第4話 卒業試験のその後で
【前書き】
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
どんこ舟の船頭としての修行を終え、ついに迎えた卒業試験でありデビュー戦。
その最初のお客様として現れたのは、真っ白なワンピースに日傘を差した、かつての恋人・由乃でした。
動揺を隠せないまま竿を握る夏生と、静かに微笑む由乃。
緊張と様々な思いが交錯する、第4話をお楽しみください!
「久し振りやね」
切符を僕に手渡した由乃は、視線を合わせずにそう言った。
「結婚おめでとう。もう直接は言えんって思っとった」
漸く絞り出すようにして出た言葉は、彼女への祝福の言葉なんかではなく、単なる自己満足の言葉だった。
それに直ぐ気が付いたが、吐いた言葉は戻っては来ない。
「今日が船頭としてのデビューたい。それに由乃の乗ってくれるなんて、ちょっと緊張するばい」
誤魔化すように継いだ言葉は、とても空虚だった。
由乃は、
「ええ。わたし、夏生の頑張って修行しよるこつは知っとったとよ」
と、すこし驚くようなことを言った。
嫁入り前の娘が、元カレの動向をどうして知りえたのか。
「二か月前、丁度船着き場ば通った時、夏生がそん恰好ばして竿ば持っとったけん。少し、たまがったわ」
僕はきっと不思議そうな顔をしていたのだろう。僕の意を汲んで、由乃はその理由を話してくれた。
「なんかなし、会えて嬉しか。楽しんでもらえたらよかばってん」
僕は卒業試験に由乃が同乗するという、想像もしなかった状況を受け入れるしかなかった。
「ええ、楽しみにしとるわ。川下りのどんこ舟に乗るなんて、おおかた小学生以来やて思うけん」
そう言うと由乃は、船着き場の待機所へ降りて行った。
実は地元民はどんこ舟に乗ることはそれほど多くない。
知人が尋ねてきた時に案内がてらに同乗するとか、それくらいだ。
そしてもう一つ。
結婚式の日に、どんこ舟に赤い羅紗を敷き、白無垢に身を包んだ花嫁と羽織袴の新郎、そして親族が乗って結婚式場の日枝会館まで水上を進む「花嫁船」。
これに乗ることが、地元の女性の一つの憧れでもある。
今日はその下見にでもやって来たのだろうか。
そんな事を考えていると、次のお客が来た。否応なしに僕は、卒業試験に臨む心持に戻されたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
僕の卒業試験とデビューを兼ねた初川下りのお客様は、総勢八名だった。
同乗する源五郎さんが、まずお客様に僕の事を紹介してくれた。
「えー、本日竿ば握る船頭は、実は免許のなかっです。無免許運転やけん、気ば付けてはいよ」
それを聞いて、少々顔が引きつったお客様がいた。
「ご心配なさらんでくれんね。ワシも無免許たい。もっと言うなら、こん町におる全部で八十名おる船頭ん中で、川下りの免許ば持っとるもんは一人もおらん!」
船上は笑いでどっと沸いた。たった一人、由乃を除いて。
「こん川下りが、こん船頭・山下夏生の卒業試験やけん。船頭歴三十八年のワシ、金沢源五郎が卒業試験ば受けさするに相応しかて判断したけん、どうぞご安心ば。じゃあ夏生、後は頼んだぞ」
源五郎さんの軽口でお客様の緊張はほぐれたが、僕はニコリともしない由乃を見てまた緊張し始めた。
しかし、もう賽は投げられたのだ。やるしかない。
「みなさま、改めましておはようございます。本日は川下りにご乗船いただきまして誠にありがとうございます。今、社長の金沢から紹介がございました通り、これが私の船頭デビューでございます。大変不束者ではございますが、一生懸命に務めさせていただきます故、どうかお楽しみいただければと存じます」
最初の挨拶を噛まずに言えたことが良かったのか、その後の案内は自分でも驚くほどスムーズにできた。
船を出してから十五分で最大の難所、相生橋に差し掛かった。
幅がどんこ舟一隻分ギリギリしかなく、舷側をぶつけて吉田さんに竿でこっぴどく殴られたところだ。
「これからくぐります相生橋は、この水路の中では最も幅の狭いところでございます。どうか船のへりには手を置かないようにお願いいたします」
一応お客様には注意を促すと、お客様もそこまで言われれば手を引っ込めるが、舷側をぶつけないように慎重に操船した。過去に悪ふざけをした客の指が飛んだことがあったそうだ。
緊張がほぐれ、余裕がでてきたので、ちらりと由乃を見た。
この舟では、お客様は進行方向を向いて座っているため、船の最後尾に立って竿を差している船頭には、お客様の表情はよくは見えない。
左右の名所の案内をするときに横顔が見えるだけだ。
ちらりと見えた由乃の横顔は、やはり物憂げだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
有名な作詞家が作詞した自分が通っていた小学校の校歌を歌い、この町を称えた小唄を歌った。
終着の船着き場に差し掛かると水路の幅は最大になって、ここに映る中秋の名月は全国の名月百選にも選ばれている、と案内をすると、客の一人が言った。
「お兄さんの歌は、味のあってよかね。月の歌ち言えば『月の砂漠』とか『荒城の月』の好きやけん、ひとつ歌ってくれんね?」
驚いたことに、この僕に歌のリクエストがあるなんて。
源五郎さんの顔を見ると、
『やれ』
と顔に書いてあったので、不承不承ではあるが歌うことにした。
「さすがにここは砂漠っぽさがございませんので、城址公園というつながりもありますから『荒城の月』を歌わせていただきましょう」
そう僕は言って、この卒業試験の最後の歌を歌い始めた。春の歌だが、砂漠よりはましだ。
歌が終わると、お客様は後ろを振り返って拍手をしてくれた。
こちらを見るでもなかったが、由乃も手を叩いてくれていた。
なんだか気持ちが、暖かくなった。源五郎さんも、心なしか満足げに見えた。
歌を歌うことが仕事の一部になるなんて、思いもしなかったな。
お客さんの心に僕の歌が残るなんてことがあるのだろうか。
もし、そんなことがあったら、僕はあの地獄から逃げて来た意味があるんじゃないか。
そう思えてきた。
「お名残り惜しいですが、そろそろ最終の船着き場に到着いたします。接岸の際は、船をこすりながら止めますので少し揺れると思います。完全に停止するまでは立ち上がらないようにお願いします」
船着き場に接岸し、僕は一人一人のお客様に別れの挨拶をしていた。
最後に由乃が立ち上がって、
「今日はありがとう」
と言って、僕の手に何かを渡した。
「こ、これ、なんね……」
メモ用紙に書かれたLINEのIDだった。僕は困惑して、スロープを上がろうとしている由乃を呼び止めた。
「仕事の終わったら、後で少し話でくるね?」
「大丈夫やけん。何時ごろのよかと?」
「何時でもよかよ。それじゃあ、後でね」
日傘を開いて、由乃はそのまま歩き去っていった。
第4話を最後までお読みいただき、ありがとうございます!
元カノである由乃が見守る中、無事にデビュー戦と卒業試験をやり遂げた夏生。
お客様からのリクエストで歌った『荒城の月』は、夏生の心を少しだけ前へ向かせるきっかけになったようです。
そして去り際、結婚を控えた由乃が夏生に渡した「LINEのID」の意味とは……?
二人は後で何を語り合うのか、次回もお見逃しなく!
「源五郎さんのトーク最高!」「由乃の真意が気になる!」など、少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価(★)、ご感想などをよろしくお願いいたします。
次回の更新もどうぞお楽しみに。




