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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房
第7章 戦いのあと、王都への道

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第87話 昔の名と、門前の線

 中継都市の外壁が見えたのは、昼を少し過ぎた頃だった。

 石を積んだ高い壁が、街道の先に続いている。

 宿場町より人も荷も多い。

 門の前には荷車が何台も並び、馬の鼻息と人の怒鳴り声が混ざっていた。

「……思ったより混んでるな」

 バルドが言った。

「混んでるだけじゃないです」

 俺は前を見たまま答える。

「揉めてる」

 人の流れが、一か所だけ止まっていた。

 野次馬が円を作っている。

 しかも少し距離を取って見ている。

 ただの言い合いじゃない。押し合いになるかもしれない時の空気だった。

「声、拾えますか」

 テオが目を細める。

「近づけばな」

 コルトが短く答えた。

「でも正面から行くな。見られる」

 その通りだ。

 門前みたいな人の多い場所では、こっちの顔も動きも覚えられやすい。

 この先、町の中で動くことを考えると、最初から目立つのはよくない。

「欲張るな」

 ガランさんが言った。

「まず見る。割るのは必要になってからだ」

「はい」

 俺たちは荷車の列の外側をたどるようにして、少しずつ門前へ近づいた。

 正面から割り込まず、横から様子を見る。

 揉めていたのは、小さな荷車の一家だった。

 御者台に男。

 荷台の横に女が一人と、子どもが二人。

 積んであるのは麻袋と木箱。

 食料か布か、そんなところだろう。

 家族で回している小さな荷運びに見える。

 その前に、青布を腕に巻いた役人風の男が二人。

 さらに後ろに槍持ちが三人いた。

 門番はいるが、少し離れて様子を見ているだけだ。

 嫌な並びだった。

 口だけ出す奴が前。

 力を使う奴が後ろ。

 責任を取る側が、前に立っていない。

「だから再徴収だと言ってるだろう!」

 青布の男が怒鳴った。

「ここは王都手前の中継都市だ!宿場で払った記録があっても、ここを通るなら別勘定になる!」

「そんな話は聞いてねえ!」

 御者台の男が怒鳴り返す。

「金を取るなら、その根拠を見せろ!せめて役所印の入った紙を出せ!」

「平民が役所に指図するな!」

 返しが早い。

 こういう押し方に慣れている声だった。

 リアンが小さく言う。

「子どもがいます」

「見えてる」

 危ないのは、そこだ。

 大人同士が揉めると、子どもは前に出やすい。

 その一歩が、後ろの槍持ちにぶつかる。

「セイ」

 ガランさんが呼ぶ。

 俺は槍持ち三人の足元を見た。

 右の槍持ちは気が抜けている。

 左の男は周囲を気にしている。

 だが、真ん中だけは違った。

 右足が少し前に出ている。

 あれは刺す構えじゃない。

 石突きで押し返すつもりの立ち方だ。

「真ん中です」

 俺は小さく言った。

「子どもか母親が前に出たら押します。刺す気はないですけど、倒し方が悪い」

「分かった」

 ガランさんが即座に言う。

「バルド、前に出させるな。リアン、子ども側。コルト、上も見ろ。テオ、紙と印だ」

「了解」

 それぞれが動く。

 俺は、正面からぶつかる位置ではなく、横から流せる位置に足を置いた。

 左足を半歩前に出す。

 右足は少し外へ逃がす。

 体は真正面に向けない。

 正面から止めれば押し合いになる。

 押し合いになれば、後ろの荷台や子どもにしわ寄せが行く。

 必要なのは、止めることじゃない。

 向きをずらすことだ。

「通さねえなら荷を改める!」

 青布の男が怒鳴った。

 そのまま、わざと荷台の木箱を蹴る。

 箱が傾く。

 女が慌てて手を伸ばす。

 つられて、子どもの一人が前へ出た。

