第35話 潜入、暁の剣南支部
薄曇りの空の下。
アルビオン王国の南部にある「暁の剣」南支部は、まるで戦場跡のような姿をさらしていた。
石造りの外壁は崩れ落ち、窓は砕け散り、建物の至る所に黒く焼け焦げた痕跡が残っている。
かつては威厳を誇っていたであろう支部は、今や見る影もなかった。
周囲には警備兵が何重にも配置されている。
剣と槍を構えた兵士たちが無言で巡回し、近づく者を鋭く監視していた。
その異様な厳戒態勢が、この事件の重大さを物語っている。
アリシアは建物を見上げながら目を細めた。
「ここよ」
その声に、リアナとマリーも足を止める。
「リリムの魔力を、最後に感じた場所……」
アリシアの視線は、崩壊した支部へ向けられていた。
空気の中には、まだ微かに魔力の残滓が漂っている。
複数の強大な力が衝突した痕跡が残っていた。
「ひどい……」
リアナが呟く。
マリーも眉をひそめた。
「戦争でもあったみたいだな」
アリシアは言葉を発しない。
ただ静かに周囲を観察していた。
やがて視線を警備兵たちへ向ける。
そして小さく息を吐いた。
(下級兵じゃ駄目ね)
知っていても断片的。
欲しい情報を持っていない。
アリシアはそっと目を閉じた。
魔力が広がる。
誰にも気付かれないほど微弱に。
そして、一人の男を見つけた。
門の近く。
兵士たちへ指示を出している中年の男。
おそらく警備隊長。
アリシアは静かに意識を潜り込ませた。
――心読魔法。
男の思考が断片的に流れ込んでくる。
(口外禁止だ)
(支部長ライザックは死亡)
(上層部から増援が来るまで、現場維持)
(リリムという少女……)
アリシアの瞳がわずかに揺れた。
(やっぱり……)
さらに情報を探る。
だが警備隊長自身も、詳細は知らないらしい。
わかるのは、ライザックが死亡したこと。
この事件が極秘扱いになっていること。
そして、リリムが関与していることだけだった。
アリシアは魔法を解除した。
「どうだった?」
マリーが尋ねる。
アリシアは少し考え込む。
そして――
ふっと笑った。
「中に入る方法を思いついたわ」
「え?」
リアナが目を瞬かせる。
マリーも怪訝そうな顔になる。
「どうするんだ?」
「簡単よ」
アリシアは肩をすくめた。
「向こうから招き入れてもらうの」
二人が顔を見合わせる。
嫌な予感しかしない。
「……嫌な予感がする」
マリーが呟いた。
「私もです……」
リアナも頷く。
しかしアリシアは平然としていた。
「大丈夫」
「二人は私に合わせて」
そう言うと、堂々と門へ向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと!」
「待てって!」
慌てて二人も後を追う。
門番たちが、近付いてくる三人に気付いた。
警戒の色が浮かぶ。
アリシアは自然な笑みを浮かべながら足を止めた。
「失礼します」
「ライザック支部長との約束で参りました」
門番の眉が動く。
「約束?」
「はい」
アリシアは淀みなく続けた。
「アマリアと申します。こちらで雇用のお話を頂いておりまして」
門番たちは顔を見合わせた。
明らかに知らない話だった。
「そんな話は聞いていない」
「紹介状はあるか?」
予想通りの反応。
アリシアは困ったように微笑む。
「支部長から直接、お声がけいただいたものですから、まだ受け取っておりません」
門番の表情がさらに険しくなった。
「支部長は現在不在だ」
「今日は帰ってくれ」
アリシアは首を傾げる。
「不在?」
「おかしいですね」
「約束の日程は、今日だったはずですが」
門番が言葉に詰まる。
アリシアはその反応を見逃さない。
「何かあったのですか?」
「いや、何もない」
返答が不自然に早い。
さらに隣の門番が、慌てて口を挟んだ。
「余計なことを話すな」
アリシアの口元がわずかに緩む。
(当たりね)
「支部長と連絡を取っていただけますか。私たちの、生活がかかっていますので」
「だから帰れと言っているだろう!」
ついに門番が声を荒げた。
焦っている。
隠し事をしている人間特有の反応だった。
その時だった。
重い軍靴の音が響く。
コツ。
コツ。
コツ。
周囲の兵士たちの背筋が一斉に伸びた。
空気が変わる。
門番たちも直立する。
現れたのは、鋭い目つきの中年男だった。
胸元には銀色の徽章。
警備隊長だ。
「どうした」
低い声が響く。
門番が慌てて説明する。
「支部長との約束があると、言い張っておりまして――」
警備隊長は片手を上げて制した。
そしてアリシアを見る。
鋭い視線。
値踏みするような目。
だがアリシアは微笑みを崩さない。
「あなた方が?」
「はい」
「支部長との約束です」
警備隊長は無言で見つめていた。
数秒。
沈黙。
やがて口を開く。
「少々お待ちください」
