第6話 陽光の乙女
森は、息を潜めていた。
リリムは枝を踏まぬよう足を運びながら、何度も後ろを振り返った。
追っ手はいない――そう分かっていても、胸の奥のざわめきが消えない。
その時だった。
閃光。
反射的に闇の障壁を展開する。
――衝撃。
「っ……!」
腕が痺れる。障壁越しでも威力が異常だと分かる。
視線を上げた先。
木漏れ日の中に、一人の若い女性が立っていた。
金髪の長い髪に、白い鎧。
黄金の光を宿す剣。
そして――迷いのない瞳。
「その魔力……人間じゃない」
冷たい声だった。
「待って、違う!私は――」
「黙れ!」
言葉は最後まで届かない。
剣が振るわれる。
光の刃が、一直線に迫る。
リリムは後退しながら防ぐが、衝撃で足元が崩れる。
強い。
圧倒的に。
「私は陽光の乙女、エリザ。太陽神レオリアの名において――排除する」
宣告だった。
光の連撃。
防ぐたび、闇の障壁が削れていく。
「やめて!私は敵じゃ――」
「その力で何を語る」
エリザの剣が、さらに踏み込む。
――割れる。
障壁に亀裂。
「くっ……!」
リリムは咄嗟に闇を撃ち返す。
黒い雷が走る。
だが――
エリザは片手をかざすだけで、それを消した。
「……え」
息が止まる。
「その程度か」
闇が、通じない。
その事実が、胸を締め付ける。
(どうして……?)
一瞬、思考が止まる。
そこへ――
「終わりだ」
光の剣が、振り下ろされる。
避けきれない。
――死。
金属音。
鋭く、空気を裂く音。
剣は――止まっていた。
杖に受け止められて。
「……間に合ったわね」
低い声。
リリムの前に、赤いローブの女性が立っていた。
銀のポニーテールが揺れる。
「下がって」
短い指示。
「で、でも――」
「早く!」
振り返らないまま、言い切る。
リリムは息を呑み、後退した。
エリザが距離を取る。
「……仲間か」
警戒が、わずかに深まる。
女性は答えない。ただ静かに見据える。
「退きなさい」
その一言に、空気が凍る。
「断る」
即答だった。
「それが悪魔なら、なおさらだ」
――一瞬の沈黙。
そして。
「……そう」
小さく息を吐く。
その声に、わずかな――悲しみ。
闇が、溢れる。
空気が重く沈む。
女性の姿が変わる。
角。翼。
人ではない、何か。
「やっぱりな」
エリザは剣を構え直す。
迷いは、もうない。
「浄化する」
踏み込む。
光が走る。
だが――
届かない。
悪魔は、消えた。
次の瞬間、背後。
「遅い」
衝撃。
エリザが吹き飛ぶ。
地面を転がり、木に叩きつけられる。
「……っ!」
息が詰まる。
(速い……)
立ち上がる。
だが、すでに距離は詰められている。
闇の一撃。
かろうじて受けるが、鎧が軋む。
それでも――踏みとどまる。
「まだだ……!」
光が膨れ上がる。
剣に集束。
「サンバースト――!」
振り抜く。
閃光が森を裂く。
だが悪魔は、正面からそれを受け止める。
闇で。
拮抗。
押し合う光と闇。
空気が震える。
地面が裂ける。
――だが。
「……足りない」
闇が、押し返す。
光が砕ける。
エリザの体勢が崩れる。
その時だった。
闇が――揺らぐ。
悪魔の動きが、一瞬止まる。
「……?」
エリザの眉が動く。
違和感。
さっきまでと、何かが違う。
悪魔が、空を仰ぐ。
その瞳が――変わる。
より深く。より暗く。
「……ああ」
声が変わる。
低く、冷たい。
別人のように。
リリムが息を呑む。
(違う……これ……)
さっきまでの存在じゃない。
本能が警告する。
――逃げろ。
だが、足が動かない。
次の瞬間。
視界が揺れた。
エリザの体が、宙を舞う。
何が起きたか、分からない。
気づけば、地面に叩きつけられていた。
「が……っ」
呼吸ができない。
立とうとする。
その目の前に――
もう、いた。
黒い爪が振り上がる。
避けられない。
「――っ」
胸当てが、裂ける。
金属が砕ける音。
冷気が肌を刺す。
悪魔の唇が、ゆっくりと歪んだ。
その指先が持ち上がる。
――闇が、蠢いた。
細く、黒い影が蛇のように地を這い、エリザの足元へと伸びる。
気づいた時には遅かった。
「な――っ」
影は一瞬で手足に絡みつき、締め上げる。
冷たい。
氷ではない。
もっと深い、“存在を否定するような冷たさ”。
「くっ……!」
力を込める。だが、びくともしない。
むしろ――
締まる。
