第19話 そして、太陽は剣を抜いた
アリシアは光焔の杖を掴む。
足元に、複雑な魔法陣が広がった。
光の粒子が舞い上がる。 空気が微かに震える。
「どうか……間に合って……!」
アリシアの声が漏れる。
魔法陣が輝き、一本の光が遠くを指し示した。
「場所がわかった……!」
だが、その直後。 アリシアは片膝をつく。
強力な追跡魔法。 負担は大きかった。
「アリシア様……!」
「大丈夫です……行きましょう」
息を整える暇もなく、アリシアはリアナの手を取った。
「《飛行》!」
二人の身体が宙へ浮く。 冷たい風を切り裂きながら、朝空を駆けた。
その背を見たマリーは、ただならぬ気配を察する。
「……何かあったな」
すぐに椅子を蹴って立ち上がった。 愛馬のもとへ走る。
「待ってろよ……!」
馬を駆り、全速力で追いかける。
――滝の上空。
轟音が響いていた。 激しい水音が、空気を震わせる。
リアナが、ふいに息を呑んだ。
「……あれ」
崖際。
見覚えのある布切れ。
さらに先。
泥の上に残る足跡。
風に揺れる、小さな靴。
リアナの顔から血の気が引いた。
「まさか……」
アリシアも言葉を失う。
そして。
少し離れた岸辺に、人影が見えた。
「ミリア!」
リアナが駆け出す。
アリシアも後を追った。
そこにいたのは、ミリアだった。
水に濡れた髪。 青白い顔。
アリシアは震える指先で手に触れる。
……冷たい。
リアナが手を握る。
「お願い……」
震える声。
だが。
返ってくる反応はない。
リアナの肩が揺れた。
「そんな……」
アリシアも膝をつく。
「ミリア……」
静かな声。
震えていた。
その時。 リ
アナが顔を上げる。
涙で滲んだ目に、わずかな希望が残っていた。
「アリシア様……!」
声が震える。
「手を……握ってください」
「リアナ?」
「祈ります……! だから……!」
アリシアはすぐにミリアの手を握った。
「お願い……戻ってきて」
声が掠れる。
「まだ終わってない……!」
リアナは祈りの言葉を紡ぎ始めた。
淡い光が広がる。
風の中で、小さな祈りが響く。
けれど。
静寂は、変わらなかった。
光が消えていく。
リアナの指先が止まった。
「……どうして……」
震える声。
「お願いだから……」
唇を噛む。
そして、絞り出すように呟いた。
「……もう、戻りたくないくらい……苦しかったの……?」
その言葉に、アリシアの肩が震える。
「ミリア……!」
思わず声が漏れた。
遠くから、蹄の音が響く。
マリーだった。
馬を降りた彼女は、空気だけで状況を察した。
言葉を失う。
そして、拳を強く握りしめた。
「……なんでだよ」
低い声。
「なんで、こんな目に遭わなきゃならねぇんだ……!」
悔しさをぶつけるように、近くの岩を強く叩く。
リアナはミリアを抱きしめたまま、涙を流していた。
「ごめんね……守れなくて……」
その声はただ、大切な妹を想う姉のものだった。
アリシアは俯き、唇を噛み締める。
助けたかった。
救いたかった。
なのに、届かなかった。
滝の音だけが、容赦なく響き続ける。
朝日は昇っているのに。
誰の心も、少しも温まらなかった。
冷たい石畳に、靴音が響く。
リリムは暗い回廊を進んでいた。
背後には、死人となった従者たち――グロウス、ライル、ヴェイル。
死の静寂を纏ったまま、音もなく彼女に続いている。
薄暗い空間には、湿った冷気が満ちていた。
けれど、リリムの胸だけは熱かった。
脳裏に浮かぶのは、死人たちの記憶。
断片的な光景。
鎖。
白い檻。
苦痛に歪む女の姿。
そして、何度も繰り返された言葉。
――《浄化の檻》
ヴァレリアが囚われている場所。
禁忌。
逃げ場のない牢獄。
リリムは唇を強く噛んだ。
