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第4話 復讐

 迷宮を出た時、東の空が白み始めていた。




 リリムは黒いローブの裾を翻しながら、森を歩いた。体は不思議なほど軽かった。迷宮の中で何度も力を使ったにもかかわらず、疲労よりも充実感の方が大きかった。体の奥で、暗い熱が安定した流れとなって巡っている。




 考えていたのは、四人のことだった。




 オズマ、カイン、ユーリ、レオン。




 あの倉庫で自分を傷つけた四人。今頃は何事もなかったように学院に通い、眠り、笑っているのだろう。リリムのことなど、もう考えてもいないかもしれない。




 それが、どうしても許せなかった。




 怒りは冷めていなかった。でも今のリリムの怒りは、あの夜の熱く乱れたものとは違う。静かで、冷たく、形が定まっていた。




(行こう)




 リリムは足を向けた。学院のある方向へ。







 夜が来るのを待った。




 学院の周囲の木立に身を潜め、リリムは建物の灯りが一つずつ消えていくのを見ていた。月が雲に隠れ、辺りが暗くなった頃、リリムは動いた。




 黒いローブが夜に溶け込む。禁書から得た知識の中に、気配を消す術があった。完全ではないが、注意を向けられなければ気づかれない程度には使えた。




 寮の廊下を、音もなく進む。




 最初の部屋の前で、リリムは立ち止まった。扉の向こうで、寝息が聞こえる。




 カインの部屋だった。




 リリムは手をかざし、静かに呪文を唱えた。闇の力が扉をすり抜け、部屋の中に広がる。眠っているカインの体を、闇がゆっくりと包んでいく。




 カインが目を開けた。しかし声は出なかった。闇に封じられていた。




 リリムは部屋に入り、カインを見下ろした。




 昼間と変わらない顔だった。眠っていた時と変わらない顔だった。何かを恐れているようには見えなかった。少なくとも、今この瞬間までは。




 リリムの顔を見た瞬間、カインの目が変わった。




 リリムは何も言わなかった。ただ、手を差し伸べた。闇の球体が形を成し、カインを包んだ。声も出せず、体も動かせない。ただ浮いているだけの状態に。




 残りの三人も、同じようにして連れ出した。







 森の奥の、人気のない場所を選んだ。




 四つの闇の球体が、月明かりの下に並んでいた。その中でオズマ、カイン、ユーリ、レオンが、それぞれ恐怖に歪んだ顔でリリムを見ていた。




「誰だよ……お前……」




 レオンが震える声で言った。闇の球体は声を通す。ただし外には届かない。




 リリムは答えなかった。四人の顔を、順番に見た。




 オズマ。顔が青ざめ、唇が震えている。




 カイン。目が血走り、球体の壁を叩こうとしている。




 ユーリ。泣いていた。声を殺して、泣いていた。




 レオン。まだ強がろうとしていたが、それが崩れ始めていた。




「リ……リリムか?」




 オズマが呟いた。




 リリムはその名前を聞いた瞬間、胸の奥で何かが固まった。覚えている。ちゃんと覚えている。忘れてなんかいなかった。




「そうよ」




 リリムは静かに言った。




「自分の行いがどれだけ愚かだったか、後悔しながら死んでいきなさい。どれだけ叫んでも、誰も助けになんか来ないわよ。私の味わった絶望を、たっぷり楽しんで」




 冷たく笑みを浮かべ、声を低くして告げた。




 四人の顔が一気に青ざめた。




「ま、待ってくれ……俺たちは……その……ちょっと悪ふざけを……」




 カインが震える声で言った。リリムの視線が鋭く彼を貫き、言葉を失わせた。




「リリム……俺たちが間違っていた……どうか許してくれ。何でもするから……」




 レオンが目を逸らして言った。その声には、確かに後悔があった。




 リリムはその言葉を、静かに聞いた。




 後悔している。本当に後悔しているのかもしれない。でも。




(それで、何が変わる?)




 あの夜の冷たい床は、消えない。あの時の痛みは、消えない。後悔の言葉がいくつあっても、なかったことにはならない。




「あれが悪ふざけだと言うの?」




 リリムの声は穏やかだった。その穏やかさが、かえって四人を凍りつかせた。




「冗談でしょ」




 指を鳴らした。







 四人が息絶えた後、リリムは長い間、その場に立っていた。




 風が吹いた。木々が揺れた。




 胸の奥を確かめるように、リリムは自分の感情を探った。




 晴れ晴れとした気持ちを期待していた。あるいは、後悔を。どちらかが来るはずだと思っていた。




 しかし実際に来たのは、どちらでもなかった。




 ただ、静かだった。




 嵐が過ぎ去った後の空のように、ただ静かだった。




(終わった)




 その言葉だけが、胸の中に残った。




 四人の体から、魂が浮かんだ。青白く、はかなく揺れる光。リリムは左手をかざし、それらを一つずつ吸収した。力が満ちていく感覚があった。しかしそれを感じながらも、どこか遠い場所で、何かを失った気もした。




