第024話:中庭の検査
大通りの敷石を踏みしめながら、巨大な石造りの建物を目指して歩いた。
朝の測量室を出る前、ホルストが干し肉の端切れを包んで持たせてくれた。
通りの突き当たりに、石造り3階建ての重厚な構えが現れた。
王都の冒険者ギルド本部である。
開かれた大きな鉄扉をくぐると、乾いた革と鉄、古い紙、そして酒の匂いが混ざり合った独特の熱気が押し寄せてきた。
中央の広間は、吹き抜けの高い天井を持ち、壁一面に依頼書の掲示板が広がっている。
掲示板の脇には、王国の大きな略図が貼られ、依頼書の地名に合わせて赤い印が打たれていた。
印は街道沿いに固まり、北部は広く空いている。
剣を背負った戦士や、杖を手にした魔術師たちが掲示板の前に群がっていた。
その間を抜けて受付カウンターへ向かう途中で、ざわめきの波が不自然に途切れた。
すれ違った大柄な男が歩みを止め、ヴァルターの横顔を見つめた。
近くにいた数人も、同じように足を止める。
「おい……あれ、最上位のヴァルターじゃないか」
「嘘だろ、王都にいたのか」
「あの立ち姿……間違いねえ」
ささやき声が広間の一画に広がっていく。
ヴァルターは歩調を崩さず、前を向いたまま短く応じた。
「今は、測量室の護衛です」
ブルーノが先頭に立って受付の木製カウンターへ近づき、窓口の職員に声をかけた。
「鉱山町の支部で、魔獣の仮の保護許可を出してもらった者だ。テイマーに見せる手筈になっている」
「あ、はい……書面を確認いたします」
職員が鉱山町ギルド支部の青い印章が押された書面を受け取り、帳面と照合した。
腕の中に抱えられたフロッケは、飛び交う人々の声に耳を伏せ、ラースの胸元へと鼻先を埋めていた。
「少々お待ちください。中庭の担当者を呼んでまいります」
職員が奥の扉へと引っ込んでいった。
待合の木製ベンチの脇で待っていると、掲示板のほうから3人の男が近づいてきた。
先頭に立つのは、磨かれた胸当てを着けた20代前半の若い剣士だった。
腰に剣を下げ、不遜な笑みを浮かべてブルーノの前に立つ。
「おい、お前が噂の測量士か」
「なんだ、あんた」
ブルーノは表情を変えずに見返した。
「元最上位のヴァルターを護衛に雇うなんざ、どんな大物かと思えば、薄汚れた革服の男じゃねえか。腕前を確かめてやろうと思ってな」
若い剣士が手を伸ばし、ブルーノの胸倉を掴もうとした。
その指先が上着の襟に触れるか触れないかの瞬間、ブルーノの右手が下から伸びた。
若い剣士の手首が、外側へと軽く返される。
手首を返された若者は、踏ん張ることもできず、足をもつれさせて床へ座り込んだ。
ドスンと鈍い音が石畳に響く。
剣士の仲間2人が青ざめ、慌てて剣の柄に手を伸ばしかけた。
その手前に、ヴァルターが歩み出た。
「おやめください。隊長は、私より強いです」
ヴァルターの落ち着いた声に、広間がぴたりと静まり返った。
床に座り込んだ若い剣士は、返された手首を押さえながら、動くこともできずにブルーノを見上げていた。
怪我はどこにもない。
ただ重心を崩されて転がされただけだった。
仲間2人が慌てて若者の脇を抱え、ヴァルターとブルーノに向けて何度も頭を下げた。
「す、すみませんでした!」
若者を引きずるようにして逃げていく背中を見送り、ブルーノが肩を回した。
「喧嘩は後だ。今は、うちの新人の用事が先だ」
ラースは腕の中で丸くなるフロッケを抱えながら、その一部始終を見守っていた。
*
職員が戻ってきて、建物の裏手にある中庭へ案内してくれた。
高い石壁に囲まれた中庭には、一面に乾いた藁が敷かれ、大きな水桶が並んでいた。
日だまりの当たる木陰に、1人の男が立っていた。
20代後半に見える。
痩せ型の体つきで、頭の後ろに寝癖がついたままの茶色い髪をしている。
膝の破れたズボンを履き、手には木製のブラシを持っていた。
ブルーノたちに気づくと、男は目を合わせずに小声で頭を下げた。
「あ……どうも。ギルドでテイマーをしているクルトです。僕に用事ですか……」
「鉱山町で拾った白い獣の検査だ。ギルドの仮の許可証がある」
ブルーノが言うと、クルトは足元へと小さく口笛を鳴らした。
日だまりの藁の山から、ぬっと大きな影が立ち上がった。
灰色の毛並みを持つ、成体のフォレストウルフだった。
大型犬よりも一回り大きく、肩までの高さがラースの腰ほどもある。
灰色の成獣はのっそりと歩み寄り、ラースの腕の中にいるフロッケの前で立ち止まった。
フロッケが顔を上げ、耳を立てる。
次の瞬間、灰色の成獣は前足を折るようにして、フロッケに向けて先に頭を低く下げた。
クルトが寝癖のついた髪を押さえて声を漏らした。
「え……グラウが、頭を下げた……? 他の狼の子には、絶対にこんなことしないのに」
「グラウってのは、その狼の名前か」
