23 調理
寮の廊下で、テルはソラに向かって話しかける。
「まだ、ちょっと夕ご飯の準備には早いから、一時間くらいしてからソラちゃんの部屋に行くわ。それまでパン以外の食材を冷蔵庫に入れておいてくれる?」
ソラは、はい、入れておきます、と応じた。
一旦、テルと別れて、部屋に入り、食材を冷蔵庫にしまう。
買ってきた服のタグを外してクローゼットに掛けて、一息ついたところで、ノックの音がした。
ソラはドアを開け、テルを招き入れる。
「じゃあ、夕ご飯を作りましょうか」
「よろしくお願いします」
テルの掛け声とともに、夕食作りが始まる。
「コンロの使い方は分かるかしら?」
「いえ、全然」
ソラの返事は予想通りであった。テルはコンロについて説明する。
「これが、備え付けの三口コンロよ。ここに描いてある丸の上に鍋などを載せて温めることができるわ。温める程度は、手前のボタンで調整するの」
テルは、棚から鍋を取り出し、水を入れてコンロの上に置いた。
コンロのボタンを押して、しばらくすると、鍋の底から泡が出てきた。
「この泡は水蒸気と言って、水が気体になったものよ。水が熱くなると出てくるわ。沸騰するともっとブクブクしてくるから、そうしたら卵を入れるの」
ソラはブクブクと泡が出るのを見計らって、冷蔵庫から卵を一つ取り出して、鍋に入れた。
途端に、殻にひびが入り、白身がひびからはみ出してくる。
――あ~、卵が割れてしまった。
失敗してうなだれているソラを見ながら、テルが告げる。
「どう、結構難しいでしょ? 冷蔵庫に入れておいた卵をいきなり熱湯に入れると、こうなるわ」
――知っていたなら教えてほしい。
ソラの心の内を読んだかのように、テルは諭すように言う。
「一度は失敗しないと身につかないから、黙ってたのよ」
テルは、卵が割れないようにする三通りの対策を述べる。
A:卵を冷蔵庫から早めに出し室温に戻しておいて、お湯でゆでる
B:水からゆでる
C:お湯に酢を加えてゆでる
「Aのデメリットは、室温に戻す手間がかかることね。Bのデメリットはお湯になるまで見ている必要があること、Cのデメリットは酢が必要なことよ」
テルはそう言って説明を終えた。
「今日は酢は買ってきてないです」
ソラが付け加えると、テルはじゃあ、AかBね、と返した。
「AとBでは、どっちがいいんですか?」
ソラが尋ねると、テルは淀みなく答える。
「先にやる別の作業があるならA、急いでいるならBね」
――なるほど。卵を冷蔵庫から出しておく作業は、見張っている必要がないから、その間、別の作業ができるのか。複数の作業が並行してできれば、全体の作業時間を短縮できるな。この考え方は、調理以外にも使えそうだ。でも、今は卵をゆでる作業しかないから、冷蔵庫から出しておく時間、テルさんを待たせてしまう。
ソラは、両案について検討した結果、じゃあBでやってみます、と応えた。
ソラは、割れた卵を皿に移すと、鍋に水を入れ直して、そこに卵を一つ入れた。
ふたたびコンロのボタンを押す。しばらくすると、鍋の底から泡が出てくる。
「そういえば、ソラちゃんって、ゆで卵はどのくらいの硬さが好きなの?」
テルの質問に、ソラは半熟です、と答えた。
テルはそれを聞いて、ソラに指示を出す。
「だったら、沸騰して7分くらいしたら、コンロを止めて、卵を水を張ったボウルに移して冷やしてね。とろとろなら5分、固ゆでなら9分くらいよ」
――沸騰してからの時間と卵の硬さには、決まった関係があるんだ。両方とも数として考えれば、硬さは時間の関数だ。ざっくり、時間、引く、5みたいな関数かな。
テルの説明で、ソラは、ジンから教わった関数を思い返す。
