第99話 王の前で、真実が揃う
教会を出てすぐ、次の場所へ向かう流れになった。こちらの体調を気遣って休ませるような空気ではなかった。
案内役が変わった時点で分かる。
今度の相手は、軍でも教会でもない。
「ガランさん、セイさん、こちらへ」
案内役に呼ばれて、俺とガランさんだけが王城の奥、一般の貴族も入れない内廷側の一室へ通された。
廊下を進むほど、人の気配が減っていく。
兵はいる。
侍従もいる。
でも、見られている感じより、見てはいけない場所へ入っていく感じのほうが強かった。
「……本当に、王のところまで行くんですね」
思わず小さく言うと、ガランさんは前を向いたまま返した。
「ここまで来て、今さらだ」
「胃が痛いです」
「知ってる」
「助けてくれます?」
「内容次第だな」
いつもの調子の返事なのに、それで少しだけ息ができた。
通されたのは、王の執務にも使われる私的な一室だった。
広すぎない。
だが、王都で見てきたどの聞き取りの部屋より、逃げ場が少ない。
大きな机、壁際の書棚、封を待つ書簡、広げかけの地図。
飾りより先に、ここが日々の判断を積み上げる場所なんだと分かる。
権威を飾るための部屋じゃない。
この国の重さを、机の上で決めるための部屋だった。
俺とガランさんが席に着いてから、少しだけ間があった。
長くはない。
でも、待たされている時間のぶんだけ、ここがただの呼び出しじゃないと分かる。
やがて奥の扉が開いた。
先に入ってきたのは近侍だった。
その半歩後ろに、国王レオンハルト・アルヴァナ。
そして――
王のすぐ後ろに続いた姿を見た瞬間、足が止まった。
「……アヤ?」
いや、違う。
顔はアヤだ。
でも、いつもの冒険者の軽装じゃない。
白と淡い青を基調にした、ドレスではない王族の正装。
胸元に入った細い紋。
髪のまとめ方も、立ち方も、いつものアヤなのに、同時にまるで別人みたいだった。
アヤ――いや、その人は、少しだけ困ったように俺を見た。
「セイ」
その声だけは、間違いなく知っている声だった。
「座るがよい」
低い声が落ちる。
視線を向ける。
国王レオンハルト・アルヴァナが、そこにいた。
正式謁見の時みたいな広い場じゃない。
近くにいるのは最低限の近臣だけだ。
だからこそ、王その人の言葉が、そのまま届く距離だった。
「本日は公の場ではない」
王が言う。
「ここで揃えるのは、明日語るための話ではない。外へは出さぬ真実だ」
喉が少しだけ乾いた。
俺とガランさんが席に着く。
向かいには王。
そして斜め前に、王族の正装を着たアヤがいる。
「……まず、一つ目だ」
王はまっすぐ言った。
「セイ。そなたがアヤと呼んでいた者のことから話す」
部屋の空気が変わる。
「この者は、アヤであり、マヤ・アルヴァナでもある」
一拍置く。
「余の娘だ」
心臓が一回、変な音を立てた気がした。
心当たりが、まったくなかったわけじゃない。
王都へ戻ったのが療養のためだという話。
それなのに、《リュミエルの灯》の三人が心配する素振りも見せず、妙に落ち着いていたこと。
引っかかっていたのは、それくらいだった。
でも、それで王女に繋がるほど、俺は何かを知っていたわけじゃない。
分からないのと、目の前で言葉にされるのは全然違った。
「……王女、ってことですか」
どうにかそれだけ言う。
「そうだ」
王はあっさりうなずいた。
「マヤ・アルヴァナ。王家の魔道具により、限られた者以外には正体が認識されぬようにしてある。そなたが見てきたのは偽りではない。あれもまた、この者だ」
王は一度だけ、アヤ――いや、マヤさんを見た。
「このことを前から知っていたのは、護衛役も担っていたコルト、ミナ、リアンの三人と、監督役のガランだけだ」
そこでようやく、《リュミエルの灯》の三人が妙に落ち着いていた理由が繋がった。
ただの仲間だったわけじゃない。
あの三人は、最初からアヤを守る役も背負っていたんだ。
