第95話 王都、線の多すぎる場所
門の奥に通された土間の部屋は、広いのに息が詰まった。
石の床に鉄の輪。
荷馬車を止めるための太い杭。
壁際には槍を持った門兵が四人。
外の喧騒は聞こえるのに、ここだけ音の流れが切れている。
止めるための部屋だと、入った瞬間に分かった。
「馬車から降りるな。荷もまだ触るな」
先頭の門兵が言った。
声は荒くない。
でも、決まりを口にする時の硬さがあった。
バルドさんが一歩だけ前に出る。
出すぎない。
でも、こちらの前に立てる位置だ。
その背中を見ただけで、胸の奥のざわつきが少し下がった。
「代表者は」
「俺だ」
ガランさんが答える。
「エルディア支部、支部長ガラン。王都軍エドガー隊長から先触れは入ってるはずだ」
門兵の一人が眉を動かした。
知らない名前ではない。
でも、それだけでは通らないらしい。
「確認中だ。急かすな」
「急かしちゃいねえよ。間違えるなって言ってるだけだ」
ぴり、と空気が鳴った。
その横でテオさんが、さりげなく布包みを抱え直す。
左に原本。
右に控え。
見せる順番まで、もう体に入っている持ち方だった。
リアンさんは荷台の中を見たまま、短く言う。
「証人、まだ眠っています。今は起こさない方がいいです」
「起こさなくていい」
ガランさんも即答した。
「ここで喋らせる線じゃねえ」
門兵たちの視線が、一瞬だけ荷台に寄る。
それだけで、胃が重くなった。
見られた。
けど、まだ中身までは掴まれていない。
ここで崩したら駄目だ。
『セイ』
頭の中で、リラが静かに呼ぶ。
『ここから先は、森の危険とは別種です。“政治と宗教の場”に入っています』
(分かってる)
けど、見える線が多すぎた。
兵の視線。
教会の立場。
ギルドの通し。
名前一つで開く線と、逆に閉じる線。
門の外へ伸びる街道の流れ。
門兵たちの腰の認証札から伸びる薄い光。
壁の中を走る結界の筋。
祈りの向き。
人の視線。
誰が誰を止める権限を持っているのかまで、線みたいに見えてしまう。
森なら、危険は前から来た。
ここは違う。
守る線も、止める線も、消す線も、同じ場所に重なっていた。
「……息、浅いよ」
小声でミナさんが言った。
「顔はいつも通りだけど」
「そんな器用なこと出来てませんよ」
「出来てる。だから言ってる」
軽い口調だった。
でも、ちゃんと見てくれている声だった。
その時、奥の扉が開いた。
門兵たちが一斉に姿勢を変える。
入ってきたのは、王都軍の士官ではなかった。
見覚えのある歩き方。
外套の下で揺れる赤茶の髪。
「……アヤさん?」
思わず声が出た。
アヤさんは俺たちを見て、ほんの少しだけ息をついた。
それは安心と、別の緊張が混ざった顔だった。
「間に合ったみたいだね」
コルトさんの肩が、目に見えて緩んだ。
「……アヤか。久しぶり。まさか、お前が来るとはな」
「来るよ。本部に呼ばれたから」
アヤさんは門兵へ木札を見せる。
ただの札じゃない。
ギルド本部の印に、王都軍側の通しが重なっている。
それを見た途端、さっきまでの止める空気が少しだけ変わった。
扱いが変わる。
札一枚で、通れる線が変わる。
それを、俺は嫌というほど見せつけられた。
「エドガー様から連絡は入っています」
アヤさんはガランさんに向き直った。
「ただ、想定より状況が悪い。門前で足止めしていい案件じゃないって判断が本部で出た。
エドガー様からの連絡も踏まえて、事情を知る私に引き取り役の指示が来た」
「悪いってのは、どっちだ」
「あなたたちの立場も。持ち込んだものも」
アヤさんの言い方は、いつもより少し硬かった。
ここが彼女にとっても、気を抜ける場所じゃないと分かる。
「門で全部開かせる気だった連中がいた。でも、先に本部が押さえた」
テオさんが細く息を吐く。
「……間に合いましたね」
「まだです」
アヤさんは即座に言った。
「まだ、通しただけ。安全とは別」
その言葉に、ガランさんが短くうなずく。
「だろうな」
「ここで確認するのは人数と最低限の積み荷だけです。詳しい話は門ではしません」
アヤさんは門兵たちへ視線を流した。
「この一団はギルド本部預かり。王都軍の護衛付きで移送する。記録は私が持つ」
流れるような指示だった。
門兵たちは反発しない。
もう、線の上から命令が下りている。
王都では、誰が強いかより、誰の線の中にいるかの方が先に決まるらしい。
