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女神の国 2  作者: 大福駒子


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20/25

Unforgiven


 案内された大聖堂は、ちょうど朝の祈りを終えたばかりだった。

 高い天窓から落ちる光が、白い床に淡く伸びている。

 そのずっと奥から——散開する神官達の足音と囁き声が、静かなさざめきとして伝わって来る。


「ようこそお越しくださいました」


 そのさざめきを静かに制するように——よく通る、それでいて不思議と温度を感じさせる声が響いた。

 正面の祭壇脇から進み出てきたのは、王都以南を取り仕切る司祭枢機卿——フェリット・ロウエン、その人だ。


「タリク殿下、お待ちしておりました。それからローワン殿下も。お二人にお目にかかれて光栄です」


「こちらこそです、猊下。お忙しい身の上ですのに、お会いできて嬉しいです」


 ローワンは穏やかに返す。


(ああ、この人は——)


 セリウスは記憶を辿る。

 五年前、ローワンをここへ連れて来た枢機卿は別の人間だった。

 いつだったかは定かではない。が、風の噂で『異例にもベアラーが枢機卿の座を得た』と聞いたことがあった。——この人物であったか。


 彼は二人にもう一度微笑んだところで、その視線をゆるりとこちらに向けた。

 そして、ほんのわずかに目を細める。


「……モルフォンド卿」


 名を呼ぶまでに、その視線に全身をなぞられる。


「お疲れではありませんか?」


 穏やかなそれは、形こそ問いかけであったが——だが、声は確信を帯びていた。

 枢機卿はスッと右手を挙げると、中庭に続く回廊を掌で示した。


「殿下方は大聖堂へ。

 モルフォンド卿——貴方は、泉へご案内致しましょう」


 案内というより、もはや措置に近い。

 ローワンの肩に力が入り、セリウスと目が合った。だが、セリウスはすぐさま小さく首を振り、「危険はありません」と微笑みに滲ませた。

 枢機卿の言葉の裏に含まれた意味を、セリウスだけは正確に理解していたからだった。


「セリウスが別行動なら、僕もそっち行くよぉ」


「なりません」


 タリクの背をさり気なく、とん、と押し出し、丁寧に一礼する。

 枢機卿はといえば、既に後方に控えていた神官へ肩越しに視線を送り、セリウスの案内に回した。


「お待たせしました。では、皆さまはこちらへ」


 そう穏やかに言い、彼は颯爽と踵を返す。

 ローワンたちの背中を見送り、セリウスもまた、案内の神官に続いて回廊の先へと向かった。




 泉は、以前ここに来た時と同じ姿でそこにあった。神官は少し離れた位置で、セリウスを見るでもなく佇んでいる。


「触れても、よろしいでしょうか」


「……禁止事項は、承っておりません」


「そうですか」


 セリウスはそっと腰を屈め、泉に手を伸ばす。

 指先が水に触れた瞬間、きりりとした冷たさが伝い、肩まで震えた。

 しかしその内側では、身体を巡る血潮がじんわりと温みを帯び、隅々へ流れ、やがて胸の奥底にある泉へと静かに満ちてゆく。

 それは見えているというより、脳裏に浮かぶ像に近い。確かにそう感じる、という程度のものに過ぎない。それでも、先ほどまでの船酔いにも似た不調は、多少なりとも落ち着きを取り戻していた。


 さすが枢機卿にまで登りつめるだけの事はある。

 聖域の空気に当てられたのか、頭がくらくらしていた。あのフェリットという男は、それを体に触れる事なく、文字通り——目敏く見抜いた。


 魂胆の見えない慈悲は気味が悪い。

 だが、ここで否応なしに向けられる物言わぬ拒絶に比べれば、彼の視線や声色は少し違うようにも思えた。単に、ベアラーだという共通点から都合よくそう思いたいだけなのかも知れなかったが。