(……俺だけ知らなかったのか)
『セイ!』
(だってそうだろ。俺だけ勝手に、いろいろ気にしてたのに)
『あなたも人のこと言えないよ』
(……何がだよ)
『自分がいちばん大きな秘密を抱えてるでしょ。転生してきたことを知ってるのは、今も私たち二人だけなんだから』
(……なるほど。確かにそれは誰にも言えない)
『でしょ』
(ちょっと負い目もあるし、そこはお互い様にしとく)
アヤ――マヤさんは、少しだけ視線を落とした。
「ごめん」
短く、それだけ言った。
「隠したくて隠してたわけじゃない。でも、言えなかった」
責める言葉がすぐには出なかった。
むしろ、今までのいろいろなことが頭の中で繋がっていく。
強さ。
背負い方。
妙に育ちの良さが見える瞬間。
でも同時に、村で泥もかぶって、外縁で剣を振っていたことも全部本当だった。
「なぜ王女がエルディアにいたのか」
王が続ける。
「それも今、揃えておくべきことだろう」
ガランさんが、少しだけ姿勢を正した。
「王都の中だけで育てれば、見えぬものがある」
王の声は静かだった。
「外縁がどう危険か。村が何で持っているか。祈りだけでも、剣だけでも回らぬ現実が何か。王家の者がそれを知らぬままでは、上から守ることもできぬ」
一度、アヤを見る。
「だから余は、マヤを王都の外へ出した」
次に、ガランさんへ。
「監督役として、この男に預けた」
「監督役、ですか」
俺が思わず言うと、ガランさんが鼻を鳴らした。
「そうだ。最初からその役で預かってる」
「……今まで一言も言いませんでしたよね」
「言える話じゃねえからな」
「それで済ませるんですか」
「王から直接、誰にも言うなって預けられた話だ。お前なら言えるのか」
言葉が詰まる。
「……それは」
「だろうが。済ませるために黙ってたんだ。だが、今ここにいる以上は隠しきれねえ」
王の口元が、ほんの少しだけ動いた。
「ガランは、若い頃から現場で信用できる男だ」
王が言う。
「王女として過保護に囲うのでもなく、無茶を通すのでもなく、現実を見せる役として適していた」
「見せられすぎた気もします」
アヤが小さく言う。
「だが、今のそなたは分かっているはずだ」
王の声は厳しくない。
けれど甘くもない。
「自分ひとりが危険へ行けば済む話ではないことを」
アヤは少しだけ黙った。
それから、はっきりとうなずく。
「……うん」
その一言は、村で見てきたアヤより少し大人びて聞こえた。
「前は、自分が前に出ればいいって思ってた。でも、違った。立場ごとにやることがある。守る側にも、守られる側にも、勝手に踏み越えたら駄目な線がある」
その言葉を聞いて、胸の中で何かが少しだけ収まった。
ああ。
この人は、今ここで急に王女になったわけじゃない。
村で剣を振っていた時間も本物で、その上で今ここに座っているんだ。
「二つ目だ」
王が言う。
「《リュミエルの灯》について」
今度は、俺のほうが身を固くした。
「《リュミエルの灯》は、ただのCランク冒険者パーティではない」
王の声が、部屋の中を静かに進む。
「マヤの隠れ蓑であり、同時に、現実に村と外縁を支えてきた実働部隊でもある」
アヤが息を止めたのが分かった。
たぶん、それをどちらか片方だけにされたくなかったんだと思う。
「隠れ蓑だから偽物、という話ではない」
王は続ける。
「王家の都合で作られた形でもある。だが同時に、あの場で働き、命を張ってきた時間も事実だ。そこは切り分けぬ」
アヤの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「ただし」
王の目が俺へ向く。
「この真実は外へは出さぬ。少なくとも明日の正式謁見ではな」
「……明日も、ですか」
「出さぬ」
王ははっきり言った。
「《リュミエルの灯》の実態も、マヤのことも、公の場で王都社会へ投げる話ではない。真実は、守るために伏せる時もある」