 危険が上がった。

 真ん中の槍持ちが動く。

 右足で踏み込み、槍の石突きで子どもを押し戻そうとした。

 その瞬間だった。

 俺が踏み出すのと、ほとんど同時に、人垣の外から一人の男がすっと間に入った。

 速い。

 だが、それだけじゃない。

 左足を斜め前に置き、右足を引き寄せて、槍の正面に立たない。

 押す力を真正面から受けず、横へ流している。

 石突きは子どもに届かず、石畳を擦っただけで終わった。

 子どもは、その男の背に守られる形になった。

「子どもを押すな」

 低い声だった。

 怒鳴ってはいない。

 でも、門前のざわつきが一瞬止まるくらいには、よく通った。

 旅装の外套。

 腰には片手剣。

 肩幅は広い。

 だが、力任せの立ち方じゃない。

 前に立つ時、誰を後ろで守るか分かっている立ち方だった。

「なんだ貴様は!」

 青布の男が喚く。

「役所の執行に口を出す気か!」

「執行?」

 男は鼻で笑った。

「紙も見せねえ取り立てを、立派な言葉で呼ぶんだな」

「平民風情が!」

「その平民から抜こうとしてる金の話だろうが」

 荒い口調だった。

 でも雑じゃない。

 周りに聞かせる言葉と、相手を怒らせる言葉をちゃんと分けている。

 その時、ガランさんの肩がほんのわずかに止まった。

 俺はそっちを見る。

 ガランさんが、その男を見て目を細めていた。

 敵を見る目じゃない。

 昔を思い出した時の顔だった。

「……おい」

 ガランさんが小さく言う。

 男が顔を向けた。

 目が合う。

 その瞬間、男の口元が少しだけ緩んだ。

「あんた、まだそんな顔するのか」

 男が言った。

「お前こそ、まだ面倒に首突っ込んでやがるのか」

 ガランさんが返す。

 自然なやり取りだった。

 昔から知っている相手だとすぐ分かる。

「知り合いごっこは後だ!」

 青布の男が苛立ちを強めた。

「これは正式な徴収だぞ!」

「なら正式な紙を出せ」

 旅装の男は商人一家の前から動かないまま言う。

「通行再徴収の規定。臨時徴収なら発令印。差し押さえなら目録。どれでもいい。出してみろ」

 言い方に迷いがなかった。

 こういう場の理屈を知っている。

 青布の男が詰まる。

 そこへ、テオが前に出た。

「失礼」

 静かな声だった。

「地方ギルド所属の同行者です。徴収と差し押さえの根拠確認だけ、こちらでもしてよろしいですか」

 そう言って証票を見せる。

 青布の男の顔色が少し変わった。

 ギルドは無視しにくい。

 だが、見せるものがないのか、すぐには返せない。

 その間に、リアンが女と子どもの側へ回った。

「少しだけ下がってください」

 リアンはしゃがみ、子どもと目線を合わせる。

「車輪から離れれば大丈夫です」

 女の肩の力が、少しだけ抜けた。

 バルドは荷車の反対側へ回る。

 盾を構え切らず、ただそこに立つ。

 それだけで、横から入りにくくなる。

「おい、押すなよ」

 バルドが軽く言った。

「今日はそういう役じゃねえだろ」

 笑っているような声なのに、一歩も引かない。

 コルトは後ろを見たまま言う。

「屋根に二つ」

「追う目か」

 ガランさんが聞く。

「まだ半々だ」

 コルトが答えた。

「でも、ここで騒ぎが大きくなれば動く」

 俺も同じ見立てだった。

 こういう騒ぎは、別口の誰かが利用しやすい。

 荷でも、人でも、紙でも。

 何か一つ消すには十分な混乱になる。

「門番! こいつらを退かせろ!」

 青布の男が叫ぶ。

 だが門番はすぐに動かなかった。

 ギルド証票が出ている。

 子どもを押しかけたところも見られている。

 ここで青布側に露骨に肩入れすれば、自分まで悪く見られる。

「規定番号だけでも」

 テオが落ち着いた声で言う。

「口頭で結構です」

 青布の男は答えない。

 代わりに、後ろの槍持ちの一人がじり、と前へ出た。

 今度は左の槍持ちだ。

 旅装の男の脇を抜けて、荷台へ手をかけるつもりだろう。

