第33話 獅閃爆光破
男の剣先が、静かにアイリへ向けられる。
その姿に、マイアの背筋を冷たいものが走った。
先ほどまでの軽薄さが嘘のようだった。
目が違う。
空気が違う。
まるで獣が遊びを終え、本気で獲物を狩る瞬間のような圧。
アイリはそれを感じ取っていた。
剣を構える。
だが、腹部の傷が鈍くうずく。
毒は解毒したとはいえ、体の芯に重さが残っていた。
呼吸も浅い。
そして何より――。
「朱雀の小娘」
その呼び方。
父を知るような口ぶり。
心が乱れている。
男は足を止める。
数歩の距離。
それだけなのに、妙に遠い。
「貴様……流派は何だ?」
アイリが低く問う。
剣先はぶれない。
だが男の瞳は、そのわずかな揺らぎを見逃さなかった。
男は笑う。
冷たい笑み。
「言うわけ、なかろう」
そして。
ほんの少しだけ首を傾けた。
「――朱雀の小娘」
「……!」
アイリの瞳が揺れる。
朱雀。
父だけが継ぐはずの名。
パトリフの剣。
それをなぜ、この男が知っている。
「貴様……父さんを知っているのか?」
男の目が細くなる。
面白そうに。
「やはり、パトリフの娘か」
確信したような声音だった。
アイリの胸がざわつく。
父の知人?
敵?
いや――。
ただの知人ではない。
その口ぶりには、妙な棘がある。
「俺の知る朱雀には、程遠い」
男は肩をすくめた。
「パトリフは、もっと速かった。もっと重かった。もっと恐ろしかったぞ」
侮蔑。
そして、どこか懐かしむような響き。
アイリの喉がわずかに動く。
父を知っている。
それも、かなり深く。
だが。
「私はまだ、朱雀じゃない」
悔しさを押し殺しながら答える。
男は鼻で笑った。
「だろうな」
剣を軽く回す。
風切り音。
無駄がない。
「その程度で朱雀を名乗れたら、笑える」
マイアの眉が吊り上がる。
「言わせておけば……!」
「マイア」
アイリが止めた。
今、挑発に乗るべきではない。
相手の実力が見えない。
いや――。
見えなさすぎる。
クラッシャーとは違う。
この男には、底がなかった。
男は静かに剣を構える。
低い構え。
隙がない。
だが、奇妙だった。
殺気が見えない。
まるで呼吸をするように自然。
そこが逆に恐ろしい。
(……強い)
アイリの本能が、警鐘を鳴らしていた。
今まで戦った誰とも違う。
「だが」
男が静かに言う。
「お前が成長したら厄介だ」
一歩。
踏み出す。
空気が変わる。
「――ここで、潰しておく」
消えた。
そう見えた。
違う。
速すぎて捉えられなかった。
ギィンッ!!
咄嗟に剣を合わせる。
衝撃。
腕が痺れる。
(速い……!)
しかも重い。
細身の体からは想像できない威力。
男の剣先が、すでに二撃目へ移っていた。
ヒュン――!
横薙ぎ。
アイリは後方へ跳ぶ。
髪が数本、宙を舞う。
「遅い」
声と同時に、男の蹴りが腹へ突き上がった。
「っ……!」
傷口に直撃。
毒の残る腹が、焼けるように痛む。
息が止まった。
(まずい……!)
体勢が崩れる。
そこへ。
剣が落ちてくる。
縦一閃。
ガキィィン!!
なんとか受け止める。
だが、足が床を滑った。
床石が砕ける。
重い。
クラッシャー以上だ。
技術だけではない。
純粋な強さが違う。
「そんなものか」
男の声は静かだった。
怒りも熱もない。
ただ事実を述べているだけ。
それが、余計に屈辱だった。
アイリは息を荒げながら、距離を取る。
だが男は逃がさない。
半歩。
それだけで距離を詰める。
剣筋に迷いがない。
まるで長年、命総天昇剣を相手に、戦ってきたような動き。
(この男……命総天昇剣を、知っているどころじゃない)
ギィン!!
また衝撃。
腕が痺れる。
防御が遅れる。
ヒュッ――
頬が切れた。
熱い。
血が流れる。
「まだ甘い」
次の瞬間。
蹴り。
脇腹。
ドッ!!
