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紫の邪術師と深紅の賢者 ~落ちこぼれ妹は闇落ちし、姉に追われながら死人を従える~  作者: Nagiousen


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第49話 悪魔、墜つ

 夜空が、裂けた。


 悪魔ヴァレリアが翼を広げ、急上昇する。


 陽光の乙女の後を追った。




 音が遅れてやってくる。


 爆ぜる空気。


 崩れた廃屋の瓦礫が吹き飛び、地上のリリムは思わず顔を覆った。




「……っ」




 風圧が頬を打つ。


 見上げた夜空。


 そこでは、もはや人間同士の戦いではない、何かが始まっていた。




 黒と白。


 二つの光が、空を切り裂いている。




 悪魔ヴァレリアが先に動いた。


 深紅の瞳が妖しく光る。




「――幻夢迷宮」




 世界が、歪んだ。


 夜空そのものが捻じ曲がる。




 月が溶ける。


 星が崩れる。


 空間が折り畳まれ、無数の回廊へと変わっていく。




 どこを見ても同じ。


 上も下もない。


 永遠に続く白い廊下。


 出口のない迷宮。




 認識と方向感覚を破壊する、ヴァレリア最大級の幻術。


 かつて。


 エリザを完封した魔法。


 その中心に、陽光の乙女が取り残された。




 止まる。


 初めて。


 女の動きが止まった。


 白銀の瞳が、静かに周囲を見渡す。




 そして。


 沈黙。




 ヴァレリアが、夜空の高所から見下ろしていた。


 その深紅の瞳に、冷たい笑みが宿る。




「終わりよ」




 指先が上がる。


 虚空が裂けた。




 数十。


 数百。


 紫炎を纏う鎖が、迷宮の壁から這い出してくる。


 逃げ場はない。




 方向感覚は奪われている。


 上下感覚もない。


 避けられない。


 完全な処刑。




 リリムの胸が高鳴った。




(勝てる……!)




 初めてだった。


 ヴァレリアが押している。


 あの化け物みたいな女を。


 追い詰めている。




 鎖が、一斉に襲いかかる。


 空間を埋め尽くす。


 白銀の女を串刺しにする軌道。




 だが。


 女は、動かなかった。


 ――否。


 動く必要がなかった。




 白い光が。


 ただ静かに広がった。




 轟音もない。


 呪文もない。


 派手さもない。


 ただ。


 朝日が闇を消すように。




 静かに。


 絶対的に。


 迷宮が、崩れていく。


 廊下が砕ける。


 壁が光に溶ける。


 世界そのものが剥がれていく。




「……な」




 ヴァレリアの声が揺れた。




 あり得ない。


 幻夢迷宮は、精神世界への侵食。


 魔力抵抗だけで、壊せる代物じゃない。




 それを。


 女は。


 “力任せに壊していた”。




 現実と幻想の境界が、白光に押し潰されていく。


 やがて。


 夜空が戻った。




 女はそこに立っていた。


 何事もなかったように。


 服も乱れていない。


 息も乱れていない。




 ただ。


 白銀の瞳だけが、ヴァレリアを見ていた。




「……認識阻害、精神干渉、空間誘導」




 淡々と。


 分析するように。




「対策済み」




 その一言。


 リリムの心臓が凍りついた。




(知ってる……?)




 ヴァレリアの魔法を。


 最初から?