(何を失ったのだろう)




 答えはわからなかった。




 リリムはゆっくりと踵を返した。




 夜明けが近づいていた。空の端が、ほんのわずかに明るくなり始めていた。







 校舎裏に、人の気配があった。




 リリムが足を止めた瞬間、雨が降り始めた。ぽつり、ぽつりと、最初は小さく、やがて本格的な雨になった。




 霧のような魔力が、リリムの周囲に漂い始めた。それは自然に溢れ出すものだった。抑えようとしても、抑えきれなかった。




 その魔力を、誰かが感じ取った。




 足音が近づいてくる。雨の音の中で、確かに近づいてくる。




 リリムは待った。逃げなかった。




 霧の中から姿を現したのは、アリシアだった。




 雨に濡れた銀色の髪が頬に張り付き、制服が濡れ、細い肩が震えていた。しかしその目は揺れていなかった。真っ直ぐに、リリムを見ていた。




 リリムは姉の顔を見た。




あの食卓の朝に慰めてくれた顔。魔法を教えようとしてくれた顔。


そして、男子生徒たちに『制裁を加えろ』と頼んだとされる、その顔。




(信じたくない)




 その気持ちは、まだあった。




 でも信じない理由が、見つからなかった。




「リリム」




 アリシアが呼んだ。怒鳴りもせず、泣きもしない。ただ、妹の名前をそう呼んだ。その声に、リリムの胸がざわりとした。




「近づくな」




 気づいたら言っていた。自分でも驚くほど、静かな声だった。




「お姉ちゃん、私のことが嫌いだったのね」




 アリシアの顔が歪んだ。




「リリム、私はあなたを嫌ったことなんて一度もないわ。いつだって、あなたが愛おしい妹だと思っていたわ」




 その言葉が、リリムの胸を焼いた。




 愛おしい妹。




 どれだけその言葉が欲しかったか。でも今は、その言葉が刃のように痛い。




「聞き飽きたの」




 リリムは言った。声が震えていた。




「お姉ちゃんのその"優しい"言葉も。ずっとずっと影で、優等生のお姉ちゃんに見下され続けた気持ちなんて、わからないでしょう?」




 アリシアが一歩踏み出そうとした。リリムは手をかざして止めた。




 リリムは絶望の黒翼を放ったが、光の防御にかき消された。冥界の影縛りを試みたが、白光に霧散した。アリシアの力は、想像以上だった。




「わかった、リリム。あなたの闇魔法は、私には通じないわよ」




 その言葉に、リリムの表情が恐怖に染まった。邪術師として最強の力を得たと思っていた。それなのに目の前の姉は、まるで全てを見透かしているかのように揺るぎなく立っている。




 アリシアが手を差し伸べた。




「リリム、まだ遅くないわ。一緒に帰りましょう」




 リリムはその手を見た。細くて白い手。かつてその手に引かれて歩いた手。




 でも。




「よくそんなことが言えるわね」




 リリムの声が震えた。今度は隠せなかった。




「自分が何をしたのか、わかっているの? 絶対に許さない!」




 アリシアの顔が揺れた。




「待って、リリム。オズマ、カイン、ユーリ、レオンの四人を知らない?」




 リリムは冷たく笑みを浮かべた。




「全員殺したに決まっているでしょ。私にあれだけのことをしたのだから」




 アリシアの顔に、驚愕と悲しみの色が浮かんだ。




「殺した?!リリム、彼らに何かされたの?」




「とぼけないで!」




 声が割れた。闇の力が渦を巻き、雨が横殴りになった。




「お前も殺してやる!」




 その言葉は、リリム自身を驚かせた。言ってしまった。言えてしまった。




 リリムは黒い霧となった。その霧はゆっくりと薄れ、風に散り、消えていく。




 逃げるように、消えた。







 雨の中を、リリムは走った。




 霧の体から人の体に戻り、学院の敷地を出て、森へ向かった。足が濡れた落ち葉を踏みしめ、枝が顔をかすめた。それでも止まらなかった。




 走りながら、リリムは思った。




(ルミナ王国にはいられない)




 四人を殺した。アリシアとも決別した。父の元には戻れない。学院には戻れない。この国にいる理由が、もうなかった。




 雨が強くなった。




 リリムは一度だけ、走る足を止めて振り返った。




 学院の灯りが、雨の向こうに滲んでいた。小さく、遠く、それでも確かにそこにあった。




 父がいる。アリシアがいる。自分が生まれて、育って、傷ついた場所がある。




「さよなら」




 声にならない声で、リリムはつぶやいた。




 それから、また走り出した。




 振り返らなかった。




 振り返らないと、決めた。




 雨の中を、黒いローブが翻り、紫の髪が濡れ、リリムはただ前へ向かって走り続けた。





(次回、アリシア視点へ――)




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