元の前で止まっているのだ。
「魔剣だろ、それ。俺様の武器に比べりゃ格が落ちるが、真正面で受けてりゃ鎧ごと刺されて即死だったわけだ」
「……それでも完全に左腕を刺突しています。痛みは無いのですか」
「この程度で驚くなよ。俺様は腕ごと斬られても平気な男だぜ」
カドモスは一切怯むことなく、足を前に出しエレナさんに近付く。
同時にレイピアによって穿たれた傷口がゆっくりと広がっていくが、全く異に返さない笑顔を見せて、剣を振り下ろした。
狙いはエレナさんの頭。まともに当たれば、スイカのように肉が弾けるだろう。
ソレを防ごうにも、武器が相手に埋まったままでは身動きが取れる筈もない。
まさに肉を切らせて骨を断つ。カドモスという男には粗雑な見た目とはかけ離れた合理的な戦闘技術があった。
――しかし。
「まったく野蛮な戦い方ですね、付き合いきれません」
そう言うとエレナさんは最大の攻撃手段たるレイピアを迷うこと無く手放し、相手と距離を取る為、踵をバネにした後方移動を優先した。
直後、エレナさんの居た床が破裂するほどの剣撃が落ちる。
バキィと砕かれた木片と共に、埃が煙幕のように沸き上がった。
「よくぞ武器を離したな、俺様の予想より勇敢だったか」
「なら、これは私を見くびった代償ですッ」
そう声を張るとエレナさんは回避行動から一転、足場を蹴って跳躍した。
天井に触れんばかりの飛翔は片足を持ち上げての攻撃準備にスライドしていく。
狙いは攻撃を繰り出す為に背中を丸めたカドモスの頭部、心臓と並ぶ人体の弱点にエレナさんは躊躇うことなく強烈な蹴りをお見舞いする。
それで勝負は決まったと思えた。
通常ならば気絶するか、最低でも倒れ込むこと間違いなしの一撃だ。
しかし、カドモスは僅かに揺れることさえなかった。
「褒めてやる。悪くねぇ一撃だ。まさか足の防具にまで魔法が掛かっているとはね。身体強化と一時的な飛翔能力か? さすがは一国の姫を守る騎士、装備が豪華だな」
「し、信じられません、鉄製のブーツに打ち勝つ石頭なんて初めてですッ」
「クク。今度はコッチの番だ。俺様を見くびった罰を受けな」
余裕の表情を浮かべるカドモスは、頭部に触れていたエレナさんの足をガシッと掴むとそのまま振り回して放り投げる。
「きゃ」
小鳥が驚いたようなエレナさんの高い悲鳴の後、ドッカンと人が壁に激突した衝撃が部屋に響き渡る。
エレナさんが磔のような格好で壁に叩き付けられたのだ。
「手加減はしてやったぜ、この程度で倒れるなよ。いや、その服も魔法がかかっていれば無事なのは当然か?」
「くっ、言われるまでもありません」
本来なら意識を失っても不思議じゃいほどの打撃だろう。
しかしエレナさんは、身体をふらつかせながらも強気を崩さない。
その様子を嬉しそうに笑うカドモスは、腕に刺さった凶器を引き抜くとエレナさんに向かって放り投げた。
「使えよ。それを使わんと俺様に傷さえ負わせられんぞ」
「……その油断、絶対に後悔させてみせます」
情けをかけれた事に怒りを露わにさせながら、それでもエレナさんは血まみれの剣を拾って構え直す。
その気力は凄いが、傍目から見ればエレナさんが不利なのは明らかだった。
しかし、手は出さない。いや、正確には出せずにいる。
「……意外ですね。邪神の忠告の通り、今の状態なら多勢で敵を倒せるというのに。どうして、貴方達はそれを選択しないのでしょう」
部屋の隅に背中を預けて高みの見物を決め込むソフィア将軍が、まるで挑発するように俺やソフィア姫、そしてイーシュさんに視線を向ける。
最初に答えたのは憮然とした態度を見せるイーシュさんだった。
「敵とは言えカドモス殿の言い分には、吾輩としても同情の余地があった。そして今のところ、武人として一対一の勝負を継続していると判断した。エレナ殿が要請しない限り吾輩は手を出さない」
「ほう、ではクロー君は?」
