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地図にない場所へ、のんびり馬車で行きます ~はみ出し者部隊の旅~  作者: 草むしり50年


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第001話:北への車輪

 冒険者になれば、冒険ができると思っていた。

 養成施設で知った冒険者の行き先は、依頼書に書かれた場所だけだった。


 だから、自分は。

 脇に抱えた修了証の真鍮筒を、ラースは握り直した。


 王都の北門をくぐる手前で、ラースは足を緩め、朝の雑踏の中に目当ての馬車を探した。

 指定された広場の隅に、泥のはねた車輪に当て木がされた濃緑色の幌馬車が停まっていた。

 王立の部隊の馬車というより、行商人が使い古した荷馬車に近い。


 荷台の奥には、麻布で巻かれた長い棒や縄の束、木箱が雑然と積まれている。

 その隙間に、荷を押し込んでいる巨躯の後ろ姿が見えた。

 丸太のような肩が、布越しにも盛り上がっている。


 ラースが声をかけあぐねていると、馬車の陰から男が姿を現した。

 中背だが肩幅が広く、日に焼けた腕には古い切り傷がいくつも走っていた。


「新入りだな。ラースか」

「はい。本日から配属となりました、ラースです。よろしくお願いします」

「おう。俺が隊長のブルーノだ」


 ブルーノは無精ひげを撫でると、馬車の横へ顎をしゃくった。

 背の高い男が一人、そこに立っていた。

 暗い茶色の髪を首の後ろで低く束ね、立ち姿に少しの揺れもない。


 男は無言のまま、ラースの私物の革袋をすっと引き取ると、荷台の空きスペースへ手際よく収めてくれた。


「で、こっちが護衛のヴァルターだ」


 その名が耳に届いた瞬間、ラースの指先から力が抜け、抱えていた修了証の真鍮筒が滑り落ちかけた。

 慌てて両腕で抱え直したが、喉の奥が張りつき、声が出ない。


 ヴァルター。

 養成施設で最上位ランクの手本として語られていた元冒険者の名だ。

 配属の書面には護衛が1人としか書かれていなかった。


 男は、固まったままのラースを前にして、眉一つ動かさず、軽く頭を下げた。


「元、です」


 隣でブルーノが小さく鼻を鳴らした。


「あの……養成施設で、お名前を何度も聞いていました」

「そうですか」


 ブルーノが、喉の奥で笑った。


「聞いたか。『そうですか』だとよ。可愛げのねえ奴だろ」


 ヴァルターは、眉一つ動かさなかった。


「ほら、突っ立ってないで乗りな。出るぞ」


 道端の草を食んでいた大きな栗毛の馬が、草を咥えたまま、のろりと首を上げた。

 その隣の小柄な黒鹿毛が、先に歩き出そうとして、手綱に引き戻される。


「ブリッツ、草は後だ。シュネッケも焦るな」


   *


 門を抜けると、馬車は北へと延びる平野の街道を進み始めた。

 中央地方の街道は石畳と突き固められた土で整えられており、車輪の軋みも規則正しい。

 幌の隙間から、刈ったばかりの草の匂いが流れ込んでくる。


 荷台の木箱に腰を下ろしたブルーノが、縄の結び目を解きながら口を開いた。


「今回の任務は、北部の地図を作ることだ」

「北部の、ですか」


 ブルーノが膝の上に、角の擦り切れた図を広げた。

 北の側は、細い線が途切れ途切れに走るだけで、大半が白いままだ。


「北は昔、俺が1人で測ったが、1人の記録じゃ公式地図にならねえ。だから隊で行って、きっちり測り直す」


 ラースは気づけば、図の白い部分に指を伸ばしていた。


「ここ全部、まだ誰も測ってないんですか」

「測ってねえ場所の方が多い。だから行くんだ」


 ブルーノは、ラースが膝に抱えた修了証の真鍮筒へ、顎をしゃくった。


「お前、養成施設の出だろ。その修了証があれば、冒険者の登録もできたはずだ。なんで、うちみたいな隊に来た」

「地図の白いところに行ける仕事は、ここしかなかったので」


 ブルーノは鼻で笑ったが、否定はしなかった。