ガランさんがそこで初めて口を開いた。
「だから今日は内輪の話を揃える。明日は公の場で整える、ってわけだ」
「そういうことだ」
王はうなずく。
今日は本音の場だ。
でも、明日は違う。
その言い方で、ようやく今の場の意味が腹に落ちた。
(……明日は、まだ別の話があるのか)
『王様には、なにか考えがあるみたい』
「三つ目だ」
王の視線が、まっすぐ俺へ向く。
「セイ。そなたのことだ」
背筋が勝手に伸びた。
「軍、教会、ギルド」
王は指を折るでもなく、静かに言葉を積む。
「上がってきた報告は違う形をしている。だが、見ているものは同じだ」
少しだけ間を置く。
「そなたは、進ませる者ではない。戻す線を引ける者だ」
その言い方は、王国軍で聞いたものと似ていた。
でも、重さが違った。
「怖さを無視せず、危険を危険として言える」
王は続ける。
「押せと言う者は多い。前へ出る勇を飾る者も多い。だが、退けと言える者は少ない。そして、危険を感じた時に、どうすればより多くを救えるかを考えて動ける。今の国には、そちらのほうが足りぬ」
言葉がすぐには返せなかった。
強いと言われるのとは違う。
褒められているのとも少し違う。
必要だと言われている。
それが一番重かった。
「ですが」
どうにか声を出す。
「どこにも属さないほうが、動きやすいこともあります」
「あるだろうな」
王は否定しなかった。
「余もまだ王子だった頃、身分を隠して外を歩いた。ガランと同じ現場に立ち、民の側からしか見えぬものも見てきた。冒険者でなければ届かぬ場所があることも、逆に、王家の者でなければ引けぬ線があることも知っている」
王の声は低いままだ。
「そなたが言おうとしていることは分かる。どこにも属さぬほうが動きやすい場はある。だが、どこにも属さぬままでは守れぬことも増える」
その一言が、やけに静かに刺さる。
「そなたのような者は、放っておけば誰かが勝手に触ろうとする。利用もする。消そうともする。ならば先に、余がそなたの立場を定める必要がある」
頭の奥で、リラが小さく言った。
『一番上の保険です』
(……ああ)
『ただし、自由は減ります』
(分かってる)
『だからこそ、今この場で本音を聞かされているのでしょう』
「隠しませんね」
思わずそう言っていた。
「隠して得がある場ではない」
王が言う。
「守るためでもある。使うためでもある。どちらか片方だけではない」
きれいごとじゃない。
だから逆に、ごまかしがない。
「この場では、まだ正式な発表はしない」
王は続ける。
「だが明日、公の場でそなたの立場を定める」
喉が少しだけ鳴る。
「王都の貴族社会に、今後そなたをどう扱うべきかを示すためだ」
(……明日か)
『だから、今日じゃなくて明日なんですね』
「……それで、俺の自由は減る」
「減るだろう」
「でも、勝手に消されにくくなる」
「そうだ」
「《リュミエルの灯》のことは出さない」
「出さぬ」
短い問答だった。
でも、その一つ一つが、もう後戻りできない場所に置かれていく感じがした。
そこで、アヤが口を開いた。
「父上」
王に向かってそう呼ぶ声を、俺は初めて聞いた。
「明日、私はどうなりますか」
王は娘を見た。
国王の目でもあり、父親の目でもあるように見えた。
「王女としての名は戻る」
王は言う。
「だが、《リュミエルの灯》で過ごした時間を否定はせぬ。あれもまた、そなたが背負ってきた現実だ」
アヤは少しだけ目を伏せる。
「明日、全部は出さない。だから、《リュミエルの灯》で生きてきた時間まで、そなたの中で消す必要はない」
その一言で、アヤの顔から固さが一つ落ちた気がした。
「……はい」
それは大きな返事じゃなかった。
でも、ようやく自分の中で二つの立場を喧嘩させずに持てた人の声だった。
部屋が少しだけ静かになる。
真実が揃う、というのは、もっと派手なものかと思っていた。
誰かが怒鳴るとか。
