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紫の邪術師と深紅の賢者 ~落ちこぼれ妹は闇落ちし、姉に追われながら死人を従える~  作者: Nagiousen


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第9話 最奥の魔導ゴブリン

洞窟の奥から、甲高い笑い声が反響していた。


 硬いものを打ち鳴らす音。湿った足音。


 アリシアは足を止める。


 呼吸を殺し、耳だけを前へ伸ばした。




(……四、いや五)




 まとまっている。警戒は甘いが、連携は取れている動きだ。


 杖をわずかに傾ける。


 詠唱は、声に出さない。


 ――小石が転がるような音が、通路の奥で弾けた。




「ギャッ?」


「グルル……」




 二体が反応する。


 間を置かず、そちらへ引き寄せられるように動いた。


 残りは三。




 ――十分。




 アリシアの瞳が、細くなる。


 次の瞬間、通路に火が走った。


 圧縮された炎が一気に解き放たれ、空気を焼き裂く。


 逃げる間もない。




「ギャアアアッ――!」




 火球は三体の中心で弾け、爆風とともに炎を撒き散らした。


 狭い通路が、瞬時に灼熱の炉と化す。


 焦げた肉の匂い。


 悲鳴が、途中で途切れた。




 ――だが。




 炎の中から、一体が立ち上がる。


 焼けただれた顔。片目が潰れ、それでも牙を剥いて突進してくる。




「――っ」




 一瞬、反応が遅れる。


 距離が近い。


 杖を振り上げる。


 放った石の弾丸が、一直線に頭部を撃ち抜いた。


 鈍い音。


 その体が、力を失って崩れ落ちる。




 静寂。




 アリシアは息を吐き――わずかに眉を寄せた。




(……遅れた)




 ほんの一瞬。


 だが、それは無視できないズレだった。


 胸の奥で、魔力がわずかに波打つ。




(安定していない……)




 視線を上げる。


 ――まだ終わっていない。




 おびき寄せた二体が戻ってくる。


 足音が速い。


 異変に気づいた。




 アリシアは位置をずらす。


 正面には立たない。


 通路の角。死角。




 ゴブリンが踏み込んだ瞬間――


 地面が裂けた。


 氷が突き上がる。


 鋭い柱が足を貫き、動きを完全に封じる。




「ギャッ――!」




 叫びが上がるより早く、光の矢が走る。


 一体。


 もう一体。


 順に、沈黙した。




 すべてが止まる。


 焼け跡。


 凍りついた足。


 転がる死体。


 アリシアはゆっくりと息を整えた。




「……七」




 短く数える。


 だが、その声に達成感はない。


 魔力の流れが、まだわずかに乱れている。




(急がないと……)




 歩き出す。




 通路の途中で、足が止まる。


 壁。


 不自然な切れ目。


 光が、わずかに反射した。




「……罠」




 しゃがみ、目線を落とす。


 床の凹凸。


 壁の小孔。


 理解は一瞬だった。




(毒針。踏圧式)




 杖を軽く振る。


 風が、通路を撫でる。


 次の瞬間――


 壁が牙を剥いた。




 無数の針が、一斉に射出される。


 空気を裂く音が重なり、視界が埋まる。


 もし一歩踏み出していれば。


 アリシアは無言でそれを見届けた。




「……えげつない」




 全てが撃ち尽くされるのを待ち、静かに通過する。


 その足取りは、先ほどよりわずかに慎重になっていた。




 奥。


 空気が変わる。


 冷たさではない。


 ――重さ。




 見えない何かが、空間を押し潰している。


 アリシアは立ち止まる。




洞窟の最奥――広間。


足を踏み入れた瞬間、アリシアは立ち止まった。




いる。




全部で、五体。




中央に一体。


その周囲を囲むように、四体。


配置ははっきりしている。




正面――巨大な骨鎧のゴブリン。


右手――毒の煙をまとう痩せたゴブリン。


左手――二刀を構えた素早いゴブリン。


背後――姿の薄い、影に潜むゴブリン。




そして中央。


一歩も動かず、ただ“支配している”ゴブリン。


(……五対一)




息を吸っただけでわかる。


この空間は、すでにあいつのものだ。


中央のゴブリンが、杖をわずかに揺らす。




ドクン。




空気が沈む。


同時に――四体が動いた。




「来る……!」




最初に踏み込んできたのは、正面の骨鎧。


戦槌が振り下ろされる。




一撃で死ぬ。




そう確信できる重さ。


アリシアは横へ跳ぶ。


直後、床が砕けた。




(まず一体――こいつを削る!)




