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紫の邪術師と深紅の賢者 ~落ちこぼれ妹は闇落ちし、姉に追われながら死人を従える~  作者: Nagiousen


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第17話 村を救ったはずの聖女は、自らの罪を告白した

 アリシアは眉をひそめた。




(ホブゴブリン……)




 通常のゴブリンより一回り、いや二回りは大きい。


 筋肉質な体躯。


 粗雑に見えて、その動きには統率された戦士の癖がある。


 知能も高い。


 群れを率いる個体。


 そして何より――強い。




 その背後では、ゴブリンシャーマンが杖を掲げ、低く唸るような呪文を唱えていた。


 嫌な連携だった。


 まるで、二体が一つの生き物のように動いている。




「グゴァアアッ!」




 ホブゴブリンが地面を蹴った。


 一瞬で距離を詰めてくる。


 巨大な棍棒が振り下ろされる。




 アリシアは横へ跳んだ。




 直後――


 轟音。


 地面が砕け、土砂が弾け飛ぶ。




(重い……!)




 一撃でもまともに受ければ終わる。


 そう直感した。




 棍棒を避けた瞬間だった。


 背後で、不気味な詠唱が強まる。


 空気が、歪んだ。




「……っ!」




 振り向く。


 ゴブリンシャーマンの濁った目が、笑っていた。


 嫌な予感が背筋を走る。




 その時。


 かすかに。


 風が揺れた。


 ――金属が擦れるような、小さな音。




(誰か……いる?)




 だが考える間もなかった。




「グゴバゴベ!」




 シャーマンが叫ぶ。




 ホブゴブリンの目が血走った。


 突進。


 左。


 右。


 棍棒が暴風のように迫る。


 退路を奪うように、計算されている。




(誘導されてる……?)




 気づいた瞬間だった。


 足元が、黒く光る。


 ぞわり、と悪寒が走る。




 地面に円形の紋様。


 闇の魔法陣。




「しまっ――」




 遅かった。


 黒い霧が地面から噴き上がる。


 触手のようにうごめき、足へ絡みついた。




「くっ……!」




 光魔法を放とうとする。


 だが。


 杖の先に灯った光は、弱々しく揺れ――消えた。




 もう一度。


 詠唱。


 ……反応しない。


 胸が冷える。




「魔法が……封じられてる?」




 シャーマンが喉を鳴らして笑った。




 その前方で。


 ホブゴブリンが、ゆっくりと棍棒を振り上げる。


 月光を受けたそれは、まるで死刑執行人の斧だった。




 逃げられない。




 触手は鉄鎖のように足を締め上げる。


 心臓が、嫌な音を立てる。




(死ぬ――)




 その時だった。


 再び。


 風が揺れた。




 何かが横切る。


 一瞬、月光が鈍く反射した。




 次の瞬間。


 どさり、と重い音。


 何かが地面を転がった。


 アリシアの足元まで。




「……え?」




 目を見開く。




 それは。


 ゴブリンシャーマンの頭部だった。


 断面から黒い血を噴きながら、虚ろな目で地面を見ている。




 遅れて。


 胴体が崩れ落ちた。


 背中から巨大な大剣が突き刺さっている。




「グゲア……ッ!?」




 ホブゴブリンが絶叫した。




 その瞬間。


 足元の魔法陣が砕け散る。


 触手が霧となって消えた。




 自由になった足で、アリシアは地面を転がる。




 直後。


 棍棒が叩きつけられた。


 爆音。


 土と石が吹き飛ぶ。




 もし一瞬遅れていたら――。


 想像するだけで、喉が冷えた。




 だが。


 今なら。


 アリシアは息を整えながら杖を握る。




 視界の端で、金属鎧の女がシャーマンの死体から大剣を引き抜いた。


 短い金髪。


 鍛え上げられた体。


 無駄のない立ち姿。


 強い。


 一目でわかった。




 だが今は。


 ホブゴブリンだ。




 怒り狂った巨体が咆哮を上げる。


 棍棒を構え直し、突進してくる。




 アリシアは息を呑んだ。




(《完全分解》を使うしかない……)