「ヴァレリアさん……」
赤い瞳に、揺らがない光が宿る。
「必ず、助け出します」
たとえ、自分が壊れても。
その決意だけを胸に、彼女は進んだ。
やがて。
回廊の先に、巨大な扉が現れる。
黒曜石のような材質。
その表面には、光と闇が複雑に絡み合う紋様が刻まれていた。
近づくだけで肌が痺れる。
強力な封印。
ここが――浄化の檻。
扉の前に、一人の男が立っていた。
リリムの足が止まる。
空気が違った。
熱い。
いや、灼けるようだった。
男の背後には、太陽を思わせる黄金の輝きが揺らめいている。
白銀の鎧。
背に翻る、陽光の紋章。
手に握られた純白の剣から、熱気が滲んでいた。
それだけでわかる。
――強い。
圧倒的に。
グロウスの記憶が、勝手に脳裏へ流れ込んでくる。
《暁の剣・南支部長》
《“天炎の剣” ライザック》
《闇の天敵》
リリムの喉が、小さく鳴った。
本能が警鐘を鳴らしている。
戦えば、死ぬ。
そんな予感だった。
だが。
もう引き返せない。
ライザックの視線が、ゆっくりと動く。
そして。
リリムの背後に並ぶ死人たちを見た瞬間――止まった。
空気が、重くなる。
金色の瞳が揺れる。
「……グロウス」
低い声。
続いて、
「ライル……ヴェイル……」
その声には、怒りだけではない感情が混ざっていた。
痛み。
喪失。
そして、深い悲しみ。
ライザックの指が、剣の柄を強く握る。
「そうか」
静かな声だった。
だが、そこに宿る感情は重い。
「お前たちは、死んだのか」
死人たちは答えない。
濁った瞳のまま、主の命令を待つだけ。
ライザックが目を閉じた。
ほんの数秒。
短い沈黙。
そして再び目を開いた時、その瞳から迷いは消えていた。
視線が、リリムへ向く。
「……お前がやったのか」
低く、冷たい声。
責めるというより。
確認だった。
リリムは視線を逸らさない。
「私は、ヴァレリアさんを助けたいだけ」
少しだけ、拳を握る。
「こうするしか、なかった」
沈黙。
ライザックの表情が、わずかに歪む。
「言い訳か」
その一言が、重かった。
彼は剣を抜く。
――ギィン。
乾いた金属音。
純白の刃が姿を見せた瞬間、空気が熱を帯びた。
まるで太陽が近づいたようだった。
「死者を利用し」
ライザックの声が響く。
「神域を踏み荒らす」
剣先が、ゆっくりリリムへ向けられる。
「そこを退け」
短い言葉。
拒絶の余地はない。
圧力だけで呼吸が苦しくなる。
リリムの額を汗が伝う。
怖い。
正直、逃げたかった。
こんなのに勝てるわけがない。
初めてだった。
本気で、
“死ぬ”
と思った相手は。
けれど。
脳裏に浮かぶ。
鎖に繋がれたヴァレリア。
苦しそうな顔。
優しく頭を撫でてくれた記憶。
――見捨てたくない。
それだけだった。
リリムは、一歩前へ出る。
「嫌よ」
声は震えていた。
それでも、目は逸らさない。
「私は、あの人を助ける」
黒紫色の魔力が、彼女の足元から滲み出した。
冷気が広がる。
死人たちが、一歩前へ出る。
ライザックの黄金の光と、リリムの闇がぶつかり合う。
空間が軋んだ。
ライザックは小さく息を吐く。
「……そうか」
その目に、微かな哀れみが宿る。
「なら、止めるしかない」
本能で叫ぶ。
「行って!」
死人たちが一斉に飛び出した。
同時にリリムの魔法陣が展開される。
黒紫の紋様が幾重にも重なり、冷たい風が吹き荒れる。
「《冥府の波動》!」
闇が解き放たれる。
死人たちが、光へ向かって駆けた。
そして――。
ライザックが剣を振るう。
「焼き払え」
低い声。
その瞬間。
太陽が、爆ぜた。
(次回、太陽を喰らう闇)
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