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紫の邪術師と深紅の賢者 ~落ちこぼれ妹は闇落ちし、姉に追われながら死人を従える~  作者: Nagiousen


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第25話 異様な少女の名はアイリ

静寂。




風が吹く。


女はようやく少女に向き直った。




「あなた、強いわね」




「……お前もな」




少女は剣を収めない。


警戒は解かない。




女はそれを見て、少し笑った。




「安心して。敵じゃないわ」




「信用できる理由がない」




即答だった。


女は困ったように肩を竦める。




「正しい反応ね」




少し間を置いてから、続けた。




「気になっていたの」




「……何?」




「あなた」




女の視線が真っ直ぐ向けられる。




「最初から異様だったから」




少女の眉が動く。




「酒場で、いきなり“命総天昇剣”なんて言葉を出して」




女は少し笑う。




「しかも、あのデススネーク相手に全然怖がってなかった」




その目が、ほんの一瞬だけ鋭くなった。




「……あの三人、最近この辺りで、色々やってるのよ」




だが次の瞬間には、また柔らかな笑みに戻る。




「だから少し、気になって見てた」




少女は黙る。


少なくとも、嘘ではなさそうだった。


少女はしばらく女の瞳をじっと見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。




シャイン、と澄んだ音を立てて、白刃が鞘へと収まった。




女は構えていた槍の穂先を、ゆっくりと地面へと向け、ふいに言った。




「命総天昇剣の使い手を、探しているのよね?」




少女の目が鋭くなる。




「知っているのか?」




一瞬。


女の表情が止まった。


ほんの僅か。


何かを考えるような間。




「……ごめんなさい。知らないわ」




「そうか」




少女は踵を返した。


もう用はない。


そう思った。




「待って」




背後から声。




「お腹、空いてない?」




「……空いてる」




即答だった。




女は吹き出しそうになる。




「ご飯、食べに行きましょ」




「金がない」




「私がおごるわ」




少女の目が少し開く。




「……本当か?」




「本当よ」




「良い奴だな」




あまりに真っ直ぐな返答に、女は少し笑った。




「あなた、本当にお金ないの?」




「ない」




「どこから来たの?」




「聞いてどうする」




「気になるから」




女が続ける。




「あなた、ちょっと普通じゃないもの」




少女は数秒考えた。




「その代わり、あなたのことを聞かせて」




「わかった…腹が満たされたら話す」




「交渉成立ね」




女は満足そうに笑った。




「私はマイア。あなたは?」




少女は少しだけ迷う。


だが。




「……アイリ」




「アイリさんね」




マイアは微笑んだ。




「よろしく」




二人は並んで酒場へ戻った。


夕暮れの街は静かだった。


遠くで子どもの笑い声が聞こえる。




けれど、酒場の空気だけは違った。




扉を開いた瞬間。


店主の顔が凍る。




「お、お客様……!」




視線が二人に向く。


いや。


正確には、無傷で戻ってきたアイリに。




客たちもざわついていた。




「あの子……」




「生きている……?」




「嘘だろ……」




マイアは気にせず歩く。


そして。


迷いなく、デススネークがいた奥の席へ座った。




「その席……!」




店主が慌てる。


マイアが首を傾げる。




「座っちゃ駄目?」




「い、いえ……そういう訳じゃ……」




店主は恐る恐る聞いた。




「その……助けに行かれたんですよね?」




マイアはさらりと言った。




「ええ」




店主が安堵した顔をする。


だが。


続く言葉で固まった。




「助けたのは、デススネークの方だけど」




「……え?」




店主の瞬きが止まる。




「私が止めなければ、あの人たち死んでたわ」




静まり返る店内。


店主の顔が青くなる。


視線が、ゆっくりアイリへ向く。




アイリは気にせず椅子に座っていた。




「……冗談、ですよね?」




「冗談に見える?」




店主は口を閉ざした。




マイアが柔らかく笑う。




「大丈夫。この子、理由なく暴れたりしないわ」




アイリが小声で言う。




「腹が減ってる時は、知らない」




「怖いこと言わないで」




マイアが笑う。


少しだけ。


店内の空気が緩んだ。




「何か温かいもの、二人分お願い」




「あ、はい!すぐに!」




店主は慌てて厨房へ走る。




料理が運ばれてきた時。


アイリの目が、僅かに見開かれた。




湯気。


肉の匂い。


焼き野菜。


温かなスープ。


黒パン。




腹が鳴る。




「……すごいな」




小さく漏れる。




マイアは微笑んだ。




「冷める前に食べましょ」




アイリは慎重にパンを千切る。


スープへ浸す。


口に運ぶ。


――温かい。


柔らかい。


身体に染みる。


思わず止まった。




(……うまい)




