第59話 三十四人の光(ともしび)
三十四人の魂が、光になった。
一人ずつではなかった。全員が同時に、白い光を放ち始めた。光が集まり、重なり、リリムを包んでいった。温かかった。痛くなかった。ただ、温かかった。
光が、魔力に変わった。
体の内側から溢れ出すような、それでいて暴れない、落ち着いた魔力だった。今まで感じたことのない質の魔力だった。闇の色ではなかった。しかし光でもなかった。
死者の願いが、形になった力だった。
白い霧が、晴れた。
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現実に戻ったとき、リリムは立っていた。
グラウガが目の前にいた。青白い炎の目が、リリムを見ていた。
リリムは今度は、目を逸らさなかった。
グラウガの炎の目を、正面から見た。
精神の侵食が来た。しかし今度は違った。侵食が来るたびに、三十四人の温かさが、内側から押し返した。過去のトラウマが浮かびかけて、老人の声が来た。女将の頭を下げた顔が来た。子どもたちの笑い声が来た。
押しつぶされなかった。
「闇の障壁」
リリムは魔法を展開した。
グラウガが突進した。障壁が受けた。先ほどとは密度が違った。三十四人分の魔力が込められた障壁は、グラウガの質量を受け止めた。
足が、滑らなかった。
「影の刃」
今度は魂鎧に向けて放った。通常の闇の刃ではない。魂に干渉する力を込めた刃だった。体表の魂に、刃は弾かれなかった。
魂が、揺れた。
グラウガの体表を覆う魂の一部が、乱れた。その隙間から、黒い霊体の表面が覗いた。
グラウガが咆哮した。
今度は魂咆哮ではなかった。純粋な怒りの咆哮だった。巨体が再び動いた。尻尾が薙いできた。先端の頭が、リリムを噛もうとした。
「冥界の影縛り」
影の鎖が伸びた。尻尾の先端の頭を絡め取った。引いた。グラウガの動きが乱れた。
その隙に、リリムは詠唱した。
今まで使ったことのない魔法だった。名前もなかった。しかし体の中で、三十四人の魂が形を示していた。こうすればいいと、言葉ではなく感覚として伝わってきた。
手を、グラウガに向けた。
魔力を、最大まで高めた。
グラウガが怨霊召喚を発動した。体内から数百の亡霊が溢れ出した。灰色の人影が、村中を埋め尽くした。助けを求める声が、叫び声が、四方から押し寄せた。
たすけて。
いたい。
かえりたい。
リリムはその声を聞いた。
今度は、ただの恐怖ではなかった。
その声は、救いを求める声だ。
グラウガに囚われた魂たちの声だ。
消えてしまったのではなく、囚われているだけだ。
「聞こえています」
リリムは言った。亡霊たちに向かって言った。
「今、解放します」
リリムは詠唱した。
言葉ではなかった。三十四人の意志が、リリムの魔力と混ざり合い、形を持った。
光が、リリムの両手から溢れた。
闇の色ではなかった。
死者の温かさを持った、白と紫の混ざった光だった。
光がグラウガへと向かった。
グラウガが抵抗した。咆哮した。爪で地を掻いた。巨体が震えた。魂鎧が展開された。
光は止まらなかった。
魂鎧に触れた瞬間、鎧を構成していた魂たちが揺れた。
そして、声が上がった。
グラウガの体の中から。
「帰りたい」
一つの声が言った。
「もう終わりにしたい」
別の声が言った。
リリムの中の村長が、前に出た。
老人の声が、グラウガの内部に向かって言った。
「帰ろう」
女将の声が続いた。
「もう終わりよ」
子どもたちの声が重なった。
「一緒に行こう」
グラウガの体が、内側から光り始めた。
漆黒の魂の集合体が、一箇所、また一箇所と、光に変わっていった。囚われていた魂が、解放されていく。一つが光になり、二つが光になり、十が、百が、光になった。
グラウガが、天を向いた。
大口を開けた。
助けを求める声ではなく、今度は光が溢れ出した。何百もの光が、グラウガの口から、体の隙間から、たてがみの炎の中から、流れ出した。
夜空に、光が舞った。
流星群のようだった。
無数の光が、それぞれの方角へ向かって流れていった。ある光は北へ。ある光は南へ。ある光は真上へ向かって、夜空に溶けていった。
グラウガの体が、小さくなっていった。
魂を失うたびに、その体を構成するものが消えていった。十メートルの巨体が、九メートルになり、七メートルになり、五メートルになり。
やがて、消えた。
音もなく、光もなく、ただ消えた。
爪が抉った石畳の跡だけが、そこに残った。
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夜明けが来ていた。
東の空が白くなっていた。水平線の向こうから、橙色の光が滲み出していた。
リリムは広場に立っていた。
体が重かった。魔力を使い果たしていた。足が震えていた。それでも、倒れなかった。
光が、周囲に残っていた。
解放された魂たちが、まだそこにいた。空へ昇る前に、村の広場に集まっていた。
村長が来た。
「世話をかけたな」
老人は言った。しわの深い顔が、穏やかだった。
「礼を言う。本当に、ありがとう」
子どもたちが来た。光の輪郭を持ちながら、笑顔だった。手を振っていた。さようならと、言っている子もいた。またね、と言っている子もいた。
妊婦が来た。腹をそっと抱えながら、静かに微笑んでいた。言葉はなかった。ただ、微笑んでいた。
一人ずつ、空へ昇っていった。
光が、夜明けの空に溶けていった。
最後に村長が昇った。
リリムを一度だけ振り返り、頷いた。
それから、光になった。
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広場に、リリムだけが残った。
静かだった。
風が吹いた。
夜明けの、冷たい風だった。
リリムは空を見上げた。光はもうなかった。夜明けの色だけがあった。
その時。
声が聞こえた。
どこからともなく。
風に混じるように。
「少しはマシな顔に、なったじゃない」
リリムは振り返った。
誰もいなかった。
廃屋もなかった。砂もなかった。ただ夜明けの村の広場が、あるだけだった。
声はもう聞こえなかった。
しかし確かに聞こえた。その声を、リリムは知っていた。聞き間違えるはずがなかった。少し意地の悪い言い方。それでいてどこか温かい、あの声を。
涙が、流れた。
声を出さずに、流れた。こらえようとしなかった。こらえる理由がなかった。ただ、流れるままにした。
リリムは腰をかがめた。
地面に置いてあった深紅のローブを、拾い上げた。
抱きしめた。
ぎゅっと、抱きしめた。胸に引き寄せて、頬をうずめた。ローブはまだ夜気に冷えていた。それでも、抱きしめた。
しばらく、そうしていた。
やがて、リリムは顔を上げた。
涙を、袖で拭った。
東の空が明るくなっていた。夜明けの光が、村の石畳を照らし始めていた。倒れた家々の壁が、橙色に染まっていた。
リリムは深紅のローブを、胸に抱えた。
前を向いた。
行く宛は、まだなかった。
しかし先ほどとは違った。荒野を歩いていたときの、空虚な足取りとは違った。
三十四人の声が、胸の中にあった。
村長の「ありがとう」が。女将の頭を下げた顔が。猟師の大きな手が。子どもたちの笑顔が。妊婦の静かな微笑みが。
消えていなかった。
魂は浄化されて空へ昇った。しかし記憶は、残っていた。リリムの中に、残っていた。
「そこで、何をしている」
背後から声ががした。
つづく---
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