 泉には数人の先客がいて、手や足を濯ぐ者、跪いて祈る者の姿もあった。

 セリウスは石の縁台に腰掛け、ただ片手だけを水面に浸し、指先を遊ばせている。


「座りませんか。まだ、皆さんお戻りになりませんよ」


 付かず離れずの距離を保ったまま立つ神官に、何気なく声を掛けた。


「いえ、私は……」


「枢機卿に叱られるのが怖いですか?」


「いいえ」


 視線が一瞬だけ上がり、すぐに伏せられる。


「では……私が怖いですか?」

「……いえ」


 否定はする。だが、足は動かない。


 椅子は空いている。距離も、十分にある。

 それでも彼は立ったままだ。

 セリウスは、小さく笑った。


 旅のどの地でも、視線は当たり前に集まった。

 畏れも、嫌悪も、好奇も。

 露骨なものほど、扱いやすいから。


 だがこの教会という組織は違う。


 教皇が、自分を利用しようとする思惑は理解できる。

 価値があるから使う。それは理屈だ。

 理屈なら、対処ができる。


 問題は、それ以外だ。


 末端の神官たちは、声を荒げない。

 顔を顰めもしない。

 ただ、触れない。

 近づかない。

 視線を合わせない。


 まるでそこに何もいないかのように。


「……本当に、怖くはありませんよ」


 セリウスは穏やかに言う。


「私も、あなたに触れるつもりはありませんから」


 神官の指先が、わずかに強張った。

 その反応に、セリウスは気づかないふりをする。


(だから嫌だったんだ……)


