第16話 村を滅ぼしたのは、私だった
アリシアはリリムのことが気がかりだった。
最後に感じ取った闇の魔力。その痕跡だけを頼りに、彼女は馬を走らせていた。
乗馬に慣れていないアリシアは、最初こそ速度を抑えていた。
しかし数時間も経つ頃には感覚を掴み、徐々に速度を上げていく。
夜風が頬を叩く。
だが、彼女の心は落ち着かなかった。
ミリアを救出し、一応の目的は果たした。
それでも、胸に残る違和感が消えない。
(……何か、おかしい)
村を襲ったゴブリンは十体前後。
リアナの証言と、自分が倒した数。
数が合わない。
そして何より――ゴブリンシャーマンの最期。
確かに分解魔法を命中させた。
だが、あの消え方。
肉体が崩れたというより――。
「……転移?」
アリシアの背筋が凍る。
もし生きていたら?
もし、自分が去るのを待っていたのだとしたら?
「村が危ない……!」
強く手綱を引く。
馬が急停止し、大きく方向を変えた。
アリシアは全力で村へ戻り始める。
(私の判断ミスで……!)
心臓が激しく鳴る。
(もし誰かが傷ついていたら――)
その先を考えたくなかった。
二時間ほど走った頃。
闇夜の向こう、空が赤く染まっているのが見えた。
炎。
「嘘……!」
アリシアの顔から血の気が引いた。
次の瞬間。
飛行魔法を展開。
身体が宙へ浮く。
風を切り裂きながら、彼女は村へ向かって一直線に飛んだ。
「お願い……間に合って……!」
夜の村を、悲鳴が切り裂いた。
最初に異変に気づいたのは、見張りをしていた村人だった。
だが、遅かった。
闇の奥から現れた影。
赤く光る瞳。
低く濁った笑い声。
次の瞬間、村の入り口で怒号が響いた。
「魔物だ――!」
叫びは途中で途切れる。
村人が地面へ倒れ込む音だけが残った。
そして。
静寂は、崩壊した。
扉が破られる音。
窓ガラスが砕ける音。
泣き声。
叫び声。
燃え始める家々。
村は、わずか数分で地獄へ変わった。
武器を取った男たちは必死に抵抗した。
農具を握りしめ、家族を守ろうと立ち向かう。
だが。
統率されたゴブリンの群れは、以前の襲撃とは違っていた。
まるで誰かが指揮しているように。
連携し、囲み、逃げ道を断つ。
倒れた村人の声が、夜に消えていく。
炎が風に煽られ、村を赤く染めた。
空気には焦げた木材の匂い。
そして、恐怖。
誰もが理解していた。
――もう、自分たちだけでは守れない。
「こちらへ! 子供たちを下がらせて!」
リアナの声が響く。
白い僧衣を翻しながら、彼女は癒しの光を放っていた。
傷ついた村人へ祈りを届ける。
ミリアも震える手で光の矢を放つ。
「近づかないで……!」
光が一体のゴブリンを撃ち抜く。
だが。
数が多すぎた。
村の中央。
黒い杖を持つ異形が、静かに笑う。
ゴブリンシャーマン。
その呪文と共に、空気が重くなる。
地面が震えた。
そして。
闇の中から、一体の巨躯が現れる。
通常のゴブリンとは明らかに違う。
巨大な盾。
筋肉に覆われた身体。
鈍く光る瞳。
ホブゴブリンだった。
ミリアの光矢が放たれる。
しかし。
――弾かれた。
「え……?」
次の瞬間。
巨体が、一瞬で距離を詰める。
衝撃。
ミリアが地面へ倒れた。
「ミリア!」
リアナが浄化魔法を放つ。
だが、効かない。
盾が光を砕く。
そして。
巨体の腕が伸びた。
リアナの身体が持ち上げられる。
呼吸が止まる。
抵抗も虚しく、二人は拘束された。
「……ごめんなさい」
リアナが、小さく呟く。
守れなかった。
村も。
人々も。
妹さえも。
その現実が、胸を締め付けた。
村の中央広場。
燃える炎。
集められた村人たち。
泣き声を上げる子供。
怯えた表情の女性たち。
