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紫の邪術師と深紅の賢者 ~落ちこぼれ妹は闇落ちし、姉に追われながら死人を従える~  作者: Nagiousen


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第98話 折れた誇り、折れぬ信念

 街道の正面に、二つの人影が姿を現した。




 アイリとラグナル。




 柵の内側で見張りに立っていた兵士が、真っ先に気づいた。




「敵襲――!」




 声が、陣営全体に響き渡った。




 瞬く間に兵士たちが武器を構えた。立てた槍が、街道を埋め尽くした。弓兵が矢を番えた。




 アイリは動じなかった。剣を抜いた。




「神殿へ用がある」




 声が静かに、しかしはっきりと響いた。




「通してもらう」




 当然、応じる者はいなかった。




 柵の内側で隊長らしき男が、声を張り上げた。




「放て!」




 弓兵の指が弦にかかった。




 その瞬間だった。




「待て」




 鋭い声が飛んだ。




「相手にするな」




 兵士たちが、動きを止めた。




 天幕の奥から、一人の男が姿を現した。




 黒曜騎士団の鎧ではなかった。王国軍の正規の鎧を纏っていた。年の頃は五十代。白髪の混じった短い髪。長年の戦場で鍛え上げられた体躯。眼光には歴戦の武人特有の鋭さが宿っていた。




 アルヴィン・グレイロード。王国軍北部軍団長。




 ハラルドに忠誠を誓う身ではあったが、その目には単なる権力への追従とは違う何かがあった。武人としての誇りと経験に裏打ちされた冷静さが、そこにはあった。




 アルヴィンは、街道の先に立つ二人を、じっと見つめた。




「たった二人で、現れるのは」




 声が低く響いた。




「明らかにおかしい」




 兵士たちの動きが、止まったままだった。




「この者たちは囮だ」




 アルヴィンは続けた。




「本体は別にいる、警戒を怠るな!」




 アイリはその言葉を聞き、小さく舌打ちした。




「くっ」




 剣を肩に担ぎ直した。




「バカでは、ないようだな」




 アルヴィンの視線が、アイリへと向いた。じっと値踏みするように。




「貴様が」




 声に確認するような響きがあった。




「黒曜騎士団を倒した女か」




「そうだ」




 アイリは迷わず答えた。




「お前も」




 アルヴィンの声が低く沈んだ。腰の剣に手をかけた。




「殺られたいようだな」




 その言葉に、アイリの口元が不敵に上がった。




 アルヴィンは、部下たちに短く命じた。




「私が相手をする。誰も手を出すな」




 その命令に、兵士たちが驚いた様子を見せた。




「しかし将軍――囮だとしても」




 アルヴィンは遮った。




「剣の達人を下手に囲めば、無用な犠牲が出る」




 その判断に迷いはなかった。長年戦場で生き抜いてきた者の、経験に裏打ちされた決断だった。




 アルヴィンは剣を抜いた。柵を越え、街道の中央へと進み出た。


 アイリと正面から向き合った。




「囮であろうと、なかろうと」




 アルヴィンの目に、静かな闘志が宿った。




「私の務めは、この封鎖線を守ること、それだけだ」




 アイリは剣を構えた。




「悪くない覚悟だ」




 二人の間に、張り詰めた空気が満ちていった。


 街道の正面で、将軍と剣士の一騎討ちが始まろうとしていた。




 アイリの背後から声がした。




「アイリ様」




 ラグナルだった。




「この男を、殺さないで頂きたい」




「なんだと」




 アイリは剣を構えたまま、片眉を上げた。




「殺すな、だと?」




「はい」




 ラグナルの声は、真剣だった。




「この者は、マリアンネ様が王として立った後、この王国に必要な人物です」




 アイリはアルヴィンを一瞥した。




「確かに優秀な男だ、しかし」




 剣を握り直した。




「私は手加減など、できない」




「なんですと」




 ラグナルの声に、驚きが混じった。




「それだけの剣の実力を持ちながら、手加減ができないと」




「そうだ」




 アイリはあっさりと認めた。




「だが、わかった」




 小さく息を吐いた。




「やってみる」




 アイリとアルヴィンは対峙した。




 両者、一歩も動かなかった。街道の周囲、兵士たちも息を詰めて、その様子を見守っていた。




「どうした、女」




 アルヴィンが口を開いた。




「打ってこないのか」




「お前こそ」




 そう言って、アイリが動いた。




 地を蹴った。剣が振り下ろされた。


 アルヴィンはそれを正面から受け止めた。金属の鋭い音が街道に響いた。




 アイリはアルヴィンの力量を、正しく認めていた。


 だからこそ、本気の殺意ではなく、武人としての勝負を選んでいた。




 剣と剣が幾度も交わった。数十合。互角の打ち合いが続いた。




 アルヴィンの剣筋は、確かなものだった。長年の実戦で鍛え上げられた、無駄のない動き。攻めと守りの切り替えも、迷いがなかった。




 それでもアイリの剣を崩すには、至らなかった。


 攻防が続く中で、アルヴィンの額に汗が滲み始めた。




「なぜ」




 息を切らしながら言った。




「本気を出さん!」




 アイリは笑った。




「お前を斬るためじゃ、ないからだ」




 その答えにアルヴィンの目に、複雑な色が浮かんだ。


 アルヴィンは渾身の一撃を放った。全身の力を、その一太刀に込めていた。




 その瞬間。




「火炎斬」




 アイリの剣に炎が纏った。橙色の閃光が走った。




 アルヴィンの剣が真っ二つに断たれた。折れた刃が宙を舞い、街道の脇に突き刺さった。




 次の瞬間には、アイリの剣先がアルヴィンの喉元に、静かに突きつけられていた。


 アルヴィンは動けなかった。兵士たちも誰一人動けなかった。




「勝負ありだ」




 アイリの声は静かだった。剣先を引かないまま続けた。




「まだ続けるか」




 アルヴィンはしばらくその場に、立ち尽くしていた。喉元の剣の冷たさを感じながら。


 やがて静かに、折れた剣の柄を地面に落とした。金属の乾いた音が街道に響いた。




 アルヴィンは目を閉じた。


 敗北を受け入れたその静けさの中に、どこか安堵にも似た感情が、混じっているようだった。





つづく…




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