 モルフォンド家の養子になってから、そして王宮の御子としての使命を賜るまで、毎晩魘された悪夢がある。


 記憶の片隅に微かに残るその場所は、ここよりもずっと古く寂れていた場所だったが、交わされる事のない視線も、曖昧に濁される言葉も、この神官と何ひとつ変わらない。

 ただ『白い』というだけで、理不尽に傷付けられても、誰も庇ってはくれなかった。

 殴られた身体の痛みより、誰一人こちらを見ようともせず、避けるように廊下を急ぐ足音が、幼いセリウスを一層惨めな気持ちにさせた。

 だが仕方なかった。

 黙認という——祈りと清潔さの名のもとに保たれた距離は、この教会という場所にとっては絶対だった。自分こそがまさに、彼らにとっての『穢れ』であったのだから。


 怒りも悲嘆も、もう湧くことはない。

 ただ、淡い諦観だけが胸の奥に沈んでいる。


 ふと、足音が近づき——セリウスのわずか数メートルほど手前で止まった。


 顔を上げるより早く、


「おい」


棘を含んだ——だが懐かしい声が落ちてきて、セリウスの沈みかけた意識が引き上げられた。


「まだ野垂れ死んでなかったか」


 切れ長の目が、泉越しにセリウスを射抜く。

 記憶の中と変わらぬ——いや、少しだけとっつきやすくなった眼差し。


「……今日は、騎士の格好ではないのですね」


 緊張感のないその一言に、ルチアは小さく舌打ちした。


「……いちいち癪に触る」


 吐き捨てるように言ってから、視線を逸らす。


「昨日、流れ者のベアラーが騒ぎを起こしたらしくてな。そのせいで、今日はその後処理に駆り出されて、こっちはへとへとだ」


 ——昨日の。

 セリウスの脳裏に、あの少年の顔がよぎる。


「処理……?」


 問いに、ルチアは一拍置いてから頷いた。


「昨日の現場を見た奴が『女神の力では救えん』と騒いだせいで、妙な騒ぎになっている」


 自分が弱かったばかりに力を使ったことが、かえって人々の不安を煽ったのか——。


「あれでは教会の威信に関わる。“ベアラーの力”が救ったと書き換えた。……悪く思うな」


 彼女は忌々しげに吐き捨てた。

 軽蔑。いや、幻滅という方が正しいか。ルチア自身、それが正しいとは思っていないのだろう。


「そう、ですか。……それで混乱が落ち着くのでしたら」


 ルセリウスの返事にルチアは一度視線を外す。

 わずかに逡巡してから、もう一度セリウスを睨んだ。


「あんな場所で力を使うなんざ正気じゃない」


「それは……」


 何と言うつもりだ。セリウスは続く言葉をぐっと飲み込んだ。


「持て余してないなら……なんで今、そんな垂れ流してる」


「……?」


 意味が掴めず、セリウスはルチアの瞳を見返した。すると、ルチアは何かに気付いたように一瞬ハッとし——

 次の瞬間、断りもなく胸倉を掴まれた。


「何だ……これは?」


 すぐに、彼女の形の良い眉がピクリと持ち上がった。


「お前……」


 本来なら、押し返してくるはずの圧がない。

 濃く満ちているはずの泉が妙に、静かだった。

 干上がってはいない。だが湧いてもいない。

 内側から満ちるはずの流れが、どこか遠くへ引かれている様な——。


 ルチアがようやく手を離すと、セリウスは何事もなかったかのように衣を整えた。

 困ったように、けれどどこか柔らかすぎる笑みを浮かべて。


「まったく……あなたは毎度、断りもなく触りますね」


「気遣いが必要な人間か?」


 低く言い切る。だが視線は逸らさない。


「セリウス。貴様——何ともないのか?」


 珍しく、声が柔らかい。


「名前、読んでくださるのですね」


「はぐらかすな」


 そう言われてしまい、セリウスは答えを探すように沈黙したが、


「……何か、見えました?」


結局はそう問い返すのがやっとだった。


 ルチアは短く息を吐く。


「……貴様は元々、触れなくても分かるほど力が濃い。だから私は……貴様がまた精神を乱して溢れさせているんだと思った」


 だが違った。


「何と言えば良いか……」


 そういって束の間逡巡した後、観念したように再び口を開く。当たりはきついが、下手に隠しだてするような事は出来ない。対して彼女を知っているわけでもないのに、どうしてかそんな風に感じていた。


「泉を支えるお前そのものにガタがきている。私には……そんな風に、見える」


 言葉を選ぶように続ける。


「今は戦も災害もない。……だからベアラーは昔より長生きだ。年老いて枯れる者はいるが、……だがそれは、単なる摩耗だ。使い切った末の自然な終わりでしかない」


 わずかに、声が低くなる。


「……でも。お前のそれは……」


「違う」と言い切ってしまうのを避けるように言葉尻を濁した。

 彼女は僅かにセリウスに寄り、神官から完全に背を向けるようにして泉の縁に腰掛けた。


「……教会のベアラーにもお前みたいな状況の者が出始めている」


 一息吐くと、ごく小さな声でルチアは言った。視線は泉に向けられたまま、独り言の体裁を借りたそれは、やはりセリウスの予感を静かに肯定するものだった。


「教会にとっても想定外のことなのですか?」


「いや……」


 ルチアは小さく首を振る。


「ある程度は予想していたんだろう。ここ数年、新たな発現者は減っていた。……それに、壮年のベアラーが力を失い始めている。それも一人や二人じゃない。

 そうだ、フェリット卿に会ったか?」


「あ、……ええ」


「あの人が枢機卿に就いたのも、おそらく何か考えがあってのことだ。……まあ、私のような末端には到底私ることの出来ない事だろうが」


 ルチアは一度息を吐いて、泉に手を浸す。

 指先がほのかに光り、次第に波紋のように腕へ肩へと広がってゆく。


「……本当だったら、あの少年に加護を与えるのは別のベアラーの役目だった。だが——。

 力を失っているのは皆、三十年前の大水で力を酷使した者たちだ。……その人も、経験者だった」


 セリウスの胸の奥に、冷たい理解が落ちる。


「つまり、私も……その方々と同じだと……?」


 胸の奥を探る。

 重さはある。倦怠も、確かにある。

 だが——アルヴェルを生かすために力を放ち尽くしたあの夜のほうが、もっとずっと“死”を感じた。

 あれは、もっと鋭く、烈しい苦しみを伴うものだった。なのに今はただ——ぼんやりと感覚が遠のくような、静かで、だがどこか、よそよそしい気配だけ。

 命が絶えるのとは違う、何かの終わりを、セリウスは本能で感じ取っていた。


「いつかは来るんだろうとは思ったが、こう立て続けに仲間が枯れていくのを見ると心地のいいものではないな……」


 ルチアのそれは、今度は本当の独り言だった。


 使命から解放され、生きられる。

 それはずっと願っていたことだったはずだ。

 なのに、喜びは込み上げてこない。

 代わりに胸に広がったのは、穏やかな——諦念にも似た、喪失感。


「……笑えるよな」


 ルチアは泉を見つめたまま、小さく鼻で笑った。


「この身体は、煩わしいことばかりだ」


 吐き捨てるような声音だった。

 役目をこなした所為だろうか。その時になってようやく、泉を映す彼女の瞳に疲労が滲んでいるように見えた。


「——なのに、いずれ終わりが来ると言われた途端……案外拠り所にしてたことに気付くなんてな」


 これから先、教会から更にベアラーが失われれば、ルチア達若いベアラーが負うべき役割は以前よりずっと大きいものになるだろう。

 ベアラーでなくなる事もだが、残される事もまた彼女にとっては酷なことなのだろう。


 ルチアは他人事のように呟いたあと、「だが…」と一度言葉を切り、セリウスを見た。


「貴様はよかったじゃないか。これでやっと白御子だの、エルメリアの再来だのと、ふざけた名前で呼ばれずに済むだろ。面倒な役目もなくなって。

 なあ?白い悪魔よ」


「……そう、ですね」


 わざとらしく嘲笑う彼女に、セリウスはいつもの調子で応じた。


(よかった……か)