 差し押さえの形だけでも作れば押し切れる。

 そういう動きだった。

「来ます」

 俺は言って動いた。

 正面からはぶつからない。

 まず左足を半歩引いて、相手の進路に対して胸を薄くする。

 その上で、伸びた腕の外側へ自分の左前腕を軽く当てた。

 止めるんじゃない。

 荷台へ向かう腕の向きを少し外へずらす。

 それだけで、手は荷台じゃなく空を掴んだ。

 そこへ、テオの足元から低い土の盛り上がりが生える。

 槍持ちの右足の前、つま先一歩ぶんだけ。

 大きな壁じゃない。

 でも足を崩すには十分だった。

 重心が前に抜けきらない。

 その一瞬に、バルドが盾の縁を斜めに差し込む。

 押し返すためじゃない。

 通り道そのものを塞ぐ一歩だ。

「そこで止まれ」

 バルドの声が落ちる。

 槍持ちはそれ以上前へ出られない。

 空気が一気に張った。

 短剣に手がかかる気配。

 だが、その瞬間に旅装の男が動いた。

 右足を相手の前足の外へ置く。

 左足を軸に体を半回転。

 短剣に手をかけた護衛の肩口へ、自分の左肩を当てて前へ出る向きを折る。

 さらに右膝を相手の太腿の内側へ軽く添える。

 強く打たない。

 相手が踏み込みすぎた勢いを、そのまま崩れに変えただけだ。

 護衛は短剣を抜けないまま、石畳へ膝をついた。

 顔から落ちないように、最後まで抑えている。

 そこで門番がようやく前へ出た。

「そこまでだ!」

 慌てた声だった。

 でも、それで十分だった。

 場の空気が変わる。

 もう青布側が見られる立場になった。

「貴様ら……」

 青布の男が歯噛みする。

「弁明があるなら聞く」

 ガランさんが一歩前へ出た。

 ギルドマスターの声だった。

「証文なしの差し押さえ。子どもへの押し込み。それを門前でやった。言い分があるなら、いまここで言え」

 青布の男は門番を睨み、テオを睨み、旅装の男を睨み、最後にガランさんを見た。

 押し切れないと分かった顔だった。

「……控所で話す」

「そうしろ」

 ガランさんが返す。

 青布の男たちは控所側へ下がった。

 槍持ちも護衛も、険しい顔のまま引いていく。

 完全な勝ちじゃない。

 でも、子どもや荷車を巻き込む形は止められた。

 今はそれで十分だった。

「た、助かりました……」

 商人の男が何度も頭を下げる。

「礼はいいです」

 テオが言った。

「宿場で払った印の写しは、別に取っておいてください。原本だけだと『見ていない』で押されることがあります」

「は、はい……!」

 リアンは子どもの手を見て、擦れただけだと確かめていた。

 大きく治癒を使わないのは、周囲を刺激しないためだ。

 旅装の男は、その様子を見届けてから、ようやくガランさんへ向き直った。

「久しぶりだな」

「ああ」

 ガランさんが答える。

「何年だ」

「数えてねえ」

 男は肩をすくめた。

「あんたがそういうの苦手なのは昔からだろ」

「お前にだけは言われたくねえ」

 短いやり取りだけで、距離が分かる。

 昔の仲間だ。

 でも、ずっと会っていなかった空白もある。

「こいつはラグナだ」

 ガランさんが言った。

「昔の前衛仲間」

 テオの目がわずかに動く。

 バルドも露骨に反応した。

「ラグナ……」

 バルドが小さく呟く。

 テオの目がわずかに細くなった。

 名前に聞き覚えがある、そんな反応だった。

 ただ、ここで誰もそこを深くは言わない。

「好きに歩くには、ずいぶん揉め事に詳しいじゃないですか」

 テオが静かに言う。

 嫌味じゃない。

 確認する声だった。

 ラグナは少しだけ笑った。

「歩いてりゃ覚えることもある」

 今の立場は言わない。

 でも、何も知らない旅人のふりもしない。

 そういう答え方だった。

「助けに入ったのはありがたい」

 ガランさんが言う。

「だが、お前がここにいる理由までは聞かねえ」

「聞かれても全部は答えねえよ」

 ラグナもあっさり返す。

「そっちだってそうだろ」

