22 店舗巡り
レストランを出た二人は、男の子用の服屋と食料品店に向かった。
「服屋と食料品店の所在地は分かりますか?」
ソラが尋ねると、テルは考えながら答える。
「服屋は6条4丁目、食料品店は5条6丁目だったと思うわ」
「じゃあ、服屋はここから道なりに行って600m、直線で447mくらい、食料品店は道なりに行って700m、直線で500mくらいですね」
ソラが店までの距離を暗算で計算して告げると、テルは、もう驚かないわ、と応じた。
「地図上でレストラン、服屋、食料品店の場所を直線でつなぐと、直角三角形ができますね」
ソラが付け加えると、テルは、そんなことまで分かるの、と目を丸くした。
歩きながら、ソラは直角三角形の判定方法について、頭の中で復習する。
――ジンノ村のお店の所在地もそうだけど、平面の一つの点は二つの数で表せるよね。例えば、東西方向を先に書けば、レストランは(2, 2)、服屋は(4, 6)、食料品店は(6, 5)だ。服屋からレストランへの変位は(-2, -4)、服屋から食料品店への変位は(2, -1)だ。
ソラは、一点とそれを起点とする二つの変位で決まる三点が作る三角形が、直角三角形になるかどうかを判定する方法を整理する。まずピタゴラスの定理は、直角三角形の斜辺の長さの2乗が、他の二辺の長さの2乗を足したものに等しいと言っていることを思い起こす。
――直角三角形の一つの頂点から他の二頂点への変位を記号でそれぞれ(p, q)、(s, t)と表そうか。すると、斜辺の変位は(p引くs, q引くt)だから、ピタゴラスの定理と組み合わせると、p掛けるs、足す、q掛けるtが0になる。師匠の講義では、これを変位の内積と呼んでいた。つまり、直角三角形ならば内積は0だ。
ソラは、ジンと議論している中で、この性質の逆も成り立つことを見出した。つまり、内積が0となる三角形は直角三角形だけである。
三角形を決める二つの変位の内積が0ならば、その三角形の二辺の長さa、bの2乗を足したものは残りの辺の長さcの2乗に等しくなる。一方で、辺の長さがa、bの直角三角形を考えると、ピタゴラスの定理から斜辺の長さはcである。
――だから、これら二つの三角形は合同で、対応する角度も等しくなる。これで、直角三角形になると分かる。師匠は、こういう理詰めの推論を証明と言っていたな。
ジンは、証明の最後に、よくQ.E.D.と付けていた。クォド・エラト・デモンストランドゥム。なんか子供のときにやった魔法使いごっこの呪文みたいだな、とソラは最初に聞いたときに思った。実際の魔法使いは呪文なんて唱えないのに。証明終わりでいいじゃないですか、とジンに口答えしたのを覚えている。
ソラは、直角三角形かどうかを判定するこの方法を、服屋、レストラン、食料品店の所在地に当てはめる。服屋を起点とすると、レストランの変位は(-2, -4)、食料品店の変位は(2, -1)だから、両者の内積は0。よって、これら三店が作る三角形は直角三角形になる。レストランの変位と食料品店の変位のなす角度は直角、つまり両者は直交する。
――師匠は、変位もベクトルとして扱うと言っていたな。
ソラは、ジンが内積に関して述べた注意を振り返る。数を並べてできるベクトルでは、何も考えずに形式的に内積を計算することができるが、それが実世界の対象の適切なモデル化になっているかどうかは、実世界の対象に依存する。
例えば、ジンノ村と異なり、道路が直角に交わっていない村で、道路の番号を使って建物の所在地を表す事例を考える。第一の方向への変位は(1, 0)、第二の方向への変位は(0, 1)だから、内積計算からは二つの道路は直交していると判断されてしまう。つまり、現実世界と合致しない不適切なモデル化となる。
――ジンノ村では、東西方向の道路と、南北方向の道路が直角に交わるから、100m四方のブロックを点で代替している単純化はあるにしても、所在地の変位の内積は現実世界の適切なモデル化になっているんだな。内積は、なんらかの意味で、直交していると言える尺度で測った数を並べたベクトルに適用するのがよさそうだ。
ソラは、HPとMPの組で表されるステータスのベクトルに内積を適用することが適切かどうか、ぼんやりと考える。
――ステータス(1, 0)と(0, 1)はHP、MPの一方が0なのだから、どちらも死亡だ。でも、死亡の原因が違うから、原因分析をするような問題であれば、死亡原因を図示するのに内積が使えるかもしれない。また、これらをHP、MPの変化量を表すベクトルと考えると、ポーションで自然回復を促進するような問題の分析手段として内積が使えるかもしれないな。
内積を考えるのに夢中だったソラは、曲がるべき交差点をまっすぐ行こうとして、テルに止められる。
「まったく、ソラちゃんたら。ボンヤリしていると、危ないわよ」
テルに注意され、ソラは、すみません、考え事をしていました、と謝った。
――内積について考えていたのに、直角に曲がるところを直進するなんて、なんの冗談なんだか。
二人は、しばらく黙って歩き、男の子用の服屋に到着した。
「ソラちゃんは、どんな服が好きなの?」
テルの問いかけに、ソラは頭をひねって答える。
「社長になりたいです!」
ソラの答えはテルの予想の斜め上だった。テルは笑うのをこらえ、しばらく悩んでから口を開く。
「白いストライプシャツにベルベットの蝶ネクタイ、明るいカーキ色のパンツで、きちんとした感じにまとめるのはどうかしら」
服飾の知識のないソラは、お任せします、と返した。
店員に服を選んでもらい、ソラは、試着室で着て鏡を見る。
――これはこれで似合っているのでは?
ソラは、試着結果に満足感を覚えた。テルにも見てもらう。
「かわいくて凛々しいわ! 小さい社長さんに見えるわよ」
テルの評判もよく、ソラは、試着した服一式を購入することにした。
服の代金を作ったばかりのマネーカードで支払い、店を出る。
「ところで、ソラちゃん、なんで、社長になりたいの?」
「社長ってかっこいいと思いませんか? まず形から入ろうと思って」
ソラの答えに、テルは、確かにそうね、と相槌を打った。
話をしているうちに、二人は食料品店に到着した。
「初めての調理だから、包丁を使わない料理にしましょう」
テルの提案にソラは首をひねった。
「そんな料理があるのですか?」
ソラが尋ねると、テルは自信たっぷりに答える。
「いろいろあるわよ。今夜はとりあえず、トーストとゆで卵でどうかしら?」
「なるほど、包丁はいらないですね。でも、そんな簡単な料理でいいのですか?」
ソラが確認すると、テルは、にやりと笑った。
「見るのと、やるのは大違いよ」
ソラは分かりました、と答えた。
食パン、卵、ハム、チーズなどをマネーカードで買い、二人は寮に戻った。