 誰も測っておらず、誰も行っていない場所へ、これから自分が行く。

 ラースは白い余白の端を、指でなぞった。


 仕切り布が持ち上がり、御者台にいた大柄な男がぬっと顔を出した。


「ねえ隊長、北には温泉があるの?」

「ある。仕事のあとだ」

「ならいいわ。それだけが救いよ。アタシ、肌のお手入れにはうるさいんだから」


 男は太い腕を組み、満足そうに引っ込んだ。

 荷台の奥では、大きなローブにくるまった人影が、毛布に埋もれて揺られている。


 その手前で、髪を高く結んだ女が道具箱を点検していた。

 袖口をまくった手の甲には、油汚れと細かな傷が刻まれている。


 ブルーノが木箱の上から、順に指を差した。


「あっちのローブがイルゼ、魔法使いだ。手前で工具持ってんのが道具番のマルタ。さっき引っ込んだのが飯係のホルスト。じきに慣れる」


 毛布の山から指先だけが出て、ひらひらと揺れた。


 御者台の仕切り布が、ばさりと開いた。


「ちょっとアンタ。アタシの飯は、残したら承知しないわよ」

「……残しません」

「あら、いい子ね。気に入ったわ」


 馬車が街道の段差を越え、大きく跳ねた。

 不意に身体を揺さぶられたラースは、体勢を立て直そうとして、足元の木箱へと手を伸ばした。


 指先が真鍮の金具に触れた瞬間、工具を持っていたマルタの鋭い声が飛んだ。


「おい新人、壊すなよ」

「あ、すみません」


 ラースが慌てて手を引くと、マルタは手の油を拭いもせず、箱の蝶番を指先で確かめてから、ふんと小さく息を吐いた。


   *


 昼を過ぎるころには、ブルーノは木箱にもたれて舟をこぎ、イルゼは毛布の山から一度も顔を出さなかった。

 御者台ではホルストが、でたらめな歌を機嫌よく歌っている。


 街道の脇に、麦畑が延々と続いていた。

 畝の数を数えかけて、ラースはやめた。


 小川に水車が1つ、のんびりと回っている。

 屋根を数えると、30戸ほどしかない。


 村の入口で馬車を止めると、ブルーノが荷台から測量棒と縄を下ろした。


「ミュールバッハ村か。よし、北への起点につなぐ。街道沿いの距離を取るぞ」


 ラースも馬車から飛び降り、渡された測量棒を抱えて街道の端に立った。


 ブルーノが縄の端を地面に当てたその時、麦畑のあぜ道から男が駆け寄ってきた。


「おい! 何をしている!」


 粗末な麻の服を着た、60代ほどの男だった。

 日に焼けた顔に深い皺を刻み、手を振り回している。


「村長のゲルトだ。ここで測りものをされちゃ困る!」


 ブルーノが縄を引く手を止め、無精ひげを撫でた。


「邪魔はしねえよ。街道の長さを確かめているだけだ」

「そう言って十数年前も同じように測った後、年貢を跳ね上げただろうが! 役人の手先め、畑の広さを誤魔化そうったってそうはいかんぞ」

「俺たちは税の役人じゃねえ。地図を作っているんだ」

「どっちも同じだ! 測る奴に碌な奴はいやしねえ。今すぐ立ち去れ!」


 ゲルトは頑としてその場を動こうとしなかった。

 畑のあちこちから、鍬を持った村人たちが遠巻きに睨んでいる。


 揉める2人の少し後方で、ヴァルターが黙って村の木戸まで歩いていった。

 小川にかかる橋の板を踏み、街道の先を振り返ってから戻ってくる。

 腰の剣に添えていた手は、いつの間にか下りていた。


 ブルーノは手繰り寄せた縄を荷台へ放り込んだ。


「やれやれ、これじゃ作業にならんな。今日は村の外れで野営だ。続きは明日に回すぞ」

「隊長。あれ、本当に年貢のための測量じゃ、ないんですよね」

「測る奴が信用されねえのは、昔からだ」

「でも、俺たちは違います」

「それは、飯の後で言え。口より飯だ」


   *


 村の境界から少し離れた空き地に馬車を寄せ、野営の準備が始まった。

 平らな石を拾い集め、ぐらつくものは足で弾いていく。

 残った6つで、竈の形になった。


 ブルーノが、縄を巻き取りながら言った。


「ぐらつく石は、足で弾いて確かめろ。鍋が載ってからじゃ、遅いぞ」

「はい」


