第96話 閉ざされた聖域
北部への道を進んでいた。
旧王国騎士団の生き残りを探しながら、同時に世界樹神殿を目指す。ラグナルの立てた計画に沿った旅だった。
神殿へ続く聖域の入口が見えてくる頃、異変に気づいたのはマイアだった。
「様子がおかしい」
先頭を歩いていた、マイアが足を止めた。
街道の先。本来なら旅人や巡礼者の姿が見えるはずの場所に、誰もいなかった。
代わりに旗が見えた。王国軍の紋章を掲げた旗だった。街道を塞ぐように木柵が組まれていた。
「検問……いや」
アイリが目を細めた。
「あれは封鎖だ」
物陰から様子をうかがった。
柵の向こうに多数の兵士たちの姿があった。数十人、いやそれ以上かもしれない。神殿へと続く聖域全体を囲むように、展開している様子だった。
「軍が、封鎖をしてるのですか」
リアナが呟いた。
ラグナルの表情が険しくなった。
「以前よりも、強化されている」
近くの木に、括り付けられた立て札があった。アリシアがそれを読んだ。
「『討伐作戦につき通行禁止。付近に賊が出没しているため』」
白々しい文言だった。
「賊討伐」
マリーの声に、怒りが滲んだ。
「こんな大軍を動かして、賊討伐?」
「表向きの理由でしょう」
ラグナルは静かに言った。
「実際には、神殿を封鎖している」
アリシアが続けた。
「大方、こちらの動きを、読んだのでしょう」
しばらく全員が沈黙した。
この規模の封鎖を突破するのは、容易ではない。数十人の正規兵。しかも神殿という重要な拠点を守る任務であれば、指揮官も相応の実力者のはずだった。
「どうする」
アイリが腕を組んだ。
「正面から突っ切るか」
「いや」
ラグナルが首を振った。
「まず、内部の様子を確かめなければ。大神官がどうなっているか。神官たちは無事なのか。情報がないまま動くのは、危険です」
マリーは、封鎖の様子をじっと見つめていた。
王印に触れれば、全てが変わる。そう聞かされたばかりだった。それなのに、その可能性そのものが、今目の前で封じられようとしていた。
「絶対に」
マリーの声に、静かな決意が宿った。
「この封鎖を突破する」
誰も異論を唱えなかった。
夕暮れが迫る聖域の入口を見つめながら、六人は次の行動を練り始めた。
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世界樹神殿、最奥の間。
軍勢が聖域を包囲してから、既に数日が経っていた。
神殿の扉は封じられ、神官たちはそれぞれの房に留め置かれていた。抵抗する者はいなかった。神殿はそもそも武を持たない。あるのは祈りと儀式だけだった。
フレイはその最奥の間に、足を踏み入れた。
情報院という立場を離れ、ハラルドの勅使として、この地に来ていた。
部屋の中央に、大神官が座っていた。
白髪の老人だった。皺の深い顔。しかしその目には、静けさと揺るがぬ意志が同居していた。
世界樹の根が、部屋の壁を貫くように伸びていた。その根の隙間から、緑がかった微かな光が漏れていた。神殿全体が、まるで生きた樹の内側にあるようだった。
フレイは懐から、一枚の勅命書を取り出した。大神官の前に静かに置いた。
「摂政宰相、ハラルド閣下の命です」
声は事務的だった。感情を交えない公式の口調だった。
「世界樹神殿は、戴冠を承認してください」
大神官はしばらく、その書面を見つめていた。
それから静かに、首を横に振った。
「それはできません」
その声には迷いがなかった。長年この地で祈りを捧げてきた者の、揺るぎない確信があった。
「神は、王を選びません」
大神官は続けた。
「そして」
その目が、フレイをまっすぐに見た。
「偽りを、王と認めることもありません」
部屋が静まり返った。
世界樹の根から漏れる微かな光だけが、二人の間に揺れていた。
フレイは、一瞬目を閉じた。
この答えは、予想していた通りの答えだった。世界樹神殿が、これまで政治的な圧力に、屈したことは一度もない。歴史を紐解いても、そうだった。
それでもわずかな期待が、ないわけではなかった。
フレイは目を開けた。
「……残念です」
その一言に、わずかな感情が滲んでいたかもしれない。フレイ自身にも、それが哀れみなのか敬意なのか、判然としなかった。
しかし次の瞬間には、その感情は既に封じられていた。
「大神官以下」
フレイの声が、再び事務的な響きに戻った。
「神官全員を軟禁します」
外に控えていた兵士たちが動いた。
部屋の出入り口に二人。廊下の要所要所に、それぞれ配置されていく。
大神官は抵抗しなかった。ただ静かに目を閉じ、祈るように両手を組んだ。
「あなた方は」
大神官が、目を閉じたまま口を開いた。
「間違っている」
フレイは足を止めた。振り返らなかった。
「その判断を下すのは」
フレイは静かに言った。
「あなたではありません。世界樹、あなた方の神です」
それだけ告げて、フレイは部屋を後にした。
扉が閉じられ、外から鍵がかけられた。
最奥の間に大神官、ただ一人が残された。
世界樹の根から漏れる光だけが、静かにその姿を照らしていた。
大神官は目を開けた。窓の外、遠く聖域の境界の方角を見つめた。
まだ辿り着いていない。
しかしいつか、王家の血を引く誰かが、この神殿の扉を開けに来る。
その確信だけを胸に、老人は静かに祈り続けた。
つづく…
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