手をかざす。




「炎の柱!」




骨鎧の足元から炎が噴き上がる。


焼ける音。


だが――


倒れない。




「ヒヒッ!」




左。


二刀のゴブリンがすでに間合いに入っている。


速い。


振り下ろし――横薙ぎ。


連撃。




「くっ……!」




一歩踏み込み、軌道の内側へ。




風刃ウィンドブレード!」




至近距離で放った刃が、剣士の体勢を崩す。


だが致命傷にはならない。




(硬い……!)




その瞬間。


右から、瘴気弾。




(見えてる!)




横へ回避。


だが毒煙が広がる。


肺が焼ける。




「――っ!」




背後。


気配。




(四体目――影!)




振り向くより早く、


ナイフが飛ぶ。




「光の盾!」




弾く。


だが数が多い。


連続。


防御に押される。




(囲まれてる……四方向同時!)




そして――


中央。


まだ、動いていない。


だが、




ドクン。




また脈動した瞬間、


骨鎧の動きが加速した。




「なっ……!?」




さっきより速い。


重い。




(強化してる……中央が!)




状況は明確。


戦士4体+強化役1体。


数を減らすしかない。




「――まとめて止める!」




杖を掲げる。


一瞬の隙。


作るしかない。




「雷撃!」




閃光。


轟音。


四体すべてが一瞬だけ止まる。




(今!)




狙いを絞る。


一番厄介なのは――


数を増やす影。




「石弾!」




背後へ撃つ。


手応え。


影が崩れる。




(残り、三体!)




すぐに次。




「氷柱突き!」




右――毒のゴブリンの足元から氷が貫く。


瘴気が止まる。




(残り、二体!)




左。


剣士が立て直す前に、




「風刃!」




首元へ。


刃が通る。


倒れた。




(残り、一体!)




正面。


骨鎧。


まだ立っている。


だが動きが鈍い。




「炎の柱!」




再度。


今度は深く焼く。


膝が崩れる。


そこへ――




「石弾!」




頭部を砕いた。


静寂。


荒い呼吸。




(……終わった)




違う。


まだ。


視線が中央へ向く。


最初から動いていなかった一体。


ゆっくりと、杖が持ち上がる。




「……四体を、落としたか」




声が響く。


空間ごと震える。


アリシアは杖を握り直す。


震えているのは、疲労か、恐怖か。


それでも、視線は逸らさない。




「残りは……あなた」




中央のゴブリンが、笑った。




ドクン。




空気が沈む。


戦いは、ここからだった。




最初から一歩も動いていなかったゴブリン。


黒いマントが、呼吸するように揺れている。


布ではない。影そのものが、まとわりついている。


ドクン。


空気が沈む。


アリシアの呼吸が、わずかに遅れて耳に届いた。




(……おかしい)




それでも視線は逸らさない。




「ミリアさんは、どこ?」




問いかける。


沈黙。


ゴブリンは、ゆっくりと口を開いた。




「……ミリア」




声が響く。


だがその音は、わずかに遅れて――もう一度、同じ言葉をなぞった。




「……その名は、ここには“ない”」




口の動きと、音が一致していない。


言葉を“使っている”だけの何か。


背筋が冷える。


それでもアリシアは一歩、踏み出した。


杖を構える。




「――なら、力ずくで聞くわ」




その瞬間。


ゴブリンの杖の先、黒い宝石が脈打つ。


ドクン。


世界が、わずかに歪んだ。




「……遅い」




声が、近い。


気づいたときには、黒い炎が目前まで迫っていた。




「っ――防壁!」




展開。


衝突。


空間そのものが軋むような音。


だが防ぎきれない。


炎の一部がすり抜け、肩を焼いた。




「……!」




熱ではない。


“削られる”感覚。




後退。




距離を取る。


だが――遅い。


足元から、黒い鎖が湧き上がる。




「呪縛の鎖」




声が、また遅れて重なる。




(速い……詠唱がない!?)




反射で光を生成。




「光輝の刃!」




振り抜く。


鎖を断つ。


その瞬間にはもう――


次の魔法が来ている。




(間に合わない……!)




