帰路
わたしの体調不良により、央都への出発は少し遅れたが、今日が出発の日だ。樹衣が手配した皇族用の央都行きの馬車を引くのはわたしの純白の愛馬・相狼と馬に化けた蘭蘭だ。そして広すぎる馬車の中には樹衣とわたし、鈴桜と樹徒、菻明一家に鞠藍さんと安琴兄様夫婦、そして李里だ。なぜ李里が付いてきているかと言うと。彼女の母は二年ほど前に亡くなり、楽団に身内がいなくなってしまい、更には親友であるわたしも楽団からいなくなることになり、楽団で自分が一人になると悟ったからだそう。央都では東宮妃になるわたしの侍女として勤める予定だ。
「美美、張今様と楪蝶殿の間に娘御が生まれたのは知っているか?」
唐突に話しかけてきた樹衣に、わたしは頷く。
「はい。噂で聞きました。名前はどうなったのですか?」
「綾楪だ。今年八歳の」
樹衣の微妙そうな顔と微妙そうな声に、わたしも同じ状態になってしまう。
「綾楪ですか……うーん、綾楪」
わたしたちの会話の内容に、自分の名前を呼ばれたと勘違いしたらしい鈴桜が上目遣いにわたしたちを見る。
「何ですか?父様、母様」
「何でもないわ。樹徒と一緒に寝ていなさい」
わたしが熟睡している樹徒を指差すと、鈴桜は不満げに口を尖らせた。
「あんな阿呆みたいな顔して寝たくないわ」
「阿呆みたいな顔をしないように気を付ければ良いのよ。あなたは阿呆じゃないんだから」
わたしがそう言って軽く頭を撫でると、鈴桜はようやく樹徒の近くで姿勢よく眠りに落ちた。
「それで、樹衣。綾楪ですか。綾楪」
わたしがまた同じことを繰り返すと、樹衣は神妙な面持ちで馬車の天井を仰ぎ見た。
「どうするかなあ。皇族に同じ読みの名前の人間、しかもどちらも女児がいるとは、困ったものだよなあ」
「同じ名前ということで何かに巻き込まれる可能性は」
「否定できない」
「同じ名前ということで誰かにからかわれる可能性は」
「否定できない」
樹衣の答えにわたしがため息をつくと、あちらもため息をついた。
「どちらかの名前をどうにかするしかないな」
「当初決めていたまま、愛唯という名前にしてくれれば良かったのに。流石に先に生まれた方の名前を変えろと言うのは無理な話です。だったら、こちらが折れるしかない」
わたしは思わずこめかみの辺りを揉む。隣を見ると、樹衣も同じことをしていた。
「鈴桜の“桜”は華栄の皇弟妃・桜泉さまから頂いた字です。そう簡単に外せるものではございません」
「では、“鈴”の方を変えるしかないのか」
そもそも、名前を変えないで済む方法は無いのか。わたしは考えてみたが、軟弱な頭では思い付かなかった。
「央都に戻ったらすぐ、張今様に相談してみよう。綾楪の名前と鈴桜の名前が同じだが、どうするのかと。楪蝶殿にも出席してもらうが、それでも良いか?」
樹衣はわたしを気遣うような目で見る。それもそのはず。わたしは楪蝶のことが嫌いというか苦手なのだ。張今の兄様に媚を売って、わたしに自信ありげな目を向けてくるのだ。まるで張今の兄様は自分のものだと言うかのように。でも、名前の話はしっかりしなければならない。わたしは腹を括った。
「問題ありません。わたしも人の親。娘のためなら何でも致します」
わたしが樹衣を見つめると、樹衣はわたしに頷きかけてくれた。
「ああ。俺もそのつもりだ。出来る限りのことをする」
わたしたちは強い瞳で頷き合った。可愛い娘の名前を変えるなんて、絶対にしたくない。決意したわたしたちを乗せて、馬車は央都の大門をくぐったのだった。




