視線の正体
目を開けた。
天井。蛍光灯。枷。
胸に手を当てた。穴はない。血もない。でも覚えている。乾いた音。胸の真ん中が燃えるように熱くなって、足から力が抜けて、草の上に倒れた感触。
撃たれた。銃で。
あの女にじゃない。外で。地上に出た瞬間に。
——そして、あの悲鳴。
「——起きたんだ」
部屋の端から、女の声がした。いつもと同じ。壁にもたれて、膝を抱えて、こっちを見ている。
僕はしばらく黙って、その顔を見ていた。
この女は、七日目の夜に僕を殺す。それは五回見た。でも、外にはこの女じゃない何かがいて、僕を撃った。そしてこの女は——叫んでいた。
僕が撃たれたとき、この女は悲鳴を上げた。
それが何を意味するのか、まだわからない。
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枷の外し方は身体が覚えている。
スプーンの縁を壁で削る。ベッドのネジを外す。鍵穴にネジを差し込んで、もう一本の金属片で二つ目のピンを押す。
前回は六日かかった。今回は作業の要領がわかっている分、もっと早くできるはずだ。薬は初日から飲んだ。あの頭痛に耐えながら作業する無駄は、もういらない。
三日目の夜、枷が外れた。
半分の時間で済んだ。手順を知っているというだけで、こうも違う。
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四日目。女が長い外出に出たのを確認して、部屋を出た。
前回は地上への階段をまっすぐ上った。そして死んだ。今回は逆に行く。
廊下。右に行けば階段。前回のルート。左に行けば——前回は行き止まりと施錠された扉があった。今回はもっと丁寧に見る。
左に進む。すぐに扉がある。重い金属製。前回は施錠されていた。今回もそうだ。鍵穴を覗く。枷とは違う。もう少し複雑そうだけど、構造は似ている。
扉の先に、何がある。
廊下をさらに進む。前回は行き止まりだと思った。でも薬を飲んで目が利くようになった今、よく見ると壁の色が微妙に違う場所がある。塗り直した跡。ここに何かあったのかもしれない。
それ以上は進めなかった。足音がした。女が戻ってくる。急いで部屋に戻る。枷を閉じたふりをして、ベッドに横になった。
扉が開いて、女が入ってきた。食事のトレイ。
「……寝てた?」
「うん、ちょっと」
女はテーブルに食事を置いて、いつも通り出ていった。
気づかれていない。
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五日目。食事の時間に、女の顔を見た。
薬を飲み始めてから三日。頭の霧はほとんど晴れている。視界がクリアで、思考が回る。前回感じた「声の既視感」は今回もある。でも今回はもっとはっきりしたものが来た。
女が食事を置いて、振り返って扉に向かう。その横顔。長い黒髪が揺れる。ドアノブに手をかける動作。
——知ってる。
この横顔を、見たことがある。
どこで。いつ。考える。頭の奥を探る。暗い場所じゃない。地下じゃない。もっと明るい、普通の場所で——
電車だ。
朝の通学電車。混んでいるホームで、二両先のドアから乗り込む女の子の後ろ姿。長い黒髪。一瞬だけ見えた横顔。同じ高校の制服じゃなかった。でも毎朝、同じ電車の同じ車両にいた。気にも留めていなかった。毎日同じ電車に乗るのは普通のことだから。
——本当にそうだったか?
