第108話 風を斬る剣、炎を纏う剣
王都軍の防衛線、その一角。
北部軍団の兵士たちが、次々と倒されていた。
敵の数が、多いわけではない。
たった一人だった。
細身の剣を手にした、若い男。
年齢は二十歳前後に見える。整った顔立ちに、戦場には似つかわしくないほど、穏やかな表情を浮かべている。
しかし、その剣だけは異常だった。
風が走る。
兵士が剣を構えた瞬間には、すでにその懐へ入り込んでいる。
次の瞬間には、男は数歩先に立っていた。
「何だ……?」
アイリが、その異様な光景に気づいた。
倒れた兵士たちの間を、一人の男が歩いている。
その手に握られた細身の剣には、ほとんど血の跡すら残っていなかった。
「……あいつか」
アイリは剣を握り直した。
そして、迷うことなく駆け出した。
男は、こちらへ向かってくるアイリに気づいた。
その口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「来ましたか」
アイリが足を止める。
男は剣を軽く構えた。
「あなたが、朱雀の使い手ですね」
「お前は?」
「僕は、ルシアン」
男は名乗った。
「命総天昇剣・颯燕の継承者です」
「……命総天昇剣」
アイリの目が細くなる。
「お前もか」
「はい」
ルシアンは、微笑んだ。
「風を斬る剣です」
「風を?」
「正確には――」
ルシアンの周囲で、砂埃がわずかに舞った。
「風より速く、動くための剣」
その瞬間。
姿が消えた。
「!」
アイリは、反射的に剣を振った。
金属音が響く。
目の前に、ルシアンがいた。
互いの剣が、わずかに触れ合っている。
「ほう」
ルシアンが、目を細めた。
「今のを、防ぎましたか」
「……大した速さだ」
アイリは、口元を上げた。
「だが」
剣を押し返す。
「私を倒すには、まだ足りない」
「ふふ」
ルシアンは、一歩退いた。
「それは楽しみです」
---
少し離れた場所。
マリーたちは、その戦いを見ていた。
「アイリ……」
マリーが、思わず呟いた。
その隣でアルヴィンも、険しい表情を浮かべている。
「ただの傭兵ではない」
「あれは、剣士だ」
ラグナルが、戦場を見つめた。
「あの速度……普通の剣術ではない」
マイアも、じっと二人を見ていた。
「アイリも、本気ではないわ」
「そうなのか?」
マリーが尋ねる。
「ええ」
マイアは頷いた。
「まだお互いに、相手の力量を測っている」
その言葉通りだった。
---
アイリとルシアンは、一定の距離を保ったまま向かい合っていた。
先に動いたのは、アイリだった。
一歩。
そして二歩目。
地面を蹴った。
「はっ!」
鋭い踏み込みから、横薙ぎの一閃。
ルシアンは剣を立てた。
甲高い音。
しかし、受け止めたはずのルシアンの身体が、後ろへ流れる。
「速い……!」
ルシアンが、初めて驚いた表情を見せた。
アイリは追撃する。
上段。
斜め。
横。
連続する斬撃。
ルシアンは、紙一重でかわしていく。
その動きは、まるで風だった。
足を止めているように見えて、次の瞬間には数歩先へ移動している。
「なるほど」
アイリが笑った。
「それが颯燕か」
「ええ」
ルシアンも笑う。
「そして――」
身体を低く沈めた。
「ここからが、本番です」
風が鳴った。
ルシアンが踏み込む。
速い。
先ほどとは明らかに違う。
アイリの頬を、細い剣先が掠めた。
「!」
アイリが後退する。
頬に、ごく浅い傷が走った。
マリーが息を呑んだ。
「アイリ!」
「大丈夫です」
マイアが、静かに答える。
「まだ、傷というほどではありません」
しかし、その目は鋭かった。
「……あの男、本気になってきた」
---
アイリは、頬の傷を指で軽く拭った。
そして、その指についた血を見た。