 本当にそうだろうか。

 そう思った瞬間、胸の奥で何かが静かに繋がった。


 私は。

 私の本質は——。


 生まれてから今日まで、ずっと。

 それを覆い隠すために、そして自分自身を忘れ去るために、『そうでないもの』のように振る舞ってきたのではなかったか。

 

 ——神よ。

 どうして悪魔である私に、力をお与えになったのですか。

 もしそれが、あなたの気まぐれであったとして——

 どうして今更、捥ごうとするのですか。

 使徒にあるまじき邪な感情の所為なら——

 どうしてあのとき、私を生かしたのですか。



 神よ——。


 私はただ、赦されたかっただけなのです。


***



 手前の回廊で足音がいくつも連なるのを聞いて、ルチアは即座に顔付きを変える。


「……私はもう行く」


 短く告げた声音は、すでに騎士のものに戻っていた。


「でもまだ、疲れが取れていないのでは——」


「いいか、よく聞け。あのときみたいに今すぐ死にそうってわけじゃない。だが、また馬鹿みたいに力を使ってみろ。今度は——本当に死ぬ」


 セリウスの言葉に被せるようにして早口で捲し立てると、彼女はすくっと立ち上がりセリウスの胸を指で突いた。


「下手な真似はするなよ、絶対にだ」


 言い捨てるように踵を返す彼女の横顔——その口角が上がって見えたのは、気のせいだろうか。


 去り際に無言で一瞥された神官は、唇をきつく引き結び、静かに顔を伏せる。


(……おせっかいだな)


 胸の奥に残る冷たい空洞とは不釣り合いなほど、

 可笑しさが込み上げ、セリウスは、堪えきれず小さく吹き出した。


 彼女の真っ直ぐに伸びた後ろ姿を見送り、セリウスも立ち上がる。神官に「戻ります」と告げると、彼はやはり何も言わずセリウスの数歩前を歩き、回廊で待つ枢機卿たちに合流した。


「モルフォンド卿、もうよろしいので?」


「……ええ。久しぶりに伺いましたが、相変わらず美しい庭でした」


「それは良かった」


 上っ面なやり取りの間、枢機卿は一度だけルチアが去った方向に視線をやったが、それだけだった。



「本日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。教会の在り方についても、多くのことを学ばせていただきました」