 毛布を肩に引っかけたイルゼが、竈の前にしゃがみ込み、「ファイア」と呟いた。

 指先に灯った小さな火を薪へ移すと、パチパチと炎が立ち上がる。


 そこへ、清潔な白い布のエプロンをつけたホルストが、鉄鍋を抱えて歩いてきた。


「あらイルゼ。アンタ、いたのね。昼間ずっと静かだったから、荷物かと思ったわ」

「……寝てる間に、魔力を溜めてたの」

「火は上等ね。……問題は水だわ。魔法の水も悪くないけど、煮込みの水は、その土地のものを使いたいのよ。土の匂いが染みた野菜には、同じ土地の水が一番合うの」


 足元の木製の手桶を見下ろし、ラースは口を開いた。


「俺、ちょっと見てきます。井戸で分けてもらえないか頼んでみます」


 ブルーノの返事を待たずに、手桶と、片付け損ねていた測量棒を掴んで村の小道へ駆け出した。


 石積みの井戸には、10歳ほどの短い髪の少女が佇んでいた。

 遠巻きに馬車を眺めていた子だ。


「こんにちは。少し水を分けてもらってもいいかな」


 ラースが声をかけると、少女は一歩退いたが、小さく呟いた。


「……釣瓶、重いよ」

「大丈夫。力仕事には慣れてるから。俺はラース。君は?」

「……リーネ」


 ラースが冷たい地下水を汲み上げる間、リーネはずっとラースの手元の測量棒から目を離さなかった。

 木肌に等間隔の目盛りが刻まれている。


「お兄ちゃんたち、何をしてるの? おじいちゃんが怒ってたけど」

「怪しい者じゃないよ。これ、測量棒って言うんだ。こうやって地面に立てて、道の長さを測る道具なんだよ。ほら、持ってみる?」


 ラースは棒を差し出した。

 リーネはおずおずと手を伸ばし、測量棒の目盛りを指先でなぞった。


 そこへ、縄の束を肩に掛けたブルーノが足音もなくやってきた。


「持つのはいいが、倒すなよ。目盛りが狂う」

「た、倒さないよ。……これ、畑を奪う道具じゃないの?」


 ラースは首を横に振った。


「畑は測らないよ。測るのは道だけ。ほら、棒を井戸の縁に立ててみて」


 ブルーノが縄の端を、ラースの足元へ放った。


 リーネが両手で棒を立てる。

 ラースは縄の端を棒の根元に結び、小道の先の木戸へ向かって縄を伸ばしていった。


 木戸の前で足を止め、縄の結び目を数える。


「結び目が12個! 井戸から木戸まで、12メートルだ!」


 リーネは測量棒を握りしめたまま、小道の先を見た。


「……道だけなんだ」


 その口元が、わずかに緩んでいた。


   *


 夕暮れの風が麦畑を渡り、大鍋の湯気の中で、香草と干し肉の匂いが同居している。

 その匂いに誘われ、村人が一人、また一人と姿を現した。


「ほら、アンタたちも座りなさいな!」


 ホルストが大鍋の蓋を取り、木椀にたっぷりと煮込みを注いで配り始めた。

 リーネに手を引かれてやってきたゲルトも、渋い顔のまま丸太に腰を下ろした。


 ラースも椀を受け取り、一口すすった。

 干し肉の塩気のあとに、根菜の甘みが追いかけてくる。


 ゲルトは差し出された椀を受け取り、隣のブルーノへ一度だけ低い声を向けた。


「……本当に、畑の年貢を調べるわけじゃないんだな」


 ブルーノは手元の椀を軽く揺らし、短く答えた。


「俺たちの地図に載るのは、道と川と山の長さと向きだけだ。畑の持ち主なんぞ書かねえよ。年貢の帳面は、税の役人に聞け」


 ゲルトは何も言わず、顎を一度だけ引いた。

 それから木匙を取り、熱い煮込みを口へ運ぶ。

 椀の底まで、さらっていった。


 大鍋の横で、鍋底を木べらでこそげながら、ホルストが満足そうに胸を張った。


「あらやだ、遠慮しないで食べなさいよ。アタシの料理を残す気じゃないでしょうね。……おかわりはあるんだから」


 ゲルトが、空になった椀を置いて、ぼそりと言った。


「……北へ行くなら、森の奥へは入るな。近頃、でかい熊の足跡を見たって奴がいる」


 ブルーノは椀を傾けたまま、返事をしなかった。


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