話を振られるが、俺は口を開かずに無視した。
今は戦いを見守るので精一杯だ。口車に乗せられる訳には行かない。
喋る必要があるとすれば、それは神様の役目だ。
【クローは人殺しを拒んでいるのだ。まぁ、あの女騎士が危うくなれば問答無用で参加するだろうがな】
「へぇ。笑える答えですね、邪神。使徒可愛さに甘い採点だ。まさか殺せるという算段でいるとは驚きだ。しかし何より、クローくんはどんな相手でも人命を優先するかと思っていたのですが、まさか敵とはいえ、死んでも構わないという事ですか」
【そうやって言葉でクローを惑わすのは止めよ。全ての人間を救える訳ではないと戦いの中で学んだのだ。守るべき相手に優先順位があるのは、当然であろう】
そう言ってくれる神様だが、同意しづらいところがある。
たしかに殺すとは言わないまでも、エレナさんと協力して倒すという選択肢は決して間違いではない。上手くすれば、カドモスの命だって助けられる。
だがその決心を鈍らせる理由があるのだ。その一つをソフィア姫が代弁してくた。
「私が介入しない理由は単純だわ。セレネ将軍、貴方が何を企んでいるのか分からない以上、この茶番に参加する気が無いからよ」
「心外です、この件に関しては自分も巻き込まれた被害者だ」
「そんな言い分、信用するわけ無いでしょう。貴方達は予め計画して、この状況を意図的に作ったと判断するわ。そんな連中が全員で挑んでこいと言うなら、警戒して戦力を温存するのは当然というものよ」
「一時的とは言え共闘した仲だというのに、悲しいことですね。計画的なら、もっと上手く誘導していると言いたいものですが」
「……白々しいわね。何の準備もしていないというなら、あの男の容態の変化についてはどう説明するのかしら?」
苛立ちを隠さないソフィア姫の視線は、戦い続けているカドモスに向いている。
近場にある備品を壊しながら剣を振り回す姿は、荒れ狂う大熊を連想させた。
……いや、実際にカドモスの身体は黒々とした体毛に覆われ始めていく。
【あの男、魔物化が進行しているな。だがクローの時とは違うぞ、あの状態は魔法の失敗ではない筈だ。なにか、原動力のような波動を奴の体内から感じる】
神様の指摘は具体的な原因を突き止めるものではない。
しかし、俺には心当たりがあった。
……それを言うまでもなく、神様が正解を引き当てたようだが。
【あぁ、なるほど。原動力は魔石か。納得できるが、同時に度しがたい馬鹿さ加減に頭が痛くなってくるな】
「どういう事かしら、ミウル」
【魔石を死体に施して魔物化する方法なら、古来から邪法として存在している手段だ。だが、生きている人間に扱うのは禁忌とされている。理由は簡単だ。倫理的に常軌を逸した行為であるし、なにより魔物としての能力が低いのだ。資源の無駄と言えるくらいな】
神様の解説の最中も、カドモスの身体は変化していく。
最早その両腕は獣の毛艶で輝き、剣ではなく爪でエレナさんの身体を切り裂くことが出来るほどに成長していた。
ソレを見て俺達は眉をひそめるが、セレネ将軍は嬉しそうに口を開く。
「ふふ、資源の無駄ですか。重要な研究をそんな古い認識で評価されては心外だ。時代と共に技術は進歩するものです。少なくとも、自分たちはソレを手に入れた」
その表情には無関係という建前が捨てられ、悪意を隠さない愉悦があった。
ソフィア姫の言う通り、この展開は予め計画されていたとしか思えない。
真意を問い質しても、はぐらかされるだけだろう。
……そんな風に諦めた俺とは反対に、神様は果敢に聞き出す。
【女将軍。貴様は一体、何が望みだ。こんな風に我らと戦い、どんな得がある?】
きっと無視されるだろうと思っていた。
しかしセレネ将軍は薄笑いを浮かべて、こう呟いた。
「別に、自分はこの戦いの勝敗に興味などありません。ただ、今までの努力と成果を知りたいだけです。人間から魔物化の成功。それさえ確認できれば、あとはどうでも良い」
