第101話 真の王女、神殿へ
世界樹神殿 最奥の間。
扉の外から、鍵を開ける音がした。
大神官が顔を上げた。
入ってきたのはフレイだった。
大神官は静かに尋ねた。
「また何か、要求がおありですか」
フレイは答えなかった。代わりに手にしていた鍵を見せた。
「軟禁を解きます」
大神官が、わずかに眉を動かした。
「……なぜです」
フレイはしばらく沈黙した。
そして、淡々と告げた。
「アルヴィン・グレイロード北部軍団長が、マリアンネ様への忠誠を宣言しました」
大神官の目が、わずかに見開かれる。
「マリアンネ殿下が、生きておられた……」
「はい」
「軍団も忠誠を?」
「すでに命令に従い、封鎖を解除しています」
フレイは感情を交えずに続けた。
「つまり、この神殿を力で押さえておくことの、意味はなくなりました」
大神官はフレイを見つめた。
「それでもあなたは、ハラルド殿下に仕えているのでしょう」
「はい」
即答だった。
「私は今も、ハラルド閣下の命を受けています」
大神官が静かに尋ねる。
「ならばなぜ、我々を解放するのです」
フレイは少しだけ目を伏せた。
「これ以上あなた方を拘束すれば、北部軍団との衝突は避けられません。そうなれば、神殿は血で汚れる」
フレイは世界樹の根へ、視線を向けた。
「それを、望んでいるわけではありません」
大神官はしばらく黙っていた。
「……あなた自身の判断ですか」
「はい」
フレイは頷いた。
「ハラルド閣下なら、状況が変わった以上、同じ判断をされるでしょう」
これは完全な本心ではない。
フレイ自身にも、それがわかっていた。
しかし今の彼にとって重要なのは、ハラルドの命令を忠実に実行することではなく、ハラルドが最終的に勝つための状況を維持することだった。
大神官は、静かに立ち上がった。
「では、殿下はもうこちらへ?」
「はい」
フレイは答えた。
「アルヴィン将軍と共に、こちらへ向かっています」
大神官の表情が変わる。
「……そうですか」
フレイは扉を開けた。
「神官たちにも伝えてください。軟禁を解きます」
大神官が歩き出す。
そのすれ違いざま、フレイが静かに言った。
「ただし、一つだけ」
大神官が振り返る。
「私はマリアンネ様を、王として認めたわけではありません」
大神官は穏やかに答えた。
「それで結構です。王を決めるのは、私でもあなたでもありません」
そして大神官は、世界樹を見上げた。
フレイは、何も答えなかった。
ただ、その言葉を聞いた瞬間、ほんのわずかに目を細めた。
フレイ自身もこれから起こることを、見届けようとしていた。
神殿の扉が開いた。
マリー、ラグナル、アルヴィン。その後ろに、アリシア、リアナ、マイア、アイリが続いた。
石造りの大広間。天井は遥か高く、その中央を世界樹の根が幾筋も貫いていた。緑がかった微かな光が、根の隙間から絶えず漏れ出ていた。
軟禁されていた神官たちが、その場に集まっていた。数十人。皆一様に警戒の目をこちらへ向けていた。
一人の若い神官が前に進み出た。
「止まれ」
声には緊張が滲んでいた。
「ここは世界樹神殿だ」
しかし、その視線の先。
大神官だけが、言葉を失っていた。
白髪の老人だった。皺の深いその顔がマリーを見た瞬間、凍りついたように動かなくなった。
マリーもその視線に気づいた。どこかで見たことのある顔だった。記憶の奥深く、まだ幼かった頃の記憶。
「……あなたは」
記憶を探るように呟いた。
大神官が震える声で言った。
「そのお顔……」
一歩前に進み出た。
「まさか、本当に……」
ラグナルが、口を開きかけた。
「大神官様、この方は――」
「いや」
大神官は、それを静かに制した。
「待ちなさい」
そしてマリーをじっと見つめた。
「あなたのお名前を、お聞かせください」
マリーは、まっすぐに答えた。
「マリアンネ・ヴァルケリア」
その瞬間、大神官の表情が変わった。
「……本当に」
小さな呟きだった。しかしその場にいた全員の耳に届いた。
神官たちの間に、ざわめきが広がった。
「マリアンネ……?」
「あの、二年前に亡くなられたと……」
「王女殿下が、生きて……?」
困惑と動揺が、広間を満たしていった。
そこへアルヴィンが前に進み出て、その場に片膝をついた。
「このお方こそ、マリアンネ・ヴァルケリア殿下である」
その宣言に、広間の空気が大きく揺れた。困惑していた神官たちの間に、次第にそれを信じ始める気配が、広がっていった。
しかし大神官は、跪かなかった。
マリーを見つめたまま静かに告げた。
「お顔は、確かに幼き日の殿下と同じです」
その目に、遠い日の想いが滲んでいた。
「しかし」
声が深く沈んだ。
「私は世界樹の御前において、お顔だけで王と認めることはできません」
その言葉に、マリーは反発しなかった。
静かに頷いた。
「わかっている」
まっすぐ大神官を見返した。
「だから私は、ここへ来た」
その一言に、覚悟がこもっていた。
大神官はしばらく、マリーの目を見つめていた。
やがて口を開いた。
「私は」
声に静かな重みが宿っていた。
「あなたを知っています。幼いあなたを、この目で見たことがあります。しかし」
大神官は続けた。
「王と認めるのは、私ではありません」
視線を上へと向けた。高い天井を貫く世界樹の根を。
「それを決めるのは」
静かに告げた。
「世界樹です」
その言葉に、広間が静まり返った。
マリーは天井を見上げた。緑がかった光が、根の隙間から漏れ続けていた。まるでその樹そのものが、意志を持って見下ろしているかのように。
世界樹の審判を受ける。その時が、今訪れようとしていた。
つづく…
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