第32話 朱雀を知る男
細身の中年。
黒い外套をまとい、片手をポケットへ入れたまま、静かにこちらを見ている。
その姿に派手さはない。
だが。
空気が重い。
立っているだけなのに、部屋の温度が下がったような錯覚を覚える。
男の目が、ゆっくりと二人を見る。
値踏みするように。
観察するように。
そして。
床に転がるゴードンへ視線を落とした。
「……よくやったものだ」
低い声だった。
怒鳴りもしない。
だが、その静けさが逆に不気味だった。
「デススネークを壊滅」
一歩。
男が歩く。
靴音がやけに響く。
「クラッシャー・ゴードンまで討つとは」
そして。
その視線が、まっすぐアイリを捉える。
「しかも――命総天昇剣の使い手か」
空気が止まった。
マイアが息を呑む。
アイリの瞳が細くなる。
「……なぜ知っている」
男は薄く笑った。
「簡単な話だ」
ゆっくりと。
腰の剣に手をかける。
金属が擦れる音。
静かに抜き放たれた刀身が、ランプの火を鈍く反射した。
「俺も同じだからだ」
――命総天昇剣。
それは極めて稀な剣技。
常人では到達できない領域。
才能と膨大な実戦、その両方を持つ者だけが辿り着く異質の剣技。
アイリの呼吸が、わずかに止まる。
(……強い)
直感だった。
目の前の男。
クラッシャーより危険だ。
マイアが一歩前へ出る。
槍を構え、アイリを庇う位置に立った。
「あなた……何者?」
男は肩をすくめた。
「名乗るほどでもない」
視線がゴードンの死体へ向く。
「協力者を失ったのは痛いが……まぁいい」
その言い方に温度がない。
仲間を失った反応ではない。
ただの駒だった。
マイアの眉が寄る。
「黒幕……?」
男は鼻で笑った。
「そんな大層なものじゃない」
そして。
視線がマイアへ移る。
じっと。
長く。
観察する。
その目が嫌だった。
服を見ているわけではない。
身体でもない。
もっと深い場所。
心の奥を覗き込まれているような感覚。
「……槍使いか」
男が言う。
「悪くない」
一歩。
また近づく。
「だが甘い」
マイアの指先に力が入った。
「何が言いたいの?」
「怒りが顔に出る」
男の声は静かだった。
だからこそ刺さる。
「仲間を守ろうとして、前に出たな?」
マイアの肩がわずかに動く。
見抜かれている。
「図星か」
男が笑った。
「わかりやすい」
アイリが低く言う。
「マイア、乗るな」
男の視線が今度はアイリへ向いた。
「動けるのか?」
傷。
毒。
消耗。
一目で見抜かれている。
アイリは剣を握り直す。
「問題ない」
「嘘だな」
即答。
男の目が冷たい。
「今のお前は、半分死んでいる」
沈黙。
見透かされていた。
「だから、槍使いが前に出た」
男は再びマイアを見る。
「仲間が死ぬのが、怖いんだろう?」
心臓が止まる。
マイアの表情がわずかに揺れた。
図星だった。
アイリが死ぬ。
その想像だけで嫌な汗が出る。
男は小さく笑う。
「やっぱりな」
マイアの眉が吊り上がる。
「……黙りなさい」
槍を構える。
空気が張る。
男は剣を下げたまま、動かない。
「来い」
余裕だった。
圧倒的に。
その態度が、マイアの神経を逆撫でする。
「後悔するわよ!」
地面を蹴る。
マイアが飛び出した。
槍が一直線に男の喉を狙う。
鋭い突き。
速い。
だが。
男は、半歩ずれただけだった。
空振る。
「っ――!」
二撃目。
三撃目。
連続の突き。
だが。
当たらない。
紙一重。
最小限。
男はまるで風の隙間を歩くように避ける。
「遅い」
低い声。
その瞬間。
耳元で聞こえた。
「――!」
マイアが反射的に飛び退く。
いつの間にか。
男が隣にいた。
冷や汗が背を流れる。
(速い……!)