簡易確認はすぐ終わった。
人数。
所属。
積み荷の数。
それだけだ。
だが、荷台の幕に触れられそうになった瞬間、リアンさんが一歩前へ出た。
「患者です。高熱と衰弱があります。ここで光を当てるなら、私が立ち会います」
声は柔らかい。
でも、引かない声だった。
門兵が迷った、その一拍の間に、アヤさんが口を挟む。
「教会側の聴取も後で入る。今ここで悪化される方が困ります」
門兵は舌打ちこそしなかったが、手を引っ込めた。
その瞬間、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
リアンさんがいて良かったと、本気で思った。
馬車はそのまま、内側へ通された。
重い門が開く。
白い石が続く。
音の量が一気に増えた。
鐘。
車輪。
呼び声。
祈りの歌。
金属を打つ音。
人の足音。
王都は、町というより巨大な仕組みだった。
外から見た壁の中に、さらにいくつもの壁と線がある。
教会の高い尖塔。
紋章を掲げた王都軍の詰所。
遠くに見える学院らしい塔。
そして、一目では全体を飲み込めないほど大きいギルド本部の建物。
「……でかいですね」
「だろ」
ミナさんが小さく笑う。
「村でやってた“ちょっと大変”が、ここだと書類一枚の重さになったりするんだよ」
「嫌な言い方ですね」
「嫌だけど本当」
馬車の横を騎乗の兵が固める。
前にも後ろにもいる。
守っているようにも見えるし、逃がさないようにも見えた。
その両方なんだろう。
アヤさんは先導しながら、一度だけこちらを振り返った。
「着いたらすぐ、部屋を分けます。証人は教会側の治療室へ。帳簿と控えは本部預かり。ただし原本は、見せ先が決まるまでガランさんの手から離さないでください」
「助かる」
「助かるのはまだ先です」
言ってから、アヤさんは少しだけ目を伏せた。
「……王都は、守ってくれる場所でもある。でも、それだけじゃない」
その言葉は、独り言みたいに小さかった。
けれど、妙に耳に残った。
俺は城壁より高い建物を見上げる。
人が多い。
兵も多い。
祈りの線も、結界の筋も、規則も、所属も、全部ある。
なのに、危険が下がった感じはしなかった。
むしろ、危険が見えにくくなった。
ギルド本部の裏口に着いた時には、もう夕方の色が石畳に落ちていた。
案内された部屋は、門の土間よりましだった。
でも、落ち着ける部屋じゃない。
机が三つ。
水差しが一つ。
見張りの立つ位置が最初から決まっている部屋だ。
コルトさんが窓の外を見たまま言う。
「通りは広いのに、逃げ道は少ないな」
「少ないんじゃないですか。多すぎて選ばせてもらえない」
そう返すと、ガランさんが鼻で笑った。
「分かってきたじゃねえか」
すぐあとで、本部の職員が入ってきた。
年配の男だ。
礼儀はある。
でも、目は書類を見る目だった。
「確認します。明朝より、順に聞き取りを行います。まず冒険者ギルド本部。その後、王都軍。教会側からも聴取の要請が出ています」
部屋の空気が、少しだけ重くなる。
想定通りだ。
でも、順番に名前を出されると、仕組みの大きさが急に現実になる。
「学院は?」
テオさんが聞いた。
「現時点では同席しません」
職員はそう言ってから、一拍置いた。
「ただし、今回の件はすでに上へ上がっています」
「上ってのは、どこまでだ」
ガランさんの声が低くなる。
職員は俺を見た。
正確には、俺たち全員を見た。
それから、事務的な口調のまま告げた。
「国王陛下も、この件をお聞きになっています」
誰もすぐには動かなかった。
ミナさんの指が止まる。
コルトさんが窓から顔を離す。
リアンさんの手が、膝の上でそっと重なった。
バルドさんだけが、いつも通り立っていた。
でも、その立ち方が一段だけ固くなったのが分かった。
「正式な日取りは明日以降に決まります」
職員は続ける。
「ですが、先にお伝えします。……特に、セイさんの判断については、王もお聞きになりたいそうです」
部屋の中で、音が消えた気がした。
戦場では、戻る線を引けばよかった。
どこまで進むか。
どこで下がるか。
誰を先に戻すか。
それだけでよかった。
けれどここでは違う。
誰の線の中に入るか。
その代わりに、何を縛られるのか。
それを決めなければならない。
王都は、線が多すぎる場所だった。




