第39話 狼女の祝福
狼女は侵入者を見ると、ゆっくりと笑った。
その笑みには、歓迎の色など欠片もない。
アイリは剣先を向ける。
「貴様、この城の魔物だな」
狼女は答えない。
ただ笑みを深くする。
「さらった少女は、どこだ?」
沈黙。
そして。
「……なるほど」
狼女が喉の奥で笑った。
「お前たちは、あの娘を探しているのか」
「答えろ」
「答える義理は、ないな」
琥珀の瞳が細まる。
「だが安心しろ」
狼女は、愉快そうに続けた。
「あの娘はもうすぐ、主にお会いできる」
アイリの眉が動く。
「主?」
「我らが偉大なる御方だ」
狼女の声には、陶酔が混じっていた。
「選ばれた者だけが、その祝福に触れられる」
「祝福だと?」
「そうだ」
狼女は両腕を広げる。
「弱き人間を超えた、新たな生だ」
アイリの目が険しくなる。
「愚かな」
一歩前に出る。
「泣いてる子供をさらっておいて、祝福だと?」
狼女の笑みが消えた。
空気が変わる。
獣の殺気が部屋を満たした。
「理解できぬか」
低い声。
先ほどまでの余裕はない。
「人間ごときには…」
「理解する気もない」
アイリは剣を構え直す。
「少女の居場所を言え」
狼女の爪が、ゆっくりと持ち上がる。
「ならば死ね」
次の瞬間。
狼女が床を蹴った。
石畳が砕ける。
獣の速度。
一瞬で間合いが消えた。
鋭い爪がアイリの喉元へ走る。
だが。
キィンッ!!
火花が散る。
アイリの剣が、その一撃を受け止めていた。
衝撃が腕を震わせる。
狼女は獰猛に、牙を剥いた。
「ほう」
アイリも口元を吊り上げる。
剣を押し返す。
「少女たちの居場所を、吐かせてやる」
「ふふっ……野蛮な人間め」
狼女は牙を覗かせて笑った。
「生かしておくのは、危険だな」
琥珀色の瞳が細くなる。
「ここで葬ってやる」
次の瞬間。
狼女の姿が消えた。
「――っ!」
アイリは反射的に剣を構える。
キィィンッ!!
火花が散った。
爪と剣が激突する。
だが衝撃は想像以上だった。
床を削りながら、数歩後退する。
(速い……!)
ワーウルフとは違う。
今まで戦ったどの獣人よりも強い。
その隙を突き、マイアが回り込もうとした。
だが。
「上だ!」
アイリが叫ぶ。
天井の闇が動いた。
赤い瞳が二つ。
次の瞬間、赤い光線が降り注ぐ。
マイアは咄嗟に、身を捻った。
光が肩を掠める。
熱い。
焼けるような痛みが走った。
「くっ……!」
天井から女が舞い降りる。
巨大な翼。
漆黒の羽膜。
血のように赤い瞳。
人間の顔、手足。
蝙蝠女だった。
「よく避けたわね」
艶やかな声が響く。
「でも、次はどうかしら」
マイアは槍を構える。
肩から血が流れていた。
「あなたたち……少女たちをどこへやったの」
蝙蝠女は首を傾げる。
「どこへ?」
そして、楽しそうに笑った。
「主のお食事よ」
マイアの表情が凍りつく。
「……何ですって」
「可愛い子ほど、美味しいわ」
その言葉が胸をえぐる。
今日さらわれた少女。
恐怖に泣いていた顔。
脳裏に浮かぶ。
マイアは槍を握り締めた。
「絶対に許さない」
蝙蝠女は、くすくす笑う。
「許しなんて、求めてないわ」
翼が大きく広がった。
「さあ、踊りましょう」
無数の光線が放たれた。
一方。
狼女の爪が再び迫る。
アイリは剣で受け流した。
だが。
重い。
異常なほど重い。
獣の剛力が、剣越しに伝わってくる。
「どうした?」
狼女があざ笑う。
「その程度か」
「黙れ!」
剣を振るう。
炎を纏った斬撃が、狼女を襲う。
しかし。
狼女は腕一本で受け止めた。
肉が焼ける。
煙が上がる。
それでも離さない。
「主の祝福を受けたこの身に」
狼女は笑う。
「その程度の炎が、効くと思うか?」
蹴りが飛んだ。
腹部に直撃。
アイリの身体が吹き飛ぶ。
石柱へ激突した。
肺から空気が押し出される。
「がはっ……!」
強い。
予想以上だ。
脳裏にギルドで聞いた話が蘇る。
オーガランク四人。
消息不明。
今ならわかる。
消えたのではない。
殺されたのだ。
目の前の怪物たちに。
狼女が、ゆっくり近付く。
「理解したか?」
陶酔した笑み。
「主は、偉大だ」
「主は、慈悲深い」
「主は、我らを高みに導く」
琥珀の瞳が狂気に染まる。
「死ねば、お前もわかる」
アイリは歯を食いしばった。
(こんな奴に……)
脳裏に少女の泣き顔が浮かぶ。
助けて。
そう叫んでいた。
(ここで時間を使ってる場合じゃない)
少女が生きている保証はない。
一秒でも早く進まなければ。
アイリは立ち上がる。
剣を握る。
呼吸を整える。
狼女が笑った。
「まだ立つか」
「当たり前だ」
炎が剣に集まり始める。
「私は、助けると決めた」
空気が熱を帯びる。
赤い光が剣身を走る。
狼女の笑みが消えた。
本能が危険を察知した。
「その構えは……」
アイリは静かに告げる。
「命総天昇剣、朱雀」
炎が爆発する。
床が焼ける。
壁が赤く染まる。
「鳳凰剣舞!!」
アイリが消えた。
いや。
速すぎて見えない。
炎の軌跡だけが空中に残る。
狼女が爪を振るう。
空振り。
反対側から斬撃。
肩が裂ける。
さらに背中。
脇腹。
腿。
炎を纏った斬撃が、連続で襲う。
「ぐっ……!」
狼女が吠えた。
だが次の瞬間。
その傷口がうごめく。
肉が再生を始めた。
アイリの目が見開かれる。
(再生……!?)
狼女は血を流しながら笑った。
「言ったはずだ、主の祝福を受けたと」
再生が止まらない。
常識なら絶望する。
だが。
アイリは剣を握り直した。
「なら」
炎がさらに膨れ上がる。
「再生できないほど、斬ればいい!」
狼女の顔色が変わる。
初めて恐怖が浮かんだ。
アイリが踏み込む。
渾身の一撃。
「火炎斬ッ!!」
轟音。
紅蓮の奔流が狼女を飲み込んだ。
爆炎が部屋を揺らす。
天井まで炎柱が立ち上る。
狼女の絶叫が響いた。
「主よおおおおおッ!!」
焼かれながら。
なお笑う。
「主の御業は成る!」
「祝福は止まらぬ!」
「お前たちは遅い!」
アイリの表情が凍る。
炎の中。
狼女は最後まで笑っていた。
やがて。
その身体が崩れ落ちる。
静寂。
焦げた臭いだけが残った。
アイリは荒い息を吐く。
勝った。
だが。
胸騒ぎは消えない。
狼女の最後の言葉。
――お前たちは遅い。
――祝福は止まらぬ。
剣を握る手に力が入る。
(主……)
この城の奥にいる存在。
すべての元凶。
狼女ですら、狂信する怪物。
アイリは、炎の消えた先を睨んだ。
つづく…
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