第84話 筋の通った盗賊
街道脇の細道へ入ると、すぐに道幅が狭くなった。
左は根の浮いた斜面。
右は胸の高さほどの藪だ。
少し先には木の幹と岩があり、その向こうが見えない。
二人並んで進める幅はなく、一列になるしかなかった。
先頭はガラン。
そのすぐ後ろにコルト。
少し間を空けて俺とリアン。
左後ろにバルド。
さらに後ろへ兵が三人続く。
戦うための並びじゃない。
追って、見つけて、戻るための並びだ。
『前方の視界が悪いです』
リラが頭の奥で静かに言う。
『右の藪にも左の斜面にも、人が伏せられる場所があります。危険の気配が濃いです』
分かっていた。
ここは、追う側が不利になる形だ。
十歩ほど進んだところで、コルトが急にしゃがんだ。
「止まれ」
低い声だった。
俺たちもその場で足を止める。
コルトは地面の土を指先で撫で、折れた枝を拾って表面を軽くなぞった。
「踏み跡が薄すぎる」
ガランが聞く。
「消えたのか」
「違う。消した跡だ」
俺も腰を落とした。
右足を半歩引いて、体を少し後ろへ預ける。
近づきすぎると、浅い跡が見えにくい。
地面には、靴底の形が残るほど深い跡はない。
だが、完全に消えているわけでもなかった。
踵の端の沈み。
木の根を避けたつま先の向き。
枝で掃いた筋。
上から崩した土。
消し方が二つ混じっている。
「先へ進む役と、後ろを消す役が分かれてます」
俺は言った。
「しかも慌ててない。歩幅が乱れてません」
リアンが左の斜面を見た。
「草が倒れています」
見ると、左側だけ草の先が同じ向きに寝ていた。
だが、その下は歩きやすくない。
細い根が何本も浮いていて、踏めば足首を取られる。
「避けた人をこっちへ流したいんですね」
リアンが静かに言う。
「たぶんな」
ガランが短く返した。
俺は前を見た。
道は緩く下っている。
前で止められた時、戻る側は上りになる。
前が詰まれば、後ろも詰まる。
しかも少し先で視界が切れていて、何が起きたか後ろからはすぐに分からない。
こういう場所で追いかけるのは、だいたいろくなことにならない。
「ここから先は追跡じゃありません」
俺は立ち上がって言った。
「相手の場に入る形です」
バルドが眉をしかめる。
「だが、今ならまだ近いだろ」
「近いから危険です」
俺は首を振った。
「この道は、追う側を一列にさせるのにちょうどいい。前を止められたら後ろが詰まる。横へ逃げようとしても、斜面と藪で崩れる。それに、跡を全部は消していません。急がせたいんです」
コルトが頷く。
「本気で見失わせたいなら、もっときれいに消せる。これは『見失うな』じゃなくて『早く来い』の残し方だ」
兵の一人が小さく息を呑んだ。
自分でも分かっていたんだろう。
先へ行くほど、こっちの動きは読まれやすい。
ガランはしばらく黙って道の先を見ていた。
それから言う。
「……今日はここで線を引く」
その一言で場が決まった。
俺は少しだけ肩の力を抜く。
前へ出るより、止める方が疲れる時がある。
「戻るぞ」
ガランが振り返る。
「切り方に癖があるなら、別の場所で拾える」
細道を戻る途中、誰も余計なことは言わなかった。
悔しさがないわけじゃない。
だが、踏み込んで全員で沈むよりはいい。
宿場の門へ戻ると、さっきとは別のざわつきが広がっていた。
ひそひそ話が増えていた。
面白がっている声もある。
怯えている声もある。
中には、胸のすくような声まで混じっていた。。
「今度は何だ」
ガランが門番へ聞く。
門番は困った顔で答えた。
「西の倉置き場で、徴税官の荷だけがやられました。護衛は倒されましたが、死人は出ていません」
「徴税官の荷だけ」
ミナが眉を寄せた。
「他の荷は」
「他の商人の荷には手がついていないそうです」
嫌な話だった。
無差別じゃない。
狙う相手に理屈がある。
ガランはすぐに全員を見た。
「会議はあとだ。今は町の声を拾う」
「分担します」
ミナがすぐに言う。
「ガランさんとセイさんは下町側へ。
コルトさんとバルドさんは倉置き場周辺。
リアンさんは門と宿屋の聞き取りを。
私は役所側を見ます。
テオくんが戻ったら、宿で合流にしてください」
迷いのない割り振りだった。
こういう時のミナは、話を前に進めるのが上手い。
俺とガランは下町へ向かった。
最初に話を聞けたのは、宿の女将だった。
鍋をかき回しながら、こっちを見ずに言う。