「違いねえ」

 無理に踏み込まない。

 でも、切り捨てもしない。

 昔の仲間らしい距離だった。

 コルトが横から口を挟む。

「アンタ、さっきの連中を前から知ってる顔だったな」

「知ってる顔もある」

 ラグナは否定しない。

「最近この辺り、青布を巻いてりゃ何してもいいと思ってる手合いが増えた」

「役人か?」

 バルドが聞く。

「役人の格好をした何か、ってこともある」

 ラグナは肩をすくめた。

「全部が全部、本当にその町の手下とは限らねえ」

 その言い方で、俺の中でいくつかの点が繋がった。

 宿場で見た不自然な記録。

 廃砦で抜かれた帳簿と印章。

 そして門前の再徴収。

 一つの手口じゃない。

 いくつもの動きが重なっている。

「……さっきの商人みたいな相手まで狙う連中じゃないな」

 気づけば、俺は口に出していた。

 ラグナがこっちを見る。

 試す目じゃない。

 分かったかどうかを確かめる目だった。

「見てるな、坊主」

「見るのが役目です」

 俺が答えると、ラグナは少しだけ口の端を上げた。

「いい役だ」

 その一言に、ガランさんの視線がわずかに動いた。

 俺へじゃない。

 ラグナの言い方に、何か昔を重ねたように見えた。

「王都行きか」

 ラグナが言う。

「そうだ」

 ガランさんが答える。

「報告が山ほどある」

「だろうな」

 ラグナは門の奥を一度だけ見た。

「なら気をつけろ。王都へ近いほど、表で握手して裏で帳簿を燃やす奴が増える」

 それは、いま俺たちが追っている話に近かった。

 でも、ラグナはそれ以上は言わない。

 ここで止めるのも、あの人なりの線引きなんだろう。

「またな」

 ラグナは片手を上げた。

「今度会う時は、もう少し面白え話にしろ」

「無茶言うな」

 ガランさんが返す。

 ラグナは笑って人混みへ消えた。

 消え方まで上手かった。

 完全に気配を消すわけじゃない。

 でも、追いかけにくい位置へすぐ抜けていく。

 ただの旅人じゃない。

 それだけははっきりしていた。

「……噂の人、かもしれませんね」

 テオがぽつりと言った。

「何の噂だ」

 バルドが聞く。

「王都寄りで、昔に名前だけ聞いたことがあります」

「いた、か」

 コルトが鼻を鳴らす。

「今は違うって顔だったな」

 俺も同じ印象だった。

 ガランさんは少し黙ってから、短く言った。

「昔の仲間だ。それ以上でも、それ以下でもねえ」

 硬い言い方だった。

 これ以上は踏み込ませない声だ。

 なら、今はそこまででいい。

 俺たちは商人一家が無事に門を抜けるのを見届けてから、中継都市の中へ入った。

 町の中は宿場町より広かった。

 石畳の幅が違う。

 荷車が二台すれ違っても余裕がある。

 倉庫の壁は高く、店の看板も大きい。

 店の数も、人の服装も、宿場より少し整って見えた。

 だが、整っているぶん隠す場所も多い。

 裏路地、倉庫の陰、荷の出入り口。

 表向きがきれいな町ほど、裏の動きは見えにくい。

「先にギルド支部だ」

 ガランさんが言う。

「門前で見たことを残す。それから宿を取る」

「ええ」

 テオが頷いた。

「記録に残せるものは先に残した方がいいです」

 エドガーさんの言葉が頭に残っていた。

 捕まえるより先に、消される前に残す。

 いま必要なのはそこだった。

 中継都市のギルド支部は、表通りから一本入った石造りの建物だった。

 中は忙しい。

 受付の前には冒険者だけじゃなく、運び屋や商人もいる。

 紙の擦れる音と、木札を動かす音が途切れない。

 ガランさんが門前の件と、街道で見た廃砦襲撃の件をまとめて通す間、俺たちは周囲を見ていた。

「また裁き屋だってよ」

 受付の端で、荷運びらしい男がぼやく。

「昨日は北の街道で荷改め役の箱だけ抜かれたらしい」

「一般の荷は残ってたって話だぞ」

 別の男が返した。

「だから余計に気味が悪いんだよ」

 裁き屋。

 宿場で聞いた言葉と繋がる。

