第107話 二年越しの帰還
フロストヘイムでの日々が、数日続いた。
その結末は、誰の予想も大きくは外れなかった。
グスタフは正式な参戦を、約束しなかった。
しかしマリーの前で、静かに告げた。
「王都軍が北部へ侵攻してきた場合は、領地を守るために兵を動かす」
それだけの条件付きの約束だった。それでも、これまでの完全な中立からは、一歩踏み出した答えだった。
ヴィクトールは食料、馬、武器、資金、そして輸送手段を提供すると告げた。
「兵は出しません」
商人らしい率直さで、そう続けた。
「しかし」
その目に、確かな興味があった。
「あなたの王都行きが成功するか、それとも失敗するか。見届けさせて頂きます」
エミールは少数ながら自らの兵を率いて、マリー陣営に加わることを決めた。
「家臣たちとの話し合いを終えました」
彼は静かに告げた。
「全員が賛成したわけでは、ありません。それでも私は、あなたと共に行きます」
三人の諸侯の答えは、決して完全な勝利ではなかった。北部諸侯連盟は、まだ成立していない。
それでもマリーは、それで良いと思っていた。
「全員を味方にする必要はない」
夜宿の窓辺で、アリシアにそう語った。
「私たちが王都へ行く。その結果を見て、皆が自分の意思で決めればいい」
その言葉には、もう焦りも迷いもなかった。
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アルヴィン率いる北部軍団。エミールの兵。ヴィクトールから提供された物資。そして、世界樹神殿の後ろ盾。
それらを背景にマリーたちは、王都ヴァルハイムへと向けて、進軍を開始した。
完全な支援ではなかった。グスタフの大軍は、まだ動いていない。北部諸侯の全てが味方についたわけでもなかった。
それでも、道は開かれていた。
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王都、摂政執務室。
ハラルドは、地図の上に置かれた新しい駒を見つめていた。
「北部軍団に加えて、エミール卿の兵も動いております」
側近の一人が、報告した。
ハラルドの表情は、変わらなかった。
「構わない」
静かに答えた。
「予定通りだ」
窓の外、北の方角を見つめた。
「来るか」
その声には、恐れも焦りもなかった。ただ確かな覚悟だけがあった。
ハラルドは、静かに思った。
(彼女はもう、逃げるだけの王女ではない)
その認識には、これまでの軽視はもうなかった。
善と悪の対立ではなかった。二人の政治思想と覚悟の衝突が、今始まろうとしていた。
ハラルドは、王都軍に迎撃態勢を命じた。
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王都ヴァルハイムを囲む外壁の外側。
平原に、二つの軍勢が対峙していた。
マリー陣営。アルヴィンの北部軍団。エミールの兵。そしてマリー、アリシア、リアナ、マイア、アイリ、ラグナル。
王都軍。数において圧倒的な優位を誇っていた。堅固な防衛陣地。整然とした隊列。
開戦の狼煙が上がった。
序盤はマリー陣営が、優勢だった。
アルヴィンの指揮は的確だった。北部軍団の士気も高かった。アイリの剣が前線を切り開き、アリシアの魔法が後方から援護した。
しかし時間が経つにつれ、戦況は少しずつ変わっていった。
王都軍の兵力は厚かった。防衛陣地の強固さも、想定以上だった。
アルヴィンの部隊が、押し込まれ始めた。
「くっ……」
アルヴィンの額に、汗が滲んだ。
エミールの兵も、次第に劣勢に追い込まれていった。
「持ちこたえろ!」
声を張り上げながらも、その表情には焦りが隠しきれなかった。
マリーは戦場の中央で、その状況を見ていた。
押し返される味方。増え続ける傷者。
「このままでは、突破できません」
ラグナルが、隣で険しい表情を見せた。
マリーの拳に力がこもった。
それでも退くという選択肢は、もう彼女の中になかった。
その瞬間だった。
丘の向こうから、次々と騎士たちが姿を現した。
古びた王家の紋章。
しかし、その隊列には一切の乱れがない。