記憶を辿る。薬のおかげか、今まで靄がかかっていた日常の映像が、少しずつ鮮明になっていく。
コンビニ。放課後にいつも寄るコンビニ。雑誌の棚の向こうに立っている人影。僕がレジに並んでいるとき、視界の端にちらっと映る長い髪。振り返ると、もういない。何度もあった。三回、いや四回は。同じ人だったのか、別の人だったのか、そのときは考えもしなかった。
学校の帰り道。あの薄暗い住宅街の路地。信号待ちで、反対側の歩道に立っている女の子。目が合った気がして、信号が変わって渡ろうとしたら、もういなくなっている。走って逃げたみたいに。
カフェ。一度だけ入った駅前のチェーン店。テスト期間で、少し静かな場所で勉強したかった。窓際の席に座っている女の子が、僕が入ってきたのを見て、さっと視線を逸らした。顔は見えなかった。でも髪が長かった。コーヒー一杯をずっと持ったまま、何も読まずに座っていた。僕が二時間いて、帰るとき、まだいた。
全部——この女だ。
一つ一つは何でもない。電車で見かける人。コンビニにいる客。すれ違う通行人。カフェに座っている女の子。どれも日常の風景で、どれも気に留める理由がない。
でも全部が同じ人間だったとしたら。
背筋が凍った。
視線。ずっと感じていた視線。気のせいだと思っていた視線。登校中も、コンビニでも、帰り道でも。あれは全部、この女だった。
監禁される前から。ずっと前から。何週間も、何ヶ月も——もしかしたらもっと前から。この女は僕を見ていた。
「……奏多くん? 食べないの?」
いつの間にか女が戻ってきていた。扉の前に立って、こっちを見ている。心配そうな顔。普通の顔。普通の女の子みたいな顔。
でも普通じゃない。全然普通じゃない。この女は僕をストーキングして、殴って連れてきて、鎖で繋いで、七日目に殺す。それを僕が死ぬたびに繰り返している。
「……食べるよ」
声が震えないように気をつけた。気づかれてはいけない。僕がこれだけのことを知っていると、悟られてはいけない。
女は小さく頷いて、出ていった。
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六日目。
女の長い外出の時間を待って、廊下に出た。
左の扉の前。しゃがんで鍵穴を覗く。暗い。ネジの先端を差し込んで、中の構造を探る。枷の鍵穴は二つのピンだった。これは——三つ。指先に伝わる感触を、一つ一つ確認していく。ピンの位置、硬さ、押し込む深さ。全部違う。
枷よりは複雑だけど、原理は同じはず。同時に三つのピンを正しい位置に押し上げれば開く。問題は道具が足りないこと。今の手持ちではネジ一本と金属片一枚。もう一本、何か細いものが必要になる。
作業に没頭していると、ふと気がついた。この扉、外から施錠されている。つまりこの先には、女が入る部屋がある。女がここを使っている。
女が普段何をしているのか、僕は何も知らない。食事を作って、薬を持ってきて、たまに長い外出をして。それだけだ。部屋の外で何をしているのか、一度も見たことがない。
足音。遠くから。
急いで部屋に戻った。枷を閉じたふりをして、ベッドに座る。間に合った。
食事を持ってきた女が、テーブルにトレイを置く。おにぎりと味噌汁——だけじゃなく、小さな卵焼きがついていた。前はなかったもの。
「……奏多くん、最近よく食べるね」
少しだけ嬉しそうな声だった。
「……うん」
返事をしながら、女の目を見ないようにした。見ると、日常の記憶が蘇ってくる。電車の中のあの横顔が、コンビニの棚の向こうのあの影が。知れば知るほど怖くなる。この女がどれだけ長い間、僕を見ていたのか。
女が出ていった。
壁の傷を見た。六本の線。あと一日で、また殺される。
でも今回は前とは違う。わかっていることが増えている。外には銃を持った誰かがいる。この女は監禁の前からずっと僕を見ていた。地下施設には、僕がまだ見ていない部屋がある。
あの扉の向こうに、何がある。女は何を隠しているのか。
七日目の夜が来る前に知りたかった。でも、焦っても仕方ない。死んでも戻れる。記憶は消えない。鍵穴の構造はもう指が覚えている。
次のループでは——初日から動く。三日で枷を外す。四日であの扉を開ける。
この地下に何があるのか、全部暴く。
鎖が、ガチャリと鳴った。




