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女神の国 2  作者: 大福駒子


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13/25

Incognito


 「随分と詳しく、神を語るんですね。トルキアの人間はみんな、そうなのです?」


 セリウスは小さく笑った。


 少なくとも、ヴァルセニアでは違う。

 人々は都合よく神を語りはするが、ベアラーがなぜ存在し、何を背負い、どこへ行くのかなど、気に留める者はほとんどいなかった。


 祈りはあっても、関心はない。

 それが、この国の日常だ。


 それと同時に確信する。

 目の前の青年は単なる商人ではない。敢えて品を欠く態度を取ってはいるが、所作の端々に隠しきれない育ちの良さが宿っている。そして何より、ヴァルセニア語が流暢すぎた。敢えて学んだとしか思えないほどに。


「まあ……」


 タリクは曖昧に言って、指先でカップの縁をなぞった。


「一応僕、神官みたいなものだからね」


「……とても、そうは見えないけれど」


 セリウスの返しに、タリクは声を立てて笑った。


「よく言われるよ。でも、うちの国じゃ、神官は“信じさせる人”じゃないから」


 焚き火に向けられていた瞳がこちらに向き直った。


「女神と今日まで国のために尽力してきた使徒たちを、みんなに覚えていてもらうようにする係ってとこかな」


 また小さな沈黙が落ちた。

 セリウスが、コップに残ったワインをぐいっと飲み干すのを待って、タリクは少しだけ間を置いてから「ねえ」と声を出した。


「僕の国に来ない?君、一人なんでしょ?」


 にっこりと、人好きそうな笑顔でタリクは笑った。


「僕と一緒に来てくれたら、今よりもっと——君は自由になれる」


(……自由、か)


 その言葉だけが、不思議と胸に残った。


 他人の未来を断言するなんて、ずいぶんと自信家だ。あるいは、何も考えていないだけか。


「ふっ……あはは」


 思わず、笑いが漏れた。


「随分と私をご存知なようだ」


 警戒すべきだろうに、随分と頬が緩いのは——

 あれほど強引に距離を詰められたというのに、不思議と威圧感がなかったからか。

 ただ——この異邦人に、少しだけ気を許してしまったのは、確かだった。


「あ、しまった!そういえばいま何時?」


 それまでニコニコと愛想よく笑っていたタリクが、急に焦った顔をした。


「ええと……」


 セリウスが懐中時計を取り出そうとした、その時だった。

 前方の往来を、人混みを掻き分けるように数人の男たちがこちらへ向かってくる。


「タ……タリク。あれ……」


 セリウスは咄嗟に声を潜めたが、タリクは名を呼ばれて一度だけ大きく瞬いた後、妙に緊張感の欠いた声で応じた。


「あー、まずい。見つかった」


 やはり何かがおかしかった。

 先程タリクは自らを『神官みたいなもの』と言ったが、あながち冗談ではないのかも知れない——。


 だがそれを問おうにも、タリクはもう立ち上がってセリウスの数歩先にいた。


「ねえ、また会える? 明日の午後三時、ここで待ってる。もう少し話そうよ。楽しかったから」


「え、ちょっ——」


 返事も待たず、タリクは身を翻した。しかも——追手が現れた方向へと向かって。


「お急ぎを!」


 人混みの向こうから誰かが叫ぶ。

 タリクの姿は、そのまま男たちの中へ吸い込まれるように消えた。

 誰一人、取り押さえようとはしない。


(揶揄われていたのか……?)


 後には、空になったベンチと、コップ。


「あ………」


 手提げがひとつない。

 さっき買ったばかりの新書。


「ちゃっかり担保にしたな……」


 わざと棘のある言葉を選んだのに、音になったそれは軽かった。


「仕方ない……」


 本を返してもらわなければならない。

 ——そんな都合のいい理由を見つけて、セリウスはようやく腰を上げた。



 日が暮れ始めていた。


 王宮の東側。石造りの小橋が掛けられ、池を抱くように建てられた迎賓館の前で、ヘリオスは腕を組んだまま待ちぼうけを食らっている。


「寒い……寒すぎる……。国賓警護って、もっとこう、華やかな仕事じゃなかったっけ」


 外套の襟を立てても、冷気は容赦なく首筋へ入り込む。


「頼むから、早く帰って来てくれ……」


 国賓は、昼間の国王との謁見までは確かにここにいた。にこにこと、無駄に明るい笑顔を振りまきながら。

 だが——その時点ですでに怪しさは満点だった。


 友好国トルキア共和国の第三王子。

 形式上は親善大使。だが、それらしい公務を任されてはいても、本人にとっては窮屈な自国を離れ、堂々と羽を伸ばせる絶好の機会に過ぎない。


(……あの目だ)


 初対面では礼儀正しい。笑顔も柔らかい。だが目だけが落ち着かない。

 あれは、常に何か面白いものを探している子供の目だ。ああいう手合いは、命令で椅子に縛りつけても抜け出す。


 ——嫌な予感は、朝からずっとしていたのだ。


 ヘリオスは迎賓館の扉を一瞥し、次に王都の方角へ視線を投げる。


「……早くかえりたぁい」


 呟きが、池の水面に吸い込まれて消える。


 程なく、足音が近付いてきた。近衛たちが一斉に姿勢を正す。


「やっと来たか」


 ……いや、伝令の足音ではない。

 砂利を踏む一歩一歩が重く、見られることを意識している足音だ。


「え……?殿下、何?」


 思わず声が裏返る。

 アルヴェルだった。


 確か——今は西辺縁領を任されているのではなかったか。


(ああ……。陛下に呼び戻されたのか)