次にチキン。


肉汁。


香辛料。


初めての味。


知らない味。




剣しかなかった生活に、こんなものはなかった。


気づけば。


夢中で食べていた。




スープを飲み干す。


肉を残らず食べつくし、骨までしゃぶる。


最後のパンも消えた。




「ふぅ……」




ようやく息を吐く。


満足そうだった。




マイアは少し笑う。




「そんなにお腹空いてたの?」




「昨日から、まともに食べてない」




「それは死ぬわ」




「死なない」




真顔だった。


マイアが苦笑する。


そして、少しだけ真剣な顔になった。




「じゃあ、聞かせてもらおうかな」




ナプキンで口元を拭く。




「あなた、かなり強いわよね」




アイリは視線だけ向ける。




「その剣技、誰に教わったの?」




少しの沈黙。




「……父だ」




短い答えだった。




「お父さん?」




「物心ついた時には、剣を握っていた」




淡々とした声。




「剣の稽古以外で、父と遊んだことはない」




その言葉だけで、十分だった。




マイアは少しだけ目を伏せる。




「……厳しかったのね」




アイリは答えなかった。


空気が少し重くなる。


マイアは、慎重に話題を変えた。




「じゃあ、どうして命総天昇剣の使い手を探してるの?」




アイリの瞳が静かに冷える。




「我が流派は朱雀」




それだけ言って、少し間を置いた。




「朱雀は、もう一人いる」




「もう一人?」




「勝った方が、朱雀を継ぐ」




あまりにも簡潔だった。


だが、その言葉に迷いはない。


マイアは少し息を呑む。




(……この子、本気だ)




ただ探しているのではない。


殺すために探している。




アイリが椅子を引く。




「もういいか。ご馳走さま」




立ち去ろうとする。


マイアは慌てて声を上げた。




「待って!」




アイリが止まる。


振り返らない。


マイアは少し考えてから、切り札を出した。




「……プリン、食べない?」




沈黙。




ゆっくりと、アイリが振り返る。




「ぷりん?」




首を傾げる。




「甘くて美味しいものよ」




「それも、ご馳走してくれるのか?」




少しだけ目が輝いた。


マイアは思わず笑う。




「いいわ。その代わり、今度は私の話を聞いて」




アイリは考え込む。


数秒。


そして、小さく頷いた。




「……わかった」




席に戻る。


マイアは安堵の息をついた。




「マスター、プリンを二つお願いします」




「は、はい!」




店主はどこか緊張した様子で厨房へ消えた。




その間。


マイアは肘をつきながら言う。




「私も、人を探してるの」




アイリが顔を上げる。




「でもね、情報が足りない」




「酒場を回ればいい」




即答だった。


マイアは苦笑する。




「それだけじゃ足りないわ」




指を折る。




「宿屋、市場、鍛冶屋。人が集まる場所には情報が落ちてる」




少し間を置く。




「ギルドや教会は特に強い」




アイリが眉をひそめた。




「そんなにか」




「ええ。そして——お金もいる」




アイリは黙る。


確かに、金は足りていなかった。


今日だって、空腹だった。




「だから考えたの」




マイアの声が少し低くなる。




「知名度とお金を、一気に手に入れる方法」




アイリが視線を向けた。




「そんな方法があるのか?」




その時。


店主がプリンを運んできた。


皿の上には、黄色く艶のある菓子。


表面には琥珀色の蜜がかかっている。




「お待たせしました……」




店主が皿を置く。




その瞬間。


マイアが口元を少し上げた。




「デススネークを潰すの」




店主の手が止まった。


空気が凍る。


近くの客たちが、ぴたりと会話を止めた。




「お、お客様……」




店主の声が引きつる。




「そのような話は……なるべく小声で……」




マイアは困ったように笑った。




「ごめんなさい」




だが、アイリは全く聞いていなかった。


目の前のプリンに釘付けだった。




スプーンで掬う。


口に運ぶ。




沈黙。




次の瞬間。


目が大きく見開かれた。




「……甘い」




もう一口。


さらに一口。


止まらない。


気づけば半分消えていた。




「フェンリッドには、こんな美味いものが……あったのか!」




マイアが小さく笑う。




「どこにでもあるわ、気に入った?」




アイリは無言で頷いた。




そして。


プリンを食べ終える頃には、目の色が少し変わっていた。




マイアを見る。


考える。




この女は情報を持っている。


世間を知っている。


一人で探すより、早い。




やがて。


アイリがスプーンを置いた。




「……ちょうどいい」




静かな声。


だが、そこには先ほど路地で見せた鋭さが戻っていた。




「デススネーク」




その目に冷たい熱が宿る。




「あいつら、気に入らない」




短い沈黙。


そして。




「潰そう」




店内の空気が、再び凍った。




マイアは慌てて立ち上がる。




「行きましょう、アイリさん!」




「ん?」




「今すぐ!」




代金を払い、二人は酒場を出た。




冷たい夜風が吹き抜ける。


月明かりの下。


槍使いと剣士は並んで歩き出した。


まだお互いのことを、ほとんど知らないまま。




けれど——。




奇妙な共闘が、静かに始まろうとしていた。




(次回、試練の門、黒獅子の渓谷へ)




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