非日常の侵食
4限目、科目は古典。教師の高橋芽郁が源氏物語の成り立ちについて概略を解説し終え、宿題としてノートへの書き取り範囲を黒板に記している。昴は教科書を確認、メモを取りながらふと、悠太へ視線を向けた。彼は窓際の席でアクビを1つし、窓の外、校庭をぼんやりと眺めている。なるほど、成績が壊滅状態なワケである。まるで先生の話を聞いていない、ノートも取っていない。今まで悠太の成績を詳しく聞いたことはないが、ほぼ確実に赤点なのだろう。それはそれとして、ぼんやりと外を眺める悠太は可愛らしいと昴は思う。手足は細く、長い。顔つきや身体つきは小学生の頃とあまり変わらない。黒く艶のある髪はあまり整えられておらず、全くの自然体で凄くキュートだ。今までちょっと冴えない印象と思っていたが、よく見るとたくさんチャームポイントを持っているのだなと昴は感じた。(注:片想いフィルター越し)
少しばかり悠太を観察していると、板書がずいぶんと進んでいた。昴は慌てて消される前にノートに書き写していく。チラリと壁時計を確認すると、間もなく給食の時間だった。今日の献立は何だったかと思いを巡らせる視界の端に先ほど見た壁時計があり、何故か意識がそちらに向いてしまう。時計盤の数字、9と4を結ぶ赤い直線があるのだ。
「……?」
昴が視線を向けると赤い直線が口のように開き、白く大きな歯を覗かせた。
「うわあああッ!?」
驚いた昴は勢いよく仰け反り、椅子ごと背中から倒れ込んだ。強く打ち付け、酷く咳き込む。
「沢渡くん!?」
板書をしていた高橋教師が驚いて声を上げた。昴が顔を上げて壁時計を見ると、普段通りの何の変哲もない壁時計がそこにある。
「おいおい、大丈夫かよ?」
などとクラスメイトが声を掛けてくる。周囲を見渡すと、悠太が驚いた様子でこちらを見ているのを認識できた。
「――、あ、いや、大丈夫。」
恐らくクラスの誰もが、昴はバランスを崩して叫び声を上げたのだろうと思っているのだろう。しかし真実は違う。今の出来事について相談できる人物を、昴は1人しか知らなかった。
給食を食べ終わって昼休み。校内放送では、何やら最近流行りの邦画のサントラが流されていて、悠太は自席で興味ないなーと思いながらスマホで月刊ミューのサイトを繰っていた。と、不意に腕が掴まれる。
「え!?」
見上げると昴の顔があった。気のせいか、笑顔が硬いように思える。
「悪い、ちょっと話に付き合ってくれ。」
「え? ちょ、ちょっと?」
強引に引っ張られ、華奢な悠太は抵抗できない。よろけながらも昴の後に付いていくと、屋上にでる鉄扉の前まで連れてこられた。
「――どうしたの、沢渡くん?」
「いや、スバルって呼んでくれって。」
「ス、スバルくん?」
「呼び捨てでスバル!」
「ス、ス、……な、何で?」
「いいから呼び捨てでスバル!」
「ス、スバル!」
「もう一度!」
「スバル!」
「もう1回!」
「スバル!」
「――ヨシ!」
「え……、何なの?」
戸惑いを隠せない悠太。今までの人生において、誰かを呼び捨てにしたことなど無い。それほど親しい友人が居なかったからだ。しかし昴の方はさきほどの硬い笑顔から、多少は自然な笑顔に戻っていた。
「悪い、でもちょっと落ち着いた――。話ってのは、さっきの古典の時間の最後の方。」
「さ…、ス、スバル…が倒れたこと?」
悠太は呼び捨てに違和感を感じながらも、そう問うた。
「ああ。あのとき、ユータは何か変わった物を見なかった?」
「変わった物? ううん、何も見てない。」
「そうか――、じゃあ、俺の気のせいかも。」
言いながらも顔が強ばる昴の様子を見て、悠太は心配になって尋ねた。
「何を見たか、教えてくれる?」
「…壁時計に赤い直線が入って、それが口になって白い歯が見えた。」
「――。」
「やっぱ、昨日のトラウマ的な? 幻覚とかなのかな。」
そう言いつつも、その光景を思い出した昴は恐怖を隠せない。悠太は言葉を選ぶように、ゆっくりと応えた。
「スバルにだけ見えた、という可能性は十分にあるよ。つまり、ヤツらの標的になった――。」
「――ッ!」
昴の表情が引きつった。
「いや、トラウマで無いものが見える方が問題だよ。分かりやすい解決方法がないからね。ちゃんとした怪奇現象なら原因を取り除けば解決できるからさ。」
「――意外と肝が据わってるんだなあ。」
昴が羨望の眼差しを向けると、悠太は頭を横に振った。
「誤解してるかもだけど、僕にアレと戦う超常能力なんて微塵もないから。むしろ、ああいった存在と正面から戦える人なんてほとんどいない。残念だけど。」
悠太の言葉に、昴は応える。
「いや。ユータは十分に頼もしいよ。俺一人だったら恐怖でどうにかなりそうだった。」
昴に頼もしいと言われ、悠太は悪い気がしない。こんな気持ちは生まれて初めてだ。
「安全を期すなら、スバルは学校に来ちゃダメだと思うんだけど――。」
悠太は他人を呼び捨てにする特別感を知った。今まで誰に対してもへり下り、内心では劣等感を抱いていた。しかし頼もしいと言われ、名を呼ぶのに敬称もいらないと言われ、初めて人と対等な立場になれたように思う。
「僕よりも詳しい人を知ってるから相談しよう。それと、僕も色々と調べてみようと思う。」
「ありがとう! ホントに助かる!」
言って、昴は悠太の手を握った。まるで自分らしくない、初めて感じる保護欲に悠太は戸惑いを覚えつつ、誇らしさと照れくささで「う、うん…」と吃りながら応えるのが精いっぱいだった。