王都軍の兵士たちの間に、動揺が広がった。
「なんだ、あれは……」
「王家の紋章?」
「まさか……旧王国騎士団か?」
その報告を受けた王都軍の指揮官が、双眼鏡越しに丘の上を見つめた。
しばらく、言葉が出なかった。
旧王国騎士団。
二年前の王家崩壊とともに、ほぼ壊滅したと考えられていた騎士団だった。
生き残った者たちは処刑されたか、逃亡したとされていた。
それが今。
マリアンネ陣営が最も押し込まれている、この瞬間に現れた。
「……馬鹿な」
指揮官の顔から、初めて余裕が消えた。
そして、低く呟いた。
「王家には、まだこんな戦力が残っていたのか……」
その言葉を聞いた周囲の兵士たちにも、動揺が走った。
誰もが理解していた。
これは単なる援軍ではない。
二年間、王家が滅んだ後も生き延び、身を隠し続けていた者たち。
その彼らが今、マリアンネのために戦場へ姿を現したのだ。
王都軍の防衛線に、初めて明確な亀裂が生まれた。
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「……あの旗は」
誰かが呟いた。
アルヴィンが振り返った。その目が大きく見開かれた。
「まさか」
老いた騎士を中心に束ねられた一団だった。全員が、王国騎士団の古い紋章を纏っていた。
先頭に立つ老騎士が、剣を掲げた。
「正統なる王家に、最後の忠誠を」
声が平原に響き渡った。
マリーは、言葉を失った。
「旧王国騎士団……」
ラグナルが静かに呟いた。その目に、深い理解の色が宿った。
アルヴィンはまだ呆然と、その光景を見つめていた。
「待っていたのか……」
二年間。王家が崩壊し多くが処刑され、生き残った者たちは身を潜め続けた。
その二年間の沈黙が、今この瞬間のためにあったのだと、誰もが理解した。
老騎士は平原を駆けた。マリーの傍らまで辿り着くと、馬から降り片膝をついた。
「殿下」
その声には、深い感慨があった。
「我らは二年間、待ち続けました。殿下が王として立たれる、その日を」
マリーはその言葉に、ようやく気づいた。
自分を待っていた人々が、まだこんなにもいたのだと。
涙がこみ上げた。しかし堪えた。今は泣く時ではなかった。
マリーは、静かに言った。
「ありがとう。共に戦おう」
老騎士は深く頷き、立ち上がった。
旧王国騎士団の参戦によって、戦況が大きく反転し始めた。
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戦場の混乱の中、マリーの前に一つの影が立ちはだかった。
フレイだった。王都軍の装束を纏い、剣を構えていた。
「フレイ……」
マリーは足を止めた。
フレイは静かにマリーを見た。
「私は最後まで、ハラルド様に仕えます」
声に迷いはなかった。剣を構え直した。
「あなたが、本当に王なら」
その目に静かな覚悟が宿った。
「ここを、越えてください」
マリーは、フレイを見つめた。
敵意はなかった。ただ互いの選んだ道への確かな敬意だけが、そこにあった。
「わかった」
マリーは剣を構えた。
「行くぞ」
二人の間に静かな、しかし確かな緊張が満ちていった。
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戦況は旧王国騎士団の参戦によって、大きく動いていた。
王都軍の防衛線が、あちこちで崩れ始めていた。
マリーは遠く、王都の城壁を見つめた。
二年間逃げ続けた日々。弟を失ったあの日。仲間たちと出会い、支えられて、ここまで辿り着いた道のり。
そして今目の前に、自分が生まれ育ったあの王都が見えていた。
マリーは深く息を吸った。振り返り、仲間たちを見た。
アリシア。リアナ。アイリ。マイア。ラグナル。アルヴィン。エミール。そして旧王国騎士団の老騎士。
全員の視線が、マリーに注がれていた。
マリーは剣を掲げた。
「帰ろう」
その一言に、誰もが応えるように前へと進み始めた。
王都ヴァルハイムへの最後の道のりが、今静かに始まろうとしていた。
つづく…
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