 偶然じゃない。


 そんなはずがない。


 あまりにも、対策が正確すぎた。




 ヴァレリアの顔から、笑みが消える。


 次の瞬間。


 深紅の瞳が鋭く細められた。




「……なら、これは?」




 空間が、裂けた。




「空間断絶」




 音もなく。


 女との間の空間に、黒い亀裂が走る。




 それは斬撃ではない。


 “世界の切断”だった。


 触れたものを存在ごと別位相へ放逐する、危険極まりない魔法。


 夜空そのものが割れて見える。


 月が断たれたようだった。




 女は止まる。


  亀裂を見た。


 そして――


 避けた。




 本当に。


 ただ、それだけ。


 焦りもない。


 驚きもない。


 防御もしない。




 最短経路が塞がれたから、別の道を選ぶ。


 そんな動き。


 異様だった。


 人間なら。


 一瞬でも迷う。


 死を意識する。




 だが、女にはそれがない。


 死の気配すら、演算に組み込まれている。




「――ッ!」




 ヴァレリアが苛立ちを見せた。


 空間をさらに裂く。




 右。


 左。


 上空。


 逃げ道を潰す。


 夜空に巨大な亀裂が、蜘蛛の巣のように広がった。




 だが。


 女は。


 ただ歩くように飛んだ。




 最短。


 最速。


 無駄がない。


 死地の中を。




 生存確率百パーセントの軌道だけを通るように。


 いつの間にか。


 ヴァレリアの側面にいた。




 近い。




「――っ!?」




 ヴァレリアの目に、驚愕が走る。




 女の右手に。


 七本の光矢。


 音もなく生成されていた。




 矢先が、白く脈動する。


 かわせない。


 近すぎる。




 ヴァレリアは、翼を広げる。


 空間転移を――




 瞬間。


 女の瞳が、わずかに細められた。


 殺意ですらない。


 ただ。


 処理速度が上がったような変化。




 放たれる。


 七本。


 同時。


 白光が夜を裂く。




 ヴァレリアが急降下した。


 三本を回避。


 二本を翼で逸らす。




 だが。




「――ぐっ!」




 残り二本が。


 右翼と脇腹を貫いた。




 白光が爆ぜる。


 黒い羽根が焼け散る。


 肉が裂ける。


 悪魔の再生を拒絶する聖なる痛み。




 ヴァレリアの顔が、苦痛に歪んだ。


 高度が落ちる。


 翼が揺れる。




 初めて。


 押されていた。




 そして。


 陽光の乙女は追う。


 容赦なく。


 無言のまま。




 まるで。


 壊れた敵兵器の処分を行うように。




 感情の欠片もなく。


 次の矢を生成しながら。


 静かに。


 確実に。


 ヴァレリアへ降下していった。




 落ちる。


 悪魔ヴァレリアの身体が、夜空から墜ちていく。


 黒い翼がうまく動かない。




 右翼が焼けていた。


 聖光に貫かれた傷口から、黒い煙が立ち上っている。


 悪魔の再生能力が、追いつかない。




「……っ、ぁ……!」




 ヴァレリアが、苦痛に顔を歪めた。




 高度が下がる。


 翼が震える。


 そして。


 地面が迫った。




 轟音。




 崩れた廃屋の外壁を巻き込みながら、ヴァレリアの身体が地面へ叩きつけられる。




 土煙が吹き上がった。


 地面が砕ける。


 瓦礫が転がる。




「ヴァレリアさん――!!」




 リリムが叫ぶ。


 立ち上がろうとして、膝が崩れた。




「……ぁっ」




 力が入らない。


 身体が言うことを聞かない。




 魔力切れ。


 疲労。


 痛み。


 全部が限界だった。




 それでも。


 立たなきゃいけない。


 ヴァレリアが死ぬ。


 自分のせいで。




(私のせいだ……!)




 胸が締めつけられる。


 ここに来たのは自分。


 狙われたのも自分。




 巻き込まれている。


 ヴァレリアが。


 自分のせいで――




 夜空から、一つの影が降りてきた。


 静かに。


 ゆっくりと。




 陽光の乙女。




 着地音すら、ほとんどない。


 白銀の髪だけが、夜風に揺れていた。




 女はヴァレリアを見下ろした。


 感情のない目だった。




 勝者の余裕もない。


 憎しみもない。


 警戒もない。




 ただ。


 処理対象を確認する目。


 その異様さに、リリムの喉が凍る。




 ヴァレリアが、地面に手をつく。


 震える腕。


 立ち上がろうとする。


 だが。




「っ……!」




 脇腹から黒い血が滲んだ。


 聖光の傷が、再生を拒んでいる。


 翼も折れていた。


 まともに飛べない。




 それでも。


 ヴァレリアは笑った。


 血の滲む口元を、わずかに歪める。




「……やるじゃない」




 掠れた声。


 強がりだった。




 リリムにはわかった。


 限界だ。




 ヴァレリアが、負けている。


 あのヴァレリアが。


 悪魔化したヴァレリアが。


 押し切られている。





つづく---




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