第70話 裏切りの陽光
朝が、来ていた。
森の中に、淡い光が差し込んでいた。霧が朝日に照らされて、薄い金色に染まっていた。小さな墓の傍らで、リリムとミモザは、まだ座り込んだままだった。フェンリルが、傷ついた体を横たえ、静かに息をしていた。
リリムの手が、ふと止まった。
空気が、変わった。
最初は、気のせいかと思った。しかし違った。遠くから強大な魔力が、近づいてきていた。
「……ミモザさん」
リリムが顔を上げた。
ミモザの表情が、すでに変わっていた。
「感じます」
ミモザの声が、緊張していた。
「飛行魔法。しかも、魔力を全開で」
リリムは耳を澄ませた。空気が震えていた。光の魔力が遠くの空を、まっすぐに切り裂くように、近づいてきていた。
その質感に、リリムは覚えがあった。あの廃屋で感じた、あの光と似ていた。しかし、規模が違った。あのときの何倍もの密度で、圧力が迫ってきていた。
ミモザの顔が、青くなった。
「……わかります」
声が、震えていた。
「エレナ様と、イゼル先輩」
リリムは、息を呑んだ。
「二人が、来たんですか」
「はい」
ミモザは、立ち上がった。
「しまった」
唇から、こぼれた。
「すぐに、移動するべきでした。ここに、留まりすぎました」
その通りだと、リリムも思った。ルークの死に混乱し悲しみ、そのまま時間を使いすぎた。休むべき時間ではなかった。動くべき時間だったのだ。
しかし、もう遅かった。
光の気配が、すぐそこまで来ていた。逃げる時間は、もう残されていなかった。
ミモザは、深く息を吸った。
肩の力を抜いた。
そして、リリムの前に立った。
「リリムさん」
「はい」
「下がっていて、ください」
声が変わっていた。
先ほどまでの優しい声ではなかった。覚悟を決めた者の静かな声だった。
「エレナ様を、迎え撃ちます」
リリムは、何かを言おうとした。しかし、言葉が出てこなかった。
フェンリルが、体を起こそうとした。しかし傷が深く、うまく立ち上がれなかった。低く唸った。
ミモザは、両手を広げた。
金色の瞳が、空を見上げた。
光が、降りてきた。
二筋の光が木々の上を越え、開けた場所に降り立った。
一つは白銀の輝き、 もう一つは純白の輝きだった。
着地の衝撃で、砂埃が舞い上がった。それが晴れたとき、二人の姿がそこにあった。
一人は、若い女だった。
長い銀髪を整えていた。切れ長の瞳が朝の光の中で、銀灰色に鈍く光っていた。感情のない、静かな顔だった。聖剣を右手に携えていた。剣先に白い炎が、微かに揺れていた。
イゼル・ヴァルハインだった。
その目がまず、ミモザを捉えた。
一瞬その瞳の奥で、何かが揺れた。
しかしすぐに、平静に戻った。
そしてその視線が、ミモザの背後にいるリリムへと移った。
もう一もは、中年の女だった。
白金の髪を、後頭部で厳格に結い上げていた。純白の神官衣は一分の乱れもなく、着こなされていた。しかしその顔には、わずかな疲労の色が、滲んでいた。目の下に、薄い影があった。
エレナ・ソーレンだった。
青色の瞳が、まずミモザを見た。
その目に、複雑な色が浮かんだ。怒りでも悲しみでもない、名付けようのない何かだった。長年育ててきた娘が、自分に刃向かい逃げた。その事実の重さが、一瞬その顔をよぎった。
しかしすぐに、その表情は消えた。
最高司祭の顔に、戻った。
ミモザは二人の前で、動かなかった。
両手をまだ、広げたままだった。リリムを背中に庇うように、立っていた。純白の革鎧が焦げ、頬に傷がまだ残っていた。それでも、目は逸らさなかった。
エレナを、まっすぐに見ていた。
「ミモザ」
エレナが言った。
静かな声だった。怒鳴らなかった。それがかえって、重かった。
「見つけました」
ミモザは、答えなかった。
エレナは、ミモザの背後のリリムを見た。
「そちらが、魔女リリムですね」
リリムは、動けなかった。
目の前に、あのフェンリルすら退けたアステルよりも、さらに上位の存在かもしれない、太陽神教会の最高司祭が、立っていた。エレナの魔力の質は、アステルとはまた違う、長年積み重ねられた静かで、深い威圧感を持っていた。
イゼルの聖剣からは、あの廃屋の夜と同じ、冷たい輝きが漏れていた。
リリムは、拳を握った。
ミモザが、口を開いた。
「エレナ様」
声は、震えていなかった。
「この人に手を出すことは、やめていただけますか」
エレナの目が、細くなった。
「ミモザ」
「はい」
「あなたが、それを言うのですか。私に」
「はい」
ミモザはまっすぐに、答えた。
「私はもう、教会の陽光の乙女では、ありません。あなたに逆らった、反逆者です」
金色の瞳が、揺るがなかった。
「私はこの人を、守ります」
風が木々を揺らした。
朝の光が四人の間に、静かに差し込んでいた。
誰も動かなかった。
しばらくの、沈黙だけが、そこに、あった。
その沈黙を破ったのは、イゼルだった。
「ミモザ」
平坦な声だった。
「なぜだ」
ミモザは、答えなかった。
「お前は陽光の乙女。なぜその魔女を庇う」
イゼルの銀灰色の瞳が、静かにミモザを見ていた。
「自分を肯定するためです」
聖剣の穂先の炎が、わずかに揺れた。
「本当にそれでいいのか、ミモザ」
問いだった。責めているのでも、呆れているのでもなかった。ただ純粋な、確認だった。
「はい」
ミモザは、即答した。
「そうか」
イゼルは、それ以上何も言わなかった。
ただその目が、一瞬揺れた。
揺れた理由を、イゼル自身わかっていなかった
つづく…
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