男が笑う。
「槍が綺麗すぎる」
「……何?」
「教わった槍だ」
剣先がわずかに動く。
「殺し合いの槍じゃない」
マイアの顔が強張る。
核心だった。
マイアはこの槍で、人を殺したことはない。
整っている。
美しい。
だが。
命の奪い合いには、甘さが残る。
男の声が静かに続く。
「お前は強い」
一歩。
近づく。
「だが、“誰かを守る戦い”しかしてこなかった」
その言葉が、胸に刺さった。
「だから迷う」
マイアの呼吸が乱れる。
「……黙れ!」
槍を横薙ぎに払う。
しかし。
また当たらない。
男は軽く避けながら言った。
「図星だな」
そして。
次の瞬間。
男の剣先が、マイアの喉元数センチで止まっていた。
いつ抜いたのかすら見えなかった。
「――っ」
身体が硬直する。
「今ので死んでいる」
男が静かに言った。
そして。
冷たい笑みを浮かべる。
「未熟者だ」
マイアの呼吸が乱れていた。
肩が上下する。
槍を握る手に汗が滲む。
対する男は、まるで疲れていない。
黒い外套を揺らしながら、剣先をわずかに傾ける。
「終わりか?」
低い声。
余裕。
いや――完全に見下していた。
マイアは歯を噛む。
(速い……)
ただ速いだけじゃない。
間合い。
視線。
呼吸。
全部読まれている。
槍の間合いにいるはずなのに、いつの間にか懐へ潜られる。
大技は見切られる。
冷静さを欠けば、すぐに隙を突かれる。
「どうした?」
男が薄く笑う。
「さっきの勢いは」
一歩。
「もう終わりか?」
また一歩。
圧力。
剣を振っていないのに、息が詰まる。
マイアは槍を握り直した。
「……終わるわけ、ない!」
震える声。
だが、目だけは死んでいなかった。
男はわずかに眉を上げる。
「ほう」
その瞬間――
マイアが動いた。
床を蹴る。
一直線。
突き。
ヒュンッ!!
鋭い一撃。
だが。
男は半歩だけ身体をずらした。
槍先が空を裂く。
「遅い」
次の瞬間。
剣が閃いた。
ギィン!!
金属音。
マイアが咄嗟に槍の柄で受ける。
重い。
身体が後ろへ弾かれる。
床を滑る。
「っ……!」
止まらない。
その隙を、男は逃がさない。
もう目の前にいた。
(速――)
剣閃。
マイアは反射で身を捻る。
――裂ける音。
肩口が浅く裂けた。
赤い線。
遅れて痛みが走る。
「くっ……!」
「惜しいな」
男が笑う。
「今ので、首を落とすつもりだった」
マイアの背に冷たい汗が流れた。
強い。
クラッシャーよりずっと。
力じゃない。
技術。
経験。
そして。
精神を崩しに来る。
「アイリ!」
マイアが叫ぶ。
「まだ動かないで!」
部屋の端。
毒の影響が抜けきらないアイリが、壁にもたれていた。
浅い呼吸。
だが、その目は冷静だった。
「マイア」
低い声。
「怒るな」
男が笑う。
「また説教か?」
アイリは無視した。
「相手を見る」
短く言う。
「呼吸を見ろ」
マイアの目が揺れる。
男の足。
肩。
剣。
呼吸。
一定。
無駄がない。
男がまた踏み込む。
速い。
だが。
今度は見えた。
剣が来る。
右。
マイアは半歩だけずらした。
風が頬を掠める。
「……ほう?」
男の眉がわずかに動く。
マイアは止まらない。
槍を返す。
突き。
連撃。
男が受け流す。
だが。
さっきほど余裕がない。
「見え始めた?」
男が笑う。
「なら、これはどうだ」
消える。
いや――
速い。
死角。
背後。
マイアが咄嗟に振り返る。
遅い。
剣が迫る。
その時。
――ギィン!!
火花。
男の剣が止まった。
「……なに?」
男が目を細める。
そこには。
アイリの剣。
いつの間にか立っていた。
少し息は荒い。
だが。
目は冷えていた。
「二対一だ」
静かな声。
「忘れたか?」
男が笑う。
「やっと来たか、朱雀の小娘」
「なに!?」
アイリが剣を構える。
隣でマイアも槍を握り直した。
さっきまでの焦りはない。
呼吸を整える。
視線を合わせる。
そして。
アイリが小さく言った。
「今度は、冷静に行くぞ」
マイアが頷く。
「ええ」
男の笑みが深くなる。
「いい顔になった」
剣を上げる。
殺気が膨れ上がる。
「なら――第二ラウンドだ」
薄暗い部屋の空気が、再び張り詰めた。
つづく…
(次回、獅閃爆光破)
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