第3話 人生のやり直し
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
いよいよ夏生の将来が決まる第3話。
源五郎さんのもとで、不器用ながらも必死にどんこ舟の船頭修行に打ち込む夏生。
厳しい先輩たちに囲まれながらも、彼は少しずつ自分らしさと前を向く力を取り戻していきます。
そして三ヶ月後、ついに迎えた「卒業試験」。
彼が漕ぎ出す舟に最初に乗ってきたお客様は、予想もしない人物でした。
船頭になる為の修行はそれなりに大変だが、三ヶ月である程度出来上がるとの説明だった。
俄かには信じられなかったが、実際現役の船頭の方々に尋ねると、異口同音にこう言われた。
「三か月以上修業したっちゃ使いもんにならんなら、向いとらんていうこつたい。そん時は辞めたっちゃよか」
「使いもんにならんやった人はおっとね?」
という一番聞きたかった質問は、ついぞできなかった。
やはり一番大切な基本的な操船については、実地訓練に勝るものはない。
もちろん川下りのルールや知識を覚える必要はあったが、後はひたすら竿を川底に差して差して差しまくった。
実は川下りの船頭には国家資格はない。
エンジンが付いてないからだそうだ。
だから船頭は皆「無免許」運転だ。
しかしコースを覚えること、背の低い橋や、幅の狭い橋をぶつけずにくぐる時のコツはなかなか身につくものではない。
何度も舷側をぶつけては、源五郎さんや他の船頭さんたちに怒鳴られた。
一つ予想外だったのは、川下りには見た目ほど体力は必要なくて、痩身の僕でも体力的にはなんとかなりそうだということだった。
一か月もすると、船を独りでも上手く操ることができるようになった。
船頭はいくつかの会社に分かれているが八十人ほど居て、上は七十五歳、最年少はどうやら僕ということになりそうだ。
源五郎さん以外の先輩たちは決して親切な方ではないし、怒られることもしょっちゅうだ。
でも、ありえない目標を弱者に押し付けたり、精神的に追い詰めて精神を崩壊させようなどという人は皆無だ。
みんな川下りを安全に楽しく運行するために僕を叱っているのだとすぐに分かった。
川下りの船頭という仕事をきちっと理解して愛さない限り、この人たちの仲間には入れないだろう。
さて、今度は観光案内だ。
この町で生まれ育ち、それなりにこの町案内は出来るつもりだったものの、観光客にウケる案内にはやはりコツがあるようだ。
源五郎さんの川下りに何度も同乗させてもらって、笑いを取るところ、シリアスに話すところ、お客様を泣かすところなど、色々とバリエーションを持っている事が分かった。
また、客層によって話す内容を変えているというのも大いに勉強になったところだった。
それぞれの観光名所には、自分なりに物語を作っておくといい、と四十一歳の船頭、慎之介さんにアドバイスを受けた。
それを考えるのは楽しかったし、物語を作ると不思議とうまく説明ができるようになった。
尤もしゃべる相手は源五郎さんや慎之介さんたちだけだったのだが。
二ヵ月も過ぎると、僕はそこそこ上手く操船しながら観光案内もできるようになったのだ。
ついに修業の最終ステージにやって来た。
そう。
お客様に歌を披露しなければならない。
この町出身の詩人が作曲した小唄、童謡、コースの傍らに建つ高校の校歌など、いくつもレパートリーを持っていた方がいいぞと、やはり慎之介さんからアドバイスをもらった。
しかし、僕は基本的に人前で歌うのが好きではない。
内耳を通じて聞いている自分の声と、マイク、アンプ、スピーカーを通して聴く自分の声にはギャップがあったし、それが恐ろしくあか抜けない声に聞こえてならなかった。
しかし、僕は変わりたいと思って船頭の見習いをやっている。
チャレンジしないという選択肢はあってはいけない。
一人でカラオケルームに通い、レパートリーを段々に増やしていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
三ヶ月が経とうとしていた。
その日、最後の川下りが終わり用具を掃除していると、源五郎さんがボソッと告げた。
「明日、卒業試験やけん」
「コースはどっこと?」
「明日教えるけん」
「それじゃ準備のできんめーもん」
「準備しようしとったろ? つまらん。適応力も必要やけんな。実際にお客さんに乗ってもらうとよ。金も取るけん、実質デビューのごたっもんだ。しっかりしなっせ」
それを聞いて愕然としたが、もう後には引けない。
明日、僕は変わるのだ。
自分の判断、自分の力量で任された一つの船を取り仕切るのだ。
そう考えると興奮して眠ることがなかなかできなかった。
まんじりともせずに夜を明かしかけ、ようやく浅い眠りに落ちたのは午前四時ごろだった。
八月も終わりだが、もう辺りは明るかった。
浅い眠りから起きて、僕は船着き場へ向かった。
もう何人かの船頭は来ていて、朝からジリジリと照り付ける太陽の下で今日の準備を始めていた。
「おはよ。夏生、おん今日卒業試験げなね」
源五郎さんの会社で一番長老である吉田さんから声を掛けられた。
吉田さんにはとにかく操船の事で怒られた。舷側をこすって竿で殴られたこともあったっけ。
「おんは不器用な奴やな」
今更そんな事を言われても困る。
「え、ええ、そう、そうやね……」
僕は何故か吃音になってヘラヘラと笑いながら答えた。
「まあ、気張れ。おんがずっと一生懸命やっとったのはワシも知っとるけん」
まさかそんな事を言ってもらえるなんて。ちょっと吉田さんから励まされて、僕は今日の卒業試験は上手くいくような気がしてきた。
午前九時。
最初のお客様のために僕が切符のモギリをしていると、源五郎さんが来て言った。
「一発目、卒業試験やけん」
今はお客様も少ない時間帯だ。
試験は最初。
なんとなくだがそんな気もしていたので、驚きはしなかった。
「分かりました。モギリが済んだら、すぐ行くけん。内堀コースですね」
「そうたい。ワシは先に行っとるけん」
そう言うと源五郎さんは船にさっさと行ってしまった。
源五郎さんを見送ると、次のお客様がやって来た。
まさか、そんな。――
そこには由乃が白い日傘を差して、僕にその白い手で切符を差し出していたのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
空っぽになった心を抱え、柳川に戻ってきた夏生。どんこ舟の修行を通して立ち直ろうとした彼の最初の客は、自分と別れて別の男の元へ嫁いでいく、かつての恋人・由乃でした。
偶然か必然んか。彼女は夏生の漕ぐ舟に。
二人が舟の上でどんな言葉を交わすのか。
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