その説明を聞いてゾクリと背中に寒気が走る。
文字通り自ら切り捨てたとは言え、副官の安否に興味が無いと彼女は告げた。
それほどまでに優先されるべき事柄が人間の魔物化という、下らない価値しか無い実験結果だという。
俺にはまったく理解できない思考回路だ。だからこそ、その狂気が怖い。
「おや。クローくんは、まるで自分を極悪人であるかのように見つめていますね。それは全くの誤解だ。この状況を最も堪能しているのはカドモスに他ならないのに」
【何を馬鹿なことを言っているのだ、貴様は】
「実際に確認すれば良い。ほら、あんなに楽しそうにしているではないですか」
そう投げかけられた言葉に従うと、もはや人の顔を失って獣人と化しているカドモスが歓喜の雄叫びを上げながらエレナさんを追い詰めていた。
「逃げるだけとはつまらねぇ。立ち向かってみろよ、何の為に武器を返したと思っているんだ。ククク、楽しませろ。出来ないのなら、こっちの番だハハハ」
嘲笑いながら、肉食獣が獲物を捕らえるようにカドモスは右腕を振り下ろす。対抗するようにエレナさんは肉を削ぐ気で切り裂く。
交差する金属音。
しかしその応戦による損傷は、一方的なエレナさんの敗北に終わった。
「くぅぅッ」
突風に煽られたと錯覚するほどエレナさんが吹き飛んだ。
魔法による飛翔能力のおかげで倒れ込むような被害は無かったが、それでも床に膝を付けて荒い呼吸を繰り返している。
「……とんだ化け物ですね。詠唱無しで防具を超える肉体強化なんて。もはや人間なのか魔物なのか判断は付きませんが」
悔しそうに呟くエレナさんは対峙するカドモスを睨み付けた。
鍔迫り合いで吹き飛ぶ前、エレナさんは確かにカドモスを切り付ける。しかし斬られた筈のカドモスの腕は、擦り傷のような残すのみだ。
だがその僅かな功績さえ、伸び続ける黒い体毛によって隠れてしまった。
「いいねぇ、クヒヒヒ。こりゃ大成功だ。これで俺様は、人間を超えた存在になったことが証明された訳だ。ガハハハ」
高笑いが止まらないカドモスの精神は明らかに異常だった。見た目の変化よりも心の方が獰猛化しているとしか思えない。
……きっとそれは、争っている当事者が一番感じていることだろう。
「呆れましたね。貴方は最早、基地の所有権よりも戦いという快楽を優先している。武人としての戦いを放棄してまで魔物になる方を選んだ結末がコレですか」
そんなエレナさんの惜しむ声さえ、今のカドモスは愉快に聞こえるらしい。
漆黒の体毛が全身を浸蝕している最中でも、嘲笑した息遣いは途切れない。
【ふん、何が進歩した技術だ。魔物化の進行が高くなるにつれ、知能が低下している。このままでは暴れるだけ暴れて早々に自滅する、哀れな猪の出来上がりだ】
「おいおい。獣風情と同列にするなよ、間抜け。俺様は、神の力を取り入れたガヒャ、ヒヒヒヒヒ、偉大なるガハハハ武人ダァァァ」
……バキバキと骨が軋む響きとともに、カドモスの体格が徐々に巨大化していく。
身を守る防具さえ弾き飛ばす肉の膨張はグロテスクにさえ感じた。
「神の力? 待ちなさい、それは一体どういう意味ですか」
戸惑うエレナさんの質問にカドモスは答えない。
いや、応える器官を失ったのかも知れない。
「――――」
あれだけ耳障りだった男の鳴き声は消えて、沈黙が残った。
しかして態度とは裏腹に、その戦意は上昇しているのが容姿で理解できる。
【完全に魔物化したか】
神様の言葉通り、最早カドモスに人としての面影はなかった。
その身長は二倍まで膨れ上がり、全身が黒い体毛で埋まって、頭には二本の角が生えている牛の頭という変化を見せていた。
なのに両手両足だけは五本指を留め、二足歩行で直立している。
その姿はまるで、神話の生物ミノタウロスが目の前に現れたようだった。