そして。
中央には、怪しく揺れる緑の炎。
ゴブリンシャーマンが低い声で祈りを始める。
理解できない言葉。
だが、本能が告げていた。
――嫌なものだ。
――あってはならないものだ。
周囲のゴブリンたちは不気味な熱狂を見せている。
リアナは縄を強く引いた。
皮膚が擦れても、止めない。
「やめなさい……!」
だが、届かない。
ミリアは震えていた。
唇を噛みながら、それでも泣くまいとしている。
怖い。
苦しい。
でも。
祈りだけは捨てなかった。
(誰か……)
(お願い……)
時間が経つほど。
希望は削られていった。
燃える村。
倒れた男たち。
助けを呼ぶ声も、次第に消えていく。
誰も来ない。
誰も助けてくれない。
子供が、小さな声で言った。
「……もう、お母さん、死んじゃうの?」
母親は答えられなかった。
ただ抱きしめることしかできない。
リアナは空を見上げた。
黒い雲。
星も見えない。
震える唇。
それでも、祈る。
(太陽神レオリア様……)
(どうか……)
(どうか、誰かを――)
その時だった。
夜空が、光った。
最初は、一筋。
次に、空全体。
まるで天が裂けたように。
リアナが目を見開く。
風が吹く。
熱気を押し流すような冷たい風。
そして。
空に、一人の少女が現れた。
赤い髪。
揺れるローブ。
怒りに燃える瞳。
「――許さない」
アリシアだった。
アリシアの瞳が揺れる。
(私のせいだ……)
胸が締め付けられる。
(私が見誤った)
(私が……この村を滅ぼした……!)
拳が震えた。
爪が掌に食い込む。
怒り。
後悔。
罪悪感。
そのすべてが、胸の中で混ざり合う。
その時。
ゴブリンシャーマンが笑った。
「やはり現れたか、女魔術師」
不快な笑み。
「お前が戻って来ると思っていたぞ」
アリシアの表情が静かに冷える。
「……やっぱり生きていたのね」
「貴様の魔法、危なかったぞ」
シャーマンは杖を鳴らす。
「だが甘かったな」
その言葉が、アリシアの胸を深く抉った。
甘かった。
その結果が――これ。
リアナが震える声を上げる。
「アリシア様……!」
涙で濡れた顔。
それでも、瞳には希望が宿っていた。
ミリアも小さく顔を上げる。
「……助けて……」
その一言で、アリシアの中の何かが切れた。
静かに。
だが、確実に。
彼女は地面へ降り立つ。
風がローブを揺らした。
「待たせてごめんなさい」
静かな声。
だが、その奥には激しい怒りが宿っていた。
「もう大丈夫」
杖を握る。
青白い魔力が足元に広がった。
「――私が守る」
複雑な魔法陣が展開する。
空気が震えた。
ゴブリンたちがざわつく。
シャーマンの表情が険しくなる。
アリシアが両手を天へ掲げた。
「天の雷よ――邪悪を討つ光となれ」
魔法陣が輝く。
空が裂けた。
夜空の向こうに、無数の光が生まれる。
槍。
神罰のような白銀の光。
「《聖光の裁き》」
次の瞬間。
光の雨が降り注いだ。
逃げ惑うゴブリン。
響く悲鳴。
光の槍は村人を避け、正確に敵だけを撃ち抜いていく。
一体。
また一体。
闇が光に焼かれていく。
だが――。
巨大な影だけが、立っていた。
盾を掲げ、真正面から光槍を弾いている。
アリシアの目が細まる。
(ゴブリンじゃない……)
(別格――!)
その巨体が、ゆっくりと前へ出る。
地面が震えた。
ゴブリンシャーマンが笑う。
「紹介しよう」
「我が守護者だ」
アリシアは杖を握り直す。
怒りを胸に。
絶対に守るという決意を、その瞳に宿して。
(次回、村を救ったはずの聖女は、自らの罪を告白した)
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