 だが。


 あの魔法は重い。


 魔力の大半を失う。


 今日一日、まともに戦えなくなる。


 詠唱中の隙も大きい。


 外せば終わる。




 それでも。


 ここで倒さなければ、村が終わる。




 アリシアは目を閉じた。


 息を吸う。


 魔力を、無理やり絞り出す。


 杖が震えた。




「古き力に従え――」




 ホブゴブリンが迫る。


 地面が揺れる。


 あと数歩。




「万象を塵へ還せ――《完全分解ディスインテグレイト》!」




 杖の先から、青白い光が迸った。


 一直線。


 夜を裂く。




 ホブゴブリンが盾を構える。


 だが遅い。


 光が胸を貫いた。




「グ、ガ……ア……?」




 巨体が止まる。


 肉体が、崩れ始めた。


 砂のように。


 灰のように。


 風に削られるように、消えていく。




 棍棒が落ちた。


 やがて巨体は、跡形もなく消滅した。




 静寂。




 アリシアの膝が崩れる。


 呼吸が苦しい。


 魔力が、ほとんど空だった。




(……もう、今日は戦えない)




 その時。


 金属音が近づく。




 振り向けば。


 月明かりの下、一人の女戦士が立っていた。




 血に濡れた大剣を肩に担ぎ、こちらを見下ろしている。


 鋭い目だった。




「……魔法で、ホブゴブリンを消したのか?」




 低い声。


 アリシアは荒い息を整えながら頷く。




「は、はい……」




 女戦士は短く頷いた。


 そして真っ直ぐに見据える。




「その魔法――私に教えてくれないか」




 アリシアは目を瞬かせた。




「えっ……?」




 その瞳には、ただの好奇心ではない。


 切実な何かが宿っていた。





 ゴブリンたちが全滅しても、歓声は上がらなかった。


 燃え落ちた家々の隙間を、夜風が吹き抜ける。


 血と焦げた木の臭い。




 そして、すすり泣き。


 夫を失った女たちは、地面に崩れ落ちていた。


 誰かは震える指で焼け跡を掘り返し、誰かは名前を呼び続けている。




「……ありがとうございます」




 一人の女性が、震える声で言った。


 涙に濡れた顔を上げ、アリシアへ頭を下げる。




「助けてくださって……本当に……」




 その言葉をきっかけに、他の女たちも小さく頭を下げ始めた。




 だが、笑顔など誰一人ない。


 感謝の奥にあるのは、戻らないものへの喪失だった。




 ある女性が、亡き夫の名を呟きながら崩れ落ちる。


 別の女性は、幼い子どもを強く抱きしめ、ただ泣いていた。




 救われた。


 けれど、失ったものは戻らない。


 村には、そんな静かな絶望が広がっていた。




 その時だった。




「ミリア!」




 張り裂けそうな声が響いた。


 リアナだった。




 彼女は瓦礫を踏み越え、血の跡を気にも留めず駆けていく。


 その先。


 崩れた柵の陰に、小さくうずくまる少女がいた。




「……っ」




 リアナの呼吸が止まる。




 ミリア。


 妹だった。


 服は裂け、泥に汚れ、肌には青黒い痣が刻まれている。




 怯えきった瞳。


 身体は小刻みに震えていた。


 リアナの胸が、締め付けられる。




「ミリア……!」




 膝から崩れ落ちるように抱きしめた。




「ごめん……ごめんね……!」




 声が震える。




「姉さんが……守れなかった……!」




 最初、ミリアの身体は硬かった。


 誰にも触れられたくないように。




 だが、やがて。




「お姉ちゃん……っ」




 溢れ出るように泣き出した。


 嗚咽が夜に滲む。


 互いにしがみつきながら、ただ泣き続けた。




 少し離れた場所で、その様子を見ていたアリシアは、静かに目を伏せた。




 説明などいらなかった。


 ミリアの怯えた目。


 壊れそうなほど震える身体。


 リアナの絶望。




 何が起きたのか――理解してしまった。


 胸の奥が、鈍く痛む。




(間に合わなかった)




