第31話 男達の闘い
翌日、ナーヴァが最後の訓練を終えて僕の宿にやって来ると、僕らはそのまま彼女の家へと向かった。
ナーヴァの家へ向かう道中は明日の出発の話で盛り上がっていたが、僕の心はエリアナさんの料理と、その後の対応策で頭が一杯だった。
「ただいまー、お母さん連れてきたよー」
「お邪魔します」
ナーヴァの後ろについて家へ入ると、ダズホフさんがすでに席について腕組みをして目を閉じていた。
「あら、おかえりなさい。スヴィルくん、いらっしゃい」
エリアナさんが右奥の部屋から籠を抱えて入ってきて僕に挨拶をした。
「あなた……挨拶はしたのかしら?」
エリアナさんがダズホフさんに尋ねると、ダズホフさんは片方の目だけを薄く開いて「ようこそ……」と僕を軽く一瞥して言った。
ナーヴァがため息を吐いて僕に耳打ちをした。
「お父さん、スヴィルに威厳のある姿を見せようとしているだけだから気にしないでね」
「うん……わかった」
僕も薄々は勘づいていた。
「スヴィルくん、話は聞いたわ……大変だったわね……」
エリアナさんが心配して声をかけてくれた。
「ありがとうございます。僕は何とか無事でしたけど……」
言葉に詰まりどう続けようか迷っていた。
「気の毒だが冒険者になった時点で彼らも覚悟は持っていただろう……感傷的な気持ちは持つなとは言わないが、切り替えられるようになっておかないと自身の旅の足枷にもなるぞ……」
ダズホフさんが姿勢を崩さないままアドバイスをくれた。
「はい、ありがとうございます。ダズホフさん」
ダズホフさんは目を瞑ったまま小さく頷いた。
「それじゃあ、ご飯にしましょう。ナーヴァ手伝ってね」
「うん」
(き、きた……)
「ご馳走になります」
僕の口からは心の声とは真逆の言葉が出ていた。
エリアナさんとナーヴァが奥の部屋に行き、食事の準備を始めた。
僕は今日の策を心臓の鼓動を感じながら思い返していた。
(ご、ご飯は前回と同じように強引に流し込ませよう……味わっちゃダメだ。体が拒絶してしまったら、策に支障が出てしまう。一番肝心なのは食べ終わった後の処理だ。ここで遅れると前回の轍を踏むことになってしまう……下手したら間に合わ……)
僕の緊張が伝わったのかダズホフさんが強者としての余裕を見せてきた。
「スヴィルくん……君はどうやらあれこれ考え過ぎる嫌いがあるようだね……男なら策を巡らすばかりではなく、相手に余裕を見せつけるぐらいであって欲しいものだ……」
「……ッ⁉︎」
まるで僕の心の中を完全に見透かされているようだった。
「さ……流石ですね……ダズホフさん」
テーブルに食事が並べられた。
今回の食事は果汁水とバゲットに挟んだロースト肉で、とても香ばしい匂いが食欲をそそった。
僕は必死になってエリアナさんの料理から逃れることばかり考えていたことや、ダズホフさんのような寛容さを持ち合わせていないことが、恥ずかしく情けなくてエリアナさんに申し訳なかった。
(もう、言い訳にもならないよ……美味しくいただこう)
僕らは女神に感謝の祈りを捧げ、「さぁ、食べましょう」とエリアナさんの勧めで食事を始めた。
食事が始まるや否や、ダズホフさんは一心不乱にバゲットに齧り付いた。
「へっ?」
ナーヴァとエリアナさんを見ると、あくまで上品に優雅さを醸し出しながらバゲットを小口で食べていた。
(な……何だか嫌な予感が……)
しかし、バゲットに挟まれた肉からは相変わらずいい香りが漂っている。
僕は己の心の狭さに喝を入れ、美味しそうなエリアナさんの料理にかぶりついた。
(硬っっったっ⁉︎)
バゲットが石のような硬さだった。
ダズホフさんの齧り付きはバゲットを噛み切るためだったのだ。
噛み切ったバゲットと肉が口内に入ると、あれだけ香ばしい香りを漂わせていた肉が一変した。
美味しそうな匂いは前回食べたシチューの自己主張が強い風味へ変貌していたのだ。
(何がどうなったらそうなるっ……⁉︎)
なかなか喉を通らないバゲットと肉を僕は果汁水で流し込もうと試みた。
果汁水の爽やかな喉越しで流し込もうと考えた僕が愚かだった。
果汁水は強烈な渋みで喉を通すどころか、バゲットと肉と一緒に仲良く喉を逆流してくる始末だ。
(こ、これは……ヤバい……⁉︎)
そう思いダズホフさんに目線をやると、ダズホフさんはニヤリと笑ったように見えた。
(くっ……このままでは……)
このまま負けるわけにはいかないと奮起し、文字通り命を削る気持ちで喉の奥にまで押し込み飲み込んだ。
いつしか僕の中で勝手にダズホフさんに負けてはならない勝負になっていた。
相変わらず優雅に食事をしているナーヴァとエリアナさんを横目に、僕とダズホフさんは目を血走らせながら早食い対決をするハメになっていた。
ダズホフさんは今回の食事に手こずっているようだった。
何よりも硬過ぎるバゲットと肉を噛み切るのに時間がかかり、僕はダズホフさんより早く食事を終えることができたのだ。
(やったぞ……巻き返した! 作戦通りにいける!)
