第一章 白砂プロトコル A.D.203X年 春 3
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必要なものは、夕方になると紙の束になって届いた。
増床計画、人員宿舎、冷凍保管庫、港湾警備、発注金額の桁。
その上に、塩見の付箋が何枚も貼られている。
付き添い用の毛布
三歳用スプーン(深いと食べない)
子ども歯ブラシ(大人用は親が泣く)
吐いたとき用の替えTシャツ
夜中に鳴らない爪切り
制度が大きくなるほど、塩見の字は小さいもののほうへ降りていく。
「これ、誰が拾うと思ってるんですかね」
塩見は予算書の端をめくりながら言った。
「研究棟は増やすのに、歯ブラシは行間です」
「行間にも予算は要る」
美沢が言うと、塩見は肩をすくめた。
「だから書いてます。子どもは制度の都合で口の大きさ、変わらないんで」
その山のいちばん上に、国外支援の申し出一覧が重ねられていた。
先頭に、エイドリアン・ヴァン・デル・レイ財団。
翌朝のオンライン会議で現れたエイドリアンは、想像より静かな男だった。暗色のスーツ、白い壁、余計なものの映らない背景。相手が口を挟みそうな箇所だけ、わずかに速度を落として話す。
「今回の事象は、国境単位で閉じるには早すぎます。こちらが提供できるのは資金、演算資源、宇宙環境観測データへの優先アクセスです」
英語の抑揚がきれいすぎて、逆に温度が読みにくい。
「代わりにお願いしたいのは、患者識別子を外した時系列データの逐次共有。加えて、発症前二週間の生活ログです。睡眠アプリ、見守りカメラ、ベビーモニター、家庭内環境センサー、可能なら動画と音声も。夜間発症帯の直前行動を粒子イベントと突き合わせたい。採血条件と画像形式の統一については、昨夜の中央会議で合意済みと理解しています。槙原さんからも同じ認識を伺っています」
生活ログ、という語が、美沢の頭の中で一度、日本語に落ちなかった。寝息、寝返り、夜明け前の咳、眠い声で子の名を呼ぶこと。どれも本来、提出物の名前ではない。
睡眠アプリ、見守りカメラ、と並んだところで、塩見が机の端を押さえる指に力を入れた。爪の先が白くなる。
「それ、病棟じゃなくて家の中です」
マイクを切ったつもりの小さな声だったが、通信室の静けさのせいで誰にでも聞こえた。
一拍の間を置いて、エイドリアンはその声に触れなかった。
「家族説明と同意は国内制度を優先します」
美沢は言った。
「共有が同意より先に走る運用にはしません」
「当然です」
返答が滑らかすぎた。
断る理由を先回りして削っていく。
慣れている人間の話し方だった。
「動画や音声は、同意を得ても目的外に広がりやすい」
美沢は続けた。
「寝ている子どもの記録は、医学データである前に生活です」
エイドリアンは、そこで初めてほんの少しだけ目を細めた。
「理解します。ですが、最初の七十二時間で失われる情報もある。回収が遅れれば、二度と取れない」
善意の言い方だった。
だから余計に厄介だった。
会議が切れると、通信室に短い沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは塩見だった。
「毛布の次は寝顔ですか」
朽木が苦笑した。
「毛布も出すと思います。その代わり、毛布を何分で使ったかまで欲しがる」
「夜泣きの声まで『有用なシグナル』って呼ぶんでしょうね」
塩見は椅子の背にもたれた。
「熱出した時間も、吐いた回数も、親が何にうなずくまで何秒かかったかも、みんな役に立つデータになる」
朽木は卓上マイクのコードを指で巻いたりほどいたりしてから、ようやく言った。
「悪い人って感じじゃないのが、いちばんやりにくいですね」
美沢は覚書を閉じた。
善意で進んだ運用は、後々追うと痕が薄い。
そこがいちばん厄介だった。