抵抗に応じて、闇はさらに食い込んでくる。
「……無駄だ」
悪魔の声は、低く静かだった。
エリザの膝が、地面に落ちる。
呼吸が乱れる。
それでも、視線は逸らさない。
「陽光の乙女が……この程度で……!」
声を振り絞る。
その瞬間だった。
悪魔の手が、エリザの胸元に触れる。
――違和感。
次の瞬間。
光が、消えた。
「……え?」
剣が、輝きを失う。
いや、それだけじゃない。
胸の奥。
ずっとそこにあったはずの“熱”が――ない。
「なに……を……」
呼吸が浅くなる。
急激に、体温が下がる。
祈る。
無意識に、祈る。
だが――
何も返ってこない。
「……どうして……?」
声が震える。
何度も呼んだ名。
何度も応えてくれたはずの光。
それが――沈黙している。
悪魔が、わずかに顔を傾ける。
「それが、お前の“神”だ」
静かな宣告だった。
「違う……!」
叫ぶ。
だが、その声は弱い。
「私は……選ばれた……!」
「そう思っていただけだ」
淡々と、切り捨てられる。
その言葉が、刃より深く突き刺さる。
エリザの中で、何かが崩れた。
剣を握る手が震える。
光は戻らない。
何度祈っても。
何も。
「……そんな……はず……」
視界が滲む。
足元の影が、さらに締め付ける。
だが、もう抵抗する力すら湧かない。
「終わりだ」
悪魔の指先が、軽く弾かれる。
闇が弾ける。
衝撃。
エリザの体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
息が、止まる。
起き上がろうとする。
だが――動かない。
力が入らない。
(……立て……)
命令する。
身体に。
だが、応じない。
――初めてだった。
「……私は……」
自分が、無力だと知るのは。
土の匂いが、鼻を刺す。
頬に触れる冷たさが、やけに現実的だった。
(間違えた……)
遅すぎる理解。
撤退すべきだった。
あの時。
だがもう――
何も取り戻せない。
視界の端で、悪魔が近づく。
反射的に、体が震える。
「来るな……」
声が、出ない。
悪魔が、目の前で止まる。
見下ろす。
その瞳に――
一瞬だけ。
揺らぎ。
「……」
沈黙。
悪魔の表情が、微かに歪む。
まるで、何かに抗うように。
手が震える。
「……っ」
苦しげな吐息。
次の瞬間。
闇が、霧のように崩れた。
翼が消える。
角が消える。
そこに立っていたのは――
一人の女性だった。
銀のポニーテール。
人の姿。
彼女は、自分の手を見つめていた。
震えている。
「……私……」
かすれた声。
そして、ゆっくりとエリザを見る。
その瞳にあったのは――
後悔だった。
「……ごめんなさい」
小さく、呟く。
マントを外し、エリザの体にかける。
触れる手は、ひどく慎重だった。
壊れ物に触れるように。
それ以上は何もせず、静かに一歩下がる。
――そして。
振り返る。
木陰。
そこに、リリムがいた。
震えている。
目を逸らそうとして、逸らせない。
女性は、ゆっくりと歩み寄る。
一歩ずつ。
敵意はない。
それでも、恐ろしい。
「……大丈夫?」
声は、驚くほど穏やかだった。
リリムは答えられない。
喉が固まっている。
(この人が……?)
さっきまでの存在と、繋がらない。
女性は足を止める。
それ以上は近づかない。
「怖がらせて……ごめんなさい」
視線を落とす。
少しだけ、距離を取る。
その仕草が、逆にリアルだった。
リリムの胸が、わずかに揺れる。
沈黙。
風の音だけが通り過ぎる。
やがて――
女性が、そっと腕を広げた。
無理にではない。
「……近づかなくてもいい。ここにいるから」
その一言。
リリムの足が、わずかに動く。
迷う。
怖い。
でも――
一歩。
近づく。
次の瞬間。
抱きしめられる。
強くはない。
だが、確かに温かい。
「……」
リリムの体の震えが、少しずつ収まっていく。
森の冷気とは違う。
柔らかい温もり。
知らないはずの感覚。
それなのに――
どこか懐かしい。
「……あ……」
言葉にならない何かが、喉の奥で震えた。
知らないはずの温もり。
それなのに――
(……お母さん……?)
小さく、震える声。
女性は何も言わない。
ただ、静かに抱きしめていた。
(次回、暁の剣)
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