横へ飛ぶ。


毒霧が広がる。


視界が奪われる。


呼吸が乱れる。




「面白い」




笑い声が、霧の中から響く。


だが方向が定まらない。


前からも、後ろからも聞こえる。




(位置が……掴めない……!)




違う。


掴めているのに、“ズレる”。




「……そこ」




感覚を頼りに、風を放つ。


霧が裂ける。


一瞬、見えた。


だが次の瞬間、位置が変わる。




(転移……?違う、これは……)




理解する。


空間そのものを“ずらしている”


だから攻撃が遅れる。


だから距離が狂う。




(なら――)




深く息を吸う。


焦りを押し込める。




(正面からは無理)




杖を握り直す。




「雷撃!」




閃光。


轟音。


一瞬だけ、空間の歪みが“固定”される。




(今だ――!)




魔力を集中する。


だが。


頭が、揺れる。


視界が白む。




(魔力が……足りない……)




それでも止めない。




「――完全分解」




空気が、震える。


詠唱が長い。


隙だらけ。


当然――来る。


黒い炎。


鎖。


同時。




(押し切る……!)




腕が震える。


視界が崩れる。


それでも詠唱を止めない。


杖の先に、淡青の光が収束する。




「……遅い」




声。


だが今度は――読める。


ズレを、読んだ。


一歩、ずれる。


攻撃が空を切る。




「撃つ!」




放つ。


閃光。


一直線。


ゴブリンが身をひるがえす。


完全には避ける。




だが――




左腕が、消えた。


存在ごと。




「……ッ!」




その瞬間。


二発目。


詠唱は終わっている。




「もう一つ!」




追尾。


逃げ場はない。


閃光が、貫く。


ゴブリンの体が、崩れる。


砂のように。


音もなく。


マントが溶ける。


杖が消える。


そして――




静寂。




「……は……っ……」




息が荒い。


立っているのがやっとだ。




(……倒した)




そのはずだった。


だが。


おかしい。


音が、戻らない。


魔力が――消えたはずの“残滓”が、まだ触れる。


視線を落とす。


影。


消えていない。




半拍遅れて、崩れた。




「……何……今の……」




答えはない。


だが時間はない。


アリシアは奥へ進む。




次の部屋に足を踏み入れた瞬間。


理解した。


これは――




見てはいけないものだ。




名前を知らないはずなのに。


頭に浮かぶ。


ゾクラシュ。


壁が、うごめいている。


模様ではない。


見ている。


空間そのものが、意思を持っている。


中央。


祭壇。


そして――


少女。




「ミリアさん……!」




駆け寄ろうとする。


その瞬間。


黒い靄が、立ち上がる。


拒絶。


押し戻される。




(守られてる……!)




杖を構える。


魔力は残りわずか。


だが。




「……関係ない」




息を整える。




「聖なる光よ――」




光が広がる。


靄と衝突。


押し返す。


だが――


消えない。


むしろ、濃くなる。




「……っ!」


(足りない……!)




それでも、止めない。




「天炎の舞!」




炎が巻き上がる。


光と重なる。


ぶつかる。


焼く。


削る。


悲鳴のような音。


靄が崩れる。


消える。


静寂。




「……ミリアさん!」




駆け寄る。


触れる。


冷たい。


だが――


生きている。


微かな呼吸。




「よかった……」




安堵。


力が抜ける。


瞼が、ゆっくり開く。




「……だれ……?」




か細い声。


アリシアは微笑む。




「私はアリシア。助けに来たの」




少女は、わずかに頷く。




「……お姉ちゃん……」




抱き寄せる。


温もり。


確かに、そこにある。


だが。


一瞬だけ。


その瞳が――




濁った気がした。




気のせいだ。


そう思うしかない。




(早く出る)




魔力は、もうほとんどない。


戦闘は不可能。




「転移しかない……」




ミリアを抱える。


杖を握る。


記憶を思い浮かべる。




森。


リアナ。


光景を固定する。




「導け……光の焔よ……」




光が満ちる。


空間が歪む。


洞窟が溶けていく。




その瞬間。




――遠くで。


同じ声が、もう一度だけ響いた。




「……まだだ」




光が、弾けた。





(次回、ごめんなさい、と少女は魂を奪った)





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