隠していたことが爆発するとか。
そういうものじゃなかった。
ただ、一つずつ、名前が正しい場所に置かれていく。
アヤはマヤでもある。
《リュミエルの灯》は隠れ蓑で、でも本物でもある。
ガランさんはギルドマスターで、同時に王から預けられた監督役でもある。
俺は、前へ出る奴じゃなく、戻す線を引く奴として見られている。
それが全部揃った時、療養で王都に帰ったことと、《リュミエルの灯》の三人が妙に落ち着いていたこと、その二つがようやく繋がった。
「では」
王が最後に言う。
「明日、公の場でそなたの立場を定めよう」
その一言で、胸の奥がひやりとした。
褒賞だけの話じゃない。
祝福されて終わる話でもない。
明日、王の口から、もう後戻りできない形が与えられる。
守られるのだと思う。
でも同時に、好きに動けるだけの立場でもなくなる。
その二つが同じ言葉の中に並んでいるのが、妙に重かった。
隣で、ガランさんだけが小さく息を吐く。
今日は真実を揃える場だった。
だが、明日は違う。
真実をそのまま出す日じゃない。
真実を守るために、表へ出す形を整える日だ。
そのことだけは、もう嫌でも分かった。
王の部屋を出て、通された控えの間に戻る。
そこには先に戻っていたバルドさんとテオさんがいた。
「随分ひどい顔だな」
「自覚はあります」
「王に何を言われた」
少し迷ってから、俺は答えた。
「明日、公の場で立場を定めるって」
部屋が静かになる。
「まだ、何をどうするかまでは聞いてません」
自分でも情けないと思いながら続ける。
「でも、たぶん今まで通りじゃいられない」
「だろうな」
バルドさんはあっさり言った。
「ここまで来て、何も変わらねえほうがおかしい」
「慰めになってませんよ」
「慰めてねえからな」
そこで、テオさんが静かに口を開いた。
「ですが、立場が付いたからといって、冒険者を続けられなくなるとは限りません」
「……限らない?」
「はい。もし明日、そういう話になったとしても、です」
俺が顔を上げると、テオさんはいつも通り落ち着いた顔のままだった。
「今まで言っていませんでしたが、私もバルドも家の名があります」
「え」
「俺は子爵家の次男だ」
バルドさんが言う。
「テオは伯爵家の三男。サラも男爵家の次女だ」
言葉がすぐには入ってこなかった。
「……今、かなり重いこと聞かされてません?」
「今だから言ってる」
テオさんが静かに言う。
「もし明日、お前に何か立場の話が出たとしても、行き先は一つじゃありません」
「一つじゃない?」
「はい。家の名を前に出す道もある。軍に近い形もある。学院に寄る形もある。教会側と深く結び直す形だってあります」
そこで、バルドさんが腕を組んだまま続けた。
「要するに、明日何を言われるにしても、それで急に全部が終わるわけじゃねえってことだ」
「テオさんは学院に戻れる」
思わず口にすると、
テオさんは小さくうなずいた。
「席だけなら、まだあります」
「バルドさんは……軍とかですか」
「家の都合でそっちに寄せることもできるだろうな」
「サラさんは教会、か」
「そういうことです」
テオさんが言う。
「だから、お前に明日どんな話が出ても、そこで世界が一つに決まるわけじゃない」
「貴族になれと言われても、ならなくても同じだ」
バルドさんがまっすぐこっちを見る。
「お前は今まで通り、俺たちと冒険者をしていればいい。明日何を言われても、それで一人になるわけじゃねえ」
「立場が増えることはあっても、急に別人になるわけじゃありません」
テオさんが続けた。
「だから、先にそこまで怯えなくていいんです」
胸の奥の冷えが、少しだけ別のものに変わった。
消えたわけじゃない。
でも、見えないまま広がる不安ではなくなった。
明日、王が俺にどんな名を置くのかは、まだ分からない。
けれど――
王の前で、名前が変わるのは、俺だけじゃないのかもしれなかった。