そう言い残し、建物の中へ入っていった。
リアナが小声で囁く。
「だ、大丈夫なんでしょうか……」
「さあな」
マリーも苦笑する。
「でも、ここまで来たら、信じるしかない」
数分後。
警備隊長が戻ってきた。
今度は先ほどより表情が柔らかい。
「お待たせしました。支部長代理が、お会いになるそうです」
リアナの目が大きく開く。
マリーも思わず息を呑んだ。
本当に通った。
警備隊長が門の奥を示す。
「こちらへ」
アリシアは微笑んだ。
「ありがとうございます」
そして歩き出す。
その背中を見ながら、リアナが小声で呟く。
「本当に成功しました……」
マリーも感心したように笑う。
「相変わらず、とんでもないな」
アリシアは振り返らない。
ただ静かに言った。
「まだよ」
その瞳が鋭く細められる。
「本番は、ここから」
三人は厳重警備の南支部へ、足を踏み入れた。
リリムの痕跡を追うために。
警備隊長の案内を受け、アリシア、リアナ、マリーの三人は南支部の門をくぐった。
重い鉄門が背後で閉じる。
ガシャン――
鈍い音が響き、外界との隔絶を感じさせた。
アリシアは自然な動作を装いながら、周囲を観察する。
建物の内部もまた、外観と同じく無惨な有様だった。
廊下の石壁はひび割れ、天井には崩落を防ぐための補強材が渡されている。
壁には、鋭い爪で引き裂かれたような深い傷跡。
床には、何かが爆発したような焦げ跡。
修復作業は進められているものの、被害の大きさを隠しきれていなかった。
焦げた木材の臭いが今なお、漂っている。
それは戦闘がつい最近まで、行われていたことを物語っていた。
「……」
アリシアは、足を止めることなく壁へ視線を向けた。
黒く焼けた石材。
その一角に、微かな魔力の残滓を感じる。
彼女はさりげなく指先で壁に触れた。
ひやりとした感触。
そして――
闇。
禍々しく濁った魔力の残響。
アリシアの胸がざわつく。
(これは……)
普通の闇魔法ではない。
もっと深い。
もっと異質な何か。
指先から伝わる感覚に、アリシアはわずかに眉をひそめた。
(リリム……)
妹の姿が脳裏をよぎる。
学院で笑っていた頃のリリム。
傷つきながらも、必死に前を向いていたリリム。
そして最後に感じた、あの異常な魔力。
胸の奥が締め付けられる。
(あなたなの……?)
だが答えはない。
残っているのは、痕跡だけだった。
「何があったのかしら……」
思わず漏れた呟き。
前を歩く警備隊長の肩が、ほんのわずかに揺れた。
だが男は振り返らない。
「こちらです」
それだけを告げる。
歩調が僅かに速くなった。
まるでその話題に、触れてほしくないかのように。
アリシアはその反応を見逃さなかった。
(何か、知っている)
しかし今は追及しない。
焦れば警戒されるだけだ。
隣ではリアナも、周囲を見回していた。
「妙ですね……」
小声で呟く。
「何がだ?」
マリーが尋ねる。
「これだけの被害なのに、血痕がほとんどありません」
リアナの視線が床をなぞる。
「戦闘があったなら、もっと残っていてもいいはずです」
マリーも周囲を見回した。
そして壁の亀裂に目を留める。
「それだけじゃない」
彼女は低く言った。
「この壊れ方はおかしい」
「おかしい?」
「普通の戦闘じゃない」
マリーは崩れた柱を見上げる。
「剣で斬った傷と、何かが爆発した跡が混ざってる」
「まるで複数の怪物が、暴れ回ったみたいだ」
その言葉にリアナの顔が曇った。
アリシアもまた同じことを考えていた。
(リリム一人の仕業ではない……?)
ますます謎は深まる。
やがて一行は廊下の最奥へと辿り着いた。
そこには重厚な木製の扉があった。
かつては豪華だったのだろう。
だが今は表面が黒く焦げ、装飾の一部も砕け散っている。
支部長室。
おそらくこの建物の中心だった場所。
警備隊長が立ち止まった。
コンコン――
扉を叩く。
返事はない。
数秒の沈黙。
しかし男は迷いなく扉に手をかけた。
その様子にアリシアは小さな違和感を覚える。
(返事を待たない……?)
警備隊長は扉を開き、一歩下がった。
「お入りください」
低い声が響く。
「支部長代理がお待ちです」
その言葉を聞いた瞬間。
リアナが緊張したように息を呑む。
マリーも無意識に表情を引き締めた。
ここから先が本番だ。
アリシアは扉の向こうへ視線を向ける。
リリムの痕跡。
支部崩壊の真相。
そして暁の剣が隠している秘密。
そのすべてに繋がる人物が、今この部屋にいる。
アリシアは静かに拳を握った。
(必ず掴む)
妹へ繋がる手掛かりを。
その決意を胸に、彼女は支部長室へ足を踏み入れた。
つづく…
(次回、災厄の名はリリム)
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