「がっ……!」
息が抜ける。
体が吹き飛ぶ。
床を転がる。
視界が揺れる。
マイアの顔が見えた。
何か叫んでいる。
聞こえない。
呼吸が苦しい。
腹部の毒傷がうずく。
体が重い。
父の話で乱れた心。
全部見抜かれている。
(強い……)
悔しいほどに。
認めたくないほどに。
男は歩いてくる。
一定の歩幅。
まるで、勝負が終わった後のような余裕。
「どうした?」
静かな声。
「パトリフの娘、その程度か?」
その言葉に。
アイリの胸が熱くなる。
怒り。
悔しさ。
否定したい気持ち。
だが、現実は残酷だった。
剣先が見えない。
反応が追いつかない。
勝てる未来が見えない。
男は剣を肩に乗せた。
「終わらせるか」
次の瞬間。
視界から消える。
――違う。
捉えられない。
背後。
「っ!!」
冷たい感触。
喉元。
刃。
動けば死ぬ。
その確信だけが、肌を通して伝わる。
一滴、汗が落ちた。
終わった。
そう思った。
男が耳元で囁く。
「終わりだ」
「――アイリ、離れて!!」
マイアの叫びが、雷鳴のように部屋へ響いた。
男が反射的に視線を向ける。
その一瞬だった。
アイリは地面を蹴り、男の間合いから転がるように離脱する。
男が振り返る。
そこには――。
黄金の光に包まれた、マイアが立っていた。
「……!」
男の表情が初めて変わる。
空気が震えていた。
槍を握るマイアの全身から、眩い光が溢れている。
髪が揺れる。
金色の粒子が周囲を舞う。
まるで太陽の欠片を、纏ったかのようだった。
アイリが目を見開く。
「何をする気だ?」
マイアは答えない。
ただ槍を構える。
震える腕。
荒い呼吸。
限界まで絞り出した力が、槍先へ集中していく。
そして――。
「獅閃爆光破っ!!」
槍が唸る。
次の瞬間。
黄金の奔流が、解き放たれた。
轟音。
光そのものが奔流となり、一直線に男へ襲いかかる。
部屋全体が白く染まった。
「ちっ!」
瞬時に剣を構える。
漆黒の闘気が刀身を覆った。
「黒龍斬!!」
剣が振り抜かれる。
黒い斬撃が、黄金の奔流を切り裂く。
轟ッ!!
衝撃波が爆発する。
床が砕ける。
壁が揺れる。
光が激しく拡散する。
男の目が見開かれる。
「なに……!?」
「馬鹿な……!」
さらに光が膨れ上がる。
男は歯を食いしばった。
「これほどの技を……!」
黄金の奔流が、闇を飲み込む。
そして――。
男の身体を直撃した。
「ぐあああああああっ!!」
絶叫。
男の身体が吹き飛ぶ。
背後の壁へ激突。
轟音と共に石壁が崩壊した。
煙が上がる。
視界が白く霞む。
静寂。
マイアが膝をついた。
「はぁ……はぁ……」
全身から力が抜けていく。
もう槍を持つことさえ難しい。
アイリも壁に手をつきながら、息を整える。
「やったのか……?」
煙の向こう。
崩れた瓦礫が動いた。
「……くっ」
低い声。
男だった。
全身が傷ついている。
外套は焼け落ち、血が滴っている。
だが。
まだ立っていた。
「化け物か……」
アイリが思わず呟く。
男は苦笑した。
「それは、こちらのセリフだ」
息を吐く。
血が床に落ちる。
それでも男の眼光は、鋭いままだった。
「朱雀の娘……」
男の視線がアイリへ向く。
「そして槍使い」
今度はマイアを見る。
「覚えておこう」
その声には。怒りも憎しみもない。
ただ危険な静けさだけがあった。
男は崩れた壁の穴へ歩き出す。
アイリは剣を握ろうとする。
だが身体が動かない。
毒と疲労が限界だった。
マイアも同じだった。
指一本動かせない。
男は立ち止まることなく言った。
「次に会う時は」
夜風が吹き込む。
黒い外套が揺れる。
「殺す」
そして。
男は闇の中へ姿を消した。
静寂。
戦いは終わった。
緊張の糸が切れる。
アイリはその場へ倒れ込んだ。
「終わったな……」
マイアも仰向けに倒れる。
「逃がしちゃったけどね……」
二人はしばらく荒い呼吸を繰り返した。
やがてアイリが隣を見る。
「なあ」
「なに?」
「そんな技があるなら、最初から使え」
マイアが小さく笑う。
「無茶言わないで」
「ん?」
「成功したの、今のが初めてだから」
アイリが絶句した。
「……は?」
「だから、初成功」
「お前な……」
呆れた声が漏れる。
マイアは疲れたように笑った。
「でも、勝てたでしょ?」
アイリは天井を見上げる。
崩れた穴の向こう。
星空が見えていた。
「いや」
そして少しだけ笑う。
「助かった」
マイアも微笑んだ。
長い夜が、ようやく終わろうとしていた。
つづく…
(次回、勝利の先に見えた壁)
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