 ローワンの所作は静かで、言葉遣いも丁寧だ。少年の名残を残しながらも、王弟の“型”を、すっかり自分のものにしていた。


「また機会がありましたら、改めてご挨拶に伺います」


 そう言って一礼する背中は、五年前に見たそれよりも大きく、頼もしい。セリウスは何も言わず、その成長をただ眺めていた。


「本当に、とても荘厳で美しい場所でした。それに祈りというものが、国ごとに、そして人ごとに、こんなにも違うとは……不思議です。今日は良い経験になりました」


 ローワンの隣で、タリクもまた朗らかに言葉を添える。率直な感想だが、そこには異邦人ならではの距離があった。

 枢機卿は否定でも肯定でもない、穏やかな微笑を湛え、静かにそして丁寧に礼を返す。


 すべてが形式通り。

 すべてが、問題なく整えられていた。



 結局、枢機卿は一行がキャリッジに乗り込むまで見送りに立った。

 悟ったような笑みを崩さぬまま、去っていく背中を見守っている。


「モルフォンド卿」


 最後方で待っていたセリウスに、枢機卿は歩み寄り、声を落とした。


「……はい」

「ルチアから、何を聞いたかはだいたい察しがついています」


 やはり気付いていたか。

 ただ、その声音に咎める様な含みは感じられなかった。

 むしろ——。


「少なくとも、ここであれば……役目を果たした後も、その余生を面倒見ることは出来ましょう。それに、外は何かと生きにくいでしょうから。

 どうぞ、ご一考を」


 慈悲の形をした提案。


「……そのような事を仰るために、猊下自ら見送りを?」


 セリウスは、静かに問いを重ねた。


「……何が、目的です?」


「目的などと」


 枢機卿は、ごく小さく笑みを漏らす。


「市井が望む限り、信仰は終わらせられません。

 であるならば、モルフォンド卿。あなたこそ、民を導くに相応しい」


 表情は確かに慈愛に満ちていた。だが。


「たとえその泉が枯れる日が来たとしても、唯一無二の存在たり得る、と。

 ——それが、教皇聖下のお慈悲です」


 慈悲。

 その言葉を、セリウスは否定も肯定もせずに受け取る。


「その“慈悲”のために、未だ私のような者を買ってくださると。相変わらずですね」


 つまりは、五年間この時を——囲い込む機会を待っていた。

 ローワンとの取引も、そういうことか。

 ずっと、待っていたのだ。私が自らここへ戻ってくる、その時を。


「——本日は私めまで伺うことになり失礼致しました」


 形ばかりの礼を取り、セリウスは迷いなくキャリッジに乗り込んだ。

 だが枢機卿は表情を変えず、ゆるやかに一礼すると、静かに一歩退いた。


 キャリッジの扉が閉まる。

 外の光と聖堂の気配が、布で覆われるように遮断された。


 がたん、と車輪が動き出して、ようやく——

 セリウスは小さく、息を吐いた。


「……何か、言われました?」


 向かいに座るローワンが、いかにも心配そうに問いかける。静かな怒気を察した様だった。


「まあ、いつもの勧誘です。懲りませんね」


 セリウスは肩を竦める。

 冗談めかして言ったつもりだったが、ローワンは笑わなかった。


「……まあでも」


 セリウスは、ふっと視線を落とす。


「彼らなりに、必死なんだろうとも思うんです」


 たとえ力を失っても、失ったと気付かせなければ使いようはある。良くも悪くも目立つ自分は、“奇跡の象徴”として掲げるには都合がいい。

 枯れかけた泉も、囲い込んでしまえば隠せる。信仰は、事実ではなく形で保たれるのだから。


「だからって」


 その先をローワンに言わせたくなくて、言葉を遮るようにセリウスは続けた。


「だからって、私は——もう“誰かの希望”として生きる気は、ありませんよ」


「……はい」


 再びキャリッジに沈黙が落ちたとき、それまで神妙な面持ちで流れる風景を眺めていたタリクが、軽い調子で口を開いた。


「いやあ、それにしてもさ。教会の人たち、セリウスのこと見すぎじゃない?もうちょっと普通にしてくれてもよくない?」


「殿下!」


 彼の侍従——ナズが諌めるが、セリウスが「ははっ」と笑って切り返す。


「お気遣い、痛み入ります」


「いやいや、何笑ってんのさ」


「すみません。殿下の反応が嬉しくてつい」


「ふぅん……」


 セリウスにとっては重い空気にするつもりは露ほどもなかった。ただ、もう慣れてしまっていた所為で、こんな時どう返すのが最適なのか分からなかった。


「……でも、君だって分かってるだろ」


 セリウスが視線を向ける前に、タリクは続けた。


「……その白さは“穢れ”じゃない。本来、それ自体に何の意味もない。ただそう生まれてしまっただけだって」


 分かっている。

 人は未知なもの、説明がつかないものを恐れる。

 だから大水も、飢饉も、旱魃も、そして疫病に至るまで、凡ゆる災いを何かのせいにするしかなかった。何の理由もなく自らの命が脅かされるなど、到底受け入れられるものではなかったから。

 一方では神からの試練だとし、また一方では悪魔の仕業だと、そんな風にして。


「君を悪魔と決めたのは神じゃない。人だ。人の弱さだ」


 タリクが余りにもはっきりと神を論じた為に、珍しくエドガーが目を見開き、ナズも再度「殿下」と釘を刺す。

 だが、タリクは止まらない。


「聖典には白いものが悪魔だなんて載っていない。

 なぜ存在しているのか分からないから怖いんだ。癒しの力だって十分正体が分からないだろ?でも、有益だから怖くない。そういう自分勝手で曖昧なものに振り回される必要なんかないんだよ」


 その姿に、セリウスは妙な納得を覚えた。

 ああこの子は、恐ろしいほど純粋で、穢れを知らないのだと。


「……仰る通りです」


 否定も、感謝も、希望もない。

 ただ笑顔でそれだけ返し、セリウスは話を切り上げた。


(大人げないな……)


 内心で、そっと自嘲する。


 タリクは一瞬だけ何か言いかけて——けれど、結局いつもの軽い調子に戻った。


 キャリッジは揺れながら、城へと戻ってゆく。街道では人々の話し声が聞こえている。


「触れただけで治ったらしい」

「やっぱり——」


 ざわめきは、既に都合のいい物語を編み始めていた。

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