 廃砦で会った連中のことを思い出した。

 荷そのものじゃなく、帳簿や印章や名簿だけ抜いていった相手。

 テオは受付の職員に短く話しかけ、記録の閲覧許可を取ってきた。

 こういう場面のテオは本当に強い。

 バルドとリアンは宿の確保へ。

 俺とコルトは支部に残る。

「さっきのラグナって男」

 コルトが小さく言った。

「セイ、どう見た」

「前に立つのに慣れてる」

 俺は答える。

「倒すためじゃなく、後ろを守るための足だった」

「ガランさん寄りか」

「似てるけど、少し違う」

 俺は窓の外を見る。

「ガランさんは、戻る線を守る人だと思う。あの人は必要なら外まで踏み出して線を引き直す側に見えた」

「面倒な方だな」

 コルトが息を吐く。

「うん」

 否定はできなかった。

 しばらくして、テオが紙束を持って戻ってきた。

「面白くないです」

 第一声がそれだった。

「門前の臨時徴収班。入城の記録はあります。ですが、差し押さえ権限の引き継ぎが見当たりません」

「ないのか」

 コルトが聞く。

「少なくとも、いま出せる帳簿には」

 テオは紙を見せた。

「徴収班の到着記録だけある。でも、本来続くはずの付帯書類が抜けています」

「抜かれた」

 俺が言う。

「可能性は高いです」

 テオは頷く。

「それと、街道の廃砦近辺で襲われた荷車の件も、この町の記録へ繋がるはずでした。ですが、受け取りの予定欄だけ妙に空白が多い」

「見事に残してねえな」

 コルトが顔をしかめる。

「全部ではありません」

 テオは紙束から一枚抜いた。

「完全には消せていない断片があります。同じ日付で、荷改め所・徴税控所・北門の倉の三か所に、同じ印が回っている」

「北門の倉……」

 倉庫。

 人も荷も、一度止める場所だ。

 止まる場所には痕が残る。

 だから、消す側もそこを消したがる。

「今夜、そこを見ますか」

 テオが聞く。

「焦るな」

 コルトが即答した。

「町に入った初日だ。顔も割れてる。夜に倉庫へ寄れば、それこそ拾われる」

「俺もそう思う」

 俺は言った。

「今夜は動きすぎない方がいいです。向こうが選んだ時間に、向こうの場へ入るのは危険が高い」

「じゃあ明日か」

 コルトが言う。

「朝、支部経由で記録をもう一段洗う」

 そこへ、バルドとリアンが戻ってきた。

「宿、取れた」

 バルドが言う。

「支部から近い。裏口もあるが、表通り側に面してる」

「祈り場のある宿でした」

 リアンが続ける。

「長旅の人が多いらしくて、夜も比較的静かだそうです」

 それは助かる。

 人の多い町では、休める場所がちゃんとしているかで次の日の判断が変わる。

 ガランさんも受付の奥から戻ってきた。

 顔は渋いままだ。

「支部長にも話は通した。門前の件は記録に残る。ただ、臨時徴収班の紙は『後で回す』の一点張りだ」

「つまり、もう触られてる」

 コルトが言う。

「そう考えた方が早い」

 ガランさんは短く返す。

「宿へ戻って整理するぞ」

 俺たちは宿へ向かった。

 道すがら、町の空気を拾う。

「裁き屋がまた出たらしい」

「悪徳商人だけ狙ってるとか何とか」

「でも役所も噛んでるって話だぞ」

「誰が本当なんだか」

 そんな断片が、店先や水場や荷車の陰で聞こえてきた。

 正体はまだ見えない。

 でも、痕跡と噂だけは確かに積み上がっている。

 宿へ着く頃には、日がだいぶ傾いていた。

 一階の食堂で短く打ち合わせをする。

「今夜、北門の倉まで踏み込むかどうか」

 バルドが言う。

「俺は反対だ」

 コルトが即答する。

「町の初日で、顔が割れたあとだ。しかも門前で揉めた」

「私も今夜は動きすぎない方がいいと思います」

 リアンが言う。

「こちらを見ている目が、まだ薄くなっていません」

「ただ、明日の朝まで待つと消される記録もあるかもしれません」

 テオが紙を机に広げた。

「あるでしょうね」

 俺は答えた。

「でも、今夜こっちが噛まれると、その場で記録も人も両方こぼす」