僕はダズホフさんに申し訳ない表情を浮かべながら席を立った。
「ブヒブフン……ギビフ……」
「お父さん、食べながら話さないでよね」
ナーヴァに叱られているダズホフさんの表情は焦りを見せていた。
それだけでダズホフさんが何を言わんとしているか悟った。
(多分、僕に待つよう伝えたいんだろうな)
「ナーヴァ……ちょっと、外に出てるよ」
「うん、片付けとくね」
「ごめんね」
僕はここぞと言わんばかりに、ダズホフさんに男の余裕というものを見せつけていた。
外に出て小さくガッツポーズを決め、外便所へと歩みを進めた。
これで安心して用を足せる、そう思うと余裕なんてものは自然発生的に生まれてくるものだと知った。
僕は家の裏にある外便所の前へ来ると、扉に何か貼ってあった。
『危険に付き使用禁止!』
「……は?」
(いやいやいや、何で? そんなの聞いてないよ⁉︎ い、いつから? ど、どうしよう……)
さっきまであった余裕はあっさり消し飛んでいた。
そうなると事態が急転し、強烈な腹痛が僕を襲いはじめた。
「はぁっ⁉︎ ぐっ……!」
このまま使用してしまうのか、いや……人の家の便所を使用禁止状態で使うのは……とお腹を抑えながら悶々としていると、ダズホフさんがやってきた。
「ダ、ダズホフさん……使えないなら教えてくださいよ」
僕のお腹の状態は悪化の一途を辿っていた。
ダズホフさんは外便所の扉の前に来ると、大きなため息を吐きながら言った。
「スヴィルくん……これは確かに良くない状況だ。君はワタシが声をかけた時に耳を傾ける気はあったのかね?」
確かにダズホフさんは何か言っていたけど、食べながら話されても聞き取れるわけがない。
「ダ、ダズホフさん……あれは……うっ……⁉︎」
強烈な腹痛で後が続かずその場でしゃがみ込んでしまった。
額から冷汗が溢れ出てダメかもしれないと諦めかけた。
ダズホフさんはそんな僕を見てニヤリと笑みを浮かべていた。
「スヴィルくん……君は良くやっているよ……しかし、諦めても良いのかね?」
ダズホフさんは何故か余裕だ。
お腹を壊していないのだろうかと考えた。
ダズホフさんは外便所の扉を開けて中に入り、ゆっくりと扉を閉めていく。
「ワタシもそろそろ限界のようだ……スヴィルくん、健闘を祈るよ……」
扉を閉める間際にダズホフさんは貼り紙を剥がした。
この時、僕は全てを理解した。
「は……謀ったなーーっ!」
僕は思わず叫んでしまった。
僕のお腹は油断を許さない状態になってしまい体をよじらせて耐えていた。
(僕に『男なら策を巡らすばかりではなく、相手に余裕を見せつけるぐらいであって欲しい』とか言ってたくせに自分はしっかり策を巡らせてるじゃないかーっ!)
なんて叫び声を上げたら全て解放してしまいそうでムゴムゴと口の奥に飲み込んだ。
「スヴィル、何か叫び声が聞こえたけど大丈夫?」
後ろからナーヴァが声をかけてきた。
「い、いや……これは……」
油汗が止まらない。
よりによってナーヴァが来てしまい、彼女の前で全てを解放する姿を絶対に晒したくはなかった。
「ごめん! ナーヴァ急用を思い出したから……今日はこの辺で……」
僕は急ぎ駆け出そうとすると、ナーヴァが呼び止めた。
「あ、待って。明日の……」
「僕が迎えに来るよ! じゃあ!」
話を被せて急ぎナーヴァのもとから離れた。
全力で走っているつもりでもスピードが乗らず、宿までの道中で何度も立ち止まり、お腹を引っ込めたり体を捻ったりした。
宿の手前で万策尽きかけたが、一瞬緩んだ痛みの隙をついて全速力で便所へ駆け込み、難を逃れることができた。
ほんっと……勘弁してほしい……。