「盗賊なんてろくなもんじゃないよ。でもね、狙われる相手が決まってるのさ」
「決まってるってのは?」
ガランが聞く。
「町で嫌われてる相手だよ。税を余計に取っただの、荷を抜いて懐に入れただの、そういう噂のある連中さ」
次に会った荷運びの男も、似たことを言った。
「奪われた荷が、その夜のうちに貧民街へ回ったって話もある。麦とか、干し肉とか、薬草とかだ」
「本当か」
俺が聞く。
「見たわけじゃねえ。だが、子連れの荷車や、行商人の小荷物が狙われたって話は少ない。消えるのは、だいたい嫌われ者の倉だ」
下町の商人は、もっと露骨だった。
「世直し盗賊だよ。最近じゃ裁き屋なんて呼ぶ馬鹿までいる」
「持ち上げられてるのか」
ガランが低く聞く。
「一部じゃな。役人や徴税官が痛い目見りゃ、胸がすくってやつもいる。だが、盗賊は盗賊だ。それでも、見境なく襲う山賊とは違う。だから余計に気味が悪い」
門へ戻ると、リアンも聞き取りを終えていた。
「若い門番から聞きました。闇商人の護衛だけが、妙に静かに潰されていたこともあるそうです。一般の旅人相手には、無駄な刃傷が少ないと」
「静かに、か」
俺はその話を頭の中で並べ直した。
狙われる相手は決まっていて、奪われる荷にも選り分けがある。
そのうえ、無駄に死人を増やしていない。
だからこそ町では、ただの盗賊として片づけられず、世直し盗賊だの裁き屋だのという名前までついているのだろう。
だが、相手を選んでいることと、正しいことは別だ。
そこを同じものとして見始めたら、話は濁る。
宿へ戻ると、ちょうどテオが帳面を抱えて待っていた。
表情が少し硬い。
何かを見つけた時の顔だった。
「記録が妙です」
椅子に座るより先に、テオはそう言った。
「交代予定欄だけ筆圧が違います。あとから書き足した跡があります。替え馬の記録にも不自然な空白がある。本来なら埋まっているはずの時刻が抜けています」
「ただの書き漏れじゃないの」
ミナがすぐに聞き返す。
「そう言い切るには、抜け方が都合よすぎます」
テオははっきり答えた。
「それと、裏口側に薄い魔術痕が残っていました。土と風を使った簡易な合図に近いです。長く残るものではありませんが、外へ知らせた可能性があります」
リアンが目を細めた。
「宿場の中に手引きがいた」
「その線が濃いです」
テオは頷いた。
「護送便がいつ止まり、どこで人が入れ替わるかを、外の連中が先に知っていた可能性があります。かなり高いです」
ガランが低く息を吐く。
「中から流したやつがいて、外で待ってた連中がそれを使った。そういうことか」
「はい」
テオは帳面を閉じた。
「だから手際が良すぎるんです。どこで止まるか、いつ護衛が緩むかが分かっていれば、待ち伏せる場所も時間も選べる」
それなら、襲撃が妙にきれいだった理由も通る。
偶然うまくいったんじゃない。
こっちがどこで止まり、いつ護衛が入れ替わるかを、先に読まれていたんだ。
「徴税官の現場も見ますか」
コルトが聞いた。
「見る」
ガランは即答した。
「同じ手口かどうかだけでも拾う」
夕方、俺たちは徴税官襲撃の現場へ向かった。
宿場の西側にある倉置き場の脇だ。
木箱はいくつか倒れている。
だが壊れ方は小さい。
血も少ない。
長く揉み合った形じゃなかった。
俺は地面に残った擦れ跡の前でしゃがみ込んだ。
右から刃が来たとする。
受ける側が左足を半歩引けば、正面は外れる。
そのまま重心を後ろへ逃がして、前に残していた右足を軸に体を開けば、相手は通り道を失う。
倒すためじゃない。
立つ場所を奪って、邪魔な位置からどかすための動きだ。
残っている跡は、その形に近かった。
「どう見る」
ガランが聞く。
「殺す手つきじゃありません」
俺は答えた。
「短時間で制圧して、荷を抜く邪魔だけどかしてます。倒れた位置も、逃げ道を塞ぐ角度になってる。相手を倒すことより、仕事を通すことを優先した動きです」
コルトが血の散り方を確かめる。
「振り回して暴れたなら、もっと飛ぶ。斬った回数も少ない」
バルドが腕を組んだ。
「妙に手慣れてやがる」
「そうですね」
俺は頷いた。
「怖がらせるために荒らしてない。欲しいものだけ抜いて、邪魔だけ処理してる」
ガランが渋い顔で現場を見回した。
「……好き勝手やる盗賊って手つきじゃねえな」
その言葉が重く残った。
脱走した三人を受け取った側と、町で噂になっている世直し盗賊が同じかどうかは、まだ分からない。