「じゃあ、どうする」

 ガランさんが聞く。

 判断を寄こせ、という声だった。

「今夜は支部に写しを残してもらいます」

 俺は言った。

「こっちで紙を持つんじゃなく、支部側の帳簿に『門前で不正徴収の疑いあり』『付帯書類不備』『同日付で北門の倉連動』を先に書かせる」

「残すべきものを増やす、か」

 ガランさんが頷く。

「はい。こっちが夜に動くより、向こうが消しにくい線を一本でも増やした方がいい」

「支部書記に言えばできます」

 テオがすぐに言う。

「閲覧記録そのものも残る」

「いい。それでいく」

 ガランさんが決めた。

「その代わり」

 俺は続ける。

「今夜は見張りを薄くしない方がいいです。向こうが消したいのは、帳簿だけじゃない」

 バルドが短く笑った。

「やっと俺の出番だな」

「壁役、頼みます」

「任せろ」

 役割が決まる。

 それだけで、場の空気が少し整った。

 食事のあと、テオは支部へ戻って記録の写しと閲覧痕を残しに行った。

 バルドは宿の出入りと裏口の確認へ。

 コルトは表通りの見張り位置を見に行く。

 リアンは宿の祈り場を借りて、短く祈りを整える。

 ガランさんは一階の隅で地図と紙を見ていた。

 俺は二階の窓から外を見ていた。

 中継都市の夕方は、エルディアより灯りが多い。

 荷車の音も人の足音も、夜になっても完全には切れない。

 便利な町だ。

 でも、その便利さは、何かを運んで隠す動きにも向いている。

『ラグナという人物』

 リラが頭の中で言った。

『ガランと似ています』

「うん」

『ただし、停止より介入を優先する傾向が強い』

「俺もそう見えた」

『制度の外で線を引き直すタイプ、という理解でおおむね妥当です』

「だろうな」

『気になりますか』

「気になる」

 俺は窓の外を見たまま答えた。

「でも、いま追う相手じゃない」

『はい。現時点で優先すべきは、三人を運ぶ流れと、証拠を消す流れの合流点です』

「うん」

 ラグナは気になる。

 でも今は、そこに踏み込む時じゃない。

 夜が深くなる前に、テオが戻ってきた。

 行く前より、少し顔が硬い。

「支部書記に残してきました」

 それだけならよかった。

 だが、テオは続けた。

「そのついでに、もう一つ拾いました」

 ガランさんが顔を上げる。

「何だ」

「北門の倉に、今夜もう一便入る予定だったらしいです」

「だった、ってのは?」

 バルドが眉をひそめる。

「直前で記録が消されました」

 テオは紙を差し出した。

「でも、下書きの控えだけ残っていました。正式欄は削られているのに、控えの端にだけ時刻が書いてある」

「どんな荷だ」

 コルトが聞く。

「品目名は抜かれています」

 テオの声が低くなる。

「ただ、受け取り側の符号だけ残っている。……廃砦で護衛が口にしたものと同じ記号です」

 部屋の空気が変わった。

 北門の倉。

 今夜。

 そして、廃砦の荷と繋がる符号。

 人か、紙か、荷か。

 まだ分からない。

 だが、消したい側が今夜も動くのは間違いない。

 ガランさんがゆっくり立ち上がる。

「……今夜は動きすぎるな、と言ったばかりだが」

「分かってます」

 俺は先に答えた。

「全部を取りに行くんじゃない。見るだけです」

「見える位置だけ取りに行くか」

 コルトが言う。

「はい」

 俺は頷いた。

「倉へ入らない。噛まない。誰が来て、何を運び、どう消すか。それだけを見ます」

 危険は高い。

 でも、何も見ずに朝を待てば、また紙だけが消えるかもしれない。

 踏み込みすぎず、拾えるものだけを拾う。

 今必要なのは、その形だった。

 窓の外では、王都側の空がもう暗くなり始めていた。

 中継都市の灯りが、一つ、また一つと強くなる。

 今夜、北門の倉で何が動くのか。

 俺たちは、それを見に行くことになった。


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