第44話 歪んだ救済
紅き月が中庭を照らしていた。
まるで血で染め上げられた世界。
その中心で、アイリとマイアは肩を並べる。
傷だらけだった。
毒霧の後遺症は、まだ残っている。
人形少女との戦いで消耗した体力も、完全には戻っていない。
それでも。
二人の瞳から、闘志は消えていなかった。
対するヴァンパイアは、静かに微笑む。
まるで子供の遊びを、眺める大人のように。
「来い、化け物!」
アイリが吠えた。
炎が剣を包む。
「ここでお前を討つ!」
ヴァンパイアは、笑みを深める。
「討つ?」
赤い瞳が細められた。
「人間とは面白い生き物だ」
その声には嘲りすらない。
純粋な疑問だけがあった。
「救済される側が、なぜ救済者へ牙を向く?」
アイリの額に、青筋が浮かぶ。
「少女たちを怪物に変えておいて、救済だと!」
「怪物?」
ヴァンパイアは、小さく首を傾げた。
「老いも病も死もない」
「永遠の命がある」
「それの何が不満なのだ?」
価値観そのものが違う。
アイリは理解を諦めた。
地面を蹴る。
「理解する気もない!」
炎が爆発した。
「火炎斬!!」
紅蓮の斬撃が、一直線に走る。
広間のワーウルフを、両断した一撃。
ヴァンパイアは避けなかった。
右手をゆっくり持ち上げる。
そのまま。
炎の斬撃を掴んだ。
「なっ……!?」
轟炎が暴れる。
握られた瞬間。
まるで火そのものが、吸い取られるように消えていく。
そして。
パリン。
ガラスが砕けるように、炎が消滅した。
アイリの顔が強張る。
今まで何度も、敵を倒してきた技だった。
それが。
右手だけで消された。
ヴァンパイアは、ため息を吐いた。
「弱い」
次の瞬間。
姿が消えた。
アイリの背筋が凍る。
見えない。
全く。
本能だけで剣を振るう。
キィィィン!!
金属音。
辛うじて防いだ。
ヴァンパイアの爪が、剣を押し込んでいる。
受け止めたはずなのに。
身体が吹き飛んだ。
轟音。
地面を激しく転がる。
血が飛び散る。
「アイリ!」
マイアが叫ぶ。
即座に槍を構えた。
光が集まる。
今までよりも強く。
眩く。
「響華獅光流――満月閃!!」
巨大な光の円環が、中庭を切り裂いた。
避けない。
ヴァンパイアへ直撃する。
閃光。
爆発。
轟音。
中庭全体が揺れた。
マイアが息を呑む。
効いた。
確かに当たった。
だが。
爆煙の中から声が響く。
「なるほど」
ヴァンパイアが立っていた。
右腕が肩口から斬り裂かれている。
初めて負った傷。
しかし。
傷口から流れ出した黒い霧が蠢いた。
肉が再生する。
骨が繋がる。
皮膚が戻る。
数秒後。
傷は跡形もなく消えた。
マイアの顔から血の気が引く。
「そんな……」
ヴァンパイアは、再生した腕を見つめる。
余裕は崩れない。
「素晴らしい」
「人間にも、希望は残されていたか」
褒めている。
だがその態度が恐ろしい。
まるで教師が優秀な生徒を、評価するようだった。
対等な敵として見ていない。
その時だった。
赤い月が輝きを増す。
月光がヴァンパイアを照らす。
途端に。
空気が変わった。
闇が濃くなる。
影が伸びる。
中庭の隅々から黒い霧が集まり始めた。
マイアが息を呑む。
「月の光で……強くなってる……?」
ヴァンパイアは微笑む。
「ようやく気付いたか」
両腕を広げる。
「ここは私の世界だ」
影が蠢く。
地面が波打つ。
棺が震える。
次の瞬間。
無数の黒い腕が、地面から噴き出した。
十。
二十。
三十。
数え切れない。
少女たちの悲鳴にも似た声を上げながら、襲い掛かる。
「くっ!」
アイリが立ち上がる。
炎を纏った剣で迎撃する。
マイアも槍を振るう。
だが。
斬っても斬っても終わらない。
焼いても焼いても増えていく。
一本が、アイリの肩を掠めた。
その瞬間。
激痛が走る。
「うぐっ!?」
触れた場所が、黒く変色していた。
まるで生命力そのものを、吸われたように。
冷たい。
骨の髄まで凍るようだった。
「アイリ!」
「大丈夫だ……!」
大丈夫ではなかった。
腕が重い。
力が抜ける。
ヴァンパイアは、静かに見下ろしている。
「なぜ抗う」
赤い瞳が揺れる。
本気で理解できないという顔だった。
「永遠を与えてやろうというのに」
その時だった。
中庭の奥から声が聞こえた。
微かに。
か細く。
「た……すけて……」
少女の声。
続いて。
「お母さん……」
「怖い……」
無数の泣き声。
アイリの目が見開かれる。
棺だ。
壁一面の棺の中から、聞こえている。
まだ生きている。
助けを待っている。
ヴァンパイアは笑った。
「聞こえるか?」
「彼女たちは、間もなく救済される」
その言葉に。
アイリの怒りが爆発した。
炎が激しく燃え上がる。
「ふざけるな!!」
剣を握る手に、再び力が戻る。
マイアも槍を構え直した。
絶望的な強さだった。
だが。
守るべきものがある。
二人の視線が交わる。
そして、赤い月の下。
決死の反撃が、始まろうとしていた。
つづく---
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