 もっと早く来ていれば。


 もっと早く、終わらせていれば。


 助けられたものがあったのではないか。




 喉が乾く。


 けれど、言葉が出てこない。


 何を言っても、この傷を癒せる気がしなかった。


 ただ、拳を強く握る。


 無力さだけが、重く胸に残った。





 夜が深まるにつれ、村には痛々しい静寂が広がっていった。


 すすり泣きだけが、微かに聞こえる。




 アリシアは焚火の前に腰を下ろしていた。


 魔力の消耗で身体が重い。




 隣では、金髪の女戦士が無言で剣の血を拭っていた。


 火花が、ぱちりと弾ける。




「……アリシア様」




 小さな声。


 顔を上げると、リアナが立っていた。


 涙で目を腫らし、今にも倒れそうな顔をしている。




「リアナさん?」




 彼女は何か言おうとして、唇を噛んだ。


 そして。




「……私、怖かったんです」




 ぽつりとこぼした。


 アリシアは黙って待つ。


 リアナの指先が、小さく震えていた。




「ゴブリンが二十五体いるって聞いた時……もし本当のことを言ったら、誰も助けに来てくれないんじゃないかって……」




 声が崩れる。




「だから……十体だって、嘘をつきました」




 アリシアの表情が止まった。




「正直に言ったら、断られると思ったんです……!」




 涙がこぼれる。




「でも、そのせいで……!」




 声が詰まる。




「おじさまたちも……村のみんなも……!」




 リアナはその場に崩れ落ちた。




「全部、私のせいなんです……!」




 震える肩。


 押し殺した嗚咽。




 アリシアはしばらく黙っていた。


 やがて、静かに隣へ膝をつく。




「……リアナさん」




 肩に手を置く。




「確かに、最初から正しい数を知っていたら、もっと違う準備ができたかもしれない」




 リアナがびくりと肩を揺らす。


 アリシアは続けた。




「でも、あなたが助けを求めてくれたから、救えた命もある」




 ミリアの方を見る。




「それを、忘れないで」




 リアナは何度も首を横に振る。




「でも……!」




 アリシアは一瞬だけ目を伏せた。


 焚火の火が揺れる。




「……私も、失敗したの」




 静かな声だった。




「あの時、ゴブリンシャーマンを倒したと、思い込んでいた」




 リアナが顔を上げる。




「《完全分解》を当てた。消えた姿を見て、終わったと思った。でも……違った」




 苦く笑う。




「シャーマンは、転移で逃げていたの」




 火の音だけが響く。




「しかも、私は巣を完全に潰さなかった」




 小さく息を吐く。




「……その甘さが、今回を招いたの」




 リアナの目が揺れた。




「だから、一人で背負わないで」




 アリシアは、真っ直ぐリアナを見る。




「間違えたのは、あなただけじゃない」




 その時だった。




「……ったく」




 低い声。




「二人して、いつまで墓みてぇな顔してんだよ」




 二人が振り向く。


 女戦士だった。


 腕を組み、呆れたように立っている。




「戦場でミスしねえ奴なんていねえ」




 焚火の前にどかりと座る。




アリシアが小さく苦笑する。




「ありがとうございます……えっと」




女戦士は少し眉をひそめた。




「マリーだ」




「マリーさん……」




「呼び捨てでいい」


「嘘をついた? 判断ミスした? 上等だろ」




 鼻を鳴らす。




「問題は、そのあとだ」




 リアナを見る。




「お前は助けを呼んだ」




 次にアリシアを見る。




「お前は命懸けで戦った」




 少し照れ臭そうに頭を掻いた。




「なら、次は取り返しゃいい」




 火がぱちりと爆ぜる。




「責任感じて動ける奴は、まだ強くなれる」




 不器用な言葉だった。


 けれど、不思議と胸に残る。




 リアナが涙を拭う。




「……ありがとうございます」




 アリシアも、小さく笑った。




「胸に刻みます」




 女戦士はふん、と顔を背ける。


 だが、焚火に照らされたその横顔は、少しだけ優しかった。





(次回、妹の遺書)





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