だが、どちらも無差別ではなく、手慣れていた。
しかも、街道の仕組みを読んで動いている。
そこだけは、嫌なくらい似ていた。
宿へ戻る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
入口で兵の一人が駆け寄ってくる。
「護送兵が一人、話せるようになりました」
すぐに部屋へ向かう。
男は寝台に横たわり、肩口に包帯を巻かれていた。
顔色は悪い。
息も浅い。
だが、目だけははっきり開いていた。
「無理に話さなくていい」
ガランが先に言う。
「だが、言えるなら聞く。何があった」
護送兵の喉が上下した。
唇が震える。
「盗賊じゃ……なかった」
部屋の空気が止まる。
「見たのか」
俺が聞く。
「あいつらは、止める側でした」
男は息を継ぎながら言った。
「街道の横から出てきて、俺たちを潰した。でも、それで終わりじゃない」
ミナが一歩だけ前へ出る。
「終わりじゃないって、どういうこと」
「先に……いたんだ」
護送兵の目が揺れた。
今もその場面を見ているみたいだった。
「もっと先に、待ってる連中が。三人を、受け取るための連中が……」
背中の奥が冷えた。
脱走じゃない。
偶然の襲撃でもない。
最初から渡す先が決まっていた。
「黒幕は盗賊じゃない」
護送兵は震える声で言い切った。
「あいつらじゃない。あれは前座だ。本当にまずいのは、その先で待ってた側だ」
誰もすぐには口を開かなかった。
町では、世直し盗賊だの裁き屋だのと囁かれている。
だが、護送兵の話はそれとは別だった。
嫌われ者から荷を奪う話じゃない。
最初から人を受け取り、どこかへ消すための段取りがあった。
ガランが一歩、寝台へ近づく。
「その先ってのは、どこだ」
護送兵の喉が上下した。痛みをこらえるみたいに、男の指が毛布を握る。
「街道じゃ……ありません」
震える声だった。
「途中で外れたんです。馬車を捨てて……峡谷側の、旧道へ」
部屋の空気が、また一段重くなる。
旧道。
使う人間が減って久しい道だ。狭く、見通しが悪く、今の街道よりもずっと隠しやすい。追う側には不利で、運ぶ側には都合がいい。
「見間違いじゃないんだな」
ガランが確認する。
「……橋の手前に、崩れた石碑がありました。あの道です。俺たちは、そこまでで止められた」
そこまで聞けば十分だった。
逃げたんじゃない。
運ばれたんだ。
しかも、行き先まで決めたうえで。
ミナが息を詰める。
コルトはもう地図の上に視線を落としていた。
リアンは護送兵の顔色を見ながら、これ以上は無理だと判断したのか、小さく首を振る。
バルドは腕を組んだまま、壁になる時の顔をしていた。
テオだけが、帳面を抱えたまま目を細めている。
「明日、追いますか」
コルトが低く聞く。
ガランは即答しなかった。
数を連れて入れば目立つ。
少なすぎれば、潰された時に終わる。
あの細道を見たあとなら、その迷いは当然だった。
俺は窓の外を見た。
宿場の灯りの向こう、見えない闇の先に旧道がある。
今夜のうちに動けば、相手の場へそのまま踏み込むことになる。
朝を待てば、痕はさらに薄くなる。
どっちにしても、楽な追跡じゃない。
「大人数では無理です」
俺は言った。
「見つける前に、こっちが見つかります」
ガランが短く頷く。
「……追うのは絞る」
低い声だった。
「俺とセイ、コルト、リアン、バルドそして自分だ。入るならその線だ。テオは宿場に残れ。帳面と通行記録を洗い続けろ」
テオはすぐに頷いた。
「分かりました。こっちは内側の線を拾います」
内と外。
どちらもまだ切れていない。
だが、少なくともこれで次の道は見えた。
峡谷側の旧道。
そこが、人を消すための通り道だ。
護送兵は最後の力を振り絞るみたいに、もう一度だけ口を開いた。
「急いで、ください……あいつら、運ぶのが仕事です。
着いた先に残す気なんて、最初から……」
そこで言葉が切れた。
リアンがすぐに肩へ手を当て、これ以上喋らせないようにする。
残す気がない。
その意味だけが、部屋の中に重く残った。
王都へ着かれる前に、喋られて困る誰かがいる。
しかも相手は、逃げ道を作る連中じゃない。
人を受け取り、運び、消すことに慣れた連中だ。
――夜が明けるまで待てば、追跡はもっと不利になる。
それでも踏み込むなら、次はもう、引き返す線まで読み違えられなかった。