 ローワンも王弟が板についてきたが、初めての対外的な政務だ。もしもの為の収拾要員という訳か。

 だが、こんなのが今ここに立っていたら、若手の部下が萎縮してしまうではないか。

 さっさと戻れ、とヘリオスは視線で訴えた。


「あれは、お前のところに居るよな?」


 だが、相手はヘリオスの懸念など意に介さず、ただ要件だけを伝えた。


「え?」


 一瞬考えてから、ああ、と思い至る。


「ああ、居るんじゃない?買い物に行くって言ってたし、今頃は家に——」


「そうか」


 短く返されて、ヘリオスは眉をひそめる。


「あれ?来るって、殿下に言ってあったっけ?」


「……」


「……何?え、もしかして二人で約束してた?王都で会おうって?……隅に置けないなぁ、二人とも〜」


 調子に乗って人差し指でアルヴェルの胸を突くと、すぐさまその手を掴まれた。


「違うわ、バカタレ」


 低く響く声に、視界の先で何人かの部下の肩が跳ねた。


「……ひょっとして、君」


 ヘリオスはもしやと思い訊ねるが、アルヴェルは顎に手を当て、黙り込んだままだ。考え込むときの、あの癖。


「いやまさかねえ」


 冗談半分にそう零した、その直後。

 迎賓館の敷地の向こうが、ざわりと騒めいた。


「師団長!いらっしゃいました!」


 その知らせに、ヘリオスの顔付きは師団長のそれになる。


「ああ、やっとか……」


 程なく、砂利を弾きながら王賓用キャリッジが乗り入れた。

 従者がすかさずサッと踏み台を差し込むと、開いた扉の中から長い足が差し出された。


「ごめんなさい!探し物をしていたら遅くなってしまって」


 軽い調子の声とともに姿を現した青年は、どう見ても場違いだった。

 育ちの良さを隠しきれない顔立ちに、擦れた旅装。そのチグハグさがどうにも胡散臭く、露天商か見せもの小屋の使用人と行った方がしっくり来る。


 だが。


 アルヴェルの姿を認めたその一瞬。

 それまで肩の力を抜いていた青年が、静かにそしてごく自然に呼吸を整えた。

 背筋が伸び、顎が僅かに上がる。微笑みだけはそのままに、纏う空気だけが確かに変わった。


ああ、王子なのだ——と、ヘリオスは胸の内で唸った。


「お待たせして申し訳ありません」


「いえいえ。まだお支度の時間はございますから、どうぞ慌てずに」


 切り替えの見事さはさすがだが、それを受け止めるアルヴェルもまた、腐っても王弟だ。隙のない応対を返す。

 ほんの少し前まで、恋人の行方が気になって友人のもとを訪れていた男とは思えない。


(……王族ってのは、どこの国でもこうなのかね)


 ヘリオスは呆れ半分にそう思いながら、かじかんだ手をこっそりと揉んだ。


「……?」


 王子の腕に提げられた荷物が、ふと視界に引っかかる。この場に、そして彼の身分に、どうにも似つかわしくないその袋。


「ご無礼を。……お買い物ですか?」


「ええ、なにか?」


 問い返す声は朗らかだが、ヘリオスが一歩踏み出すと、導線を遮るように彼の従者が一歩前に出た。


「どうかお気を悪くなさらないでください。ただ、形式上の確認です。……お荷物を拝見しても?」


 面倒だな、と思いつつも、ヘリオスは笑みを崩さない。仕事は仕事だ。

 従者の一人が王子の顔色を窺い、彼は小さく頷いた。


「ええ、どうぞ。……僕のじゃないけどね」


(僕のじゃない?)


 半信半疑で麻袋の口を開く。


 中にあったのは、分厚く難解そうな本。


 ……医学書?王子が読むにはずいぶん実用的だ。

 それに香草と、乾燥させた……これは何だ?


「これは……殿下の?」


「いいえ。預かり物です」


 だから誰のだよ、とは言えなかった。


 ちょうどそのとき、王宮の使いが苛立たしげに声を上げた。


「お通しを急がせよ」


「……失礼いたしました。どうぞ」


「ありがとう♪」


 ご機嫌で館の中へ消えていく背中に一礼し、ヘリオスはようやく息をついた。


(ありゃあ、また抜け出すな……)


 振り返ると、アルヴェルは姿勢を崩さぬまま、ぼんやりと立っていた。こういう時は大抵、まだ何か言い足りないかここを抜け出したいか、どちらかだろう。


「寒い……もう帰っていい?」


 試すようにそう言葉を投げた。


「……まだだろ」


「嫌だよ。セリウス殿と夕食なんだから」


 嫌がらせの意図に気付いたのか、アルヴェルは黙って一瞥するとぼそりと呟いた。


「……いい身分だな」


 ヘリオスは肩を竦めるだけだった。本気で羨ましがっている訳ではないと知っているからだ。


「ほら、夜会が始まる。行ってやらなきゃ、お兄ちゃん」


「その言い方、ローワンの前ではやめてやれ」


 アルヴェルはすぐに表情を整える。いつもの、余裕のある顔だ。


「……セリウス殿、まだ次行くところを決めていないらしい」


「……」


「うちで再会だけは勘弁してよ?」


 冗談混じりにそう言えば、アルヴェルは今度こそ小さく笑った。


「そんな暇はない」


 けれど。軽く受け流しながらも、彼の視線がふと王都の方角へ流れるのを、ヘリオスだけが気付いていた。

 

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