「はい、僕の相棒です……あの子、ちょっと見せてもらってもいいですか」
魔獣の話になった途端、クルトの声から自信のなさが消え、柔らかく通る声へと変わった。
ラースは中庭の切り株の上に、フロッケをそっと下ろした。
フロッケは怯える様子もなく、前足を揃えて座り、クルトを見上げている。
クルトはフロッケの前にしゃがみ込み、細い指先で丁寧に体を調べ始めた。
「耳の付け根が分厚いですね。普通のフォレストウルフよりも、軟骨が頑丈にできています。それから、この爪……」
クルトが前足の指を広げた。
「爪が透き通った乳白色をしていますね。フォレストウルフの爪は黒か灰色です。牙の生え方も、わずかに間隔が広い。……それに、足の幅が大きすぎます」
「足の幅ですか」
ラースが尋ねると、クルトは自分の手のひらとフロッケの肉球を並べて見せた。
「月齢から考えて、この前足の大きさは異常です。雪の深い土地向きの足に見えます。……フォレストウルフにしては、おかしい」
「おかしい、とは」
ブルーノが腕を組んで問いかけた。
クルトは首を傾げ、フロッケの白い毛並みを撫でた。
「フォレストウルフの変異種、あるいは白子だと思っていましたが、骨の造りそのものが違うように見えます。魔力や地面の振動に敏感だったりはしませんでしたか」
「敏感でした」
ラースが即座に答えた。
「鉱山町の近くで、地鳴りの前に誰よりも早く吠えて教えてくれました。魔石の光にも、鼻を寄せていました」
「やっぱり……。大地の震えや魔力の気配に、普通の種より敏感なのかもしれません。群れに攻撃されていたのも、毛色の違いだけじゃなく、気配が群れにとって異質だったからかもしれません」
「じゃあ、この子は何の魔獣なんですか」
クルトはフロッケの頭を優しく撫でた。
「分かりません。少なくとも、この中央や南部では、見たことがありません」
*
「テイマーの正式な資格試験はどうなる」
ブルーノの問いに、クルトは立ち上がって作業机から帳面を持ってきた。
「本部の古い書庫にある、北部の魔獣記録と照合してみる必要があります。種が特定できないうちは、正式な登録証は発行できません。でも、仮の許可はそのまま延長できますよ」
「北なら、俺たちが湖まで行ってきた。足跡の記録は、鉱山町の支部から回ってるはずだ」
「あ、はい。大きな足跡の……拝見しました。それも、一緒に調べます」
クルトはフロッケの首に下がった小さな真鍮札を裏返し、机の上の金属印を押し当てた。
札の裏に、本部の承認を示す細い星の印が刻まれる。
「ラースさん、でしたね」
「はい」
「テイムの魔法を、学びたいんですよね」
「はい。自分で面倒を見られるようになりたいです」
ラースがはっきりと答えると、クルトは頷いた。
「それなら、今日からできる最初の一歩を教えます。道具もいりません」
「どんなことですか」
「毎朝、同じ場所で、この子の名前を3回呼んでください。そして、返事を待つんです」
「返事……ですか」
「声を出して鳴かなくてもいいんです。耳をピクッと動かすのでも、尻尾を一振りするのでも、こちらを見るのでもいい。呼ばれたことに気づいて、何かひとつ返してくれるのを、しっかり待つことです」
クルトがフロッケの鼻先を指で突いた。
「呼ぶ側が急いじゃいけません。待つのが、仕事です」
「毎朝、同じ場所で3回ですね。やります」
「今、やってみてください」
ラースは切り株の前にしゃがみ、フロッケの目の高さまで顔を下げた。
「フロッケ。フロッケ、フロッケ」
「急がないでください。間を置いて」
「……フロッケ」
白い耳が、片方だけ動いた。
「……フロッケ」
フロッケは顔を上げ、ラースを見た。
それから、尻尾を一度だけ振った。
「それです」
横から、ブルーノが口を挟んだ。
「毎朝は多いんじゃねえか。朝は馬の世話もあるぞ」
「多くないですよ。食事の前に名前を呼ぶだけですから、1分もかかりません」
クルトは表情を変えずに、ブルーノに返した。
ラースが抱き上げると、フロッケは腕の中でもう一度、尻尾を振った。
中庭の出口へ向かいかけたとき、クルトがふと思い出したように声をかけた。
「あの……ラースさん」
「はい」
「この子の骨格や爪を見る限り……この子の親は、湖より北にいるかもしれません」
「……親のところに、返す、ということですか」
「分かりません。ただ、その時は、この子が決めることだと思います」
ヴァルターが立ち止まり、北の空を見上げた。
高いギルドの石壁の向こうに、青く澄んだ北の空が広がっている。
ブルーノが長靴の泥を払いながら、短く言った。
「どのみち、次は湖の先だ」
ラースは腕の中の柔らかな温もりを確かめ、フロッケをしっかりと抱え直した。
薄い真鍮の札が、歩くたびに小さな金属音を立てていた。




