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どうやらお互いに同じ1手を分水嶺と捉えているようで、僕と理事長は投了図から中盤まで、淀みなく盤面の時間を戻していく。
天秤が傾いたタイミングに焦点を絞って、両者共に神の視点から盤と駒を見下ろす。
その時の形勢、互いの描いた未来図を詳らかにし、先の1局で通らなかった支流を辿るこの時間、理事長との間には壁も溝も感じられない。
年齢や立場等、殆どを異にする久世理事長と今、多くの物事を共有している。
やはり妙な事態ではあるが、不思議と心地は良かった。
飛車交換の是非を検討している最中、耳に木を打つ音が届く。
同時に顔を上げると理事長は声を返し、間もなく重厚な扉が開く。
視線を向けると、スーツ姿の女性が無駄の無い所作で入室してきたところだ。
その手には急須と湯呑、羊羹を乗せた盆を持っており、理事長の用命を受けて来た事を示している。
カツサンドを届けてくれたのもこの人だったな、と短期記憶を呼び起こしていたその時、グレーのスーツ越しにもう1人の存在を確認した。
「いつもありがとうな。 佳乃ちゃんもよく来たな、こっちだ」
もう1人の入室を理事長も認知しているようで、流麗にお茶の支度を始める女性へのお礼と共に、扉の前に佇む少女を呼び寄せた。
無言のまま、姿勢良くこちらへ向かってくる少女は1歩進む度に長い濡羽を僅かに揺らし、距離が近付く度その艶がはっきりと分かる。
程無く、百合を想起させる少女は牡丹のように理事長の隣へ膝を揃え、端正な顔と鋭い視線を僕へ向ける。
理事長が急須からお茶を注ぐ女性(秘書の坪井さんというらしい)と気さくに会話する中、僕は鍔迫り合いを避けて湯気を立てる湯呑を見つめていた。
だってなんか怖いし。
湯呑と羊羹がそれぞれの前に揃い、秘書の坪井さん(既婚者らしい)が退席したところで、疑問と人数の増えた放課後が幕開けとなった。
「クラスメイトなんだから紹介するまでもないだろうが。 儂の孫、佳乃ちゃんだ」
「初めまして。 久世佳乃、1‐Aよ」
鋭い目元、通った鼻筋、薄い唇、白い肌、真っ直ぐな背筋と黒髪。
総じて一振りの業物を彷彿させる美少女は、普遍的な挨拶を鋭利な切先に変えてこちらへ向けてきた。
確かに交流は一切無かったが、それ故に僕へ刃を向ける意図が読み取れない。
一先ずこちらも名乗り、余計な事を口にせず彼我の間合いを測る事に専念する。
一旦の主導権を理事長が握っている以上、今は後手に回るしかないだろう。
あとなんか怖いし。
「佳乃ちゃんよ。 いつも言っておるがな、そんなトゲトゲせず笑顔でおる方が可愛いぞ」
「お爺様。 いつも言ってるけど、訳もなく笑顔を浮かべているのはバカみたいでイヤ」
いつも言ってるのか理事長。
あと先程から妙に攻撃的なこの美少女は、これがデフォルトの態度なのか。
何ぞ彼女の気に障る事をやらかしていたか、と肝を冷やしていたが、僕に落ち度が無いのであれば一安心出来る。
だからと言って、普段からその抜き身を振るっているのであれば、それはそれで恐ろしい。
本日ずっと嬉々とした面持ちの理事長も、時折見せた盤上を睨む顔はまさしく、虎のような捕食者のそれであった。
改めて見比べれば2人の目元は似通っており、血縁を感じさせる。
今のところ受けた印象は、まったくの逆ではあるのだが。
受け継いだ虎を日頃から外に放っているとすれば、やはり羊羹を突きながら楽しく談笑、とはいかないだろう。
「まぁツンツンしていても、借りてきた猫みたいで可愛いんだがな」
本気で言っているのか理事長。
絶対に使うタイミング間違っているだろう。
いや、猫が見知らぬ相手を警戒して殺気立っている様を例えているのか、それとも今の態度が十分におとなしいと思っているのか。
はたまた、場を和ます為の小粋なジョークなのか、もしくはただただ猫が可愛いだけなのか。
まったく真意が分からず、採るべき反応に迷っていると、理事長の孫娘が鯉口を切った。
「それで? 要件は何かしら。 まさかお見合いでもないでしょう」
理事長を、続けて僕を撫で斬るように、佳乃は視線を移しながら本題へ切り込む。
「おう。 まぁちょっとした頼み事だな」
鬼でも蜘蛛でも断ち切りそうな一太刀を、理事長は事も無げに受け止めて、打ち込んできた相手ではなく僕へ顔を向けた。
「伊能灯人、お前さんを男と見込んだ。 どうか佳乃ちゃんをよろしく頼まれてはくれんか」
それは、ちょっとした頼み事と言うには、あまりにも大きすぎた。
大きく、分厚く、重く、そして大雑把すぎた。
それは、正に、爆弾であった。




