鍵穴
五回目の一日目は、静かに始まった。
女が食事を持ってきた。おにぎりと、温めた味噌汁。前はパックのまま出てきたけど、最近は器に移して温めてくれている。「お薬」の白い錠剤をテーブルに置く。いつもと同じ。
「ありがとう」
初めて言った。女が少しだけ驚いた顔をした。
感謝しているわけじゃない。でも、この女の行動パターンを正確に観察するには、敵意をむき出しにするより、少しだけ穏やかに接した方がいい。四回死んで、それくらいのことは考えられるようになった。
女が出ていくのを待って、作業を始めた。
まずスプーン。食事のたびに一本もらえる。プラスチック製だけど、柄の芯に薄い金属の板が入っている。前回はこれを壁で削ってネジ回しにした。今回はもっと細く削る。
壁のコンクリートにスプーンの縁を押しつけて、繰り返し擦る。ゴリ、ゴリ、ゴリ。単調な作業。女がいない時間だけやる。女が来る気配がしたら、ベッドの下に隠す。マットレスとパイプの隙間に挟めば見つからない。
二日目の終わりに、ベッドのネジを外した。前回の経験があるから早い。ネジを手のひらに載せる。長さは三センチほど。先端は尖っている。
枷の鍵穴を覗き込んだ。小さい。暗い。中の構造は見えない。ネジの先端を差し込んでみる。入る。奥で何かに当たる。
ぐりぐりと回してみた。手応えがあるような、ないような。何かの突起に引っかかる感触がある。でも、どう動かせば開くのかがわからない。
三日目。四日目。ずっとやっていた。女がいない時間はすべて鍵穴に費やした。指先の感覚だけが頼り。目で見えない構造を、ネジの先端で探っている。
少しずつ、わかってきた。鍵穴の奥に小さなピンが二つある。これを同時に押し上げれば——たぶん、開く。でも「同時に」が難しい。ネジ一本では一つしか押せない。
もう一本、何か細いものが要る。
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五日目の朝。頭痛がひどかった。
ここ数日、作業に集中しすぎて気づかなかったけど、後頭部の鈍痛がずっと続いている。視界の端がぼやけることがある。手先の細かい作業をしていると、ときどき指がうまく動かない。
テーブルの上に、白い錠剤が置いてある。今朝、女が置いていったもの。毎回出される「お薬」。ずっと飲まなかった。何を飲まされるかわからないものを口にする気にはなれなかった。
でも——このままじゃ鍵穴の作業ができない。指先の感覚が鈍い。集中が持たない。あと二日で枷を外さなきゃいけないのに。
錠剤を手に取った。小さくて、白くて、なんの変哲もない。
飲んだ。
水で流し込んで、しばらく何も起きなかった。毒ならここで死ぬ。それならそれで、また戻るだけだ。
一時間くらい経った頃だと思う。気づいたら、頭痛が引いていた。
嘘みたいだった。ずっとこびりついていた後頭部の鈍痛が、霧が晴れるみたいに消えていく。視界がクリアになる。指先の感覚が戻る。部屋の輪郭がはっきりと見える。
本物の薬だった。頭の怪我を治すための。
——この女は、最初からこれを飲ませようとしていたのか。
考える余裕が生まれると、別のことにも気がついた。
食事を持ってきた女の顔。薬を置いていくときの手つき。「ごはん、あとで持ってくるから」の声。
何かが、引っかかる。
知らない女のはずだ。こんな人、見たことがない。でも——声が。声の調子が、何かに似ている。ずっと昔に聞いたことがあるような。
思い出せない。何に似ているのかがわからない。頭の奥に霞がかかっていて、手を伸ばしても掴めない。
今は枷だ。まず枷を外す。考えるのはそのあとでいい。
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薬を飲んでから、作業の精度が上がった。
鍵穴の中のピンの位置が、前より正確にわかる。二つのピンを同時に押すために、もう一本細いものが必要。スプーンの金属板をもう一枚、今度はもっと細く削った。二日がかりで、針のように薄い金属片を作った。
六日目の夜。女が長い外出に出た。
今しかない。
ネジの先端を鍵穴に差し込む。奥のピンに触れる。左手で金属片を入れる。もう一つのピンを探す。
指先の感覚だけが世界のすべてだった。呼吸を止める。ネジを少し回す。ピンが押し上がる感触。金属片を、もう少し奥に——
カチッ。
小さな音がした。
枷が、開いた。
金属の輪が足首から離れる。あまりにもあっけなく、あまりにも静かに。五回死んで、ようやくたどり着いた答え。
足首が軽い。立ち上がる。鎖の重さがない。何の制約もなく、部屋の中を歩ける。扉まで歩ける。
扉に手をかけた。鍵はかかっていない。女が外出するとき、外から施錠しているのだと思っていた。でもかかっていなかった。枷さえあれば扉まで届かないから、鍵をかける必要がなかったのだろう。
引いた。重い金属の扉が、ゆっくりと開く。
廊下。薄暗い。コンクリートの壁が続いている。蛍光灯がところどころ切れていて、明るい場所と暗い場所がまだらになっている。
空気が少し違う。部屋の中よりも冷たくて、どこかから微かに風が流れてくる。上の方から。
左に進むと、すぐに行き止まり。重い扉が一つ。施錠されている。
右に進む。廊下が折れ曲がって、また扉。ここも施錠。その先に——階段があった。上に続いている。
地上への階段。
風が降りてくる。夜の匂いがする。土と草と、冷たい空気。外の匂いだ。
何日ぶりだろう。何週間ぶりだろう。もう数えられないくらいの間、この地下にいた。身体は七日分しか経っていなくても、記憶の中ではずっと長い。
階段を上った。一段、一段。足音を殺して。脈が耳の奥で鳴っている。
上に扉があった。錆びた金属の扉。隙間から月明かりが漏れている。
押した。
軋みながら、開いた。
——外だ。
夜空が見えた。星が出ていた。冷たい風が顔に当たった。目の前に、崩れかけた建物の廃墟が広がっている。草が伸び放題で、人の気配はない。
ここは——どこだろう。見たことのない場所。廃墟。こんな場所の地下に、ずっと閉じ込められていた。
一歩、外に踏み出した。草を踏む感触。土の匂い。空が広い。こんなに空が広かったことを忘れていた。
もう一歩。
——パン。
乾いた音がした。
何の音か、わからなかった。花火? そんなわけない。こんな場所で。
足から力が抜けた。立っていられない。膝が折れる。地面が近づいてくる。おかしい。どうして立てないんだ。
痛みは遅れてやってきた。胸の真ん中が、燃えるように熱い。
——撃たれた?
誰に。どこから。
視界が傾いていく。草の間に倒れる。月明かりが遠くなる。
その瞬間——声が聞こえた。
悲鳴だった。
女の悲鳴。甲高くて、切羽詰まった、聞いたことのない声。あの女の——いつも静かで、穏やかで、笑いながら首を絞める、あの女の、悲鳴。
「——ッ!!」
何か叫んでいる。僕の名前か。誰かに向けた言葉か。聞き取れない。
どうして。
どうして、あの女が叫んでいるんだ。
意識が、遠くなる。
最後に思ったのは——あの悲鳴が、怒りなのか、恐怖なのか、ということだった。
——暗転。
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