ぼーっとしているソラに、テルの声が掛けられる。
「卵の黄身が偏らないように、ゆではじめは卵を回した方がいいわよ」
ソラはそうなんですか、と感心して、フォークで卵をしばらく回した。
鍋と時計を交互に見ながら、沸騰してからの時間を測り、7分待った。
コンロを止めて、卵を水を張ったボウルに移す。
「2、3分冷やしたら、ボウルの下に押し付けて、殻にひびを入れて、そこからむいていくと綺麗にむけるわよ」
テルのアドバイスに従って、ソラは黙々を殻をむいた。
むき終わった卵を皿に移す。
「できました」
ソラが報告すると、テルは嬉しそうにソラを褒める。
「初めてにしては、上出来よ。私も食べたいからもう一つゆでてくれる? さっきの割れた卵も捨てるのはもったいないから、一緒にゆでましょう」
ソラは、分かりました、と返事をして、冷蔵庫からもう一つの卵を取り出し、割れた卵と一緒に鍋に入れた。
「私は固ゆでが好きなの。だから沸騰してから9分ね」
テルの要望に、ソラは承知しました、と応答して、再び、鍋と時計を交互に見ながら、沸騰してからの時間を測り、9分待った。
コンロを止めて、卵を水を張ったボウルに移し、さきほどと同様に殻をむいた。一つは綺麗にむけたが、割れた方は綺麗にむけず、ぐちゃぐちゃになってしまった。
「一つは、ぐちゃぐちゃになってしまいました」
ソラが申し訳なさそうに伝えると、テルは慰めるように言う。
「これはこれで使い道があるの。とりあえず皿に移してね」
ソラははい、と言って、卵を皿に移した。
「じゃあ、次はトーストよ。備え付けのオーブンを開けて、食パンを二枚、置いて、その上にチーズとハムを乗せてもらえるかしら」
テルの言う通りに、ソラは食パンを置き、スライスされたチーズとハムをそれぞれ一枚ずつ乗せた。
「包丁は使わないと言ったから、私が代わりにやるわね。さっきのぐちゃぐちゃになったゆで卵を適当に切って、ハムの上に乗せて、塩、コショウを少し振るの」
テルはそう言った後、慣れた手つきでゆで卵を手のひらの上で切り、ハムの上に乗せ、塩、コショウを振った。
「これで5分くらい加熱するわ。その間に、お茶を用意してほしいの」
ソラは、テルの依頼に応じて、お茶を二杯入れカップをテーブルに置いた。
テルは、オーブンからパンを取り出して、皿に置いた。
「じゃあ、食べましょうか」
二人は、いただきます、と言って食べ始めた。
ソラは、ゆで卵に塩を振って、かじりついた。よし、ちゃんと半熟だ。テルのゆで卵を見ると、固ゆでになっている。やはり、卵の硬さは時間の関数だ。ソラは嬉しくなった。
「ソラちゃん、どう。自分で作った感想は?」
「食べるまでに色々な作業が必要だと分かりました。でも、自分で好きなものを作れるのは楽しいです。朝食くらいなら、自分でできると思います」
ソラが感想を述べると、テルは遠慮がちに話を切り出す。
「じゃあ、明日から朝食は別々にしていいかしら? 朝は忙しいから簡単なものしか作れないし」
「はい、それで大丈夫です。朝、部屋を移動するのはあわただしいですし、ボクも助かります」
ソラの回答を聞き、テルは、ほっとした表情を浮かべた。
「そう言ってもらえて、助かったわ。ソラちゃんと食事するのは楽しいけど、朝はとにかく忙しいから、少しでも時短したいの」
ソラは、分かります、と同意して、ゆで卵の残りを口に入れた。
食事を終え、テルは皿の洗い方をソラに教えた後、自分の部屋に戻っていった。
ソラは風呂に入った後、ベットで今日一日を振り返る。街歩きや買い物、調理と、盛りだくさんだった。明日も休みだ。何をしようか。
考えているうちに、ソラはいつの間にか眠りについていた。