「……颯燕」
顔を上げる。
「面白い」
アイリの目から、先ほどまでの余裕が消えた。
「なら、こちらも遠慮はしない」
剣を構える。
空気が変わった。
ルシアンも、それを感じ取った。
「……来ますか」
「お前が風なら」
アイリは地面を踏みしめた。
「私は炎だ」
次の瞬間。
二人が同時に動いた。
剣と剣がぶつかる。
一度。
二度。
三度。
四度。
もはや周囲の兵士たちには、二人の姿を追うことすらできなかった。
風が舞う。
砂埃が巻き上がる。
その中心で、二本の剣だけが幾度も交差していく。
「速い……!」
アルヴィンが、思わず呟いた。
「北部軍団の精鋭でもあの動きに、目がついていけない」
ラグナルも、目を離せなかった。
「アイリ様も、ここまでの速度を出せるのか……今まで以上だ」
マリーは拳を握った。
「あの男、強い……」
その声に、わずかな不安が混じる。
アリシアとリアナも、心配そうにアイリを見守る。
マイアは静かに答えた。
「心配しなくていいわ。アイリはまだ、本気じゃない」
---
戦いは、さらに激しさを増した。
ルシアンの剣が、風を巻き起こす。
身体が低く沈む。
「颯燕・風渡り」
一瞬。
ルシアンの姿が、横へ流れた。
まるで風そのものに、なったようだった。
アイリは振り向かない。
気配だけを読む。
「そこだ!」
振り向きざまに、剣を振る。
ガキィン!
火花が散った。
ルシアンの剣が弾かれる。
しかしルシアンは、その勢いを利用して身体を回転させた。
次の一撃。
アイリが受ける。
そのまま二人は、至近距離で剣を押し合った。
「……やりますね」
ルシアンが笑う。
「お前こそ」
アイリも笑った。
「ここまで私と斬り合える奴は、久しぶりだ」
「僕もですよ」
二人は同時に、後ろへ跳んだ。
再び距離が開く。
静寂。
二人とも、荒い息をしていた。
アイリの頬には浅い傷。
ルシアンの肩にも、浅い切り傷があった。
どちらも決定打には、至っていない。
---
アルヴィンが目を細めた。
「互角……」
ラグナルが頷いた。
「今のところは」
マリーは、二人を見つめた。
「アイリは勝てる?」
マイアは、少しだけ考えた。
「わからない」
珍しく、即答しなかった。
「でも」
マイアは微笑んだ。
「少なくともあの男も、アイリを倒せるとは思っていないでしょうね」
---
ルシアンが、剣を構え直した。
「さすがは朱雀。命総天昇剣最強」
アイリが眉を上げる。
「私はまだ、朱雀ではない」
「何?!」
ルシアンの目が、鋭くなる。
「どういうことです?」
アイリは答えなかった。
ただ剣を構えた。
「それを知りたいなら」
一歩踏み出す。
「まず私を、倒してみろ」
ルシアンの口元に、再び笑みが浮かんだ。
「なるほど」
風が、二人の間を吹き抜ける。
「では――」
細身の剣を握り直す。
「もう一度、参りましょう」
二人は再び、同時に地面を蹴った。
その瞬間。
遠くで、王都軍の防衛線が大きく崩れた。
戦場全体が、再び大きく動き始めていた。
しかし。
アイリとルシアンの戦いだけは、まだ終わっていなかった。
風と剣。
炎と剣。
二人の戦いは、決着を迎えることなく――
王都決戦の戦場にもう一つの激戦として、刻まれようとしていた。
つづく…
登場キャラクターのイラストをpixivで公開中です!
闇に堕ちたリリム、賢者アリシア、悪魔に魂を売った女ヴァレリア――
物語に登場するキャラクターたちを、高品質イラストとして制作しています。
「このキャラの姿を見てみたい」
「戦闘シーンをもっと想像したい」
そんな方はぜひご覧ください。
▼pixivはこちら
https://www.pixiv.net/artworks/144606685




